第6話 二人旅
拠点の撤収を終えた司とエルザは、始まりのルミエールへ直接向かわず、いったん三番目のルミエールへ戻った。
司には、出発前に済ませておきたいことがあった。
治療を続けていた負傷者の最終確認と、医薬品の補充である。
ワイバーンに襲われた者たちの傷は、順調に回復していた。
腹部を深く裂かれた男も、杖を使えば集落内を歩けるようになっている。
「化膿はしていない。熱も正常だ」
司は傷口を確認し、新しい包帯へ交換した。
《組織の再生状態は良好》
《あと十日程度、激しい運動を避けることを推奨します》
司はAIの診断を現地語へ直し、集落の治療師へ伝えた。
その後、携帯型レプリケータを使い、エルフの身体に適合する医薬品を多めに生成した。
消毒薬。
止血剤。
抗菌薬。
解熱鎮痛剤。
傷口を保護する包帯と医療用被膜。
薬には用途と使用量を示す札を付け、文字が読めない者にも分かるよう簡単な絵を加えた。
「傷が深いときは、無理に薬だけで治そうとしないでくれ。傷口に異物が残っていないか、必ず確認するんだ」
治療師は真剣な表情で説明を聞き、何度も同じ質問を繰り返した。
司は面倒がらず、一つずつ答えた。
集落へ残す医薬品としては、かなりの量になった。
だが、司は生成素材を出し渋らなかった。
自分が戻るまでに、また誰かが魔獣に襲われる可能性がある。
レプリケータを持たない彼らにとって、今渡しておく医薬品が命を左右するかもしれない。
◇
出発の準備を進めながら、司は始まりのルミエールまでの道程を詳しく確認した。
「ここから首都まで、どれぐらいかかる?」
「十四日ぐらい」
エルザは簡単に答えた。
「二週間か。思ったより遠いな」
「雨が多いと、もっとかかるよ」
始まりのルミエールへ続く整備された街道はない。
森の中には、エルフたちが代々利用している細い道があるだけだった。
大木と密生した植物を避け、川原や谷沿いを歩く。川が増水すれば迂回し、崖や深い沼があれば別の経路を探す必要がある。
司はエルザの歩行速度と一日の活動時間、地形による迂回を計算した。
《推定経路長、二百五十から二百八十キロメートル》
《直線距離は、これより短いと推定》
「やはり、まあまあの距離だな」
「ツカサなら、もっと早く歩ける?」
「俺一人ならな。でも、今回は急ぐ旅じゃない。エルザの速度に合わせる」
「私も遅くないよ」
エルザは少し不満そうに言った。
「知っている。普通の人間より、ずっと速い」
「それならいい」
二人は食料、水筒、雨具、野営用の装備を確認した。
司の携帯型レプリケータがあれば、必要な道具の大半は移動先でも生成できる。
それでも故障や不測の事態に備え、数日分の食料と基本装備は携行することにした。
住民たちに見送られ、司とエルザは三番目のルミエールを出発した。
始まりのルミエールを目指す、二人だけの旅が始まった。
◇
旅の一日目。
二人は川に沿って西へ進んだ。
道と呼べるものはほとんどない。
砂利の多い川原を歩き、流れが崖へ突き当たる場所では森の中へ入る。
倒木を越え、蔓を切り、浅い支流を何度も渡った。
エルザは小柄で細身だったが、歩き方には無駄がない。
足場の悪い場所でも速度を落とさず、危険な植物や動物の痕跡を司へ教える。
一方、司は電子眼とレーザースキャナで通過した経路を記録し続けていた。
夕方になると、二人は川面より高い場所にある平坦な岩場を見つけた。
過去の増水跡はなく、周囲の視界も確保できる。
「今日は、ここで野営しよう」
司は携帯型レプリケータを降ろした。
軽量支柱。
防水膜。
固定用ロープ。
折り畳み式の床材。
二台の簡易ベッド。
調理器具。
警戒用レーザースキャナ。
生成した部品を次々と組み上げていく。
エルザも手伝おうとしたが、構造が分からず、しばらく司の作業を眺めることになった。
約四十分後。
岩場には、二人が横になれる防水テントと二台のベッドが完成していた。
入口付近には小さな調理場所があり、周囲四方向には警戒用センサーが設置されている。
「もうできたの?」
「ああ。今夜だけ使う仮設だから、これで十分だ」
