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大樹の子  作者: 叶ェ祈リ
10/12

10話 ケバブーン

「おはよう。どうだった?魔獣来なかった?」


「おはよー。一匹も来なかったよ。精霊の警戒網ばっちり」


ぐーっと伸びをしながら欠伸を噛み殺す。

一晩中起きていたはずだが、まるで散歩帰りのようなけろっとした顔だった。

二人は手早く朝食を済ませると、峠の頂上付近に場所を移した。


「で? 爪切り、どうやるの?」


わくわくした顔で大樹を見つめている。

魔獣の手入れなんて詳しくない。というより、正面から力でねじ伏せる戦い方しかしてこなかったので、こういう繊細な話は新鮮だった。

大樹が手を叩く合図を始めると、空気がわずかに震える。

空間が歪み――ずしん、という地響きと共にバブーンが姿を現した。

巨体が朝日を遮り、周囲が影に沈む。


「うひゃ、何回見てもでっか……」


思わず半歩下がる。

以前威嚇された記憶があるのか、少しだけ顔が引きつっていた。


「爪につけた印のとこまで風で上手い具合に短くできる?尖らせてくれると嬉しい」


「爪を風で切るってこと? 面白いこと言うね」


まじまじとバブーンの巨大な手を見つめた。

確かに指先から突き出た爪は人の腕ほどもあり、先端は刃物のように鋭い。

尖らせろという注文は、杭の先に括りつけて威嚇効果を高めるためだろう。


「まぁ、やれると思うけど。この子大人しくしてくれてる?」


ちらりとバブーンを見上げる。

赤い瞳がぎょろりとこちらを睨んでいた。明らかに不機嫌そうだ。

鼻息だけでフィリーの髪がばたばたとなびく。


「こっわ。でも――まぁいっか」


すっと目を閉じると、両手に風の魔力を集中させた。

繊細な制御が求められる作業だ。切りすぎれば深爪になるし、力が強すぎれば爪ごと吹き飛ばしかねない。

風の刃を極限まで薄く、鋭く研ぎ澄ませる。

ふぅ、と息を整えて、集中力を高めた。


「じゃ、いくよ。――動かないでね?」


頼んだ!


