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第三話 女王ZERO



「……もう一度、だと?」


 思わず聞き返した。


 いや、聞き間違いであってほしかった。


 というか、聞き間違いであれ。


「もう一度、処刑を執行する」


 黒い外套の男は、何のためらいもなくそう告げた。


「…………」


 ……うん。


 聞き間違いじゃなかった。


「いやいやいや! ちょっと待てって!」


 俺は慌てて声を上げた。


「さっきやっただろ!? もう十分だろ!?」


「十分?」


「そう! 十分! むしろ十分すぎる!」


 普通、処刑って一回で終わるもんだろ。


 それをもう一回って。


 何だよ、おかわり制かよ!


「貴様は、確かに一度処刑された」


「そうだよ! 俺だって覚えてるよ!」


「にもかかわらず、生存している」


「だから俺も驚いてるんだって!」


 男は黙ったまま、俺を観察していた。


 まるで、実験台の上に置かれた得体の知れない生き物を見るように。


 ……やめろ。


 その目。


 俺は人間だぞ。


「先ほどの現象について、説明しろ」


「だから、知らないって!」


「足元に発生した光は何だ?」


「俺が聞きたいよ!」


「想現を使ったのか?」


「……そうげん?」


 聞き覚えのある言葉だった。


 確か、さっき兵士たちも叫んでいた。


 想現。


 何だ、それ。


 魔法みたいなものなのか?


「貴様、本当に知らないのか?」


「知らないです。というか、知ってたら教えてほしいくらいです」


 男は眉間にしわを寄せた。


「……想現とは、意志によって現象を引き起こす力だ」


「意志によって……?」


「人間の中でも、扱える者は限られている」


 ……なるほど。


 つまり、魔法みたいなものか。


 いや、待て。


 俺、さっき光ってたよな?


 ということは……。


「……もしかして、俺にも使えるんですか?」


「それを調べている」


「あ、なるほど」


 ……いや、なるほどじゃねえ!


「だからって、もう一回処刑する必要あります!?」


「ある」


「即答!?」


 男は兵士たちに視線を向けた。


「準備しろ」


「はっ!」


「ちょっと待てってば!」


 俺の抗議など、誰も聞いていなかった。


 兵士たちが再び動き始める。


 ……まずい。


 非常にまずい。


 さっきは、なぜか生き返った。


 でも、次もそうなる保証なんてどこにもない。


 むしろ、あんな奇跡が二度も起こるとは思えない。


 ……いや。


 奇跡?


 あれは本当に、奇跡だったのか?


 胸の奥で脈打った、あの不思議な感覚。


 足元に現れた光。


 そして、あの声。


 ――生きろ。


 あれは、一体何だったんだ?


