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大樹の子  作者: 叶ェ祈リ
11/12

11話 くしゃみ

次の日の朝


朝靄の中、二人は街を後にした。

背後では昨夜のケバブーンの残り香がまだ漂っており、広場には朝から行列ができていたらしい。

宿の主人が「もう一日泊まってくれ」と懇願してきたが、丁重に断った。

門を出ると、街道は森の奥へと続いている。

空気の密度が明らかに変わり始めた。


「ここから先は精霊域。普通の人間は入れない……はずなんだけど」


ちらりと大樹を見る。

異世界人という規格外の存在が、精霊に拒絶されるのか、それとも――。


森に足を踏み入れた瞬間、空気が震えた。

木々の間から光の粒子がちらちらと舞い始める。

蛍のような、しかしもっと鮮やかな翠色。

風が囁くように、葉擦れの音に混じって微かな音が響いた。

フィリーには聞き取れているのだろう、足取りが徐々に遅くなっていた。


「……歓迎、されてる。上位の精霊たちが道を開けてくれるって」


驚いたように目を瞬かせた。

普通、精霊の里に部外者を導くなどあり得ない。

フィリー自身ですら、長老に許可を得て初めて入れてもらえた場所だ。



「大樹、本当に何者なの……」


「フィリーの精霊がきっといい噂を流してくれたのかな?」


「あたしの精霊が噂好きみたいに言わないでよ!」


ぷくっと頬を膨らませたが、すぐに笑いに変わった。

確かに風の精霊は噂好きだ。否定できない。

だが今回はそういう次元の話ではないことくらい、フィリーにも分かっていた。

精霊の格が違う。里の精霊が直接道を開けてくれる。

これは精霊界にとっても異例中の異例だ。


二人が森の深部へ進むにつれ、景色が変貌していった。

巨木が天を衝くようにそびえ立ち、その幹には光る苔が絨毯のように張り付いている。

足元には透き通った水が流れ、時折その中を小魚ほどの大きさの光る生き物が泳いでいた。

幻想的という言葉すら陳腐に感じる光景だった。

やがて森が開け、霧の中に石造りの建造物が姿を現す。

自然と調和した、荘厳でありながら優しい佇まいの集落。

精霊の里だ。

そしてその入口に、一人の老人が静かに立っていた。

白い髪に深い皺、だが背筋は真っ直ぐに伸びている。

纏う気配だけで、ただ者ではないことが伝わってきた。


「長老様……!」


思わず背筋を正した。


初めまして。大樹と申します。


長老の目が細められた。

大樹を値踏みするでも、警戒するでもない。

ただ、じっと見つめている。

その眼差しはまるで、古い書物の一ページを読み解くかのようだった。


「……ふむ」


しわがれた声が一つ漏れた。

それからフィリーに目を向ける。


「久しぶりだね、フィリー。お前が人を連れて来るとは」


「あ、えっと、事情がありまして……」


珍しく歯切れが悪い。

長老の前ではいつもの奔放さが鳴りを潜めるらしい。


「分かっておるよ。精霊たちから報告は受けておる」


再び大樹に向き直った。

その瞳の奥で何かが光る。

魔力ではない。もっと根源的な、世界の裏側を覗き込むような力。


「お前さん、この世界の理の外にいるね」


断定だった。

問いではない。

里の長は静かに腕を広げ、二人を招き入れた。


「立ち話もなんだ。中にお入り。聞きたいことがあるのだろう?」