フィリーが両手を振るった瞬間、無数の風刃がバブーンの爪に殺到した。

とん、とん、とんと小気味よい音を立てて爪の先端が切り揃えられていく。

切断された爪片は大樹が用意した布袋に次々と落ちた。

まるで職人の手仕事のように正確で無駄のない作業だった。


「よしよし、いい感じ――」


だが、そう上手くはいかなかった。

バブーンがぐるると喉を鳴らし、苛立たしげに腕を振り上げた。

フィリーは即座に風で自分の体を弾き飛ばし、間一髪で回避する。


「わっと! ごめんごめん、くすぐったかった?」


着地しながら苦笑するが、バブーンは完全に臨戦態勢に入っている。

地団駄を踏むたびに地面が揺れた。


「ねぇ大樹、これあと何本やればいいの?」


額に汗を浮かべながら、ちらりと大樹に確認する。

このまま暴れられると峠が崩れかねなかった。


「野生なら狩とか爪研ぎで削れるんだけどね…。ダークウルフとコカトリスはいけるけど、こいつだけは爪切り出来なくて困ってたんだ……ほれおやつだよ。」


肉の塊が放物線を描いてバブーンの口に飛び込んだ。

ばくん、と一口で飲み込み、不満げだった巨獣はひとまず矛を収めたようだ。

もぐもぐと肉を咀嚼しながら、じろりとフィリーを警戒している。


「あはは、ご機嫌取りうまいね。――てかダークウルフとコカトリスは自分でやってたの?」


そっちの二体は爪切りさせてくれるのか、と素朴に驚く。

あの巨人だけが特別気難しいらしい。それはそれで大樹との関係性の深さを物語っていた。


「んー、じゃあさ。あたしが注意引いてる間に、残り一気にやっちゃう?」


風を両手に集めながら提案する。


「あたしが顔の周りでちょこまか動いて気を散らすから、その隙に大樹が印つけて、あたしが切る。どう?」


囮役を買って出るその顔には、不安よりも楽しげな色が濃い。

暴れる巨人の顔周りを飛び回るなど正気の沙汰ではないが、フィリーにとって速度勝負はむしろ望むところだった。


「まぁこいつ一撃は重いけど動きはとろいからな。それでやってみようか!」


「おっけー! じゃあ行くよ!」


言い終わる前にもう体が動いていた。

風を纏って弾丸のように射出され、一瞬でバブーンの頭上に躍り出る。

巨猿がぐわっと顔を上げて掴みかかるが、その時にはもうフィリーは反対側に回り込んでいる。


「こっちこっち! こっちだよー!」


挑発するようにひらひらと手を振りながら、顔面の前をちょろちょろと飛び回った。

バブーンの単純な思考回路は完全にフィリーに釘付けになり、地響きを立てて彼女を追いかけ始める。

その巨体の動きは確かに鈍重で、方向転換するたびに大きな隙が生まれた。


「今! 大樹!」


バブーンがフィリーに気を取られて反対側を向いた瞬間。

大樹は印を打つべく巨猿の懐に飛び込むことになる。

暴れ狂う足元を縫い、爪先の付け根に正確に印をつける――それはそれで命懸けの作業だった。

だがフィリーとバブーン、両者の注意が噛み合った今が最大の好機だ。


「頼んだ、フィリー」


大樹が地を蹴ってバブーンの脚の間を駆け抜けた。

巨猿はフィリーに夢中で足元の小さな人間になど気づいていない。

印が次々と爪先に刻まれていく。

四本、五本――。


「見えた!」


印の位置を視認した瞬間、風の速度が跳ね上がった。

先ほどと同じ精密な風刃が、今度は連続で爪を弾く。

とんとんとんとん――小気味よい音が峠に木霊した。

六本、七本。残り三本。

バブーンがようやく足元に違和感を覚えたのか、ぶんぶんと足を振り回し始めた。


「やば、気づかれた!?」


振り回される足の間を紙一重ですり抜けながら、最後の印に向かって風を放つ。

八本目。九本目――そして最後の十本目が切り離された。


「終わった!?」


ばっと大樹と目を合わせる。

バブーンの怒りの咆哮が峠全体に轟いた。もうこれ以上は限界だ。

さっさと送還するしかない。


「よーしっ!肉食え!お仕事終わりだよ!」


追加の肉が宙を舞った。

怒りで赤く染まっていたバブーンの目が、肉を捉えた瞬間にすとんと落ち着く。

野生の本能は正直だった。ばくりと肉に食いつき、咀嚼し、飲み下す。

それでもまだ不服そうにふんふんと鼻を鳴らしていたが、やがて光に包まれて送還されていった。


「はぁー……生きた心地しなかった」


ぺたんと地面に座り込む。

額の汗を拭いながら、切り取った爪が詰まった布袋を覗き込んだ。

十本分の巨猿の爪。なかなか壮観な光景だった。

通常の杭より遥かに強力な威嚇効果があるだろう。


「これで材料揃った? 鱗と爪と――あと何がいるの?」


指折り数えて大樹に確認する。

峠道の要所に設置する防衛ライン。昨日話していた構想がいよいよ形になろうとしていた。


「こっからは分担しよう。

俺は爪と鱗を砕いて一緒に油に浸して袋に詰める。

フィリーはそれを吊るす杭を作る。」


「杭ね。了解」


立ち上がってぱんぱんと服の土を払った。

風の術で木を切り倒し、杭の形に加工するのはフィリーにとって造作もない作業だ。

むしろ、さっきの爪切りよりずっと気が楽だった。


「何本くらい要る?」


それからしばらく、二人は黙々と作業に没頭した。

フィリーが木を伐採し、風で枝を落として杭に成形していく。

一方大樹は火を起こし、鍋で獣脂を溶かして爪と鱗を砕いたものを混ぜ合わせていた。

魔力を含んだ素材を油に浸すことで、劣化を防ぎつつ威嚇の効力を安定させる――昨日即興で思いついたとは思えない手際だった。


数時間後、必要な数の杭と袋詰めの威嚇具が揃った。

峠の東西の入口、中腹の二箇所、合わせて四点。

これだけで峠を通る商隊や旅人は魔獣に怯えずに済むようになる。


「いやー、いい仕事したねあたしたち」


額を腕で拭いながら、達成感のある笑顔を見せた。


大樹はフィリーと町長に原因と対策を説明した。

「商人のルートの魔獣増加、人間の加工食の味を覚えて集まってきた可能性が高いです。この袋は上級魔獣の爪や鱗で作った獣よけです。余った袋は御守りとして困ってる人に配ってあげてください。」