「……っ」


 考えている間にも、兵士たちは近づいてくる。


 俺は必死に抵抗した。


「待て! 待ってくれ!」


 だが、拘束された両腕は動かせない。


 ……くそ。


 こんなところで。


 また、終わるのかよ。


「執行」


 冷たい声が響いた。


 俺は、ぎゅっと目を閉じた。


 ……嫌だ。


 まだ。


 俺は、帰っていない。


 日本に。


 俺のいた場所に。


 ――ドクン。


 その瞬間。


 胸の奥で、再び何かが脈打った。


「……っ!?」


 熱い。


 昨日と同じ感覚。


 全身を駆け巡る、不思議な熱。


 足元に、淡い光が浮かび上がる。


「まただ!」


「想現の反応が……!」


 兵士たちの声が遠くなる。


 俺は、ただ願った。


 生きたい。


 まだ、終わりたくない。


 ――そして。


 意識が途絶えた。


     ◇ ◇ ◇


 ――トクン。


 ……まただ。


 ――トクン。


 この音。


 もう、聞き覚えがある。


 温かい。


 暗闇の中で、何かが俺を包み込んでいる。


 ……何だよ、これ。


 まるで。


 誰かに、もう一度生きろと言われているみたいじゃないか。


「……っ!」


 目を開けた。


「はっ……はぁっ……!」


 大きく息を吸い込む。


 視界に飛び込んできたのは、青空だった。


 石造りの中庭。


 並んだ兵士たち。


 そして、黒い外套の男。


「…………」


 俺は、ゆっくりと自分の手を見た。


 動く。


 足も動く。


 心臓も、確かに動いている。


「……生きてる」


 また。


 生き返った。


「……馬鹿な」


 黒い外套の男が、震える声で呟いた。


「二度も……?」


 兵士たちも、完全に言葉を失っていた。


「ありえない……」


「こんな現象、聞いたことがない……」


「神族でも、こんなことは……」


 ……神族。


 また、その言葉か。


 俺は、ゆっくりと顔を上げた。


「……あの」


 兵士たちの視線が、一斉に俺へ向く。


「もう……いいですよね?」


「…………」


「二回もやったんですよ? さすがに、もう……」


 黒い外套の男は、答えなかった。


 ただ、俺を見つめている。


 その目には、先ほどまでとは違う感情が浮かんでいた。


 恐怖。


 そして、興味。


「……拘束を強化しろ」


「……え?」


「第三の執行を準備する」


「…………」


 ……は?


「いやいやいやいや!!」


 思わず叫んだ。


「まだやるの!?」


「当然だ」


「当然じゃねえよ!」


 何なんだ、この世界!


 人の命を何だと思ってるんだ!


 いや、俺も何で生き返ってるのかわからないけど!


「……やめてくれよ」


 思わず、声が漏れた。


 もう、嫌だった。


 何度も死ぬような恐怖を味わうなんて。


 こんなの、普通じゃない。


「……頼むから」


 俺は、黒い外套の男を見た。


「もう……やめてくれ」


 そのときだった。


 ――カツン。


 小さな足音が響いた。


「そこまで」


 透き通るような声。


 決して大きくはない。


 なのに。


 その一言だけで、処刑場の空気が変わった。


「……っ!?」


 黒い外套の男が、勢いよく振り向いた。


 兵士たちも、一斉に姿勢を正す。


「なっ……!」


「ど、どうして……!」


 中庭の入り口。


 そこに、一人の少女が立っていた。


 白銀の髪。


 透き通るような瞳。


 小柄な体を包む、白を基調とした上品な衣装。


 年齢は、俺よりずっと下に見える。


 十歳前後だろうか。


 ……子供?


 いや、待て。


 何だ、この雰囲気。


 少女が一歩踏み出すたびに、周囲の空気が張り詰めていく。


 兵士たちは、誰一人として動かない。


 そして。


「ZERO様!」


 黒い外套の男が、慌てて膝をついた。


 それに続くように、兵士たちも一斉に頭を下げる。


「な、なぜこのような場所に……!」


 ……ZERO?


 俺は、少女を見つめた。


 確か。


 あの露店のおっさんが言っていた。


 天空都市デースを治める女王。


 その名は――ZERO。


「……え?」


 思わず声が漏れた。


 ……この子が?


 女王?


 いやいや。


 子供じゃん!


 どう見ても子供じゃん!


 ……まあ、異世界だし。


 見た目で判断するのはよくないのかもしれないけど。


 少女――ZEROは、ゆっくりと中庭を見回した。


「随分と騒がしいわね」


 冷たい声だった。


 先ほどの透き通るような声とは違う。


 感情のない、淡々とした口調。


「申し訳ございません!」


 黒い外套の男が、深く頭を下げる。


「異常存在の処理を行っておりました!」


「異常存在?」


「はっ! 識別不能の少年です! 処刑を執行しましたが、原因不明の復活を確認し……!」


「知っているわ」


「……は?」


 ZEROは、男の言葉を遮った。


「報告は見たもの」


 そして。


 ゆっくりと、俺に視線を向けた。


「…………」


 目が合った。


 その瞬間。


 なぜか、背筋がぞくりとした。


 怖い。


 ……いや。


 怖い、だけじゃない。


 何だ、この感じ。


 まるで。


 自分の中身を、全部見透かされているような。


「……あなたが」


 ZEROが、静かに口を開いた。


「例の少年ね」


「……え、あ、はい」


 思わず返事をしてしまった。


 いや、例の少年って何だよ。


 俺、そんな有名人になった覚えないんだけど。


 ZEROは、ゆっくりと近づいてきた。


 兵士たちが道を開ける。


 そして、俺の目の前で立ち止まった。


「名前は?」


「……ヴァンです」


「ヴァン?」


「ヴァン・スルト」


 ZEROは、その名前を小さく繰り返した。


「……ヴァン・スルト」


 何かを確かめるように。


 そして。


「どこから来たの?」


 そう尋ねた。


「……日本、です」


 その瞬間。


 ZEROの瞳が、わずかに揺れた。


「…………」


 沈黙。


 俺は、思わず息を呑んだ。


 ……何だ?