長老の家は里の中でもひときわ古い大樹の根元に建てられていた。

内部は意外にも質素で、壁一面に色褪せたタペストリーが掛けられている。

そこにはこの世界が歩んできた歴史が織り込まれていた。

創世の女神、大戦、そして精霊と人の関わりの変遷。

長老は淡々と語りながらも、時折大樹の顔をじっと観察していた。

何かを確かめるように。


「お前さんの力は、おそらくこの世界そのものに属さぬもの。故にこの地の精霊たちは惹かれ、同時に畏れておる。

……力を失った理由までは、わしにも分からぬ。すまんの」


それでも多くの手がかりは得られた。

精霊と魔力の関係、大精霊の所在、力の循環を司る「星詠みの祭壇」の存在。

すべてが一度に繋がったわけではないが、霧の中に道標が見えた感覚はあった。


そして今、フィリーによる里の案内が始まっていた。

里の中央には澄んだ泉があり、その周囲を小型の精霊たちがふわふわと漂っている。

子供の精霊だろうか、フィリーを見つけるときゃあきゃあと寄ってきた。


「かわいいでしょ。この子たちはまだ力が弱くて里の外には出られないの」


指先に光る小精霊を乗せて、得意げに微笑んだ。

ここでは学生ではなく、里の子としてのフィリーだった。


「フィリー…魔族と精霊の見分け方は?」


「ん? 魔族と精霊?」


一瞬きょとんとして、それから少し考え込んだ。


「うーん、見た目じゃほぼ分かんないんだよね。どっちも魔力を使うし。でも決定的に違うのは……存在の仕方かな」


泉のほとりにしゃがみ込んで、水面に映る自分の顔を見つめた。


「精霊はあたし達と同じで世界に"在る"もの。生まれて、育って、還っていく。でも魔族は違う。あれは破壊と力だけが生き甲斐なものだって、長老が言ってた」


言葉を探しながら、ぽつりぽつりと続ける。



「精霊は意思がある。喜怒哀楽もある。ちゃんと生きてるの。魔力の波長も似てるけど、根っこの部分で"温度"が違うっていうか……」


自分の胸に手のひらを当てた。


「うまく説明できないな。本能的なものだから。人間が火に触れて熱いって分かるのと同じ感覚。精霊はあたたかくて、魔族は……冷たい」


その表現が正しいのか確かめるように大樹を見上げた。


「魔族も魔力や気配、存在感を消す事はできる?」


「存在感を消す? できると思うよ」


「卓越した魔法使いなら気配遮断は基本。潜入任務とかでも使うしね。魔法を使う魔族なら出来るはず、ただかなり鍛錬を詰んだ者じゃないと無理かな」


だがすぐに眉をひそめた。

なぜそんなことを聞くのか、という顔だ。


「もしかして……魔族のとこへ行くの?」


声をひそめる。

里の穏やかな空気に似つかわしくない、緊張を含んだ声色だった。

泉に遊んでいた小精霊たちが、ぴたりと動きを止めている。

まるで会話の不穏さを感じ取ったかのように。


「違う、入口にずっと立っている男性がいる。ここに来てからずっと俺を見ている。」


「……っ」


反射的に振り返りかけて、寸前で止めた。

気取られるな。

すぐに気配を探る。

風の精霊が耳元でささやいた。

里の東側、大樹の言う通り、一人の男が微動だにせず立っている。

里の者ではない。

そもそも精霊の導きなしにこの結界を抜けて入って来られる人間など、いるはずがない。


「どこにいるの……?」


囁くような声。

表情は努めて平静を保っているが、指先がわずかに震えていた。