エルザはテントの中をのぞき、支柱や床を何度も触った。
「本当に、これだけの物をツカサ一人で造ったんだね」
「部品を作ったのはレプリケータだ」
「でも組み立てたのはツカサでしょ?」
「それはそうだが」
「すごいよ。私たちなら何人かで半日かかる」
エルザは素直に感心していた。
司にとっては軍の野営訓練で何度も行った作業だったが、エルザには、小さな家が突然完成したように見えるらしい。
◇
野営の準備が終わると、エルザが川のほうを指さした。
「汗を流しに行こう」
「水をくむのか?」
「水浴び。一緒に入ろう」
エルザはそう言うと、返事を待たずに衣服を脱ぎ始めた。
ボーガンと盾を岩の上へ置く。
ブーツを脱ぎ、腰のベルトを外し、緑色の服を迷いなく脱ぎ捨てる。
裸体を見られることに対する恥じらいは、微塵もない。
司は思わず視線をそらした。
「急に脱ぐなよ」
「水浴びするのに、服を着たまま入るの?」
「そういう意味じゃない」
エルザは不思議そうな顔をしたまま、川へ入っていった。
戦士として鍛えられた身体は細く引き締まり、余分な脂肪がほとんどない。それでいて女性らしい丸みも失われておらず、均整の取れた体形だった。
旧神大語で、エールは「完成された者」を意味する。
司は先日の説明を思い出した。
――完成された者というのは、こういう意味もあるのだろうか。
《心拍数が上昇しています》
「余計な報告をするな」
エルザが川の中から手を振った。
「ツカサも早くおいで。気持ちいいよ」
「周辺の安全は?」
「しばらく危険な魔獣の縄張りはないよ」
《周辺警戒システムに異常なし》
《大型生物の接近も確認されません》
AIにまで背中を押され、司は諦めた。
装甲と衣服を脱ぎ、エルザと一緒に川へ入る。
水は少し冷たかったが、一日歩いて火照った身体には心地よかった。
エルザは長い髪を水で洗い、司へ水をかけて笑う。
司も最初は戸惑っていたが、やがて地球での常識を気にするのをやめた。
誰もいない森の中で、二人はしばらく川の流れに身体を預けた。
◇
夕食は、住民たちから受け取ったワイバーンの肉と、川で捕まえた魚に似た水棲生物だった。
司は水棲生物の組織を分析し、毒がないことを確認してから塩を振る。
ワイバーンの肉と一緒に串へ刺し、焚き火の上でじっくり焼いた。
エルザは荷物の中から、薄茶色の粉を取り出した。
「それは何だ?」
「芋を乾かして、粉にしたもの。私たちの主食」
粉へ少量の水を加え、手でこねていく。
まとまった生地を平たく伸ばし、熱した石の上へ載せる。
表面が乾くと裏返し、焚き火で軽くあぶった。
見た目は、発酵させていない原始的な平焼きパンに近い。
「食べてみて」
司は焼き上がったものを受け取り、一口ちぎった。
外側は香ばしく、内側には少し粘りがある。
芋に含まれる自然な甘味が残っていた。
「うまいな」
「本当?」
「ああ。肉にも魚にも合う」
エルザはうれしそうに笑った。
照り焼き風のワイバーン料理は司が教えた。
今度はエルザが、エルフの主食を司へ教えた。
焚き火を挟み、二人は互いの世界の料理を分け合った。
◇
夕食を終えると、司は焚き火から少し離れた場所へ座った。
空には雲がなく、三つの月と無数の星が見えている。
電子眼を最大望遠モードへ切り替える。
瞳の奥で、緑色の光が強くなった。
司は恒星の位置、明るさ、色、角度を記録していく。
月の軌道。
惑星の運行。
季節による星の移動。
一晩の観測だけでは、自分たちが宇宙のどこにいるのか判断できない。
だが、長期間の観測データを蓄積すれば、この惑星の公転軌道や恒星系の構造を推定できる。
地球の天体データとの比較も可能になるかもしれない。
《星図ライブラリを更新》
《基準恒星候補、百二十八》
《最小衛星の軌道誤差を再計算》
司は観測に集中していた。
いつの間にか、エルザが隣へ座っている。
「ツカサの目の奥、緑に光ってるよ?」
「夜目の能力を最大まで使っている」
「私たちよりも夜が見えるの?」
「遠くの物を拡大して見ることもできる」
「何を見てるの?」
