第8話「ベリシーア号」
司はライフルを構え、開かれたハッチの境界を越えた。
船内へ右足を着いた、その瞬間だった。
身体が真横へ引かれた。
「なっ――!」
強化装甲の姿勢制御が作動するより早く、司は九十度横向きに倒れた。
ドガン!
黒い装甲が、船内の床へ激突する。
「何がどうなってるんだ!?」
司は倒れたまま、開いたハッチの外を見た。
先ほどまで足元にあった仮設足場が、今は壁に張り付いているように見える。
外の森も、空も、すべてが横倒しになっていた。
そこで司は、何が起きたのか理解した。
この宇宙船は、船首から惑星の地中へ突き刺さっている。
自然重力だけなら、身体は惑星の中心――船首方向へ引かれるはずだった。
だが、船内では重力が船首ではなく、艦内の床へ向かって作用している。
船体がどのような姿勢であろうと、艦内で定められた「下」が維持されているのだ。
「きゃっ!」
後ろから入ってきたエルザも、突然変化した重力方向に対応できなかった。
ドカッ!
「ぐおっ!」
倒れていた司の顔面――正確にはヘルメットの前面へ、エルザの尻が乗った。
「ご、ごめん!」
エルザが慌てて立ち上がろうとする。
しかし外の景色が真横に見えるため、手足をどちらへ動かせばよいのか分からない。
「落ち着け。今立っている場所が床だ」
「でも、外が横向きになってる!」
「後ろの景色を見るな。前だけ見ていれば問題ない」
司は床へ手をつき、ゆっくり起き上がった。
《人工重力場を検出》
《惑星重力の船首方向成分を相殺し、船内の床へ一定の重力を発生させています》
《重力方向は、船体の姿勢に依存していません》
「相当に高度な技術だな」
《地球でも人工重力に関する複数の理論は提示されています》
《しかし、この方式の重力制御技術は実用化されていません》
司は外の景色と船内の床を見比べた。
「やはり宇宙船だったようだな」
声がわずかに弾んでいた。
危険な未知の船内であることは理解している。
それでも、人類がまだ実現できていない技術を目の当たりにし、軍人である以前に技術者としての好奇心が抑えられなかった。
「なになに? ツカサは何が分かったの?」
エルザはまだ方向感覚をつかめず、壁へ手をついている。
「この船の中では、床が常に下になるように重力を作っているらしい」
「床が下なのは普通じゃないの?」
「船そのものは、地面へほぼ垂直に突き刺さっているんだ」
「やっぱり、よく分からない」
「外を見なければ、そのうち慣れる」
◇
二人は周囲を慎重に観察した。
ハッチから続く通路は、高さ二・五メートルほど。
幅は二人が並んで歩ける程度だった。
壁面は白に近い淡い灰色で、継ぎ目がほとんどない。
床にはわずかな凹凸があり、滑りにくい構造になっている。
扉、操作盤、手すり。
どれも地球人が使う物より少し低い位置に設置されていた。
《艦内設備の寸法を分析》
《この船を運用していた生物は、二足歩行型である可能性が高いと推定》
《通路、扉、コンソールの位置から、平均身長は百五十から百六十センチメートル》
《平均的な地球人より、やや小柄です》
「少なくとも、体の大きさは俺たちに近いようだな」
エルザが扉の横にある手すりへ触れた。
「私には、ちょうどいい高さだよ」
「確かに、エルザぐらいの身長を基準に造られているのかもしれない」
二人が十メートルほど進むと、再び分厚い扉が現れた。
外部ハッチと船内を隔てる、気密用の内扉らしい。
横には、先ほどと同じ形式のコンソールがある。
《非常開錠用コードを送信します》
コンソールの記号が青く点灯した。
プシュッ。
圧力を調整する短い音が響く。
続いて固定装置が外れ、分厚い扉が左右へ開いた。
◇
扉の向こうには、大きく開けた空間が広がっていた。
中央に、巨大な円筒形の機関が横たわっている。
直径は十メートルを超え、複数の配管や装置が周囲へ接続されていた。
表面の一部が淡く脈動するように光っている。
《大型動力装置と推定》
《微弱ながら、現在もエネルギーを出力しています》
「これが動力炉か」
船内は明るくない。
だが、天井と床に埋め込まれた照明が点灯し、室内全体を確認するには十分だった。
生き物の姿はない。
白骨も、遺体も、放置された荷物もなかった。
長い間、誰も使用していないはずなのに、床には埃一つ見当たらない。
