第20話 閑話:葬送
雨。その雨は、シルヴィたちの心を洗い流すことはなかった。
病室で、シルヴィは一人の男の手を取っていた。その傍らには、ラーゾとヴェルールもいた。それは、シルヴィを拾って、シルヴィに戦い方を教えた男の変わり果てた姿だった。
男の身体は異様に細かった。白い部屋でベッドに横たわる男の身体は、人間かどうかを疑うほどに華奢で、細身だったシルヴィよりも細く、まるで枝のようだ。
顔を曇らせて部屋に入ってきたシルヴィたちは、男のそんな姿に、最初は自分の目を疑った。紛争をどうにか生き残って、それぞれが自分の道を探し続けていた仲間たちの、久しぶりに見る姿がこんな形だとは誰にも想像は出来なかったのだ。
「ツイード……」
「へへっ、ザムトが死んだとき、俺はもっと生きてやるって思ってたのにこのざまだ」
寝たきりのままの細い指をシルヴィが握り、その男は笑った。
彼の治療をしていた医師によると、ツイードは紛争を越えた後に、多くの冒険者たちを助け、様々な戦い方を教えていった。その活躍は大々的に評価される事はなかったが、現在活動している多くの冒険者の後押しをしていた。そして、この身体になる数か月前。ツイードはエリュ・トリに残る未開拓領域の探索に挑んでいた。
だが、ツイードはその中で、自分も知らぬ間に身体の体力が奪われるのを感じて、命からがらその領域から逃げ伸びた。だがそれもつかの間、その日から身体の筋力が衰え、身体の至る所がやせ細り、どれだけ食事をとっても、どれだけ鍛錬をしてもそれが回復することが無く、そしてツイードは、今ここにいたのだ。
「ツイード、私が……わたしがその領域から解決策を持ってくる、だからまだっ……!」
焦りを隠しきれない声色で、ツイードのために何かをしなければと逸るシルヴィ。だが、そんなシルヴィに対しても、痩身の男は落ち着いた声でシルヴィを引き留めた。
「いいんだ。シルヴィはもう無理しなくていいんだ、お前が無理をする必要はないんだ。俺がやりたくてやった事だ。そのけじめを俺がとるって言うだけさ」
「でもっ……でもぉ……」
どれだけ慰めても、シルヴィには届かない。大事な仲間が、目の前で苦しんで最期を迎えようとしているのに、それを止めるために動くことができない。そんな無力感に、シルヴィはただ泣く事しか出来なかった。
「ツイードは英雄になるって誓ってたじゃない……あなたは英雄になるっていう夢を持ってたでしょ……ザムトとも約束してたのに、ザムトの後を追いかけちゃ意味ないじゃないの……!」
シルヴィの、懇願とも言える言葉にツイードは少し考えた。胸の拍動が弱まりつつあった彼だが、少し思考して、残り僅かな力を使ってシルヴィに顔を向けた。
「なぁシルヴィ。お前はザムトが死んでから、俺たちをずっと見続けてきた。おかげでこうして危険な冒険にも、そしていい結果にも巡り合えた。あの時、未開の地で何も知らない純真なお前を拾えたこと。俺達はとても誇りに思ってるよ」
「そうじゃ……そうじゃない……!ツイードはぁ……!!」
ツイードに顔を返さないシルヴィ。そんな彼女の気持ちを推し量ってか、ツイードは身体を横に倒して、シルヴィに厳しく投げかけた。
「シルヴィ……良く聞くんだ。忘れないでほしい事がある。お前は……」
――
「シルヴィ、来てくれたのね……どこかに行ってしまったと思っていたわ」
「忘れるわけがないでしょ。私の人生の、大事な仲間なんだから」
力ないヴェルールの声とは対照的な、光差す明るい部屋。シルヴィはその部屋に入り、すぐにベッドと、そこで寝ている壮年の男に目を遣った。
「ラーゾ……」
「あぁ、来てくれたのか、シルヴィ……最後に会ったのはいつだったか……あぁそうだ。ツイードの病室だったな。もうずいぶん前のようだ」
男……年老いたラーゾは、たどたどしく言葉を紡ぐ。ベッドの上で、顔も上げずにシルヴィを見て、枯れた声で彼女を呼んだ。
「ラーゾ……どうしてそんなに、老いて……」
シルヴィがそう言って、自身の手を悔しさに強く握った時、そばで座っていたヴェルールが、シルヴィの手を取って語る。
「ラーゾは、あの戦いで自分のエナジーを過剰に使用してたのよ。エナジーの総量には制限がある、一度に使い過ぎれば、エナジーによって活動していた身体の器官は急激に衰えていく」
「でも……サークル設立まで、あんなに元気だったのに……」
女性の言葉を疑うように、シルヴィはヴェルールに尋ねる。
「シルヴィには言わなかったんだ……こいつはあの日から、エナジーをすり減らして使っていた。自然から取り込むものが少なくなって、人のために使う量だけは増えていく。おかげで使えるエナジーは常に目減りして、そこからこいつは体調を崩していった」
「そんなっ……! そんなのあんまりよっ……! なんでラーゾがこんなにならなきゃ……」
