第51話 シルヴィを知るということ
「わざわざ立ち寄っていただいて、ありがとうございました」
「気にすんな。人の生活を守るのも俺たちの仕事だ。娘ともども、元気でやってくれ」
結局、その家屋にあったナイフのことは隅において、ジーンは一杯のコーヒーをもらって家族の話を聞いて家を後にした。今まで感じることのなかった穏やかな時間に、ジーンは言いようのない感慨を感じていた。
しかし、それ以上になぜ自分がこれほどまでにあの場所に惹かれたのか、という点には疑問を浮かべた。普通ならしない事であると言う部分もあるが、ただの気まぐれでこのような一幕が起きたと言うには、自分の中で不自然さが拭えなかった。
一つは、例のナイフである。以前、シルヴィと探し物をしていた中で、探し求めていたナイフと防具が見つからずじまいになっている。そんな折に刀身を見ることのできないナイフを見つけるというのは、タイミングが良すぎる。まるで、それらの偶然が、ジーンやスカーのもとに歩いてきているような、そんな感触がするのだ。
「……考えすぎ、だよな」
自分の中ですら納得しかねるその状況に、ジーンは立ち止まって街並みを眺めて、何が起きようとしているのかを見据えるように、人の行き交うエリュ・トリの息吹を注視した。
未開拓の森。その奥の方。
レギーナとエリオは、光を嫌うように鬱蒼とした森を歩き進んでいく。エリオは周囲を警戒しつつ、森の音の異質さに顔を引き締めて進む。一方でレギーナはと言うと、先ほどからエリオと会話も交わさず、かなりの急ぎ足で森林を進んでいく。
「……レギーナ。少し急ぎ過ぎじゃないか?」
エリオが声を掛けるも、レギーナは少し速さを緩めるだけで、振り返って会話はしない。
「……」
前を進む彼女の反応は分かりかねるが、少なくとも今のレギーナは、不機嫌である。
それはこの数年、彼女やシルヴィと行動を共にしているエリオだからこそ、鮮明に伝わる感情だった。そして、おそらくその不機嫌の矛先が今ここにいる自分ではないこともまた、エリオの想像には難くなかった。
「スカーとジーンの事か」
そのつぶやきを聞いた瞬間、それまで急ぎ過ぎなぐらい急いでいた足がピタッと止まり、レギーナは肩を落として大きなため息をついた。
「はぁ……まぁ、分かり易すぎますわよね」
諦めたような言葉で、レギーナはエリオに向き直った。
「……スカーやジーンが英雄であることは認めています。彼らの行動や思考が、これまでの人生の上に成り立っていることも、解ってはいるんですの。けれど、突然失踪した仲間に対して、あまりに淡白な反応を示すものだから、わたくし……それがどうしょうもなく許せなくて……」
前日から、スカーとジーンは非常に冷静だった。冒険者は個人である……ジーンが言ったその言葉は、エリュ・トリ冒険者の生き方を端的にまとめたものである。そして、その意味を人より理解しているのは、他でもないレギーナ自身である。
ヴェスパー家から飛び出して、家に縛られない生き方を模索している中で加入した冒険者ギルド。レギーナはその中で無意味な交流を避けて、ひたすらに自分の価値を認めさせるように、依頼や狩猟をこなしてきた。共に加入していたはずのシルヴィにすら目もくれず、まさに『個人』で今の一等級まで上り詰めた。
「わかっていますの。わたくしがそんな綺麗事を語るなんて、笑い話だってことは……ですが、それでもわたくしはあの思い詰めたような顔をしたシルヴィを……この手で助けたい」
「レギーナ……」
胸の前で手を握りしめて、その決意を言葉にするレギーナ。すると今度は、レギーナの方からエリオに質問をする。
「……それで? なぜエリオはわたくしの意見に賛同したんですの? いつもなら冷静にスカーやジーンの言葉の意味を分析してからここに来るでしょうに」
