第31話 それは大切な時間
「ナイフね。サバイバル用のものっぽい見た目だけど?」
「ただのナイフじゃないんだ。ほら……」
そういうと、ザムトは鞘を固定していた紐をほどいて、ナイフの刀身を全員に見せた。
ツタ植物のエングレーブが根元から派の真ん中にかけて、生い茂るかのようなデザインで掘りこまれた刀身。そのエングレーブの緻密さに、全員が驚きの声を上げた。
「すごいだろこれ、実は南東で鍛冶職人をしてる知り合いに頼んで作ってもらったんだ。もちろんただの飾りじゃない。これは植物の持つエナジーをここに溜める事が出来るんだ」
「エナジーを溜める?」
シルヴィの疑問にザムトは説明口調で答えていく。ツタの模様のエングレーブは細かい掘り込みになっており、その部分にはこのナイフで採集した植物が有しているわずかなエナジーを溜めておく事が出来る。それは応用が利くわけではないが、どの植物がどの系統のエナジーを有しているかを研究するのにうってつけだと言う。
「これなら植生とエナジーの関係も分かるし、それが判明すれば、ラーゾからエナジーの使い方を教わったシルヴィにも、凄く役に立つはずだからね」
「っ……」
ザムトがそう言って、満面の笑みを浮かべている様子を見た時、不意にシルヴィの脳裏に不確かなヴィジョンが映る。なぜナイフがここにあるのか、色々な捜索を経て結局このナイフの情報に踊らされたが、このナイフは結局……結局……?
「……そう、ね。ザムトの言う通りかも」
「だろう? だからまず、俺がこのナイフで植生を調べるんだ。それで研究が進んで来たら、その情報とこのナイフをシルヴィにくれてやるんだ」
「え、私に?」
ザムトの提案に、それまで何かを思い出そうとしていたシルヴィは驚きの表情を浮かべた。そして思い出そうとしていた事は水に溶けるように消えていき、ザムトとの会話に対する反応だけが残っていった。
「……そっか、わかった。じゃあザムトが研究を終えるまで、私は待ってるから」
「うんうん、それでこそ俺の弟子だな」
「おーいザムト、オレの弟子でもあるんだからな?」
「ちょっと二人とも、私だってこの子に生きる術を教えたのよ、それにラーゾだって……こういう時、ラーゾはあまり表だって主張しないから、私があなたの分までいてあげるわね」
「ほっほ、構わないよヴェルール。シルヴィはみんなにとって大切な弟子で、そして私たちはシルヴィの大事な師匠だからね」
四人の言い合いを聞きながら、シルヴィはほっとしたような表情でその風景を眺めていた。それは、シルヴィが望んでいた理想的な光景。シルヴィが記憶の中で求め続けた、穏やかな日常。二度と訪れないと思っていたはずの時間の結晶だった。
そしてシルヴィは、四人の師匠との穏やかな時間を大切に思い、やがて自分が何かに悩んでいたという事さえ、波打ち際に書いた文字がかすれていくように忘れていった。ここはエリュ・トリ、未開拓の森で素敵な四人の師匠に拾われて、穏やかな時間を過ごすことができる、石と塩の町。
「さて、今からは午後だね。そろそろ狩人とか冒険者たちも賑わってくるだろう」
ラーゾの声を合図に、外は活気に満ちて、このエリュ・トリで暮らす多くの市民の息遣いがシルヴィの耳に聞こえてくる。それまで感じていなかった『市民』の息吹が、ドアの外からこだましてくる。
「あれ?交易商が通ってるわね、野菜が無いか見てこないと」
そして、ヴェルールが家の窓の外を覗くと、様々な服に身を包んだ人の往来が見えてくる。それはエリュ・トリを一つの町たらしめる活気の象徴。肩掛けカバンを持つ者、背中に背負ったカゴを持ち運ぶもの、家の玄関から出て、颯爽と町中を走り回る子供たち、それらはシルヴィが見慣れた市民の脈動だった。
「いやぁ、狩猟と農耕で生きていける平和な平和な暮らし、なかなか楽しいじゃないか」
「いやぁ、オレはどちらかって言うと戦いの方が似合ってるな。デカい獲物を倒してこそ勇者にふさわしい」
ザムトの穏健な意見と、ツイードの好戦的な議論が交わり、シルヴィは、感じ取れるエリュ・トリの街並みに安堵して、深く深呼吸をする。これまで何かに追われるようにここまでやって来たのも、きっとこの時間の為なのだろう、こうして心強い仲間たちと共になんでもない時間を過ごすのが、今のシルヴィにとっての終着点……そう、終着点なんだ。
「だいたいなザムト、お前荷物が重すぎてオレと狩猟に行くとき、いっつも出遅れるだろうが!」
「それはツイードが、無駄に先行するからじゃないか、俺は鹿狩り用の罠を張るために……」
「ふふっ、あはははっ……!!」
懐かしい……いや、とてもなじみ深い言い合いと会話。それらがシルヴィの心を満たして、自分がそこにいる事を感じさせる。
頭の中に残る、狩猟区での狩りの光景……いや、狩猟区などというものはこのエリュ・トリにはない。そしていつも自分を困らせてきた、ギルドの……違う、エリュ・トリにギルドなんて言うものはない。そんな記憶の『整理』をしていき、一通り笑顔を見せることができたシルヴィは、そんな談笑の間際に、ふと誰もいない後ろを振り返り、ヴェルールの家の扉を眺めて、笑顔の端でぽつりとつぶやいた。
私、誰と冒険、してたんだっけ。




