第4話 司は超人
「エルザ・モネ・ルミエール」
プラチナブロンドの女性は、自分の胸に手を当てて名乗った。
「斎藤司」
司も同じように名乗る。
「サイトー……ツカサ」
エルザの発音は少し不自然だったが、司の名前だと分かる程度には正確だった。
互いの名前は理解できた。
だが、それ以外の言葉はまったく通じない。
エルザは負傷した仲間を指さし、次に森の奥を示した。
何かを説明しているが、司には意味が分からなかった。
《未知言語の解析を継続中》
《音韻体系の推定を開始》
《発言時の視線、表情、身振り、周辺状況を意味情報として関連付けます》
脳内AIは、すでに言語解析能力を最大限に稼働させていた。
音声を聞き取るだけでは、未知の言語を理解できない。
発音と対象物。
動作と単語。
話者の表情と感情。
同じ言葉が使われる複数の場面。
できる限り多様な状況で会話を収集し、それぞれを関連付ける必要がある。
《解析には大量の会話サンプルが必要です》
「相手が話してくれればな」
司が日本語で答えると、エルザは不思議そうに首をかしげた。
◇
司は負傷したエルフたちの救護を続けた。
傷口を確認するたびに、エルザは司の隣へ座った。
負傷者が痛がれば、エルザが現地の言葉で声をかける。
血を拭えば、血を意味するらしい言葉を発する。
水を求められれば、水筒を指さして同じ言葉を繰り返す。
司が包帯を巻くと、その動作を示しながら説明する。
《“水”を意味する単語を推定》
《“痛み”“血液”“傷”“助ける”に該当する語句を仮登録》
《命令形と疑問形の発音差を確認》
AIは猛スピードで言語ライブラリを構築していった。
他のエルフたちは、司を警戒していた。
黒い全身装甲。
見たことのない武器。
遠距離からワイバーンを一撃で仕留める攻撃力。
重傷者の出血を瞬時に止める医療技術。
彼らにとって、司は人間に似た姿をしているだけの正体不明の存在だった。
必要なとき以外、積極的に近づこうとはしない。
その中で、エルザだけは違っていた。
彼女は司が言葉を学ぼうとしていることに気づくと、目に入るものを次々と指さした。
木。
空。
火。
水。
手。
足。
剣。
盾。
そして、もう一度自分の胸へ手を当てる。
「エルザ」
次に司を指さす。
「ツカサ」
「そうだ」
司が答えると、エルザはうれしそうに笑った。
◇
負傷者を移動させる準備が始まった。
彼らの集落は、野営地から森の奥へ一時間ほど歩いた場所にあるらしい。
倒したワイバーンも放置しなかった。
肉は食料になる。
骨や牙は武器や道具の材料となり、硬い鱗は防具へ加工できる。
複数のエルフが協力して、一体のワイバーンへ太い縄をかけた。
引いて運ぼうとするが、巨大な身体は簡単には動かない。
司はその横へ立った。
「少し離れてくれ」
当然、言葉は通じない。
司は身振りで彼らを下がらせると、ワイバーンの後脚を両手でつかんだ。
強化装甲の筋力補助を最大まで引き上げる。
《脚部支持力を調整》
《姿勢制御を開始》
司は数百キログラムあるワイバーンの身体を、一人で引きずり始めた。
エルフたちが静まり返った。
六人がかりでもほとんど動かなかった巨体が、地面に跡を残しながら進んでいく。
エルザが驚いた声を上げた。
《未登録単語を検出》
《使用状況から、“怪力”“超人”“人間離れしている”などの意味と推定》
「褒められているのか?」
《肯定的な意味である可能性が高いと判断します》
エルザは司の腕を軽く叩き、先ほどの言葉をもう一度口にした。
司が意味を理解していないと分かると、自分で力こぶを作るような仕草を見せる。
「力が強い、か」
エルザは笑顔でうなずいた。
◇
森の奥に、エルフたちの集落があった。
巨大な樹木を傷つけないよう、木と石を組み合わせて住居が造られている。
地面に建てられた家だけでなく、太い枝の上にも小屋があり、縄橋で結ばれていた。
集落の名は、リュミエール。
司がそれを理解するまでには、まだ時間が必要だった。
