8話 準備
翌日から、クラスの教室に大樹の姿はなかった。
代わりに、彼は毎朝一番に校長室へ足を運ぶようになった。
闘技場での一件で注目を浴びているはずなのに、彼は魔法の鍛錬でもクラス昇格の策略でもなく――毎日、校長室の扉を叩いたのだ。
学園長ジェダルトは齢八十を超える白髭の老人だったが、その目は未だに衰えを知らない。むしろ、退屈を嫌い、常識外れのものにこそ興味を示す変わり者として知られている。
そんな彼が、連日訪れる少年の話に耳を傾け続けたのは――それが、途方もなく「金になる」話だったからに他ならない。
「ふむ…特許、とな。つまり、新しい魔法理論や魔道具の発明を『権利』として保護し、対価を得られる仕組みを制度として整えろ、と」
老人は豊かな白眉の奥から、ぎらりと商人のような光を覗かせた。
この世界では知識は秘匿されるものであり、技術は師から弟子へ口伝で継がれるのみ。それを「公開」し「共有」する代わりに「金銭」を得るという発想は、革新的というよりもはや暴挙に近い。
「面白い。実に面白いわい、小僧。して、最初のアイデアはもうあるんじゃろうな?」
「もちろんです。
今提案できる技術は3つ。
1つ目は念話器。高度な魔法の念話を簡易的に行う魔法陣の提案。
2つ目は魔道図書館の検索システム。欲しい本を取り寄せる魔法はあるが内容は手動で読まないといけない。
3つ目は輸送の最効率化させるテレポータル。瞬間移動も莫大な魔力を使う高度な技術。それを無機物限定で定期的な魔力供給で極限の省エネ化させた魔法陣を開発しました。」
「三つ…じゃと?」
ジェダルトの白い目が見開かれた。初日のプレゼンで三件の技術提案。この老人が学園長になって以来、こんな生徒は一人もいなかった。
彼は震える手で机の引き出しから羊皮紙と羽ペンを引っ張り出し、凄まじい速度でメモを取り始めた。
「念話器に魔道図書館の検索システム、それにテレポータルの省エネ化…どれもこれも既存の魔法体系を根本から覆す代物ではないか!」
念話は上級魔法使いでも扱える者が限られる。それが簡易化されれば通信革命が起きる。検索魔法と組み合わせれば知の流通が激変する。テレポーテーションの無機物限定運用など、軍事・商業の両面で途方もない経済効果を生む。
老人の商魂がぎらぎらと燃え上がっていた。
「三つとも特許申請を出す。いや、待て。まずは儂の前で実演してみせよ。机上の空論では国の予算は引っ張れんぞ」
彼は身を乗り出し、子供のように目を輝かせて大樹を見据えた。その姿は、もはや教育者というより、巨万の富を嗅ぎつけた投資家そのものであった。
「もちろん、試作品を用意しています。
…まず念話器。
この魔法陣をどこに書くだけでもいいです。石でもいいです。
話したい相手と事前に暗号を決めておき詠唱の最後に発する。
次に検索システム。この魔法陣の書かれたマットの上の本は全て念じれば内容が頭の中に入ってきます。
最後のポータルは門や扉に魔法陣を書いてください。AとBを繋ぎます。ただし重量制限、定期魔力供給、無機物に限る制限が限界でした。
俺は魔力を持ちません。実際にこの部屋で動くか校長の魔力で試して欲しいです。」
校長は念話器の試作品を手に取った。さっと魔法陣を書き写し、暗号を決めてから詠唱する。
すると――彼の脳裏に直接、声が響いた。自分の声ではない、明瞭な音声として。
「こ、これは…! 距離も関係なく届くのか!?」
次に検索マットに手をかざし、適当な本を念じる。次の瞬間、本の内容が鮮明に頭の中へ流れ込んできた。
老人の目が潤んでいた。感動ではない。純粋な金勘定で頭がいっぱいになっているのだ。
最後にポータルの魔法陣が書かれた扉を開け、魔力を注ぎ込む。部屋の隅に置いてあった重りの石が、音もなく消失し――次の瞬間には隣室に出現していた。
