第二話 存在してはいけない人間
――カラン、カラン。
どこか遠くで、鐘の音が響いていた。
「……ん、んん……」
ひんやりとした感触が頬に伝わる。
冷たい。
いや、冷たいなんてもんじゃない。
まるで冬場のコンクリートに顔を押しつけられているような、そんな不快感だ。
「……さっむ」
思わず声が漏れた。
ゆっくりと目を開ける。
薄暗い天井。
石造りの壁。
鉄格子。
「…………」
俺は、しばらくその光景を眺めていた。
そして、静かに目を閉じた。
……うん。
もう一回寝よう。
きっと疲れてるんだ。
病院に運ばれて、変な夢を見て、それで今度は牢屋。
我ながら、なかなか想像力豊かな夢を見るもんだ。
いや、待て。
牢屋?
「……牢屋!?」
勢いよく飛び起きた。
ガシャン!
「いってぇ!?」
頭上にあった鉄格子に、思い切り頭をぶつけた。
……いや、何でこんな低いところに鉄格子があるんだよ!
頭を押さえながら周囲を見回す。
狭い石造りの部屋。
小さな窓が一つ。
壁には古びた鎖が吊るされ、床には薄汚れた布が敷かれている。
そして、目の前には頑丈そうな鉄格子。
……間違いない。
牢屋だ。
「いやいやいやいや!」
思わず立ち上がる。
「何で!? 何で俺、牢屋にいるんだよ!」
記憶をたどる。
確か、病院で意識を失って……。
目が覚めたら、変な街にいて。
日本に帰ろうとして。
それから、兵士みたいな連中に捕まって……。
「……あ」
思い出した。
あいつらだ。
あの鎧を着た連中!
「ふざけんなよ……!」
鉄格子を掴む。
「おーい! 誰かいませんかー!」
返事はない。
「すみませーん! ちょっと話を聞いてほしいんですけどー!」
……シーン。
「……おーい」
……シーン。
「…………」
誰も来ない。
いや、普通こういうときって、看守とかいるもんじゃないの?
何?
俺、忘れられてる?
それはそれで困るんだけど。
「はぁ……」
大きくため息をつき、壁にもたれかかった。
……どうして、こうなった。
俺はただ、日本に帰りたいだけなのに。
そもそも、ここはどこなんだ?
天空都市デース。
確か、あの店のおっさんはそう言っていた。
空に浮かぶ都市。
中世ヨーロッパみたいな街並み。
神族。
宇宙樹。
そして、ナンバー。
「……ナンバー、か」
兵士たちが、俺を見て口にした言葉。
あの反応。
まるで、化け物でも見たかのような顔だった。
……俺、そんなに変か?
自分の体を見下ろす。
手が二本。
足が二本。
顔は……まあ、鏡がないから確認できないけど。
少なくとも、人間の形はしている。
「……普通だよな?」
誰にともなく呟いた。
そのとき。
――カツン、カツン。
足音が聞こえた。
「……ん?」
顔を上げる。
暗い廊下の奥から、二人の男が歩いてきた。
一人は鎧を着た兵士。
もう一人は、黒い外套をまとった細身の男だった。
男は俺の牢の前で立ち止まると、じっとこちらを見つめた。
「……目覚めたか」
「あ、はい。おはようございます」
「…………」
「…………」
……あれ?
何か変なこと言った?
いや、目覚めたかって聞かれたから、おはようって返しただけなんだけど。
男は小さく息を吐いた。
「名前を言え」
「え?」
「名前だ」
「あ、ヴァンです。ヴァン・スルト」
……ん?
ヴァン・スルト?
自分で名乗っておいて、妙な違和感を覚えた。
そうだ。
俺の名前はヴァン・スルト。
それはわかる。
なのに。
日本にいた頃も、そんな名前だったっけ?