黒い装甲の司が姿を現すと、集落中が騒然となった。
子どもたちは家の陰へ隠れ、大人たちは弓や槍を手に取った。
エルザが前へ出て、何があったのかを説明する。
ワイバーンを指さし、負傷者を指さし、最後に司を指さす。
彼女の説明を聞くうちに、構えられていた武器が少しずつ下ろされていった。
完全に警戒を解いたわけではない。
それでも、司が敵ではないことだけは伝わったらしい。
司は集落の一角に設けられた治療場所へ入り、負傷者の処置を続けた。
エルザも離れず、司の横で話し続けた。
司が医療器具を手に取るたび、その名前を教える。
司が何かを指させば、ゆっくりと発音を繰り返す。
時には司の日本語をまねしようとして、奇妙な発音になった。
そのたびに二人は笑った。
他のエルフたちが距離を取る中、エルザだけは最初から司へ強い興味を持っているようだった。
◇
一日目の夜。
司とエルザは、集落の中央にある焚き火のそばへ座っていた。
エルザが焼いた肉を差し出す。
「ツカサ。タベル」
言葉自体は現地語だったが、AIが意味を推定し、司の意識へ表示した。
《推定訳:“ツカサ、食べる”》
司は肉を受け取った。
「ありがとう」
エルザは理解できないという顔をした。
司は現地語の単語を探し、ぎこちなく発音する。
「私……感謝。食べる」
文法も発音も不完全だった。
それでも、エルザには通じた。
彼女の表情が明るくなる。
「ツカサ、友?」
《推定訳:“ツカサは友人か”》
司は少し考え、現地語で答えた。
「私、敵ではない。友になりたい」
エルザは満足そうにうなずいた。
一日目の夜には、簡単な意思疎通ができるようになっていた。
◇
二日目。
エルザは朝から司の後をついて回った。
黒い装甲を指さして、それが何でできているのか尋ねる。
銃を指さして、どうやってワイバーンを倒したのか聞く。
携帯型レプリケータから新しい包帯が生成されると、装置の周囲を何度も回って観察した。
「これは、魔法?」
翻訳の精度が上がり、エルザの質問が断片的に理解できる。
「魔法じゃない。機械だ」
「キカイ?」
「道具の一種だ」
司が答えるたび、AIが発音と文法を修正する。
司自身は日本語で考えている。
だが、口を動かす直前にAIが文章を現地語へ変換し、最適な発音と舌の動きを神経情報として提示する。
初めは意識して従う必要があった。
やがて、考えた言葉がそのまま現地語になって口から出るようになっていった。
《語彙数、急速に増加》
《基本文法の構造を確定》
《同時翻訳ソフトウェアの試験運用を開始》
エルザとの会話は、最も重要な言語サンプルになった。
彼女は物の名前だけでなく、うれしい、悲しい、怖い、痛いといった感情も身振りを交えて教えた。
朝、昼、夜。
過去と未来。
自分と他人。
疑問、否定、推測。
エルザが積極的に話しかけてくれたことで、言語ライブラリは驚異的な速度で成長していった。
◇
三日目。
《言語ライブラリの基本構築を完了》
《同時翻訳ソフトウェアを正式運用へ移行》
《日常会話における意思疎通が可能です》
司が目を開く。
それまで不規則な音の連なりにしか聞こえなかった周囲の会話が、意味のある言葉として頭へ入ってくる。
エルザが近づいてきた。
「今日は、傷ついた者たちを見てくれる?」
司には、日本語で話しかけられたように自然に理解できた。
実際に聞こえているのはエルフの言葉だ。
AIが音声を瞬時に解析し、意味として意識へ伝えている。
「もちろんだ。昨日処置した者も、もう一度確認したい」
司の口から出たのは、流暢な現地語だった。
エルザが目を見開いた。
「急に話せるようになったの?」
「ようやく君たちの言葉が分かってきた」
「三日しかたっていないよ」
「覚えるのは得意なんだ」
エルザは疑うように司の顔を見つめ、それから笑った。
「やっぱりツカサは変わってる」
「悪い意味か?」
「ううん。とても良い意味」
◇