 今、反応した?


 この子。


 日本を知ってるのか?


「あの……」


 俺が口を開こうとした、そのとき。


「……ふふ」


 小さな笑い声が聞こえた。


「……え?」


 ZEROが、笑っていた。


 さっきまでの冷たい表情が、嘘のように消えている。


 その瞳は、まるで宝物を見つけた子供のように輝いていた。


「……そう」


 ZEROは、嬉しそうに呟いた。


「やっと……」


「……やっと?」


 俺が聞き返すと、ZEROはすぐに表情を戻した。


「何でもないわ」


「いや、今、絶対何か言いましたよね?」


「気のせいよ」


「気のせいで済ませるには、ちょっと……」


「静かに」


「……はい」


 即答してしまった。


 ……何だ、この子。


 見た目は子供なのに、妙に逆らえない。


 ZEROは、俺の胸元に視線を落とした。


「……なるほど」


 そして、静かに呟く。


「この意志の強さ……」


「……え?」


「やっぱり、そうなのね」


 何かを確信したような口ぶりだった。


 だが、俺には何のことかわからない。


「……あの」


「何?」


「俺、どうなるんですか?」


 思い切って尋ねた。


「さっきから何回も処刑されてるんですけど……」


「知っているわ」


「いや、知ってるなら止めてくださいよ!」


 思わず叫んだ。


 ZEROは、少しだけ首をかしげた。


「……そうね」


 そして、黒い外套の男に視線を向ける。


「処刑は中止」


「……はっ!?」


 男が顔を上げた。


「し、しかしZERO様! この少年は危険な存在で……!」


「二度言わせるの?」


 その一言で、男は黙った。


「……失礼いたしました」


 ZEROは、再び俺を見る。


「あなたには、まだ役目があるもの」


「……役目?」


「ええ」


 少女は、意味ありげに微笑んだ。


「とても、大切な役目がね」


 ……何だよ、それ。


 説明してくれよ。


 俺だけ話についていけてないんだけど。


 そのときだった。


 ――ガシャン!


 中庭の奥で、金属のぶつかる音が響いた。


「……っ!?」


 兵士たちが一斉に振り向く。


 処刑場へ通じる大扉の向こうから、怒鳴り声が聞こえた。


「何事だ!」


「西側の搬入口で騒ぎが! 荷車が通路を塞いでいます!」


「こんなときに……!」


 黒い外套の男が舌打ちした。


 しかし、それだけでは終わらなかった。


 ――ゴォン!


 今度は、鐘の音が響いた。


 朝の祈りを告げる鐘とは違う。


 短く、切迫した音が三度。


「警戒鐘だと!?」


 兵士の一人が叫ぶ。


「外壁側で火災との報告です!」


「何!? 人員を回せ!」


 兵士たちが慌ただしく動き始めた。


 ……何だ?


 火事?


 今度は火事なのか?


 いや、待て。


 何か、おかしくないか?