壁や機関にも腐食はなく、つい最近まで整備されていたように見える。
「眠っていたところを、俺たちが起こしたみたいだな」
《自動保守機能の一部が稼働している可能性があります》
《現時点で、侵入者を排除しようとする動きは確認できません》
「現時点では、か」
《安全を断定できる情報が不足しています》
エルザは巨大な円筒形機関を見上げた。
「よく分からないけど……すごいね」
そして、隣に立つ司を見る。
「ツカサは平然としてるけど、こういう物を見慣れてるの?」
「軍に所属していれば、いろいろな機械や兵器を見る機会はあるからな」
司は動力炉へ視線を戻した。
「だが、異星人の宇宙船は初めてだ」
《最も近い経験は、スペースコロニーにおける宇宙輸送船のメンテナンス任務です》
「あれは人間が造った船だ。これは根本から違う」
《大気成分の詳細分析が完了しました》
《酸素、窒素、二酸化炭素の比率は、呼吸に適した範囲です》
《有害な微粒子、毒性ガス、危険な微生物は検出されていません》
《外気よりも清浄です》
「船内の空気清浄機も動いているのか」
《その可能性が高いと判断します》
司はエルザへ向き直った。
「マスクを外しても大丈夫そうだ」
エルザは防護マスクを外し、慎重に空気を吸った。
「少し冷たい。でも、森の空気と変わらない匂い」
「むしろ、この船内のほうがきれいらしい」
◇
動力区画を抜け、さらに通路を進む。
壁の一部に、これまでより大型のコンソールが設置されていた。
複数の記号と、船体の断面図らしき映像が表示されている。
司は足を止めた。
「有益な情報がないか確認したい」
《情報参照用コンソールと推定します》
「お前なら検索できるんじゃないか?」
司は表示を観察した。
「できればブリッジへ行きたい。普通、こういう船では航行記録や重要情報がブリッジへ集約されている」
《可能です》
「本当か?」
《外部コンソールのプロトコル解析中に、この船で使用されている基本言語とシステム構造を解析しました》
《完全ではありませんが、一部の命令体系を把握しています》
《このコンソールを経由すれば、艦内マップと各デッキの状態を取得できます》
《ブリッジまでの最短経路も算出可能です》
司は感心したようにうなずいた。
「やるじゃないか。初めてお前が優秀に見えるぞ」
《私は大東亜連合国が誇る最新型脳内AIです》
《私の演算能力、推論能力、電子戦能力は、従来型支援AIと比較して――》
「自慢はいいから、早く案内してくれ」
一秒ほど沈黙する。
《……了解しました》
司は解析プラグをコンソールの端子へ接続した。
隔離装置を通じてAIが艦内システムへ接触する。
壁面に表示されていた記号が切り替わり、船全体の立体構造が映し出された。
《艦内マップを取得》
《現在位置、船尾側補助動力区画》
《ブリッジまでの最短経路を表示します》
司の視界に、青い案内線が現れた。
◇
AIの案内に従い、司とエルザは艦内を移動した。
通路はどこまでも白く、清潔だった。
等間隔に扉が並び、天井には淡い照明が続いている。
損傷も汚れもない。
それがかえって、人の気配が完全に消えた船内を不気味に感じさせた。
「ビジネスホテルの廊下みたいだな」
《単調な意匠で、区画同士の見分けがつきにくい構造です》
「船員は迷わなかったのか?」
《視覚以外の案内情報を利用していた可能性があります》
エルザは先ほどから何度も後ろを振り返っていた。
扉。
天井。
壁の小さな窪み。
何かを探すように、落ち着きなく周囲を見回している。
「どうした?」
「誰かに見られているような気がする」
「監視装置は動いているだろうな」
司は天井の一部へ視線を向けた。
電子眼には、複数の微弱な信号源が表示されている。
地球の監視カメラとは形が違うが、船内を観測するセンサーと考えてよい。
「俺たちが入ってきたことは、とっくに知られているはずだ」
「誰かいるの?」
「生体反応はない。だが、船のコンピューターが見ている可能性はある」
《第六感的な感覚でしょうか》
《私には、その感覚を理解できません》
「お前には身体がないからな」
《司の感覚器官を通じた情報は取得しています》
「そういう意味じゃない」
《次の三叉路を左へ進んでください》
AIは司の説明を待たず、案内を再開した。
