17話:特異個体の影
装甲片の奥から、確かに聞こえた規則正しい鼓動。
――あれから、一夜が明けた。
昨夜、九条と伊佐木の手で厳重に封印された装甲片は、深夜の高速輸送便に載せられ、学園の専攻科へと送られている。
それでも、朝を迎えた今なお、あの音だけが諒輔の耳の奥にこびりついて離れなかった。
不安を振り払うように、諒輔は避難所の朝食準備へ意識を戻した。
そのとき、山道の向こうから重い駆動音が響いてくる。
前線へ向かった福島と青葉、そして鳴海純を乗せた天城重工のトランスポーターだった。
避難所前へ停車したトランスポーターから、最初に青葉が降り立った。続いて福島が大量の装備を抱え、その後ろから、傷だらけの鳴海が何食わぬ顔で地面へ飛び降りる。
「いやあ、予定より早く押し戻せましたよ。俺なら、このまま次の持ち場にも――」
「純くん。」
鳴海の足が、ぴたりと止まった。
救護所の奥から現れたのは、白い救護用コートを纏った女性だった。
ゆったりと仕立てられたはずのコートにも、女性らしい豊かな胸元の輪郭が柔らかく浮かんでいる。けれど、それ以上に目を引いたのは、負傷者の痛みまで包み込んでしまいそうな、穏やかな微笑みだった。
「お帰りなさい、純くん」
「あ、香織さん。ただいま戻りました。見ての通り元気なので、まずは報告に――」
「そうですか。」
有沢香織は穏やかに微笑んだまま、鳴海の腕を取った。
「では、治療室へ行きましょうね。」
「いや、話を聞いていました?俺は元気――って、力強っ!?」
華奢に見える腕からは想像もできない力で、香織は鳴海を救護所の奥へ引いていく。
「陽太くん、凛ちゃん。純くんを連れ帰ってくださって、ありがとうございます。」
「気にしないで、香織さん。純が勝手に死にかけただけだから。」
「死にかけてはいませんよ!」
「純くん?」
「・・・治療を受けてきます。」
声を荒らげることも、微笑みを崩すこともない。
それでも鳴海純に拒否権はなかった。
「香織お姉ちゃん・・・?」
聞き覚えのある声に、香織が振り返る。
救護室の入口には、驚きに目を見開いた真澄が立っていた。
「あら、真澄ちゃん。久しぶりね。」
「やっぱり香織お姉ちゃんだ!」
駆け寄ろうとした真澄だったが、治療台に横たわる純と、その身体の各所に残る傷へ気づいて足を止める。
「ごめんなさい。再会を喜ぶのは、この人の治療を終えてからにしましょうね。」
「うん。私も手伝う。」
真澄は迷わず香織の隣へ並び、《輝》を展開した。
香織が深い傷を塞ぎ、真澄が傷の周囲に残った痛みと熱を取り除いていく。初めて扱う患者であるにもかかわらず、真澄の光は香織の《輝》を邪魔することなく、足りない部分へ静かに寄り添っていた。
「・・・驚いたわ。」
「何か間違えちゃった?」
「いいえ。とても優しい《輝》になったのね。」
香織が微笑むと、真澄の表情が嬉しそうに綻んだ。
二人の光が静かに消える頃には、純の身体を覆っていた傷も綺麗に塞がっていた。
ちょうどそのとき、治療室の扉が開く。
「朝食、持ってきたよ。」
入ってきた諒輔は、鳴海と有沢、真澄の分を取り分けた朝食を抱えていた。
「ありがとう。初めまして、有沢香織です。真澄ちゃんとは親戚なの。」
「鶴城諒輔です。真澄には、いつも助けてもらっています。」
「あら、あなたが鶴城くんだったのね。」
有沢は納得したように頷いたが、すぐに諒輔の腕へ視線を止めた。昨日、奥宮へ向かう途中で枝に擦った傷が残っている。
「腕に怪我があるわね。少し見せてもらえる?」
有沢が手をかざすと、淡い《輝》が諒輔の傷を包み込んだ。
けれど、その光は傷へ届かず、透明な身体を通り抜けるように透過してしまう。
「・・・私の《輝》が、届かない?」
「お姉ちゃん、諒輔くんは普通の治癒術だと透過しちゃうの。」
「真澄ちゃんは治せるの?」
「うん。少しだけどね。」
真澄が諒輔の手を取り、《輝癒》を流す。今度は光が透過することなく傷口へ留まり、赤く残っていた線をゆっくりと塞いでいった。
有沢の視線が、重ねられた二人の手へ落ちる。
その穏やかな微笑みが、ほんの少しだけ深くなった。
「なるほど。この子が、真澄ちゃんの《輝》を変えた人なのね。」