 荷車が通路を塞いで。


 その直後に火災。


 しかも、よりによってこのタイミングで。


「……ずいぶん、都合がいいわね」


 ZEROが、ぽつりと呟いた。


「……え?」


 俺が聞き返すと、少女は小さく微笑んだ。


「何でもないわ」


 ……いや。


 絶対、何でもなくないだろ。


     ◇ ◇ ◇


 ――その少し前。


 処刑場から二つ通りを隔てた、古びた倉庫。


「……本当に、やるんですか?」


 小柄な少女が、不安そうに尋ねた。


 彼女の前には、地図を広げた女性が立っている。


 黒を基調とした服。


 落ち着いた表情。


 鋭い眼差し。


「当然よ」


 女性は、地図の一点を指さした。


「対象は、すでに二度の処刑から復活している。これ以上、神族側に調べられるわけにはいかない」


「で、でも……王城の管理区域ですよ?」


「正確には、王城に隣接する司法施設。警備の系統が違うわ」


 女性は、淡々と説明した。


「それに、今は異常事態への対応で指揮系統が混乱している。動くなら、この瞬間しかない」


 少女は、地図を覗き込んだ。


「えっと……私が西側で騒ぎを起こして、ダキさんが外壁側の警戒鐘を鳴らす。それで、兵士が移動した隙に……」


「私が対象を回収する」


「……簡単に言いますね」


「簡単ではないわ」


 女性は、即座に否定した。


「だから、あなたたちに頼んでいるの」


「……っ!」


 少女は、少しだけ目を見開いた。


 そして、嬉しそうに頷いた。


「は、はい! 頑張ります!」


「……あまり張り切りすぎるなよ」


 倉庫の奥から、低い声がした。


 大柄な男が、腕を組んで立っている。


 どこか疲れた会社員のような雰囲気をまとった男だった。


「ミーヤ。お前は、荷車を倒したらすぐに離れろ。兵士に捕まるなよ」


「わ、わかってます!」


「本当か?」


「本当です!」


「この前も、逃げる方向を間違えただろ」


「そ、それは……!」


 少女――ミーヤは、言葉に詰まった。


「今回は大丈夫です!」


「……不安だな」


 男――ダキは、大きくため息をついた。


 女性は、二人のやり取りを見ながら、静かに口を開いた。


「ダキ。あなたは外壁側の騒ぎを担当して。実際に大きな火を出す必要はないわ。煙と警戒鐘だけで十分」


「了解だ」


「ミーヤは西側の搬入口。荷車で通路を塞ぎ、警備兵の注意を引いて」


「はい!」


「そして、私は内部へ入る」


 女性は、地図の端に描かれた細い通路を指さした。


「処刑場の裏手には、古い管理通路が残っている。今はほとんど使われていないけれど、内部へ通じているはずよ」


「……はず、ですか?」


 ミーヤが、不安そうに尋ねた。


「確証はないわ」


「ええっ!?」


「だからこそ、現地で確認する」


「そ、そんな……!」


 ダキが、眉をひそめた。


「危険すぎる。俺も同行した方がいいんじゃないか?」


「必要ないわ」


「だが……」


「三人で動けば、かえって目立つ。それに、あなたたちが外で騒ぎを起こしてくれなければ、私も動けない」


 女性は、地図を畳んだ。


「……対象が本当にナンバーなら、黒書にとって重要な存在になる」


 ミーヤが、小さく頷く。


「……ナンバー」


「ええ」


 女性は、窓の向こうに見える王城を見つめた。


「この世界の理から外れた存在」


 そして、静かに続ける。


「彼を、神族の手に渡したままにはできない」


     ◇ ◇ ◇


「――侵入者だ!」


 処刑場に、怒号が響いた。


「……っ!?」


 俺は、思わず身構えた。


 西側の搬入口。


 外壁側の警戒鐘。


 そして、今度は侵入者。


 ……いや、もう。


 何が何だかわかんねえよ!


「ZERO様! お下がりください!」


 兵士たちが、少女を守るように集まる。


 だが、ZEROは動かなかった。


「……なるほど」


 小さく呟く。


「陽動が二つ。そして、本命は……」


 その瞬間。


 ――パリン!


 処刑場の端で、小さな容器が砕けた。


 白い煙が、一気に広がる。


「なっ!?」


「煙だ!」


「視界を確保しろ!」


 兵士たちが慌てる。


 俺も思わず、口元を覆った。


「げほっ……! 何だよ、これ!」


 煙が濃い。


 目の前にいた兵士の姿さえ、ぼやけて見える。


 そのとき。


「――動かないで」


 背後から、女性の声がした。


「……っ!?」


 振り向こうとした瞬間、手首を掴まれる。


 細い手。


 だが、その力は驚くほど強かった。


「え、ちょっ……!」


「静かに」


 女性は、俺の耳元で囁いた。


「助かりたいなら、私についてきて」


「……は?」


 何だ?


 誰だ、この人!?


