第9話「文明の始祖」
「以後、私のことはリベールとお呼びください」
ホログラムの男――リベール・イワンコンは、胸へ手を当てて静かに頭を下げた。
その物腰は、異星人とは思えないほど穏やかだった。
だが、次に語られた言葉は、司を驚かせた。
「失礼ながら、お二人がこのデッキへ入られる直前に、全身を走査させていただきました」
「全身を?」
「規則により、部外者をブリッジへ入れる際には、安全確認のための完全走査を実施することになっています」
司は自分の身体を確認した。
強化装甲にも電脳にも、警告は一度も表示されていない。
「何も感じなかったぞ」
《私も走査の実行を検知していません》
AIが電脳内部の記録を確認する。
しばらくして、その声に珍しく動揺が混じった。
《……異常を確認》
《保護されたメモリーブロックに、わずかな参照痕跡が残されています》
「メモリーまで読まれたのか?」
《外部からアクセスされた可能性があります》
《しかし、接続経路、使用周波数、侵入手段のいずれも確認できません》
リベールは申し訳なさそうに頭を下げた。
「皆様の文明水準では、我々の走査技術を検知することは難しいでしょう」
「いったい、どんな方法を使った?」
「物質が持つ虚数域の状態を観測しました。実数世界へほとんど干渉しないため、通常のセンサーでは検出できません」
司はしばらく黙った。
「意味が分かるか?」
《……あまりにも文明水準が違いすぎる、ということだけは理解できます》
リベールは穏やかな表情を崩さない。
「危険物や敵対意思の有無を確認するための走査です。記憶の深層や個人的な体験までは参照しておりません」
「メモリーへ勝手に入っておいて、プライバシーには配慮したと?」
「不快に思われたのであれば、お詫びいたします」
あまりにも素直に謝罪され、司はそれ以上責める気になれなかった。
「まあいい。こちらも許可なく船へ入ったからな」
◇
「眠っていたところを起こしてしまって、すまなかった」
司はライフルを背中へ回した。
「実は、俺たちには事情がある」
司は、自分の置かれている状況を最初から説明した。
地球という惑星。
大東亜連合国に所属する軍人であること。
NAUのパールハーバー宇宙基地から、合同軍事演習を終えて沖縄基地へ戻る途中だったこと。
ハイパーオスプレイVが、正体不明の重力異常に巻き込まれたこと。
意識を失い、目を覚ますと、この惑星の森に一人で横たわっていたこと。
輸送機も、同乗していた兵士たちも見つかっていないこと。
そして、地球へ帰る方法を探していること。
リベールは途中で口を挟まず、司の話へ静かに耳を傾けていた。
エルザも、自分たちが出会った経緯や、この世界で司が行ってきたことを補足した。
すべてを聞き終えると、リベールはゆっくりとうなずいた。
「よく分かりました。想像していた以上に、ご苦労をなさったようですね」
「何か心当たりはあるか?」
「その前に、我々の規則について説明しなければなりません」
リベールの背後に、銀河を模した立体映像が現れた。
「我々には、恒星間文明へ到達していない種族へ、こちらから積極的に接触してはならないという規則があります」
「文明への干渉を避けるためか」
「そのとおりです。未発達の文明へ高度な技術や知識を与えれば、その社会が本来進むはずだった歴史を破壊する可能性があります」
エルザは少し不安そうに司を見る。
「では、私たちとは話せないの?」
「規則が禁じているのは、我々の側から自発的に接触することです」
リベールは微笑んだ。
「今回のように、相手側が自ら船を発見し、自ら扉を開き、ここまで到達した場合には、遭難者への対応を含む特例が適用されます」
「俺たちは、その特例に該当するわけか」
「はい。ただし、無制限に技術を提供することはできません」
リベールの前に、この惑星の立体映像が浮かび上がった。
大陸。
海洋。
山脈。
地下構造。
そして各地に点在する複数の光点。
「私からお渡しできるのは、この惑星の大まかな地図と、我々が確認した遺跡の位置情報です」
《情報の受信準備を開始》
AIが即座に応答する。
「星図はどうだ?」
「お渡しすることはできます。しかし、おそらく役には立ちません」
《同意します》
「そうなのか?」
《地球の天文学では、銀河内の位置を独自の座標系で表現しています》
《この船が使用する座標系と共通する基準天体を特定できなければ、両者を正確に対応させられません》