泣いている事を隠すことも出来ず、シルヴィはヴェルールの膝に顔を埋めるようにして嘆いた。自分の大切な仲間が、こうして弱っていくのを、見守る事しか出来ないというのは、この時のシルヴィにはあまりに重い光景だった。
「私だってそう思ったさ。一回はラーゾに言ったんだけどね……けど、紛争の時点でこいつは使い果たしていた。あの紛争の時点で、何もかもが遅かったんだ」
悲しむシルヴィと悔やむヴェルール。そんな二人の間に、再びか細い声が投げかけられた。
「シルヴィ……こっちに」
その時、横になっていたラーゾはシルヴィを呼んだ。シルヴィは涙で目を腫らしている事も気にせず顔をあげて、膝立ちのままで、縋るようにラーゾの目の前までやって来た。
「はは、そんなに泣きなさんなって。ここまでの頑張りは報われたんだ。カミさんはもらった、エリュ・トリを守る組合は出来た、そしてシルヴィはこんなに立派になった。悔やむことはないよ」
「でもっ……! それじゃあラーゾの人生はなんだったのよ! もっともっとっ! やりたい事も……!」
シルヴィの必死の嘆き、弱々しく冷たい男の手を取り、無力感に声を震わせながらも訴えかけるシルヴィに、ラーゾは穏やかに笑う。
「……みんな、自分の事を考えない人ばっかり! ツイードだって、誰かの為に勝手に死んで……あなたも、わかっていたのに止めなくて……ザムトだって……」
これまでの仲間を思い返して、シルヴィは怒りや不満、そして無念や後悔を自分が握っているラーゾの細腕に伝える。ラーゾはそれを見てゆっくりと微笑み、あたかもそんな恨み言を望んでいたかのような表情さえ見せた。
「いいんだ。これでいいんだよ、シルヴィ。これは私たちにとって最良の結末だ。よく聴きなさいシルヴィ……」
――
報せがあった。シルヴィが隠れ住んでいた森林地帯。そこに森では聞きなれない一羽の鳥のさえずりがして、シルヴィはそれが伝聞鳥だという事を悟った。この森に伝聞鳥を通す人間はいない。いるとしたら、それはシルヴィの所在を知っていて、シルヴィに当てて手紙を寄越す人間だけだ。
「私に、伝聞?」
シルヴィは伝聞鳥が迷わないように木々を渡って声の元まで駆け寄った。そして伝聞鳥がシルヴィを見つけると、彼女の指先にちょこんと乗った。
伝聞鳥の足には小さな手紙が括りつけられていた。一行書きのわずかな手紙をシルヴィは伝聞鳥から外して、鳥は持ち主の所へと飛び立っていった。そしてたった一行しか書かれていないそのメッセージを目にしたシルヴィは、唐突に心臓の早鐘を聞くことになった。
『わたしも、ラーゾのもとへ』
むせるほどに息を切らせたシルヴィは、自分の記憶を頼りに、あの日ラーゾと別れた部屋を訪ねた。開いているはずの扉をガタガタと揺らして、シルヴィは動揺と共に、あの日みた穏やかな光の差す部屋を訪ねる。だが、そこにあったのは、シルヴィが今までで一番望まない光景だった。
「ヴェルー、ル?」
過去に、夫だったラーゾを見送ったそのベッドで、白い布を被せられている女性。手は弱々しく組まれ、その肢体には呼吸をしている痕跡がない。窓辺からの光に反して、その肌は青
「あ……あぁっ! ヴェルール……!! いやっ…………!」
「いやぁぁぁぁっ! ヴェルールぅぅぅっっ!!」
エリュ・トリを囲む山麓の麓、多くの冒険者たちが土に眠る墓所で、エリュ・トリの冒険者たちは深い悲しみに包まれていた。冒険者をまとめ上げて、一つの共同体を作った功労者、その最後の一人が、悲運の中死んだ。
シルヴィは冒険者たちの葬列には居なかった。墓所を眺める森の中で、葬儀の様子を背中に、小さく震えて泣き崩れていた。あの日、ラーゾと最期の言葉を交わしたあの日に、シルヴィはヴェルールの顔を見ていた。シルヴィも薄々感じていたのだ。最愛の人間がこの世を去ることが分かった時、そこに浮かぶ『諦め』、あの日のシルヴィは、ヴェルールのその顔を見ていた。見ていたのに、何も出来なかった。
「ヴェルール……ラーゾ……ツイードぉ……!!」
彼女の目の前で死んでいった仲間の名前を呼ぶたびに、シルヴィは強い胸の苦しみに苛まれる。最初から……50年前からだ。あの日見送ることができなかった最初の仲間の事を思い、シルヴィは仲間たちの最期を、看取り続けていた。それはシルヴィが心におった鎖。二度と自分が見ていない所で、死んでほしくないという、子どものように単純な、そして純粋な願いだった。
だがそれは、同時にシルヴィの首をきつく締めた。看取る事を喜ぶ人間はいない。シルヴィもそうだ。そしてそんな願いで苦しんでいる最中に、ヴェルールの最期を看取る事が出来なかった、その事実は、シルヴィの心に強烈な『虚』を残していった。
「…………ザムトぉ……」