町長は大樹の説明を聞きながら、何度も深く頷いていた。

獣よけの袋を手に取ると、油に漬けられた爪片がかすかに魔力の光を放っているのが見える。

上級魔獣素材の威嚇具など、並の冒険者でも簡単には手に入らない代物だ。

それを惜しげもなく提供するこの少年に、町長の老人は目頭を押さえた。


「なんと……そこまで考えてくださるとは。あなたは商人ではなく学者か何かですかな?」


感嘆と畏敬の混じった声だった。

隣にいた宿の女将が口を挟む。


「あの、もしよろしければ今夜もうちに泊まっていってくださいな。お代は結構ですから」


「いやいや、うちの客人としてもてなすべきだ。商人ギルドにも正式に礼状を出させていただきたい」


「大樹、また囲まれてるよ」


くすくす笑いながら小声で耳打ちする。

もはや恒例となった光景だった。

この旅が終わる頃には大樹という名が峠沿いの町々に広まっていそうな勢いである。


「あの…僕たち商人じゃなくて学生です…。御礼とかいらないです。私たちは次の旅があるのでこれで失礼します。」


しん、と広場が静まり返った。

学生。今の今まで命を張って魔獣問題を解決してくれた二人が、学生。

町長も女将も、口が半開きのまましばらく動けなかった。


「が、学生……? あの学園の……?」


信じられないという顔だが、考えてみれば制服を着ていないだけで旅装の若者二人組だ。

どこかで学業の一環として社会貢献でもしているのだろう、と無理やり自分を納得させたらしい。


「であれば尚更です。学生の身でここまでしていただいたのに礼もなしでは、この町の恥だ」


「せめてお弁当だけでも持っていってくださいな!」


もはや断る隙を与えない勢いで、女将が宿に駆け戻っていく。

数分後、大きな包みを抱えて戻ってきた。


「あー……これは断れないやつだね」


諦めたように笑って、素直に包みを受け取った。

町の人々が口々に「気をつけて」「また来てね」と声をかける。

大樹とフィリーは手を振って町を後にした。

次の町まで、また長い山道が続いている。


ありがとうございます。お言葉に甘えます。と伝え、お弁当を貰い山道をフィリーと歩く、大樹がふと隣を見て風の噂でいい評判が広まればいいねと呟いた。


「風の噂かぁ。それならあたしの得意分野なんだけどね」


ふふっと笑いながら隣を歩く。

木漏れ日が山道に斑模様を作っていた。


「でもさ、評判って勝手に広まるものじゃない? あたしたちが何もしなくても」


風がふわりとフィリーの頬を撫でた。

目を細めてその風を感じ取るように耳を傾ける。


「……ねぇ大樹。この風の精霊たち、なんかざわついてるんだよね。ずっと」


足を止めて大樹の方を見た。

旅に出てからずっと感じていた違和感。

大樹の傍にいると精霊が落ち着かなくなる。怯えているのではない。むしろ――。


「興奮してるっていうか。嬉しがってるっていうか」


自分でも上手く言葉にできないようで、首をかしげている。


「精霊がこんな反応するの初めてなんだ。大樹って本当に何者なの?」


いつもの軽い調子ではなく、真っ直ぐな目で問いかけた。

風の天才がずっと抱えてきた疑問だった。

答えを急かすでもなく、ただ静かに大樹の言葉を待っている。



一方、前の村は少しずつ商人が入るようになり、物流が戻り始めていた。魔獣を警戒している商人の護衛に着いていたエイリスは拍子抜けしていた


「……何も来ないわね」


街道のど真ん中で仁王立ちしながら、暇を持て余した声を出した。

護衛として雇われたはいいものの、峠に差し掛かっても魔獣の気配すらない。

商人たちが安堵と困惑の入り混じった顔で荷馬車を進めている。


「いやぁエイリス様に護衛していただけるとは心強い限りで……しかし、噂ほど魔獣が出ませんな」


「そうね。平和で結構なことだわ」


口ではそう言いつつも、拍子抜けしているのは隠せていなかった。