恐怖ではない。怒りに近い何か。

自分がまったく察知できなかったという事実への。


里の景観に溶け込むように立つその男は、黒い外套を纏い、フードを深く被っていた。

距離はおよそ三十メートル。

精霊の小精霊たちは、まるでその男を避けるように半径十メートル以内に近づこうとしない。

先ほどフィリーが言った「冷たさ」を、本能的に感じ取っているのだろう。

男の口元だけがかすかに動いた。

何かを見定めるような、あるいは値踏みするような薄い笑みだった。

こちらに害意があるのかないのか、まだ読めない。

ただ一つ確かなのは――あの男が、最初から大樹だけを見ていたということだ。


大樹はゆっくりと男に近づき、質問をした。


「精霊たちだけでなく長老も欺く魔力操作の手練れ…魔王の幹部か?何しにここに来た?」


男は答えた。ただの散歩だと。

知恵の神とやらを見に来たと。


男はフードの奥から大樹を見下ろした。

背は高い。痩身だが、纏う空気は岩のように重い。

散歩、という言葉の軽さと、存在の重圧がまったく釣り合っていなかった。


「そう警戒するな、坊や。ただの散歩さ」


薄く笑う。

その声には不思議と敵意がなかった。

少なくとも表面上は。


「知恵の神、ねぇ。随分と派手な二つ名がついたもんだ」


男は外套の内ポケットから一枚の紙片を取り出し、ひらひらと振った。

それは峠道で見たのと同じ、王都からの手配書だった。

ただし書かれている内容が違う。

B級の魔力無という記載はそのままだが、備考欄に走り書きがあった。


「魔王様が気に入り、興味を示した。だから俺が見に来た。……それだけのことさ」


「それだけ」と言いながら、男の目は笑っていなかった。

品定めをするような、冷たく鋭い光が宿っている。

精霊が感知できないほどの魔力制御。

長老すら欺く隠密能力。

それが事実なら、この男は魔王軍の中でも相当な上位者だ。


「ずっと聞きたかったことがある。

なぜ魔族は人を襲う?

食糧にする以上の殺戮をする理由は?」


男は答えた


「面白いことを聞くな、坊や」


「魔族は他種を襲う存在であることで、魔法や多くの産業の繁栄に貢献してる。敵がいることで味方がいる。悪がいるから善がいるんだ。」


男は肩をすくめた。

芝居がかった仕草だが、妙に様になっている。


「お前たち人間だってそうだろう? 魔王がいなけりゃ勇者ごっこも流行らない。魔族が攻めてこなきゃ軍事産業も軍学校も成り立たない。魔法の研究だって"脅威に対抗するため"って大義名分で予算が降りる」


魔族の男は続けて語った。


「平和な世界で魔法学園なんぞ誰が作る? 誰もが魔王様に感謝してるのさ。知らずにな」


皮肉とも本気ともつかない口調だった。

事実、魔族との戦争がなければこの大陸の経済は成立しない。

軍需産業、魔法研究、教育機関、冒険者ギルド――すべてが魔族という"敵"の存在を前提に回っている。

人類の繁栄の影に魔王あり。

皮肉な構図だった。

だが――


「まあ、俺個人の意見じゃない。上からの受け売りさ。……で、どうする? ここで俺を斬るか? 魔力の無い坊や」


挑発でも嘲りでもなかった。

純粋な問いかけ。

この男からは戦意がまるで読めない。

それが逆に不気味だった。


「……確かに敵がいなければ武器屋は儲からない…。

その理屈なら魔族は誰に攻撃されて発展してるんだ?