「……出身は?」
男の質問に、思考が中断される。
「あ、日本です」
「ニホン……」
男は何かを記録していた手を止めた。
「それは、どの地区に属する?」
「いや、地区っていうか、国なんですけど」
「国?」
「はい。日本っていう国です」
「…………」
男は無言で俺を見つめた。
……何だよ。
またその反応か。
「この世界に、国など存在しない」
「……は?」
「少なくとも、貴様が言うような国は存在しない。ここは天空都市デース。女王ZERO様の統治する唯一の人間界だ」
「いや、そんなこと言われても……」
困る。
非常に困る。
俺の知ってる世界には、普通に国があった。
日本も、アメリカも、中国も。
世界地図だってある。
なのに、この男は国という概念そのものを知らないような口ぶりだった。
「……じゃあ、ここって地球じゃないんですか?」
「チキュウ?」
「え?」
「何だ、それは」
「…………」
……マジか。
地球も知らない。
日本も知らない。
おまけに空には建物が浮かんでいる。
ここまでくると、さすがに認めざるを得ない。
ここは。
俺の知っている世界じゃない。
「……異世界?」
思わず口にした。
男の眉が、わずかに動く。
「何か言ったか?」
「い、いえ! 何でもないです!」
慌てて首を振る。
……いや、待てよ。
異世界。
ラノベとかでよくある、あれか?
主人公が突然知らない世界に飛ばされて、魔法とか使えて、何だかんだで冒険するやつ。
……いやいや。
そんな都合のいいことが、現実に起こるわけないだろ。
そもそも、異世界転移した主人公って、普通もっと歓迎されるもんじゃないの?
勇者様とか呼ばれてさ。
美少女に案内されてさ。
豪華な食事とか出てきてさ。
……俺、牢屋なんだけど。
待遇の差がひどすぎない?
「次の質問だ」
男が口を開いた。
「貴様は、何者だ?」
「……何者って」
「どこから来た。何の目的でこの都市に侵入した」
「いや、だから! 俺もわかんないんですよ!」
思わず声を荒らげた。
「気づいたらここにいたんです! その前は病院にいて、それで目が覚めたら草むらで!」
「病院?」
「そうです! 病院!」
「……医療施設のことか?」
「あ、そう! それです!」
よかった。
病院に相当するものはあるらしい。
「そこで何をしていた?」
「……それが、覚えてなくて」
「覚えていない?」
「はい」
男の目が細くなった。
「都合のいい話だな」
「いや、ほんとなんですって!」
「貴様は、出身地も不明。身分証も持たず、所属地区も答えられない。さらに、存在しない土地の名を口にしている」
「……はい」
「そして、識別器には異常な反応が出た」
男が懐から、あの金属製の道具を取り出した。
表面には、見慣れない紋章が刻まれている。
「これが何かわかるか?」
「……わかりません」
「識別器だ。都市の住民を識別するための道具だ」
「へえ……」
「通常、すべての住民には固有の反応がある」
男は識別器を俺に向けた。
すると。
――ピッ。
青白い光が灯る。
しかし、次の瞬間。
――ピピピピピッ!
光が赤く変わり、激しく点滅し始めた。
「うおっ!?」
思わず後ずさる。
男は無言で、その反応を見つめていた。
「……やはりな」
「……何がですか?」
「識別不能」
「……はい?」
「貴様は、この都市の住民として認識されていない」
「…………」
……え。
それって、どういうこと?
「つまり……住民票がないみたいな?」
「ジュウミンヒョウ?」
「あ、いや、何でもないです」
また知らない言葉を使ってしまった。
男は識別器をしまうと、静かに告げた。
「貴様は、通常の住民ではない」
「……え?」
「この世界の理から外れた存在だ」
理。
また、知らない言葉だ。
いや、意味はわかる。
でも、この男が言う理は、俺の知っているものとは違う気がした。
「……あの」
「何だ」
「さっきから気になってるんですけど……ナンバーって、何ですか?」
その瞬間。
男の表情が変わった。
隣にいた兵士も、わずかに身構える。
「……どこで、その言葉を聞いた?」
「いや、俺を捕まえた兵士が言ってたんですけど」
「…………」
沈黙。
重苦しい空気が、牢の中を満たす。
……え、何?
そんなにヤバい言葉なの?
「……ナンバーとは」
男が、ゆっくりと口を開いた。
「この世界に存在するはずのない者を指す、特殊な呼称だ」
「……存在するはずのない?」
「それ以上は、貴様が知る必要はない」
「いやいや! めちゃくちゃ気になるんですけど!」
「質問は終わりだ」
「ちょっと待ってください!」
男は俺の言葉を無視して、兵士に何かを告げた。
兵士が小さく頷く。
そして。
「……処分する」
男は、そう言った。
「…………は?」
処分?