 煙の向こうに、黒い服をまとった人影が見えた。


 長い髪。


 鋭い目つき。


 落ち着いた声。


「……あんた、誰……」


「今は説明している暇がないわ」


 女性は、俺の手首に触れた。


 ――カチン。


「……え?」


 拘束具が外れた。


 何した!?


 今、何した!?


「ほら、早く!」


「わ、わかったよ!」


 女性は、俺の腕を掴んだまま走り出した。


 煙の中を、迷いなく進んでいく。


「侵入者を逃がすな!」


「少年を確保しろ!」


 背後から怒号が響く。


 だが、女性は振り返らない。


 処刑場の端にある、小さな扉へ向かって一直線に走る。


「こっち!」


「ちょ、ちょっと待って!」


「何?」


「その扉、開くんですか!?」


「開かなければ、別の方法を考えるわ」


「行き当たりばったり!?」


「違う。臨機応変よ」


「同じじゃないですか!?」


 女性は、扉に手をかけた。


 ――ガチャリ。


 扉が開く。


「……開いた」


「だから言ったでしょう」


「いや、言ってないですけど!?」


 俺たちは、薄暗い通路へ飛び込んだ。


 ――バタン!


 重たい扉が閉まる。


 外の騒ぎが、少しだけ遠ざかった。


「……はぁっ……はぁっ……!」


 俺は、壁に手をついて息を整えた。


 ……もう無理。


 体力の限界。


 というか、さっきまで処刑されてた人間に全力疾走させるなよ。


「休んでいる暇はないわ」


「……鬼ですか、あんた」


「何とでも言いなさい」


 女性は、通路の奥を見つめた。


「ここから先は、古い管理通路よ。途中で分岐しているから、はぐれないで」


「……詳しいですね」


「調べたもの」


「……誰が?」


「私たちが」


 ……私たち?


 この人、一人じゃないのか?


