第5話 始まりのルミエールへ
司がエルフたちと接触してから、六日が過ぎた。
当初は黒い鎧の異邦人を恐れていた住民たちも、今では司を見かけると挨拶するようになっていた。
ワイバーンに襲われた負傷者たちは順調に回復している。
腹部を深く切り裂かれていた男も、まだ激しい運動はできないものの、自分の足で歩けるまでになった。
司は治療を続けながら、薬草の名称、食事、道具、家族、仕事など、さまざまな場面で会話を収集した。
脳内AIが構築した言語ライブラリは、日常会話で困らない水準に達している。
聞こえてくるエルフの言葉は、ほとんど日本語と変わらない感覚で理解できた。
異星へ漂着して二十一日目。
司は、一度自分の拠点へ戻ることを決めた。
無人の拠点には武器や観測記録が残されている。警戒装置は動いているが、いつまでも放置するわけにはいかない。
集落中央の広場で、司はエルザたちへ説明した。
「川の近くに、俺が造った拠点がある。装備を回収して、一度ここへ戻るつもりだ」
「一人で行くの?」
「ああ。俺が来た道を戻るだけだ」
エルザは少し考えた後、当然のことのように言った。
「私も行く」
「危険かもしれないぞ」
「この森は私たちの森。ツカサより、私のほうが道を知ってる」
言葉に詰まった司へ、AIが冷静に補足する。
《現地案内人の同行には合理性があります》
「お前はエルザの味方か?」
《任務成功率を優先しています》
エルザは、司とAIの会話までは聞こえない。
司が黙り込んだのを、断られるかもしれないと受け取ったらしい。
「邪魔はしない。自分の食料も持つ。戦うこともできる」
背中のボーガンと左腕の亀甲盾を示す。
腰には二本の短剣がある。
ワイバーンとの戦いで、彼女の実力はすでに確認していた。
「分かった。ただし、危険を感じたら俺の指示に従ってくれ」
「ツカサも、森では私の指示に従う」
「条件を付け返すのか」
「案内するのは私だから」
エルザは笑った。
司も苦笑しながら、右手を差し出した。
「交渉成立だ」
エルザは意味を理解すると、司の手を握り返した。
◇
二人は午前中に集落を出発した。
住民たちは、照り焼きにしたワイバーンの干し肉、木の実、果実を持たせてくれた。
地ビールの入った小樽も勧められたが、司は丁重に断った。
《適切な判断です》
「うるさい」
前を歩いていたエルザが振り返る。
「何か言った?」
「いや、何でもない」
二人は、ワイバーンに襲われた精錬所予定地を経由して進んだ。
焼けた野営地には、戦闘の跡が残っていた。
地面には黒く焦げた線が走り、折れた矢や鱗が散らばっている。
司は、火災跡と製鉄炉の残骸を見回した。
「あそこは集落を造っていたわけじゃなかったのか?」
「違う。鉄を作る場所を造るための、最初の拠点」
「何人いた?」
「私を入れて八人。川の周りを調べて、炉を造る準備をしていた」
エルザは近くを流れる川を指さした。
「この川では、とても良い砂鉄が取れる。少ない火と炭でも、硬い鉄を作れる」
司の電子眼が河原を走査する。
《河床に鉄を多く含む鉱物を確認》
《原始的な精錬技術でも利用可能と推定》
「だから、こんな危険な場所に精錬所を造ろうとしたのか」
「鉄は必要。剣にも、矢にも、斧にも使う」
「ワイバーンは、炉の煙に引き寄せられたんだな」
エルザがうなずいた。
「ワイバーンは煙を覚えている」
「煙を?」
「森で長く煙が出ている場所には、人や家畜がいる。人がいれば食べ物もある。だから煙を見つけると、確かめに来る」
司が最初に考えていた原因とは違う。
「AI。聞いたな?」
《記録しました》
《煙に含まれる物質が神経系を刺激したという初期仮説の優先度を低下》
《煙と食料を関連付けた学習行動を、主要仮説として採用します》
「ワイバーンにも、それなりの知能があるということか」
《少なくとも条件学習能力を有すると推定します》
エルザは、焼けた空を見上げた。
「普通は二頭か三頭で行動する。七頭も一緒に来ることは少ない」
「今回は、ずいぶん運が悪かったんだな」