「成功じゃ…完璧に動いとる…!」
老人は振り返ると、皺だらけの顔をぐしゃりと歪めて笑った。
「小僧、おぬしを本日付で『特別技術顧問』に任命する! 特許の件、国王に直訴してやるわい! 」
待ってください。このシステムはまだ未完成なんです。貴族の特許権独占、魔法陣の
書き換え(改ざん)イタズラ(悪用)模倣の対策が必要です。
「む…むぅ」
勢いよく立ち上がりかけた老人は、ぴたりと動きを止めた。
少年の指摘は的確だった。
貴族が利権を独占すれば民間には届かない。魔法陣の改ざんは偽造品の横行を招く。イタズラや悪用は社会秩序を破壊する。模倣されれば特許制度そのものの価値が消える。
どれ一つ取っても致命的な問題だった。
彼はゆっくりと椅子に座り直し、顎髭を撫でながら唸る。
「おぬし…商売の才能もあるようじゃな。技術者というのは大抵、作ることしか頭にないもんじゃが」
感心と警戒が入り混じった目で少年を見据える。
「具体的にはどうする? 魔法契約による強制力か、それとも物理的な保護か。まさか特許庁のような専門機関を新設しろとは言わんじゃろうな?」
「魔法局に特許庁、その案もありましたが規模が大きすぎる…
そこで、4つの対策を考案しました。
① 魔法陣の「署名」
魔法陣には作者の魔力署名が刻まれる
改ざんすると魔法陣が停止する
② 二重魔法陣(安全装置)
魔法陣を2層構造にする。
1層目に基本魔法陣
2層目に監視魔法陣
監視魔法陣が
・改ざん
・暴走
・過剰魔力
を検知すると自動停止
例えば念話器なら
暴言、軍事通信
などを検知して切断する設定も作れます。
③ 魔力登録制度
使う人の魔力を登録する。
「誰の魔力か」を判別できる。
メリットは犯人追跡できる
イタズラ防止
例えば図書館の検索魔法
「この魔法は記録されます」
って表示が出る。これで権限による制限ができます。
④ 模倣対策(不完全コピー)
魔法陣の一部を動的ルーンにする。
つまり刻まれているルーンが時間で微妙に変化する。
権利者だけがその法則を知っている仕組み。
いかがでしょうか?」
「……いかがでしょうか、ではないわ」
老人の声は震えていた。怒っているのではない。興奮しているのだ。
彼は机をばんと叩き、前のめりになった。
「天才じゃ。おぬしは正真正銘の天才じゃ! 魔法署名に二重構造、魔力登録による追跡と制限、動的ルーンによる模倣防止…! これを小僧が考えつくか普通!?」
彼は震える手で猛然と書き留めていく。途中でインクが切れ、予備を探す余裕すらない。
「特にこの二層目の監視魔法陣! 暴言や軍事通信の検知切断じゃと? 応用すれば念話器を軍事転用されることも防げるではないか! 国王が泣いて喜ぶぞこれは!」
老人は書き終えたメモを掲げ、恍惚とした顔で眺めた後、ぎろりと大樹を睨んだ。
「一つだけ条件がある。この技術群、全権利を学園名義にせい。おぬし個人ではなくな。さもなくば貴族どもに骨までしゃぶり尽くされるぞ。儂が守ってやる」
「分かりました。その代わり、私からも条件が4つあります。
1つは世界を知る権利。禁書を含めた全図書の閲覧権限。そして、未踏の地、危険地域、封鎖遺跡等への立ち入り許可証。
2つ目は学業の免除。
3つ目は資金。特許による報酬の3割をいただきます。
あとはこれをもう1人…フィリーにも認可してください。」
「フィリーじゃと?」
老人の片眉がぴくりと上がった。風の申し子。あの奔放娘の名前が、こんな場面で出てくるとは思わなかったのだろう。
「あの娘を巻き込んでおるのか。」
彼はじっと大樹の目を見つめた。値踏みするような、探るような目。しかしそこに敵意はなく、むしろ感心に近い色が滲んでいる。
