ファイル12 ジョージ・ブラウン:後編
2015年1月15日木曜日
渋谷駅近くのVELOCEは、やはり混んでいた。
奥のテーブル席に空きを見つけ席をとると、「俺買って来ますから。」と、先崎君がカウンターまで、ホットコーヒーを買いに行った。
「結局来てもらって、すみません。」
「ううん、仕事の帰りだったから。」
ホットコーヒーをテーブルの脇に避け、「これお土産」と、(SKY SHOP)とプリントされた白い紙袋を渡した。真由美さんオススメの、スープカレーと、北海道限定のインスタントラーメンが入っている。
「こんなにたくさん、ありがとうございます。」
「先崎君のおかげだもの。莉奈もすごく元気になってね。あ、友達ができたのよ。」
正直、彼の助言がなければ、真由美さんに相談することはなかったのだ。
「俺は何もしてないですよ。行くって決めたのは先生ですし。それに、先生が俺に勇気をくれたんです。」
コーヒーを一口飲むと、「実は、先生に言わなきゃいけない事があるんです。」と急に真顔になった。
「どうしたの?」
何か言いづらいことでもあるのか、少し口ごもっていたが、意を決すると「俺、イタリアに行きます。」と、言い放った。
あまりにも唐突な事に、「えっ」と返すと、
「イタリアにピアノ専門の音楽院があって。俺、受験することにしたんです。」
コーヒーを飲み、ずっと前から考えていたのだと打ち明けた。
「凄いじゃない。いつ行くの?」
「来月の頭なんです。」
「もう、すぐじゃない!」
出発まで3週間しかない。
「準備はできてるの?」
「はい。なかなかチャンスがなくて。姉から、欠員が出たから受験できるって聞いて。ギリギリだったんですけど、願書が間に合って。行くことにしたんです。」
他人事のような言い方をするが、短期間で大きな決断をしていた。
「課題曲は何?」
「モーツァルトです。ソナタK.448第一です」
プロでも準備するだけで数ヶ月はかかる。
「そっか…難曲だね。でもきっと大丈夫よ。あなたの実力なら。」
「ありがとうございます。だといいんですけどね。」
そう言うと、コーヒーを一口飲み、何かを落ち着かせるように息を吐いた。
「それから、」
言いにくいことを伝える前の独特の沈黙が流れた。
「俺、先生のこと好きです。」
コップの淵から、ポタリと雫がテーブルに落ちた。
まさかとは思っていたが、目の前にいる彼から、はっきりと言われた。
しばらく何も言えなかった。
「…ありがとう。嬉しいよ。」
そう絞り出すのがやっとだった。
「先生を困らせたくはないんです。でも、ちゃんと伝えたくて。」
真剣な彼の視線が、私の目を捉えて離さない。
彼の心臓が早く波打つのが空気を通して伝わる。
そして、それに合わせるように、自分もまた鼓動が高鳴った。
「色々あったから、今すぐは何も言えないけど…」
1秒がとても長く感じる。
呼吸をしているのかもわからない。
この9月からのことが、頭の中を駆け巡った。
初めて会ってから、今日に到るまで、ずっと心の中にいたのは彼だった。
「俺待ちますから。先生が俺と向き合ってくれるまで。」
店内のBGMが一瞬止まったような感じがする。
温かい光が差したような、優しい時間が流れる。
ふと、近くで誰かが微笑んだような気がした。
「うん。」
冷めたコーヒーをゆっくり味わうと、自然と笑みが溢れた。
ーーー
2015年3月14日土曜日
山下さんは信じられないと言う顔で、「ずっと痛かった首の痛みが無くなった。なんで?なんで?」と不思議そうな顔をしながら、「ありがとう。」と喜び自分の席へついた。
「Thank you 好子さん」ジョージさんから、どうぞお戻りくださいと言われ、自分もまた席へ戻った。
〜相手の潜在意識に繋がり、囚われた感情を解放する〜
練習し始めてからわずか4日。
驚異的なスピードで、体の痛みをとるヒーリングができるようになっていた。
本を返しに行ったその日、啓介先生から、「3月にジョージさんがヒーリング講師として来る事になったから、勉強してみない?」と誘われた。
また会えるのが嬉しくて、参加することにしたが、まさか本当に自分がヒーラーになれるとは、思ってもみなかった。
「ヒーリングに最も重要なことは何だと思いますか?」
ジョージさんがホワイトボードに大きく「LOVE」と書く。
「LOVE。そう愛です。それでは「愛」とは何でしょう?」
これは、宗教の教えとは関係ないので、どうぞ私には構わず。と笑った。
何人かが、思いやり、優しい心、ハグ、などと答えた。
「みなさん、どれも正解です。ヒーリングに関して言うと、(今この瞬間、目の前の相手に100%集中すること。)です。」
この後の予定や今月の売り上げや支払いのことは一切考えてはいけませんよ。と言い、会場の笑いを誘った。
「みなさん、よく聞いてください。」
ジョージさんは全員の顔を見ると、ゆっくり話し始めた。
「私達ひとりひとりの存在が素晴らしく、全て完全であり、完璧です。誰かが特別だとか、劣っているとか、そんなことはありません。誰もが、生まれた時から、スピリチュアルで、そしてまた生まれながらにしてヒーラーなんです。」
卓上の水を一口飲むと、さらに続けた。
「みなさんご存知のように、世界では未だ争いが絶えず戦争が続いています。とても残念なことです。ですが、みなさんは今日、愛を伝えるヒーラーになりました。
世界には皆さんのように人々を癒すことができる、ヒーラーが足りません。圧倒的に足りないのです。ですから、どうか人々を癒し、世界平和に導けるよう、たくさんの方に愛を伝えてください。」
ジョージさんはそこまで言うと、皆様は今日からヒーラーです。
おめでとうございます!と拍手をした。
見ると、柴田先生も啓介先生も拍手をしていた。小さな会議室が温かい響きに包まれる。
「好子さん、おめでとうございます」
ジョージさんから修了証を手渡されると、本当に自分はヒーラーになったのだと、不思議な実感が湧いた。
「ありがとうございます。」
両手で受け取ったその証書は、まだ見ぬ可能性を開くパスポートのように思えた。
ビルを出ると、外はすでに暗くなっていたが、ホワイトデーの飾りが賑やかだった。
新宿三丁目の駅へ続く階段を降りる少し手前、空を見ると明るい東京の夜空の向こうに、キラリと星が一つ輝いたのが見えた気がした。