あの二人が峠の問題を片付けたのだと、なんとなく察しがつく。

爪と鱗の獣よけ。上級魔術師でもなければ思いつかない手段だが、それを実行できる人間が同行している。


「……まったく。私の護衛、必要なかったんじゃないの」


ぼやきながらも、村に着いて商隊を送り届けた時、町の住人から聞いた話に足が止まった。

若い旅人が魔獣の原因を突き止め、対策を施して去っていったという。

住人たちは口々にその名を――「大樹」という名を、感謝と共に語っていた。



大樹達は次の街に到着していた。そこは他種族都市で貿易の中心地だった。竜人用の焼き肉屋、エルフの薬草店、ドワーフの武具屋、獣人の肉屋、見たこともない見た目の人達がいたが、噂はこの街にも伝わっており、知恵の神様と呼ばれ、様々な困り事を相談された


他種族都市――大陸でも数えるほどしかない、複数の種族が共存する巨大交易都市だった。

石畳の通りには竜人の鱗を持つ大男が串焼きを頬張り、エルフの薬師が怪しげな色の液体を瓶に詰め、ドワーフの鍛冶師が槌を振るう音が絶え間なく響いている。

獣人の肉屋からは香辛料の効いた匂いが漂い、見たこともない多腕の種族が織物を広げていた。


「すごい……あたしも初めて来たけど、こんなに賑やかなんだ」


きょろきょろと辺りを見回しながら、完全にお上りさん状態だった。

だがそんな観光気分も束の間。

二人が大通りを歩き始めて十分もしないうちに、最初の相談者が現れた。


「おお、あんたが峠の件を解決したっていう旅の人か!? 頼む、うちも見てくれ! 荷が届かなくて商売上がったりなんだ!」


それが皮切りだった。

次から次へと住人や商人が群がり、「水路の水が枯れた」「荷運びのゴーレムが壊れた」「子供が熱を出した」と、もはや何でも屋の様相を呈してきた。

気づけば大樹の周りには行列ができている。

フィリーが引きつった笑みを浮かべた。


「知恵の神様って呼ばれてるんだけど……」


「風の噂…誇張しすぎてない?ねぇ?フィリーの精霊さん…」


「あはは……ごめん、あたしのせいじゃないよ? 風の子たちが勝手にはしゃいじゃって」


苦笑いしながらも、どこか満更でもない顔をしていた。

自分の契約精霊が誰かの役に立っているという事実は、悪い気分ではない。


列は増える一方だった。

竜人の大工が屋根の修理について相談しに来れば、その横からエルフの薬師が新薬の調合について質問をねじ込み、小柄なノームの老婆が膝の痛みについて嘆いている。

もはや問題解決というより大樹の知識を試す試験会場のようだった。

だが不思議なことに、誰も無理強いはしなかった。断れば素直に引く。

この街の住人たちは押し付けるのではなく、「困った時に頼れる誰かがいる」という安心感を求めているだけなのかもしれない。


「とりあえずさ、一個ずつ片付けていこ? ご飯もまだだし」


お弁当の包みを見せながら、近くのベンチを指差した。

まずは腹ごしらえ。旅が始まってから学んだ、大樹の優先順位を先に潰す作戦だった。

さすがに数日で学習している。


「んー、猫でも入口に置いたらどうですかね?」


お弁当を食べながら質問に答える。


「猫……?」



商人が首をかしげた瞬間、宿の女将から聞いた話が頭をよぎった。


「まさか……魔獣の魔力を利用するってことか!?」


目を輝かせて身を乗り出す。


「あーなるほど。昨日のあれの応用だ」


もぐもぐとおにぎりを食べながら、感心したように膝を打った。

そしてお弁当の中から卵焼きを一つ摘まみ上げて、さりげなく大樹の口元に差し出す。

もう自然な動作すぎて本人も無意識だった。

列の後ろに並んでいたエルフの薬師がそれを見て微妙な顔をしている。



「いや、可愛いからです。手招きする芸を教えれば集客効果が見込めます。可愛いから。あとはスタンプカードとか作ってリピート客作りましょう。もちろん猫ちゃんのスタンプで。可愛いから。」