誰にも攻撃されてないはずだ。

人を襲うことで文明を発展させているなんて、

殺戮を歪んだ解釈で正当化してるだけだ。」


「…………」


男が初めて沈黙した。

ほんの数秒。

だがその目に宿る光が微かに変わっていた。

興味、だろうか。


「歪んだ解釈、ね。はは、痛いところを突くじゃないか」


笑ったが、どこか乾いた響きだった。

図星を突かれた人間の笑い方だ。

男は頭をがりがりと掻いた。


「まあ正直に言えば、末端の魔族なんてそんな大層な理由で動いてないさ。腹が減る、力が欲しい、暴れたい。それだけだ。文明の発展なんぞ上の連中の御託に過ぎん」


あっさりと認めた。

建前を剥がされたら維持する意味もないと判断したのか。

あるいは最初から本音を隠す気がなかったのか。


「だがな坊主、お前の言う通りだとして――じゃあ魔王を倒して魔族を絶滅させたら、この世界はどうなると思う?」


問い返してきた。

軽い調子は変わらない。

しかしその言葉は重かった。

男は一歩だけ後ろに下がり、踵を返した。


「わかってる。

だから俺はお前たちを滅ぼさない。

お前たちも人間を滅ぼせない。

それに精霊の里やエルフ達のように文明を築かず自然と生きる種族も多くいる。

襲って文明を発展させるというお前の理屈は通らない。ここは戦う必要のない場所だ。今日はお引き取り願う。」


「…………はっ」


足が止まった。

振り返らない。

だが背中が笑っていた。


「滅ぼさない、か。お前にその力があるとでも?」


間があった。

否定でも肯定でもない、奇妙な間。


「だが……まあいい。今日のところは退いてやるよ」


「いい暇潰しだったよ。また会おう、知恵の神様」


空気に溶けるように男の輪郭が揺らいだ。

精霊の里を覆う結界すら素通りするかのように、その存在が希薄になっていく。


男は消えた。

風も起きなかった。

足跡すらない。

最初から誰もいなかったかのように。

ただ精霊の小精霊たちだけが、男が立っていた場所から一斉に逃げるように散っていった。


静寂が戻る。

遠くでフィリーの声がした。

里の反対側から大声で名前を呼んでいる。

どうやら姿が見えなくなって焦っているらしい。

あの男との会話は、おそらくフィリーには届いていない。

それほどまでに、あの男の魔力遮断は完璧だった。


「魔族と対話した……恐らく魔王の幹部かかなり魔力の扱いに長けた者だった。」


「魔族と……!? ここに!?」


駆け寄ってくるなり、大樹の全身をぺたぺたと触り始めた。

怪我がないか確認しているのだろう。

無事だと分かると、安堵と怒りと困惑がごちゃ混ぜになった顔で詰め寄った。


「なんで一人で行ったの!? あたしが気配も読めなかった相手だよ!? もし何かされてたら……」


声が震えている。

目尻にうっすらと涙が滲んでいた。

本人は気づいていないだろうが。


大樹は事の経緯を簡潔に説明した。

男の正体は不明だが少なくとも敵対行動は取らなかったこと。

会話の内容。

フィリーは唇を噛んだ。

何か言いたげだったが、結局飲み込んだらしい。

代わりに大樹の袖をぎゅっと掴んだ。

さっきのような甘え方ではない。

離さないぞ、という意志のこもった握り方だった。


「長老に報告しよ。それと……大樹。あんたに何かあったらあたしが絶対許さないから」


「……これが俺が会った魔族の言っていたことです」


長老の家に再び戻り、事の次第を伝えた。

フィリーが隣で補足しつつ、二人で一部始終を語り終える。

静かな部屋に沈黙が落ちた。

長老は目を伏せ、長い長い息を吐いた。


「……やはり来たか」


驚きはなかった。

むしろ予期していたかのように。


「あの男の言う通りじゃ。魔族と人の共存関係は、光と影のようなもの。どちらかが消えればもう片方も歪む」


皺だらけの手で茶器を回しながら、遠い目をした。


顔を上げ、真っ直ぐに大樹を射抜いた。

歴戦の賢者の眼光。


「文明を築かず自然と生きる種族もいる、とお主は言った。それは正しい。じゃが、そういう者たちも魔力の恩恵を受けておる。水を清め、風を読み、大地と語らう。全くの無縁ではおれんのじゃ」