「よかろう。一つ目、二つ目、三つ目。すべて呑む。禁書庫の鍵も、未踏領域への通行証も儂の名で発行してやろう。学業免除もな」
ただし、と言いながら老人は指を一本立てた。
「一つ目の『世界を知る権利』。これは特権というより学術的な研究協力という名目にさせてもらうぞ。さすがに学生の小童に白紙の許可証を渡せば、要らぬ勘繰りを呼ぶ。形だけ整えておけば誰も文句は言えん」
そしてもう一枚の書類を取り出してさらさらと署名した。
「フェリルの分も用意しておく。あの娘にはおぬしから伝えろ。…まったく、ここまで食い込んでくる生徒は初めてじゃわい」
ありがとうございます。現場を見なければ更なる改善提案は出せませんからね。
「ほっほ、抜け目のない小僧じゃ」
老人は愉快そうに笑い、机の上に散らばったメモを丁寧にまとめた。
「よいか、特許制度が軌道に乗るまで半年はかかる。それまでの間に技術のブラッシュアップと制度設計を詰めるぞ。それと、おぬしたちの旅の準備もあるじゃろうが…学園を空ける理由は『特別研究課題による長期調査』として処理しておいてやる」
つまり、表向きは学業の一環として体裁を整えてくれるということだ。四十日間の無断欠席を「公式の任務」に変えてくれるとは、なかなかの好待遇である。
「それと――分かっておると思うが、この件は他言無用じゃ。特許が確定するまでは技術情報が漏れればおぬしも儂も終わりじゃぞ」
校舎を出ると、午後の陽射しが傾き始めていた。
特許、図書閲覧権、旅の許し、そしてフェリルへの認可。たった数日で手に入れたものとしては上出来すぎる成果だった。
大樹が中庭を横切ろうとした時、背後から聞き慣れた風がふわりと吹いた。
「おかえり! 校長先生のとこ、どうだった?」
俺とフィリーの旅の許可が出たよ。この許可証があればどこでも入れる。
「えっ…もう!?」
フィリーは許可証を受け取って目を丸くした。そこに記された紋章と署名は紛れもなく本物だ。
ぺらぺらと内容を読み進め、危険地域や封鎖遺跡への立ち入り許可という文面に辿り着いた瞬間、彼女の顔がぱあっと輝いた。
「うわぁ…本物だ…。ねえ大樹これ本当にすごいことだよ? 普通の冒険者でも一生かかって手に入れられないようなものを、学校に入りながら貰えるなんて」
彼女は許可証を胸にぎゅっと抱きしめた。その姿はエリートの威厳もへったくれもない、ただの嬉しそうな女の子だった。
ふと、表情が少し落ち着いて、真剣な目になる。
「ねえ、 準備しなきゃいけないこと山ほどあるよ。装備とか、食料とか、あとルートも決めないと」
そう言いながらも、その声は弾んでいた。指折り数えるその顔は、まるで遠足を心待ちにする子供のようだった。
2人は数日かけてルート選定し、必要最低限の買い出しと装備を整え、旅の準備が万端になった
出発の朝は、よく晴れていた。
二人が選んだルートは王都を北に抜け、大陸の北端に連なる「灰嶺山脈」を越えて、その先に広がる未開の大地へと続くものだった。
北の果てには古代文明の遺跡群が眠るとされる「凍土の回廊」があり、さらにその先には大陸最大の禁足地「黒き森」が横たわっている。
普通の旅人ならまず選ばない、危険と未知に満ちた道程だった。
「いやー、まさか旅の荷物がこんなに少ないとは思わなかったなぁ」
フィリーは自分の背嚢を軽く揺すりながら苦笑した。食料や野営道具は最低限。それでも二人の足取りは驚くほど身軽だった。
彼女は風の精霊と契約しているため、気流を操って荷重を減らせるし、何より大樹はそもそも持ち物が極端に少なかった。
「よし! じゃあ行こっか!」
正門の前、朝靄がまだ薄く残る中、フィリーは大きく伸びをした。振り返れば学園の尖塔が朝日を受けて白く光っている。
彼女は一瞬だけその光景を目に焼き付けるように見つめ――すぐに前を向いた。