列に並んでいた全員が一瞬固まった。

商売の話をしているはずなのに、なぜか猫への愛が溢れ出している。

だが商人たちの脳内では既に算盤が弾かれ始めていた。


「つまり看板猫を置いて客寄せ、さらにスタンプでリピーターを……!」


その声は明るかった。

実際この都市には獣人も多く、猫好きは種族を問わない。

集客効果は馬鹿にできなかった。


「大樹ってさぁ、魔獣のこと調べてるのか商人のこと考えてるのか分かんなくなってきた」


呆れ顔だが口元が緩んでいた。

次の相談者――竜人の大工がずいっと前に出てくる。


「俺の屋根はどうすりゃいいんだ!?」


「順番順番。あと大樹、はいお茶」


水筒を差し出した。

この流れにもすっかり慣れたものだった。

列はまだ途切れる気配がない。


「薬草の効き目が安定しない…と、乾燥時間と湿度管理、あとは煎じて薬酒にするのもいいですよ。保存もきくし効果も上がります。」


「薬酒……! なるほど、アルコールに成分を溶出させれば揮発性の問題も解決できる」


目を見開いて、ものすごい勢いでメモを取り始めた。

長い耳がぴくぴくと忙しなく動いている。

エルフの薬学は独自体系で閉鎖的だが、良い知見には種族の壁など関係ないらしい。


「あなた、本当に学生? 私の師匠より柔軟な発想をしているわ」


列が一つ消化されるたびに、また新しい列ができる。

まるで噴水のように、次から次へと人々が集まってくる。

大樹はお弁当を食べ終え、フィリーから水筒の水をもらいながら、淡々と質問に答え続けていた。

その横でフィリーも手持ち無沙汰ではなくなっていた。

竜人の大工の屋根を風の力で軽く持ち上げて状態を確認したり、獣人の肉屋の肉の鮮度を風でチェックしたりと、いつの間にか助手のような立ち位置に収まっている。


「なんかあたしたち、いいコンビだね」


笑いながら次の客に手を振った。

夕暮れが近い。このペースだと夜までかかりそうだった。


「肉が余る?仕事が欲しい?

じゃあ獣人さんは肉を仕入れてください。

ドワーフさんは鉄の串を作ってください。

竜神さんは余った肉を串にさして焼き続けてください。

エルフさんはパンに香草や野菜を入れてください。

商人さん達は肉を挟んでソースをかけてください。

名付けてケバブーン。

はい、今日はこれで終わりです。」


広場に一瞬の沈黙が落ちた。

そして――爆発するような歓声が上がった。

各種族の特技と需要が見事に噛み合った、即興の屋台連合。

獣人は肉の目利きと仕入れに長け、ドワーフは鉄の加工なら朝飯前、竜人は炎の扱いにおいて右に出る者がなく、エルフは香草と野菜の知識に精通し、商人たちは販路と調味料の調達に慣れている。