今、処分って言った?
「……えっと」
恐る恐る尋ねる。
「処分って、どういう……?」
「貴様は、この世界の秩序を乱す危険性がある」
「いや、乱してないですけど!?」
「存在そのものが異常なのだ」
「そんな理不尽な!」
男は表情を変えなかった。
「女王ZERO様の統治するこの都市に、異常な存在は必要ない」
「……は?」
「明朝、処刑を執行する」
…………。
………………。
「……しょ、処刑?」
「そうだ」
「……俺を?」
「他に誰がいる」
「…………」
いや。
いやいやいやいや!
「待て待て待て待て!!」
思わず鉄格子にしがみついた。
「何でそうなるんだよ!? 俺、何もしてねえだろ!」
「静かにしろ」
「静かにできるか! いきなり死刑って何だよ!」
「命令は絶対だ」
「誰の命令だよ!」
男は、冷たい目で俺を見た。
「この世界の秩序だ」
それだけ言い残し、男は背を向けた。
「おい! 待てって!」
足音が遠ざかっていく。
「話くらい聞けよ!」
返事はない。
「おい!!」
……カツン、カツン。
やがて、足音は完全に消えた。
牢の中に、静寂が戻る。
「…………」
俺は、鉄格子を掴んだまま立ち尽くしていた。
……処刑?
明日?
俺が?
「……冗談、だろ」
誰も答えてくれなかった。
◇ ◇ ◇
その夜。
俺は、一睡もできなかった。
当たり前だ。
明日死ぬと言われて、ぐっすり眠れる人間がどこにいる。
……いや、いるかもしれないけど。
少なくとも、俺には無理だった。
「……はぁ」
何度目かわからないため息をつく。
冷たい床に座り込み、膝を抱える。
どうして、こんなことになったんだろう。
昨日まで、普通に日本にいたはずなのに。
学校に行って。
くだらない話をして。
飯を食って。
帰って。
……それで?
また、記憶が途切れる。
病院に運ばれた理由が、どうしても思い出せない。
「……くそ」
頭を抱える。
何か。
何か、思い出せそうなのに。
大切なことを、忘れている気がする。
誰かと、話していたような。
誰かに、何かを約束したような。
……誰だ?
思い出せない。
「……帰りてえな」
ぽつりと呟いた。
日本に。
あの、何でもない日常に。
別に、特別な人生だったわけじゃない。
勉強が得意だったわけでもないし。
運動が飛び抜けてできたわけでもない。
将来の夢だって、はっきりしていなかった。
でも。
それでも。
あそこには、俺の日常があった。
「……何で、俺なんだよ」
声が震えた。
怖い。
当たり前だ。
死ぬのが怖い。
こんな、訳のわからない場所で。
誰にも知られずに。
何もわからないまま。
終わるなんて。
「……嫌だ」
小さく呟く。
「……嫌だよ」
俺は、まだ。
何もしていない。
何も知らない。
こんなところで、終わりたくない。
「……絶対に、帰ってやる」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
それが、今の俺にできる唯一の抵抗だった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
牢の扉が開いた。
「出ろ」
兵士が二人、俺の前に立つ。
「……どこへ?」
「処刑場だ」
「…………」
……やっぱり、夢じゃないのか。
手首を拘束され、廊下を歩かされる。
長い階段を上り、重たい扉を抜ける。
その先には、広い石造りの中庭があった。
高い壁に囲まれた、円形の空間。
中央には、石でできた台座。
周囲には、武装した兵士たちが並んでいた。
そして。
台座の向こうに、一人の男が立っていた。
黒い外套。
昨日、俺を取り調べた男だ。
「……連れてきました」
兵士が報告する。
男は頷いた。
「始めろ」
「……ちょっと待ってください」
俺は、声を絞り出した。
「本当に……やるんですか?」
「決定事項だ」
「俺、何もしてないんですよ?」
「貴様の存在が問題なのだ」
「……そんなの」
言葉が詰まる。
何を言っても、無駄なのか。
この世界では。
知らない場所から来たというだけで、命を奪われるのか。
「……ふざけんなよ」
思わず呟いた。
男の眉が動く。
「何?」
「ふざけんなって言ってんだよ!」
声を張り上げる。
「勝手に捕まえて! 勝手に決めつけて! 何も説明しないまま処刑だ!?」
兵士たちが身構えた。
だが、もうどうでもよかった。
「俺は帰りたいだけなんだよ!」
胸の奥から、言葉が溢れ出す。
「日本に! 俺のいた場所に! 帰りたいだけなんだ!」
男は、しばらく俺を見つめていた。
そして。
「……執行しろ」
冷たく告げた。
「……っ!」
兵士が近づいてくる。
抵抗しようとした。
だが、両腕を押さえられ、身動きが取れない。
……嫌だ。
こんなところで。
こんな、何もわからないまま。
終わりたくない。
「……くそっ!」
必死に体を動かす。
だが、兵士たちの力には敵わない。
視界の端で、処刑を執行する兵士が動いた。
俺は、思わず目を閉じた。
……頼む。
誰でもいい。
神様でも、何でもいい。
まだ。
俺は。
生きていたい。
――その瞬間。
意識が途絶えた。
◇ ◇ ◇
――トクン。
……ん?