自分の決意を口にして、肩の荷が下りたような顔をしていたシルヴィは、少しいたずらに口元をニヤリとさせて質問をする。レギーナも、エリオがなぜここまで何も言わずにやって来たのかを、薄々気付きつつも、自分の事で頭がいっぱいで、『それ』に気を使う余裕はなかった。
「それは……」
「今更冷静ぶらないでくださいまし。シルヴィが長命種と分かっても、エリオはそれを超えて彼女を好きになったのでしょう?」
完全にレギーナに読まれたエリオは、先ほどのレギーナと同じくらい盛大なため息をついて、首を横に振った。
「……分からないんだ。シルヴィは信頼ある仲間であり、よく助け合う事もある。だから、そんな彼女に俺の信頼を捧げたいとは思う。けれど、長命種の生き方と、彼女が大事にしてきた仲間の事を考えた時、俺のこの思いは、大きな負担になるのではないかと思ってしまう」
寿命の違い。
エリオの心配の理由は、そんな短い言葉と、そこに含まれる長い時間で表される。人間同士の数年の寿命の違いですら、残された片方にとっては、辛く苦しい時間であり、それが数十年、あるいは百年と差が出るのであれば、それを思う側の苦しみは、これまで長命種という種族との関りが無かったエリオにとっては、想像もしがたいものだった。
その感覚は、スカーやジーン、そしてレギーナでも同じだった。
この世界には、長大な寿命を持つ存在はいない。それが彼女たちの中での普通であり、少なくともエリュ・トリではそれは当たり前の事だった。住民たちは、大事が無く穏やかに生きていれば60年から70年程で死に至る。老いの差も微々たるもので、50年を超えれば人生も佳境である。その中で、シルヴィのように50年……あるいはそれよりもはるかに長く生きているあの姿は、彼女が長命種である事を示すに足るものとなる。
「シルヴィの事は信頼している、これからも仲間でいたい、そして、支えていきたい。だが、その思いが、仲間の話を寂しげに話すシルヴィのように、彼女の人生の積荷となるのなら、俺は……」
バシャァ!!
突如として、エリオの顔を覆うほどの水が飛んでくる。エリオはいきなりの水に目をつぶり、顔を震わせて視界を保とうとその水を払う。そして目を開けると、そこには真剣な表情をしたレギーナが、自分の作った水の球体を浮遊させて立っていた。
「自分の決意が弱い事を、シルヴィのせいにしないでくださいまし」
「レギーナ……」
冷ややかで、そして真剣な目。レギーナのそれは今までの仲間相手とは違う、強く気品のある、そして何かを決意した人間の目だった。
「好きなら伝えなさい。シルヴィを案ずる気持ちは少しは汲んで差し上げますが、そんなものを伝えない理由にしないでいただけますか。シルヴィだって、エリオの事は信頼していますのよ」
「シルヴィは語っていました。アルカナとの戦いであなたに背中を預けた事……これまでの狩猟で肩を並べてきた事。彼女は、自分が長命種であるにも関わらず……わたくしたちにそれを隠してなお、シルヴィはそんな話を嬉しそうに語っていました」
「……ですから、エリオも一度は、きちんと伝えてあげてください」
ひとしきりエリオに伝えたレギーナは、今度は寂しげな顔を浮かべてエリオを見つめる。とうとうと語るレギーナの言葉を聞いていたエリオは、自分の抱えていた不安や恐れが、シルヴィの思いに比べればあまりに小さく、そして安いものであるという事を思い知って、まだ乾いていない顔を振って、レギーナに向き直った。
「……ありがとう、レギーナ。少しスッキリしてきたよ」
「ふん。例を言うのならシルヴィを見つけてから、そして本当に言うべきは、エリオが決めた気持ちの方……ですわ」
わずかに若いレギーナに、恋愛の何たるかを知らされたエリオは、これまでにない穏やかな笑みと共に、再び未開拓の森林の奥を目指した。