「でも、ツカサが来た。だから運が良かった」
エルザは平然と言った。
司は返事をせず、焦げた地面から視線をそらした。
◇
森を進みながら、司は集落について尋ねた。
「俺が六日間いた場所は、何という集落なんだ?」
「三番目のルミエール」
「それが正式な名前なのか?」
「そう。三番目に造られたから、三番目のルミエール」
「住民は何人ぐらいいる?」
「今は二百人ぐらい。一番小さなルミエール」
「ほかにもあるのか?」
「ルミエールは四つある」
エルザは指を一本ずつ立てながら説明した。
「始まりのルミエール。二番目のルミエール。三番目のルミエール。四番目のルミエール」
「始まりのルミエールが最初の集落で、首都ということか」
「そう。王と、士族の多くが住んでる。一番古くて、一番大きい」
四つの集落を合わせて、一つのルミエール領を形成している。
三番目のルミエールは、その中でも最も新しく、人口の少ない開拓集落だった。
「ルミエール以外にも、エルフの国があるのか?」
「あるよ」
エルザは森の奥を指さした。
「グラミエール士族。バリストエール士族。モルドエール士族。それから、私たちルミエール士族」
「四つの士族か」
「もっと遠くには、別の士族もいるかもしれない。でも、この魔境の森で私たちが知っている大きな士族は四つ」
四つの士族は、広大な魔境の森に点在し、それぞれ異なる地域を統治している。
司たちが現在いる一帯は、ルミエール士族の領地だった。
「どの名前にも『エール』が付いているな」
「エールは、昔の神の言葉」
「神の言葉?」
「旧神大語で、『完成された者』という意味」
《語源情報を登録》
《“エール”――完成された者》
司は四つの士族名を記録した。
グラミエール。
バリストエール。
モルドエール。
そして、ルミエール。
単なる家名ではなく、それぞれの土地と住民を束ねる支配士族の名称でもある。
「エルザも、ルミエール士族なのか?」
「うん」
「士族の中で、どういう立場なんだ?」
エルザは何でもないことのように答えた。
「王の十三番目の子」
司は足を止めた。
「王の子?」
「そう」
「それなら、君は王女じゃないか」
「十三番目だけどね」
エルザにとっては、それほど重要なことではないらしい。
「王の子が、八人だけで危険な森に精錬所を造りに行くのか?」
「十三番目まで、みんな宮殿で何もしないで暮らしていたら、国が困る」
「それはそうかもしれないが……」
「私は戦える。森も歩ける。だから仕事をする」
王位に近い立場ではないため、他国の王女のような特別扱いはされていないという。
それでも、国王の実の娘であることに変わりはない。
《接触対象エルザの情報を更新》
《ルミエール士族・王位継承者候補》
「候補といっても十三番目だぞ」
《王位継承制度の詳細が不明なため、候補から除外できません》
「相変わらず細かいな」
「誰と話してるの?」
エルザが不思議そうに尋ねる。
「俺の頭の中にいるAIだ」
「アイ?」
「その説明は、少し長くなる」
◇
昼過ぎ、二人は川辺で休憩を取った。
エルザは木の根元へ座り、司から渡された水筒を受け取った。
「ツカサは、どこから来たの?」
言葉を交わせるようになってから、いつか聞かれると分かっていた質問だった。
司は空を見上げた。
昼間の空には、一番大きな月が薄く見えている。
「地球という星だ」
「チキュウ?」
「ここではない、別の星だ。俺の故郷の空には、月が一つしかない」
エルザも空を見上げた。
「月が一つしかないの?」
「ああ。少なくとも、俺がいた地球にはな」
司は、自分の世界について話した。
地球。
大東亜連合国。
日本という国。
神戸という故郷。
大東亜連合国とNAUが同盟を結び、パールハーバー宇宙基地で合同軍事演習を行っていたこと。
演習を終えて、ハイパーオスプレイVで沖縄基地へ戻る途中だったこと。
「俺は大東亜連合国軍の兵士だ」
「兵士……私たちの戦士と同じ?」
「似ている。国を守るために戦う」
「ツカサの国にもワイバーンがいるの?」