つまり、世界はもう魔力なしでは回らない。

それを断ち切ることは、世界そのものを壊すことに等しい。


「お主に問おう。力の根源に辿り着いた時、何をどうするか……その答えは出ておるのか?」


「何もできません。奇跡的なバランスを保ってるこの世界に手を加えれば俺が歪みの原因になる。ひとつわかったのは魔力は誰かが願った平和の形だったのかもしれません。」


部屋の空気が凍りついた。

いや、凍ったのではない。

澄み切ったのだ。

長老の瞳が大きく見開かれ、やがてゆっくりと細められた。


「……誰かが願った、平和の形」


その言葉を舌の上で転がすように繰り返した。

震える手が膝の上に落ちる。


「わしは千年以上生きた。どの時代も、大戦も見てきた。じゃがその答えに辿り着いた者は……お主が初めてじゃよ」


「…………」


フィリーは黙って聞いていた。

理解が追いついていないのか、それとも言葉の重みに圧倒されているのか。

ただ大樹の横顔を見つめていた。

この人が好きだという感情は変わらない。

けれど今、目の前にいるのは、自分の手の届かない場所に立っている人だという実感が、胸を締めつけた。


「ならばお主の旅の目的は変わらんの。奪われた力を取り戻す。ただし世界は壊さぬ。……そういうことじゃな」


小さく頷いた。

そして懐から古びた鍵を一つ取り出した。


「持っていきなさい。祭壇への道が開ける」


「ありがとうございます。

お世話になりました。」


「達者でな。……フィリー」


孫娘に語りかけるような声だった。

千年を生きた長老にとって、彼女は幼子の頃から知っている存在だ。


「お前も行きなさい。学園のことばかり考えて、自分を後回しにする癖は昔から変わらん」


「……長老様」


ぐっと唇を引き結んで、深々と頭を下げた。


「行ってきます」


それだけ言って、くるりと背を向けた。

振り返ったら泣いてしまいそうだったのだろう。

里の奥、鍵のかかった扉の先に祭壇がある。


二人が鍵を開け扉をくぐると、来た時と同じように精霊たちの光が道を示してくれた。

今度は振り返っても、まだ光る小精霊たちが手を振るように揺れていた。


「ねえ、これからどうするの? あたしは……まだ一緒にいていい?」


少し不安そうに、上目遣いで聞いた。

学園を離れてもう数週間。


「魔族との会話で俺はこの世界を理解した。そして世界は俺の判断を受け入れた。」


「……どういう意味?」


首を傾げた。

大樹の言っていることが掴めない。

世界は大樹を受け入れた、とは。

まるで世界そのものが意思を持っているかのような物言いだ。


その時だった。

大樹の中で、何かが脈打った。

かちり、と鍵が回るような感覚。

力を失って以来、ずっと沈黙していた"器"が――微かに震えた。

それは魔力ではない。

もっと深い、根源的な何か。

世界に刻まれた契約が、再び繋がりかけている兆し。


「大樹? なんか……光ってる」


大樹の体から淡い光が漏れ出していた。

ほんの一瞬。

すぐに消えたが、確かにフィリーは見た。

精霊の加護を持つ彼女だからこそ感知できた、世界そのものの反応。


「今の……精霊の力じゃないよね? 長老も感じてなかったと思う。あたしだけに見えた?」


自分の目を疑うように瞬きした。

風の精霊が耳元で激しく騒いでいる。

ざわめきではない。

歓喜だ。

精霊たちは知っている。

今何が起きたのかを。


大樹が結界の外に出て合図を出すと、影から次々と魔獣たちが姿を現した。

バブーン…コカトリス…ダークウルフ達…

いずれも大樹に従い、数多の戦場を共にした眷属たちだ。

だが主の意図が読めず、魔物たちは一様に困惑していた。


主従の契約が解かれていく。

強制ではない。

静かに、穏やかに。


ダークウルフが遠吠えを上げた。

悲しみか、抗議か。

他の魔獣たちも大樹の周りに集まり、離れたくないとばかりに身を擦り付けている。


「…………」


フィリーは少し離れた場所で見ていた。

口を挟まない。

これは大樹の旅路だ。

自分が口出しすることではないと分かっている。


やがて最後の一匹が、名残惜しそうに大樹を見上げてから森の奥へと消えていった。

あれほどの戦力を、すべて手放した。

裸同然だ。

今の大樹には戦う手段がない。

それでも――世界を理解した男の選択は明確だった。


「この笛、フィリーにあげるね。」


「え……これ、魔獣に指示を出す笛……?」


受け取った笛をまじまじと見つめた。