◇
三叉路を左へ曲がると、通路の突き当たりに銀白色の扉があった。
《艦内リフトです》
「操作できるのか?」
《可能です》
《扉横のプレートへ手を当ててください》
司は、淡く光る楕円形のプレートへ右手を置いた。
《私が発音情報を送ります》
《表示された命令を、そのまま発声してください》
司の脳内で、同時翻訳機能が作動した。
未知の言語の発音と意味が、同時に意識へ流れ込む。
司の口が自然に動いた。
「最短経路で、ブリッジへ移動せよ」
口から出たのは、日本語でもエルフ語でもない。
複数の音程と短い電子音を組み合わせた、奇妙な言語だった。
扉が開く。
二人が内部へ入ると、音もなく閉じた。
ガゴン。
リフトが動いた。
そう感じた次の瞬間には、再び扉が開いていた。
加速も振動も、ほとんど感じない。
「もう着いたのか?」
《目的地へ到着しました》
エルザが戸惑いながら外をのぞく。
「本当に動いたの?」
「俺にも、ほとんど分からなかった」
◇
プシュッ。
扉が完全に開く。
その向こうに、広大なブリッジが広がっていた。
階段状に配置された操作席。
壁全体を覆う大型表示装置。
中央部には船長席と思われる座席があり、その前には円形の空間が設けられている。
前方には巨大な窓、あるいは外部映像を投影するスクリーンがあった。
現在は暗く、何も映っていない。
司は思わず足を止めた。
「昔、旧世紀の映像ライブラリで『スター・トレック』という作品を見たことがある」
《地球の宇宙艦隊を題材とした映像作品ですね》
「そこに出てきた宇宙船のブリッジみたいだ」
《その例えは的確です》
ブリッジも、ほかの区画と同様にきれいだった。
争った痕跡はない。
破壊された機器も、武器を使った形跡もない。
乗員だけが、ある日突然いなくなったかのようだった。
司が中央へ進む。
その瞬間、ブリッジの照明が一段階明るくなった。
円形の空間へ光が集まる。
無数の粒子が人の形を作り始めた。
「何か出るぞ」
司がライフルへ手をかける。
エルザも盾を構えた。
立体映像が完成する。
そこに現れたのは、人間によく似た生物だった。
身長は約百六十センチメートル。
二本の腕と二本の脚を持ち、直立している。
顔には二つの目、鼻、口がある。
だが、頭部は人間よりも長い。
後頭部がカシューナッツのように後方へ弧を描き、髪は一本もない。額の中央は、緩やかに盛り上がっていた。
体形と顔つきから、おそらく男性と思われる。
ダークグレーのユニフォームをまとい、両手を身体の前で組んでいる。
ホログラムの男は、司たちを見た。
そして口を開く。
「――――――――」
電子音と声が複雑に重なった、まったく意味の分からない言葉だった。
司の翻訳機能にも、意味は表示されない。
だが、脳内AIは意外な反応を示した。
《素晴らしい……》
「おい。感心してないで状況を説明しろ!」
《申し訳ありません》
《彼の音声には、会話だけでなく、圧縮された言語情報が重ねられていました》
「言語情報?」
《はい。発音、文法、語彙、意味体系を含む翻訳ライブラリです》
《隔離領域で危険性を検査し、実行コードを含まないことを確認しました》
《言語データを同時翻訳システムへ統合します》
「音声で翻訳機能をインストールしてきたのか?」
《その表現で、おおむね正しいです》
《少なくとも、現在までに敵対的な挙動は確認されていません》
《通信内容も、友好的な初回接触手順と判断できます》
AIによる更新が完了する。
先ほどまで意味不明だった音声が、言葉として司の意識へ流れ込んできた。
《同時翻訳システムを更新》
《これより通常会話が可能です》
AIは司の強化装甲に備えられた外部スピーカーを使い、エルザにも分かるようエルフ語の翻訳音声を出力した。
ホログラムの男が、改めて二人へ語りかける。
「ようこそ、惑星調査船ベリシーア号へ」
穏やかな男性の声だった。
「私は、かつてこの船の艦長を務めていたリベール・イワンコンの意識データです」
男は片手を胸へ当て、わずかに頭を下げた。
「以後、私のことはリベールとお呼びください」
長い年月、地中で眠り続けていた異星の宇宙船。
そのブリッジで司とエルザを待っていたのは、生身の乗員ではなく、かつての艦長から作られた意識だった。
――第八話・終