「鶴城くん。真澄ちゃんのことを、よろしくお願いしますね。」
「お、お姉ちゃん!?何をお願いしてるの!?」
「もちろん、小隊のお仲間としてよ?」
「その言い方、絶対それだけじゃないよね!?」
有沢は微笑むだけだった。
諒輔と真澄が揃って赤くなるのを、治療台から起き上がった純が面白そうに眺めている。
その後、朝食と短い休息を終えた一行は、避難所の指揮テントへ移動した。
待っていた玲を前にすると、純は先ほどまでの笑みを消し、真剣な表情で口を開いた。
「玲さん。報告なんですけど・・・前線で、妙なものを目撃しました。」
「俺が目撃した異常は、三つあります。」
「一つ目。美咲さんが回収したものと同じ、黒い自己修復装甲を持つ個体を複数確認しました。」
「二つ目。その個体の多くが、闇属性のコアを持っていたことです。」
「ああ、美咲の報告と一致するな。」
伊佐木は腕を組み、純の言葉へ一層注意深く耳を傾けた。
「そして三つ目。通常の虚烈は人を殺しますが・・・黒い装甲を持つ個体は、逃げ遅れた住民を殺そうとせず、生きたまま抱えて断層奥地へ連れ去ろうとしたんです。」
伊佐木、大城、九条に有沢、それに第3小隊全員の息が止まる。
「純・・・それは何の冗談なんだ?連れ去り・・・?いったい何のために・・・」
大城が信じられないといった様子で問い返す。
「遊星さん、冗談は言っていません。この光景は陽太さんと凛さんも見ています。」
青葉が端末を操作すると、壁面のモニターに当時の映像が映し出された。黒い装甲を持つ虚烈が、暴れる住民を押さえ込み、断層の奥へ引きずっていく。
「さらに救出後、住民台帳と照合しました。連れ去られそうになった人は、全員が闇属性の適性者でした。」
「偶然じゃないのか?」
「いえ・・・奴らは明確に、闇属性の適性者だけを選別しています。映像と避難者情報を照合すると、近くにいた翠属性の適性者には目もくれていません。」
「そうか・・・報告ありがとう。この映像も専攻科へ送ってくれ。今日の夕方には、装甲片の一次解析結果が届く予定だ。」
玲は集まった面々を見渡すと、張り詰めた空気を切り替えるように手を叩いた。
「今は、それぞれ自分にできる復旧作業へ当たってくれ。」
「了解!」
13人の威勢のいい返事が、テント内に響いた。
福島を筆頭に、大城、鳴海、隆利は土嚢積み。青葉、九条、恭平、冥、飛鳥は瓦礫の撤去や倒木の切断に回った。燈と諒輔は避難所で退屈そうにしている子どもたちの相手を務め、香織と真澄は二人で負傷者の手当に当たっていた。
「この子たちが、ずっと笑っていられる世の中にしないとな・・・。」
無邪気に駆け回る子どもたちを見つめながら、諒輔は心の中で「僕たちが絶対に守り抜く」と改めて誓った。
――日が沈み、18時を過ぎた頃。伊佐木の端末に一本の通信が入った。
「やあ、れーちゃん。」
受話口から、伊佐木をあだ名で呼ぶ明るい声が響いた。
「ん?ああ、あっちゃんか。すまん、画面見ずに出たわ。」
「相変わらず、クソ真面目だねー。少しは私を見習いなさいよ。」
「あんたは、雑過ぎるのよ。それで、電話してきたってことは・・・」
「ええ、とりあえず一次解析が終了したから、その報告。」
「分かった。秘匿回線に変更して、会議モードにする。こちらから掛け直す。」
「りょうかーい。んじゃ、またあとで。」
伊佐木は、17時で作業を終えて休息に入っていた全員へ集合をかけた。
五分後、全員が指揮テントに集まった。
「集まったな。解析を頼んでいた装甲片について、一次報告が来ている。回線をつなぐ。」
壁面のモニターに一人の女性が映った。
「あー、来た来た。どうも、クロマ学園専攻科教授、平賀梓です。」
画面いっぱいに映し出されたのは、学園生なら誰もが一度は校内広報で見たことのある、悪い意味でも有名な顔だった。
虚烈研究の第一人者にして、バレットアーツ用補助具や属性結晶の基礎理論を完成させた生粋の天才発明家。その一方で、発想も行動も常識からかけ離れていることでも知られていた。
「梓!さっそくで悪いが、一次解析の報告を頼む。」
「はいはーい!玲、今日は専攻科の夏季実習も兼ねて、私の教え子に報告してもらうよ。」
「ああ、構わない。」