「いない。俺の世界で戦う相手は、ほとんど同じ人間だ」
エルザの表情が曇る。
「同じ種族同士で戦うの?」
「それが、俺たちの世界だ」
司は詳しい戦争の歴史までは説明しなかった。
都市を焼いた核兵器。
滅びた国家。
廃墟となった東京。
この世界をほとんど知らないエルザへ、最初からすべてを話す必要はないと思った。
「輸送機が突然、激しい乱気流に巻き込まれた。気を失って、目を覚ましたらこの森にいた」
「仲間は?」
「見つかっていない。輸送機の残骸もない」
「自分でここへ来たんじゃないの?」
「違う。来るつもりはなかった」
司は水筒を受け取り、ふたを閉めた。
「帰還方法を探している。だが、今のところ手掛かりはない」
エルザはしばらく黙っていた。
「始まりのルミエールへ行ってみる?」
「首都へ?」
「王なら、何か知っているかもしれない」
始まりのルミエールには、士族が集めた古い記録が保管されている。
森の遺跡、空から落ちてきた物、旧神大語で記された伝承。
国王は、それらに詳しい者たちを束ねる立場でもあるという。
「国王に簡単に会えるのか?」
エルザは自分を指さした。
「私は王の十三番目の子」
「そうだったな」
「私が連れていけば会えると思う」
《国王および古代記録への接触は、帰還経路探索に有効と判断します》
司も同じ結論だった。
「まず俺の拠点へ戻る。装備と観測記録を回収する」
「その後は?」
「始まりのルミエールへ向かう」
エルザが笑顔を見せた。
「決まりだね」
◇
夕方前、二人は司の拠点へ到着した。
森の中に隠された警戒装置が、接近する二つの熱源を捉える。
《識別対象、斎藤司》
《同行者、エルザ・モネ・ルミエール》
《警戒状態を解除》
岩壁の陰から照明が点灯した。
エルザが驚き、素早く盾へ手を伸ばす。
「大丈夫だ。俺の拠点だ」
岩棚には、住居、貯水槽、保冷庫、作業台、素材処理装置、武器棚が整然と配置されていた。
電気の照明。
火を使わず冷たさを保つ箱。
触れるだけで開閉する扉。
侵入者を自動的に検出する警戒装置。
エルザは、目に入るものすべてを確かめるように歩き回った。
「これを全部、一人で造ったの?」
「レプリケータが部品を作った。組み立てたのは俺だ」
「町の職人が全員集まっても、こんな物は造れない」
「俺の世界では、もっと大きな物を造る」
エルザは、しばらく司を見つめた。
「やっぱりツカサは超人だね」
「その評価は、もう十分聞いた」
《複数の意味で定着した呼称と推定します》
「お前は余計なことを言うな」
◇
司は、その日のうちに拠点の撤収を始めた。
地図と観測記録を電脳へ複製する。
武器と弾薬を点検し、必要な物だけを携行装備へ移す。
レーザースキャナ、照明、保冷庫、作業台を順番に分解する。
使用しない部品はレプリケータへ戻し、再利用可能な素材へ変換した。
エルザは、拠点が少しずつ消えていく様子を不思議そうに見ていた。
「壊してしまうの?」
「壊しているんじゃない。材料へ戻している」
「もう、ここには戻らない?」
「必要なら別の場所に造り直せる。それに、帰る方法を探すなら、ここに留まり続けるわけにはいかない」
最後にテントと警戒装置を回収する。
二週間をかけて造った拠点は、数時間で元の岩棚へ戻った。
そこに人工物があったことを示す痕跡は、ほとんど残っていない。
《拠点撤収完了》
《任務方針を更新します》
司の視界へ、新たな目的地が表示された。
《最終目的――地球への帰還》
《中間目標――ルミエール国王との接触》
《目的地――始まりのルミエール》
司は携帯型レプリケータを背負い、ライフルを装着した。
エルザもボーガンと盾を確かめる。
「始まりのルミエールまで、私が案内する」
「頼む、王女様」
「エルザでいい」
二人は並んで森へ足を踏み入れた。
司が一人で生き延びるために造った拠点は、もう存在しない。
これから向かうのは、この星で初めて訪れる国の中心。
そして、帰還への手掛かりが眠っているかもしれない場所だった。
――第五話・終