《さらに、この船の星図は三万年以上前の状態を基準にしています》
「地球人自身、異星文明へ通用する形で地球の絶対位置を把握しているわけではない、ということか」
《はい。太陽が星図へ登録されていなければ、膨大な恒星の中から特定することは困難です》
地球への直接的な道筋は、まだ見つからない。
それでも惑星地図と遺跡の位置は、今後の調査に大きく役立つ。
《惑星地図および遺跡座標の受信を開始》
司の電脳へ、未知の世界の輪郭が流れ込んできた。
◇
「この船が、この惑星へ墜落したのはいつなんだ?」
司の質問に、リベールは少し間を置いて答えた。
「およそ三万八千年前です」
「三万八千年……」
エルザが目を見開く。
エルフの長い寿命で考えても、途方もない年月だった。
「そんな昔から、この船は動き続けていたのか」
「ほとんどの機能を停止させ、必要最低限の状態で眠っていました」
リベールの背後に、ベリシーア号が宇宙を航行する映像が現れた。
「我々は、考古学者、文明学者、生物学者を中心とした調査団でした」
「何を調査していた?」
「我々が『文明の始祖』と呼ぶ存在です」
映像が切り替わる。
そこには、銀河の各地へ光の網を広げる正体不明の文明が映し出されていた。
「文明の始祖は、この銀河で最初に高度文明へ到達した種族と考えられています」
「どれほど進んだ文明だったんだ?」
「我々にも理解できない技術を持っていました。生命の設計、惑星環境の改変、重力制御、空間の接続――我々から見ても、神と呼ぶほうが近い存在です」
「その文明と、この星に関係があるのか?」
「この惑星は、文明の始祖、またはそれに関係する種族が造った生物実験場である可能性が高いのです」
惑星そのものは自然に生まれた。
だが、大気、海洋、生態系、そこに住む多様な知的生命は、意図的に調整された形跡があるという。
「人工生命体を育成し、進化を観察するための培養惑星です」
エルザは言葉を失っていた。
自分たちが神々の造った世界に住んでいるという伝承はあった。
だが、それを異星文明の調査船から聞かされるとは思っていなかった。
「この星を制御している装置は、現在も残っています」
リベールが手を動かすと、惑星を周回する三つの月が表示された。
最も大きな月。
中ほどの月。
そして、最も小さな月。
「これだな」
司は三つ目の月を指さした。
「はい。一番小さな月は自然衛星ではありません。惑星環境を観測、制御するために建造された人工天体です」
司がこの惑星へ漂着した最初の夜、自然物とは思えない表面構造を確認した月だった。
「現在も動いているのか?」
「限定的には稼働しています。しかし、管理者はすでに存在しません」
リベールたちが調査した時点で、実験場は何らかの理由により放棄されていた。
管理者のいない制御装置だけが、数万年以上にわたって惑星を監視し続けている。
「現在のこの惑星は、事実上の無法地帯です」
◇
「俺が地球から連れてこられたことと、その文明は関係しているのか?」
「可能性は高いと考えます」
リベールは銀河へ張り巡らされた光の網を示した。
「文明の始祖は、ゲートシステムを利用していました」
「ゲート?」
「離れた二つの空間を直接接続し、距離を移動することなく目的地へ到達する技術です」
「ワープとは違うのか?」
「我々のワープ技術は、空間を変形させて航行時間を短縮します。それでも移動には時間が必要です」
光の網に、無数の門が現れる。
「彼らのゲートは、二地点を一つの場所として接続します。数万光年離れていても、正常に機能すれば瞬時に移動できます」
「神をも超える技術、か」
「我々には、その原理さえ完全には理解できませんでした」
文明の始祖が残したゲートの一部は、現在も銀河各地に存在している。
大半は機能を停止しているが、完全に破壊されたわけではない。
「古代ゲートの残骸が何らかの原因で誤作動し、一時的に地球とこの惑星を接続したのかもしれません」
「その中へ、俺たちの輸送機が入った」
「おそらくは」
確証はない。
しかし、司が体験した重力異常と瞬間的な移動を説明できる仮説だった。
《帰還経路候補として、古代ゲートシステムを登録》
「つまり、そのゲートを見つけて再起動できれば……」
《地球へ帰還できる可能性があります》
これまで、司が地球へ帰れる可能性は限りなくゼロに近かった。
だが今、その暗闇の中に初めて一本の道が現れた。
それがどれほど細く、危険な道であったとしても。
――第九話・終