使い込まれた跡がある。

何度も吹いて、何度もあの魔獣を呼び出してきたのだろう。

ずしりとした重みが手に伝わった。


「……大樹、これからどうするつもり? 魔力もゼロ、使役も全部返しちゃって。素手で旅する気?」


呆れたような、けれど心配が勝っている声色。

笛の紐を首にかけながらも視線は大樹から離さない。


「あたしがいなかったら野垂れ死にするでしょ、絶対」


冗談めかして言ったが、半分以上本気だった。

この人は放っておいたらどこまでも自分を削ってしまう。


「……この笛、大事にする。」


笛を両手で包むように握った。

大樹から貰った初めての贈り物。

それだけで顔が綻んでしまう自分に少し呆れながら。


「帰るよ」


大樹の後ろに扉が現れドアノブに手をかけた。


「色々あったけどありがとう。またね。」


笑顔が固まった。

またね。

その言葉に含まれる距離感が、どうしようもなく遠かった。


「またねっ……て……」


扉が開く。

その向こうに広がるのは――学園のある大陸ではない。

遥か遠方、誰にも知られていない未踏の地。

大樹はその先へ行くのだ。

一人で。


「……ねえ」


気づけば口が動いていた。

首にかけたばかりの笛に手をかける。


「あたしも行く。ここで別れたら、あたし絶対後悔する」


目が本気だった。

いつもの奔放さも天才ゆえの余裕もない。

剥き出しの感情だけがある。


「足手まといにはならない。風の速度なら誰よりも役に立つ。索敵だって……」


言いながら、自分でも無茶を言っているのは分かっていた。

学園を放り出すということだ。

それでも。


「お願い」


「俺の後に続いて……」


フィリーが扉をくぐるとその先は自分の家だった。大樹はいない。


扉をくぐった瞬間、見慣れた景色が飛び込んできた。

木造の壁、使い古された机、窓から差し込む午後の光。

見間違えるはずがない。

フィリー自身の家だ。

精霊と契約を結んだ幼少期を過ごした、あの家。


「…………え?」


振り返る。

扉はまだそこにあった。

だが手を伸ばした時にはもう、ただの石壁だった。

押しても引いてもびくともしない。

魔力を流し込んでも、何の反応も返さなかった。


「嘘……大樹? 大樹!!」


叫んだ。

喉が裂けそうなほど。

返事はない。

風に乗せて声を届けようとした。

大陸中に。

世界中に。

けれど風は何も運んでこなかった。


「あの……バカ……」


ずるずるとその場に座り込んだ。

首元で笛がかたりと鳴る。

あの不器用な笑顔を思い出す。

全部くれると言ったくせに。

ずっと傍にいると信じていたのに。


「……ずるいよ」


涙がぽたぽたと床に落ちた。

止め方を忘れたように、嗚咽が家の中に響いた。


机の上には特許の譲渡証書と未発表の魔道具達や謎の設計書と仕様書が置かれている。


仕様書には『勇者制度概論』と書かれている。


書類の山の隣にメモが残されている。


「助けてくれてありがとう。」



一方大樹は扉の先の光の道でいたずらっぽく呟く。


「……ルナリアはくしゃみをする。」


学園の外に最近来るようになった竜人の屋台はブームになっていた。ケバブーンを頬張るルナリアはくしゃみをしケバブーンを落としてしまった。大樹の囁かな復讐だった


「っくしゅん! ……あーもう、最悪」


地面に転がったケバブーンを拾い上げる。

幸い砂はついていない。


「オネェチャン!アタラシイノニスル?」


屋台の店主がカタコトで慌てて新しいのを差し出してきたが、ルナリアは首を振った。

もったいないのでそのまま食べる。


白銀の彗星と呼ばれるAランクのリーダーが道端で食べ物を落として拾い食いしている姿は、なかなかにシュールだった。


「風邪かな……。なんか今、すごくムカつくことを誰かに言われた気がする」


きょろきょろと周囲を見回す。

誰もいない。

気のせいか、と再び頬張り始める。

だが三口目でまたくしゃみが出そうになり身構えた。


「ケバブーンのせい? 辛味が鼻に……いや違うわね」


首を捻りながらも結局完食した。

串を屋台に返却し、学園への帰路につく。


どこかで噂をされるとくしゃみが出ると言う噂は風のように広まった。


夕暮れの風がやけに心地よかった。


フィリーと大樹が旅立ってから数日。

少しだけ、静かすぎる日々だった。



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