――トクン。
何だ?
……音?
どこかで、何かが動いている。
温かい。
不思議な感覚だった。
まるで、体の奥から何かが満ちてくるような。
――トクン。
……心臓?
そうだ。
これは、心臓の音だ。
……あれ?
でも、俺。
さっき……。
「……っ!?」
突然、意識が戻った。
「はっ……はぁっ……!」
大きく息を吸い込む。
目を開ける。
青空。
石造りの中庭。
兵士たち。
そして。
「…………は?」
俺は、立っていた。
さっきまでと、同じ場所に。
「……え?」
自分の手を見る。
動く。
足を見る。
動く。
胸に手を当てる。
――トクン、トクン。
心臓が、動いている。
「……生きてる?」
思わず呟いた。
周囲は、異様なほど静まり返っていた。
兵士たちは、誰一人として動かない。
皆、俺を見つめている。
まるで。
ありえないものを、目撃したかのように。
「……な、何だ……?」
誰かが、震える声で呟いた。
「確かに……執行したはずだ……」
「そんな……馬鹿な……」
「どうして……」
ざわめきが広がる。
俺は、状況を理解できなかった。
……え?
何?
どういうこと?
俺、さっき……。
確かに。
死んだ、はずだよな?
「……おい」
黒い外套の男が、ゆっくりと近づいてきた。
その顔からは、昨日までの冷静さが消えていた。
「……貴様」
男の声が震える。
「……何をした?」
「……は?」
「何をしたと聞いている!」
「いや、俺が聞きたいんですけど!?」
思わず叫んだ。
「何なんですか、これ! 俺、どうなったんですか!?」
男は答えない。
ただ、信じられないという表情で俺を見つめていた。
そして。
近くにいた兵士が、ぽつりと呟いた。
「……神族」
「……え?」
「まるで、神族のような……」
別の兵士が、首を横に振る。
「いや……違う」
その顔は、恐怖に染まっていた。
「この意志の気配……」
男は、俺を見つめながら言った。
「神族と同じ……いや、それ以上だ……!」
…………。
………………。
……えっと。
何?
神族?
意志?
それ以上?
いや、ちょっと待って。
全然わかんないんだけど。
俺は、ゆっくりと自分の胸に手を当てた。
心臓は、確かに動いている。
息もできる。
痛みも感じる。
間違いなく、生きている。
……なのに。
さっき、俺は確かに死んだはずだった。
「……何なんだよ」
声が震える。
「……俺、どうなってんだよ……」
誰も答えなかった。
ただ一つ。
確かなことがあった。
俺は、この世界で。
一度、死んだ。
そして。
もう一度、生き返った。
――その日、天空都市デースの管理記録に、一つの異常事態が報告された。
識別不能の少年。
処刑執行後、原因不明の復活。
通常の住民とは比較にならない、異常な意志反応。
その報告は、やがて王城へと届けられる。
そして。
ある少女の目に留まることになる。
天空都市デースを統治する女王。
その名は――ZERO。
だが、このときの俺は、まだ知らなかった。
この復活が、偶然などではないことを。
そして。
俺という存在が、この世界の運命を大きく変えてしまうことを。