 女性は、俺の疑問には答えず、再び歩き出した。


 俺は、慌てて後を追った。


     ◇ ◇ ◇


 薄暗い通路を抜けると、古びた倉庫のような場所に出た。


 木箱が積み上げられ、壁には使われなくなった道具が並んでいる。


「……ここは?」


「外周倉庫。ここまで来れば、ひとまず安心ね」


「……ひとまず?」


「ええ。まだ完全に逃げ切ったわけじゃないから」


 ……ですよね。


 そんな気はしてました。


 そのとき。


「――あっ!」


 突然、物陰から声がした。


「……うおっ!?」


 思わず飛び上がる。


 そこには、小柄な少女が立っていた。


 慌てた様子で、こちらへ駆け寄ってくる。


「よ、よかったぁ! 無事だったんですね!」


「……え?」


 少女は、俺を見つめた。


「この人が……?」


「ええ」


 女性が頷く。


「例の少年よ」


「……わあ」


 少女は、目を輝かせた。


「本当に、普通の人に見えますね!」


「……どういう意味ですか、それ」


「あっ! す、すみません!」


 少女は、慌てて頭を下げた。


「わ、悪気はなくて……!」


 ……何だ、この子。


 さっきまでの兵士たちとは、ずいぶん雰囲気が違う。


「……ミーヤ」


 女性が、静かに呼んだ。


「ダキは?」


「あっ、はい! もうすぐ来るはずです!」


 その直後。


「……おいおい」


 低い声が聞こえた。


 倉庫の奥から、大柄な男が現れる。


「何とか予定通りか」


「ダキさん!」


 ミーヤが、嬉しそうに駆け寄った。


「無事だったんですね!」


「当たり前だ。お前こそ、ちゃんと逃げられたんだな」


「はい!」


「……本当か?」


「本当ですってば!」


 男は、ため息をついた。


 そして、俺に視線を向ける。


「……こいつが?」


「ええ」


 女性が答える。


「ヴァン・スルト。例の少年よ」


「……ふむ」


 男は、俺をじっと見つめた。


「……確かに、普通のガキにしか見えんな」


「いや、だから!」


 思わず声を上げる。


「さっきから何なんですか! 普通で悪かったですね!」


 男は、少しだけ笑った。


「元気はあるみたいだな」


「元気じゃないです!」


 ……もう。


 この世界の人間、俺を何だと思ってるんだよ。


 女性は、そんな俺たちを見ながら、小さく息を吐いた。


「……話は後よ」


 そして、俺を見つめる。


「ヴァン・スルト」


「……はい?」


「あなたには、聞きたいことが山ほどある」


「……俺もですけど」


「そうでしょうね」


 女性は、少しだけ口元を緩めた。


「なら、利害は一致しているわ」


「……利害?」


「ええ」


 彼女は、倉庫の奥にある扉へ視線を向けた。


「私たちは、この世界の秘密を調べている」


「……秘密?」


「そう」


 女性は、静かに告げた。


「この世界には、隠されていることが多すぎるのよ」


 ……隠されていること。


 日本を知らない住民。


 ナンバーという謎の呼称。


 処刑されても生き返る俺。


 そして、あの女王ZERO。


 確かに。


 この世界は、何もかもがおかしい。


「……あんたたちは、何者なんだ?」


 俺が尋ねると、女性は一瞬だけ黙った。


 そして。


「……黒書」


 そう答えた。


「……こくしょ?」


「ええ」


 彼女は、まっすぐ俺を見つめた。


「この世界の真実を暴くために動いている組織よ」


 ……真実。


 その言葉が、妙に胸に引っかかった。


「……行くわよ」


 女性が、再び歩き出す。


「どこへ?」


「私たちの仮拠点」


「……仮拠点?」


「そこで、少し話をしましょう」


 俺は、しばらく彼女の背中を見つめていた。


 ……信用していいのか?


 正直、わからない。


 この世界に来てから、まともなことなんて一つも起きていない。


 でも。


 少なくとも、この人たちは俺を助けてくれた。


 それだけは、確かだ。


「……わかりましたよ」


 俺は、小さくため息をついた。


 そして、彼女たちの後を追った。


     ◇ ◇ ◇


 一方、その頃。


 煙が晴れた処刑場では、兵士たちが慌ただしく動き回っていた。


「少年の姿がありません!」


「侵入者も逃走した模様です!」


「追跡部隊を編成します!」


 黒い外套の男が、険しい表情でZEROに近づく。


「ZERO様! すぐに追跡を……!」


「必要ないわ」


「……は?」


 ZEROは、静かに答えた。


「彼を追わなくていい」


「し、しかし!」


「いいの」


 少女は、少年が消えた通路を見つめた。


「どうせ、あっちから来る」


「……あっちから?」


「ええ」


 ZEROは、少しだけ微笑んだ。


「あの子は、必ずここへ戻ってくるわ」


 黒い外套の男は、困惑した表情を浮かべた。


「……それにしても、何者だったのでしょうか。あの侵入者は」


「黒書よ」


「……黒書!?」


 男の顔色が変わった。


「まさか、あの反逆組織が……!」


「ええ」


 ZEROは、静かに頷いた。


「流石ね、黒書」


 その声には、わずかな感心が混じっていた。


「彼らも、ようやく気づいたみたい」


「……何に、でしょうか?」


 ZEROは答えなかった。


 ただ、遠くの空を見つめていた。


 どこまでも続く、青い空。


 その向こうにあるものを、確かめるように。


「……彼は、おそらくナンバー」


 少女は、誰に聞かせるでもなく呟いた。


「ようやく、始まるのね」


 その瞳には、先ほどまでの冷徹さはなかった。


 代わりに浮かんでいたのは。


 長い間、何かを待ち続けていた者だけが見せる、奇妙な期待だった。


「……ヴァン・スルト」


 ZEROは、少年の名を小さく口にした。


「あなたなら……」


 そこで言葉を止める。


 そして、再びいつもの無表情に戻った。


「戻るわ」


「はっ!」


 兵士たちが、一斉に頭を下げる。


 少女は、ゆっくりと歩き出した。


 その背中を、誰もが畏敬の眼差しで見送っていた。


 天空都市デースの女王。


 ZERO。


 彼女が何を考えているのか。


 何を望んでいるのか。


 それを知る者は、誰一人としていなかった。


 ただ一つ。


 確かなことがあった。


 この日。


 世界の秩序を揺るがす、小さな異変が起きた。


 そして、その異変は。


 やがて、天空都市デース全体を巻き込む、大きな波乱へと変わっていく。


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