第33話 狩りの作法
「だめだ……いつまでたってもラーゾにだけ勝てない……」
庭の整備も終わり、家の中に戻って来たシルヴィ、一方のラーゾはと言うと、やはりダイニングの椅子に座って、自分の杖を磨いていた。
「ほっほ、それだけシルヴィも成長が出来るという事だな。だが数の暴力は有効じゃったよ? あれが無ければもうちょっと遊んでたからな」
「フォローになってないわよ……はぁ、一度でいいからすっきりと一本取りたい……」
余裕の笑みを浮かべるラーゾを相手に、テーブルに突っ伏して悔しがるシルヴィ。そんな二人の様子を見ながら、この家のもう一人の家主がシルヴィを慰める。
「はいはい。またラーゾに意地悪されたのね。よしよし」
「ヴェルールぅ……」
ラーゾの女房であり、同じく冒険者でもあるヴェルールが、シルヴィを自分の胸に抱きしめて、まるで母のように頭を撫でてシルヴィをなだめる。シルヴィもこの時だけはヴェルールの母性に甘えて、彼女の成すがままに身体を預けた。
「さて、少し落ち着いたところでシルヴィ。今日は鹿を一頭狩りに行ってほしいんだけれど」
「ふぅ……えぇ、わかったわ」
ヴェルールの流れるような要望に、シルヴィは気持ちを切り替えて、弓を持って出発した。ラーゾとの手合わせは負けが多いが、鹿狩りはシルヴィにとっては日常である。そしてシルヴィは、手合わせの疲れもどこ吹く風で颯爽と狩猟へ向かっていった。
西部の山麓に広がる針葉樹林、この周囲は鹿が多く生息しており、それらが農作物へ影響を与える事もあるので、エリュ・トリでは頻繁に間引きが行われている。肉は料理に、角は飾りに、そして毛皮は服にと、余すことなく使われる鹿には、それなりの需要があるのだ。
「さて……成熟した鹿が一頭、か」
身軽さを生かして、自分が渡ることができる木の枝から、地上の生態を観察する。そして、枝分かれの美しい立派な角を持った鹿を捉えて、今日の獲物と決める。
「えっと……」
そうして、シルヴィは弓を構えて、自分の矢を番える。石を削り出して作った細く鋭い矢じり。そして矢の軸にあしらわれた非常に小さな矢羽根。それは安定的に矢を飛ばす上では不利だが、それは狩りで獲物に刺した後の処置を見越した構造をしている。
「すぅー……」
ギリギリと弓を引く音がシルヴィの耳に聞こえてくる。向こうで水を飲んでいる鹿は周囲の気配にはまだ気が付いていない。
見下ろしの距離は八メートル、風はない、遮る木々は多く、機を逃せばその個体を狩るのは非常に難しい。だが深く呼吸をして、弓を引き絞ったシルヴィの中に、ヴェルールからの教えが浮かぶ。
(状況を利用するんだ。弓を正確に打つ事が出来るのなら、周囲の環境はあなたの一射を有利に進めてくれる)
木々に阻まれたと錯覚する射線だが、両眼を開いてその射線を見ると、木々のすき間が鹿の身体への道筋を作っている。正確に打てるのなら、その道筋は自然の照準に変わる。そして極限を地の利として、シルヴィはヒュッ……と一本の矢を放った。
矢が鹿に当たってからの流れはとてもシンプルで、手際のいいものだった。細い矢が貫いたことで痛みをおして逃げようとするが、すぐに足元がおぼつかなくなり倒れこむ。そしてシルヴィは迅速に近づき、持っていたナイフを首の下に躊躇なく差し込む。ナイフの食い込みに身体が反応すると、シルヴィが差したところから蛇口をひねったような血が溢れ始め、放血が始まる。
あとは鹿の身体に余計な傷をつけないように四つ足を縛り、抱えて森林を出ていく。シルヴィの体躯は大きくないため、鹿の重量もかなりのものだが、シルヴィは足元を土エナジーで舗装して、歩きやすい道を作りながら森を出ていった。
「ヴェルール! 解体手伝ってー!」
「あぁ、おかえりシルヴィ。すぐ行くよ」
間もなくシルヴィは、ヴェルールとラーゾの家に戻ってきて、狩った鹿の解体を頼んだ。そして、そんなシルヴィの成果を、さらに二人の師匠たちが興味深げに見に来た。
「ほう、成人の鹿だな。角も立派だし、繁華街の商人にいい値段で売れそうだ」
「やっぱりヴェルールの教えの賜物だな。オレが行ったら首なんて残ってないしな」
鹿の角や毛皮の状態を見て目を光らせるザムト、そして鹿の状態の良さに感心するツイード。そんな二人もこの家に戻ってきており、そこから先のシルヴィとヴェルールによる解体を眺めていた。
「ザムト、ツイード! ぼさっとしてないであんたたちも手伝いなさいよ!」
「あぁ、はいはい」「へいへい」
ぼんやりと眺めていたザムトとツイードに、ヴェルールから檄が飛び、二人も解体作業の手伝いを始める。ザムトは角の解体や剥ぎ取った毛皮の洗浄を行い、ツイードは長剣から包丁に持ち替えて、解体後の肉を次々と部位ごとの肉へと分割していく。そしてヴェルールは自分の水エナジーをコントロールして、水の温度を非常に低温になるまで下げて、その水を冷媒にした木箱に肉を詰め込んでいく。肉が水に直接触れないように、木箱の中が二重底になっており、低温の水が下の層に溜まり、肉は一旦低温で保存されてキッチンに運ばれる。
「よし、後は綺麗に血や汚れを取って今日の夕飯の食材ね。シルヴィにザムト、ツイードもお疲れさま」
四人がかりで解体した皮と角と肉、それらを満足そうに見ていたシルヴィたちに、ヴェルールはねぎらいの言葉をかけた。時間をかければシルヴィにもこの解体は可能だが、時間がかかれば品質は当然に落ちる。そうなっては稼ぎにもならない。
「いいわね、困ったらまずは持ち帰る、放血も忘れてないからいい肉が取れたわ。ちゃんと教えを守ってくれたわね、シルヴィ」
「えぇ、だってここで約束を守らなかったら、木箱で冷やされるのが私になるんだもの」
「あはは、そんなひどい事はしないわよ、そういう事をするのは最初の一回だけって決めてるんだから」
ヴェルールが笑ってそう言うと、シルヴィは貼り付いたような笑顔を見せて、自分の思い出の中にある実体験を思い返した。
昼食の時間、まだ冷却に時間がかかるという事で、ヴェルールは一旦木箱にかじりつきになり、代わりにラーゾが厨房に立った。
ヴェルールが買いそろえた新鮮な野菜とストックしていた岩塩漬けのイノシシハム、そして香りのいいバゲットを用意して、穏やかに、しかし手際よく食事を作っていく。
一本のバゲットに切れ目を入れ、オニオン、トマト、レタスをそれぞれの味が出るように切り分けて切れ目に差し込んでいく、そしてイノシシハムを薄くスライスして、野菜の間に挟み込む。
そしてコンロに火エナジーで火をつけて、大きめのバターを鉄の鍋の中で溶かしていく、溶けた液体のバターにレモン一つ分の果汁とパセリを混ぜ合わせて、酸味と香ばしさのただようレモンバターオイルドレッシングが出来上がり、それが一本のバゲットの上に添えられた野菜とハムにまんべんなくかけられて、ナイフで五等分に切り分けられて完成だ。