「はーい。じゃあ鉄馬くん、アークライトくん。一次解析結果の報告を頼むよ。」
画面が切り替わり、そこには転校時に会った二人が映し出された。
「専攻科二年、神薙鉄馬です。・・・ほな、一次解析の結果を報告します。」
「同じく専攻科二年、ロア・アークライトです。解析時間が限られとったから、確認できた事実と仮説を分けて説明します。」
鉄馬が端末を操作すると、装甲片の断面を拡大した画像が表示された。
「まずは内部構造からです。通常個体の装甲は中空のトラス状構造で、強度と軽さを両立させとる。ところが今回の装甲片は、空洞を筋繊維に似た組織が埋め尽くしとった。」
「それが、あの自己修復を可能にしているのか?」
「現時点では、その可能性が高いと見とります。従来の硬い装甲とは違って、これは生き物の肉体みたいに、変形しながら衝撃を逃がすこともできる。」
「続いて、属性と波動については、あたしから報告します。」
ロアが別の解析結果を画面へ表示する。
「連絡にあったとおり、この装甲を構成しとる属性は闇。波動振幅も闇属性に合致しとる。ただ・・・内部の組織から、それだけでは説明できへん反応が出た。」
ロアは一度言葉を切り、表示された波形を見つめた。
「アークライトくん。半日の予備解析から立てた仮説だと前置きしたうえで、報告を続けたまえ。」
「はい・・・。人間を含む哺乳類の筋繊維と酷似した構造と、個人の波動紋に似た反応を確認しました。ただ、どちらも著しく変質しとって、既存の登録情報とも一致せえへん。人間由来やとは、まだ断定できません。」
ロアの報告を受け、指揮テント内が静寂に包まれた。
諒輔の脳裏には、昨夜耳にしたあの規則正しい鼓動が蘇る。
「生体組織の正体は、現段階では推測の域を出ない。ただし、もう一つ無視できないものが見つかったよ。」
平賀教授が、純の持ち帰った戦闘映像と、新たな波形を並べて表示する。
「装甲片には、個体内部では発生し得ない一定周期の波動が残留していた。そして鳴海くんの映像を解析したところ、黒い個体の群れが一斉に動きを変える直前にも、同じ波動が記録されている。」
「外から送られた同期信号や。誰かが、あの群れへ命令を出しとると考えるのが自然やろな。」
鉄馬の低い声が、静まり返ったテントへ重く響いた。
「群れを操り、闇属性の適性者を選別して連れ去らせる知性体・・・。」
玲は映像に映る黒い群れを睨みつけた。
「捕獲と使役を担う個体。仮称、《テイム型》として警戒する。」
「正式な分類には証拠が足りないけど、その判断には私も賛成だよ。」
平賀教授の表情から、先ほどまでの軽さが消えていた。
「正体を突き止めるには、コアに近い試料が必要になる。可能なら次は、活動状態を維持した個体を捕縛してほしい。」
「分かった。解析はそのまま続けてくれ。こちらも進展があれば、随時試料と情報を送る。」
「玲、学園で待っているより、現地に解析班を出した方が早い。輸送と護衛の手配がつき次第、解析設備ごとそっちへ向かうよ。」
「分かった。到着予定が決まり次第、連絡をくれ。今回は特急対応ありがとうな。」
「気にするなよ。私たちの仲だろ。」
通信が切れると、伊佐木は全員を見据え、即座に防衛配置を命じる。
「――聞いた通りだ。敵の狙いは闇属性の適性者。九条、お前も例外じゃない。大城か私の側にいろ。」
「・・・了解です。」
「そして影山、お前は鶴城か陣内の側から絶対に離れるな。鶴城、陣内、影山を頼むぞ。」
三人はそろって頷いた。冥は緊張に表情を強張らせ、隆利は任せろと胸を叩き、諒輔は真っ直ぐに背筋を正す。
――解散後。諒輔がテントの外で夜風を浴びていると、隣で光の粒子がふわりと舞い、トランゼが静かに姿を現した。
『――諒輔よ。大地の底を伝って、酷く歪んだ気配が近づいておるぞ。』
「トランゼ・・・?」
『敵は、獲物を狩る機をうかがっておる。・・・夜の闇に呑まれぬよう、魂の芯を研ぎ澄ませておくのじゃな。』
トランゼの言葉に、諒輔は息を呑み、夜の山並み――その地下に広がる、光の届かない闇を見据えた。
お読みいただきありがとうございます!
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