「星の位置を調べている。俺がどこから来たのか、手掛かりが見つかるかもしれない」
エルザも空を見上げた。
しばらくすると、司の肩へ身体を預けてくる。
「まだ、しばらくかかる?」
「ああ。もう少しかかる」
「先にベッドで待ってるね」
「ああ、おやすみ」
エルザは立ち上がり、テントの中へ入っていった。
司は再び観測へ意識を戻した。
◇
約二十分後。
予定していた星の観測が終了した。
司は記録を保存し、焚き火を安全な状態まで弱める。
警戒用レーザースキャナが正常に動いていることを確認し、テントへ入った。
二台用意したうち、エルザのベッドは空だった。
司が自分用のベッドを見る。
エルザが待っていた。
掛け布の中から顔だけを出し、司を見上げている。
「そこは俺のベッドだったんだが……」
「遅い。早く脱いで」
「おい!?」
エルザは、司と抱き合って眠るつもりで待っていたらしい。
《エルフにとって、親しい相手との肉体的接触は一般的なコミュニケーション方法です》
現地文化の解析が進んだAIが説明する。
《現状で理由を示さず強く拒否した場合、今後の関係に悪影響が――》
「最後まで言うな。分かってる」
司はエルザを見た。
エルザは無理に誘っているわけではない。
ただ司と一緒に過ごしたいという気持ちを、地球人よりも率直に示しているだけだった。
「俺もエルザを気に入っている。断るつもりはないさ」
司は装備を外し始めた。
「待たせたな」
エルザが掛け布を持ち上げ、いたずらっぽく笑う。
「今日は私からしてあげる」
司はテントの照明を消した。
二人だけの夜は、静かな森の中で深夜まで続いた。
◇
翌朝。
二人はテントと警戒装置を撤収し、再び始まりのルミエールを目指して歩き始めた。
午前中に長い谷を抜け、小高い丘へ登る。
頂上付近は樹木が少なく、遠くまで見渡すことができた。
エルザが進行方向を確認している間、司は電子眼で周辺地形を走査する。
そのとき、森の向こうに不自然な形状を見つけた。
巨大な塔のような物体が、斜めに傾いている。
半分以上が土と植物に覆われ、先端部分だけが森の上へ突き出していた。
「エルザ。あれは何だ?」
「あの塔?」
「知っているのか?」
「神大時代の遺跡。昔からあそこにあるよ」
エルザは特に興味を示さなかった。
「何かあるのか?」
「何もない。石でも木でもない物でできているけど、入口も開かない。昔の人が何度も調べたけど、役に立つ物は見つからなかったって聞いてる」
司は電子眼の倍率を上げた。
物体の外周には、均等な間隔で継ぎ目のような線が走っている。
塔にしては先端が丸く、下部へ向かうほど幅が広い。
地面へ斜めに突き刺さっているため塔に見えるが、元から垂直に建てられた構造物とは思えない。
《外形を立体推定》
《人工物である可能性、極めて高い》
《建築物としては不自然な重心構造》
《外殻に耐熱材または衝撃吸収構造と類似する特徴を確認》
司の視界に、地中へ埋まっている部分の推定形状が表示された。
先端。
船体。
後部推進区画に見える膨らみ。
「塔じゃない」
「じゃあ、何?」
《宇宙航行用の乗り物である可能性があります》
AIの推定図を見せられると、確かに地面へ突き刺さった宇宙船のように見える。
司の胸が高鳴った。
この惑星に存在する、地球とは異なる高度文明の痕跡。
内部に記録装置や航行情報が残されていれば、現在位置や地球へ帰る手掛かりが得られるかもしれない。
「エルザ。少し寄り道をしてもいいか?」
「塔へ行きたいの?」
「あれを調査させてほしい。俺には、ただの塔には見えない」
エルザは司の真剣な表情を見て、すぐにうなずいた。
「いいよ。急ぐ旅じゃないから」
「助かる」
「でも、入口は開かないよ?」
「それを調べるのが俺の仕事だ」
二人は進路を変更した。
行く手には、神大時代の塔と呼ばれてきた巨大な遺物が、森へ斜めに突き刺さっている。
それが本当に宇宙船なら、司がこの惑星へ来て初めて発見した、帰還につながる可能性のある手掛かりだった。
司とエルザは、古代の宇宙船と思われる遺跡へ向かって歩き始めた。
――第六話・終