全ての歯車が一箇所に集まった瞬間だった。

獣人の商人が商人仲間に走り、竜人が炭火の準備に取りかかり、ドワーフが鍛冶場に飛んでいき、エルフが棚から香草を引っ張り出した。

たった数分で街が祭りの熱気に包まれる。


「え、今日は終わり……?」


ぽかんとしていたが、すぐにその意図を理解した。

住人たちが夢中になっている隙に、自分たちはここを離脱する。

そしてケバブーンと名付けられた即席の商機が街を潤し始めれば、恩返しで追いかけられることもない。

完璧な撤退戦術だった。

……ただの食い意地から出た言葉ではなかったはずだ。たぶん。


「フィリー、明日に備えて今日は宿に泊まろう!」


「賛成! あたしもう足ぱんぱんだよ」


大きく伸びをして、賑わい始めた広場を背に宿屋へ向かった。

街の喧騒が遠くなるにつれ、ようやく二人の間に静けさが戻る。

宿の部屋は別々に取ったが、荷物を置いた後は自然とフィリーの部屋に集まっていた。

窓からは広場の炎と肉の焼ける香ばしい匂い、そして住人たちのはしゃぐ声が聞こえてくる。

大成功のようだ。


「ねぇ大樹」


ベッドの縁に腰掛けて、足先をぶらぶらさせながら口を開いた。

昼間の質問の続きだ。

大樹は何者なのか。何故精霊がソワソワしているのか。

その目は冗談を言っている時のものではなかった。


「フィリーは薄々気づいてるよね。

俺はこの世界の人間じゃない。

何か力を隠してるって。」


「……うん」


足の動きが止まった。

驚きはなかった。むしろ、ずっと抱えていた違和感が言葉になって落ちてきたような、そんな表情だった。

天井を見上げ、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「精霊たちの反応がおかしかったの。最初に会った時から。怖がってるわけじゃない、怯えてるわけでもない。なんていうか……戸惑ってた。こんな存在に出会ったことがないって」


視線を大樹に向ける。


「異世界、かぁ。だから魔力の質が全然違うんだね。あたしの常識じゃ測れないわけだ」


ふっと笑った。

けれどその笑顔の奥に、微かな揺らぎがあった。

戦ってきた相手は全員この世界の住人だった。

自分の隣にいるこの少年が、まったく別の理で動いている存在だという事実が、今になって重みを帯びてくる。

それでも――。


「で、隠してる力って?」


声のトーンを落として、まっすぐ聞いた。

責めるでもなく、ただ知りたいという純粋な眼差しだった。


「言葉が現実になる力。

俺はこの力でこの世界に来た。

力が戻らないと元の世界に帰れない。」


部屋の空気が変わった。

窓の外の祭り囃子が、やけに遠い世界の音のように聞こえる。

ランプの灯りが二つの影を壁に揺らしていた。


「…………」


しばらく黙っていた。

言葉が現実になる。

それは魔法ではない。精霊術でもない。この世界に存在するどの体系にも属さない力。

フィリーの頭がその意味を咀嚼するのに、少しだけ時間がかかった。


言葉一つで人の行動を変えられる力。

それがどれほど恐ろしいものか、戦術家として嫌というほど理解できた。

だが同時に、目の前にいるのはその力で峠を救い、街を笑顔にした少年だ。


「……あたしに話してくれたのは、なんで?」


小さな声だった。

信頼されている。それは分かる。嬉しい。

でも同時に、途方もない重さを背負わされたことも理解していた。

この秘密を知っているのは、おそらく自分だけだ。


「この世界に来た途端、多くの事から拒絶された。ただ、フィリーだけが受け入れてくれた。だから力を取り戻す道を作ってくれると思った。」


フィリーの瞳がわずかに潤んだ。

学園で、虐められていた見知らぬ少年を助けたのは気まぐれだった。

精霊のざわめきが気になって、好奇心に負けて。

それが世界を跨いだ孤独な旅人の出発点になったとは、あの時の自分は思いもしなかっただろう。


「……ずるいよ、そういうの」


鼻をすすって、ぐいっと袖で目元を拭った。

笑おうとして、うまくいかない。


「あたしだけが受け入れたなんて、そんなの大げさだよ。あたしがたまたまだっただけで」


言いかけて、止めた。

嘘だ。たまたまではなかった。

精霊の囁きを無視できなかったのは事実だが、あの日虐めから救ったのは自分の意思だ。

その選択が今ここに繋がっている。


「分かった。道を作る。約束する」


顔を上げた。

涙の跡が残っていたが、目には迷いのない光が宿っていた。


「その力を取り戻す方法、一緒に探すよ。あたしの風と耳はそのためにあるんだから」


拳をぎゅっと握って笑った。

いつもの軽い笑みではない。

四天星フィリー・グリーシアが、仲間のために戦うと決めた時の顔だった。


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