その日の夕方、エルフたちは倒したワイバーンを解体していた。
分厚い鱗を慎重にはがし、牙と爪を切り取る。
骨も捨てず、武器や道具の材料として保管する。
肉の一部はすぐに食べ、残りは塩漬けや干し肉にするという。
司は切り分けられた肉を分析した。
《既知の強毒性物質は検出されません》
《十分な加熱処理により食用可能》
《肉質は地球の鳥類に近いと推定》
「鶏肉みたいなものか」
エルザが首をかしげる。
「トリニク?」
「俺の故郷にいた動物の肉だ。ワイバーンの肉に似ている」
司は切り分けられた肉を見つめた。
「今日は俺が料理してもいいか?」
「ツカサが?」
「毎朝、肉を焼いて食べていた。慣れている」
エルフたちは、司が料理を始めると遠巻きに集まってきた。
司はレプリケータを起動する。
この惑星で補充できない一部の素材は貴重だったが、今回は異星人との重要な交流である。
出し渋る場面ではない。
水と炭素を主原料に、醤油と味醂に相当する調味料を生成する。
現地の果実から採取した糖分も加え、甘辛いタレを作った。
《調味液の生成完了》
ワイバーンの肉を食べやすい大きさに切り、金属串へ刺す。
炭火で表面を焼きながら、何度もタレを塗る。
焼けた肉の表面に照りが生まれ、香ばしい匂いが集落へ広がっていった。
先ほどまで遠巻きに見ていたエルフたちが、少しずつ焚き火の周囲へ集まってくる。
最初に肉を受け取ったのはエルザだった。
「熱いから気をつけろ」
エルザは息を吹きかけ、照り焼き風のワイバーン肉を口へ入れた。
一度、動きが止まった。
「どうだ?」
エルザは無言のまま肉を飲み込んだ。
そして、皿を司へ突き出す。
「もう一つ」
「感想より先に、おかわりか」
「おいしい。すごくおいしい。だから、もう一つ」
エルザの反応を見て、他のエルフたちも次々と肉を受け取った。
甘辛い味付けは、彼らの口にも合ったらしい。
初めは司を警戒していた者たちまで、何度もおかわりを求める。
子どもたちは皿に残ったタレまでパンにつけて食べていた。
料理は大盛況だった。
◇
今度はエルフたちが、自分たちの酒を持ち出した。
木製の大きな樽から、琥珀色の液体が注がれる。
穀物と森の香草を発酵させた、リュミエールの地ビールだった。
エルザが木の杯を司へ差し出す。
「私たちの酒。ツカサも飲んで」
《アルコールを検出》
《摂取する場合、分解補助機能を使用しますか》
「今日は切っておけ」
《推奨できません》
「友好のためだ。同じ酒を飲んで、同じように酔うことにも意味がある」
《文化的交流への有効性を認めます》
《アルコール無効化機能を停止》
「お前も賛成したからな」
《記録しました》
司は杯を掲げた。
「俺の故郷では、こういうときに『乾杯』と言う」
「カンパイ?」
「そうだ。乾杯」
エルザも杯を掲げる。
「カンパイ!」
周囲のエルフたちも、一斉に杯を持ち上げた。
「カンパイ!」
司は地ビールを口へ運んだ。
少し酸味があり、香草の爽やかな香りがする。
見た目よりアルコールが強かった。
宴が始まった。
エルフたちは歌い、手をたたき、足を踏み鳴らした。
司も輪の中へ引き込まれた。
初めは距離を取っていた者たちが、料理の作り方や司の故郷について次々と質問する。
会話の種類が増えるほど、AIの言語ライブラリは精密になっていった。
《日常語、感情表現、俗語のサンプルを大量に取得》
《言語解析効率、通常時の三・六倍》
「宴会まで分析対象にするな」
《あらゆる会話が重要なサンプルです》
杯が空になるたび、地ビールが注がれる。
司はもともと酒に強くない。
普段ならナノマシンと人工肝臓がアルコールを速やかに分解するが、今夜はその機能を自分で停止している。
頬が熱くなる。
周囲の笑い声が心地よく聞こえる。
エルザが司の手を取り、踊りの輪へ引っ張った。
司は慣れない踊りで何度も足をもつれさせた。
そのたびにエルザが笑う。
夜が深くなっても、宴は終わらなかった。
やがてエルザと、同席していた二人の女性が、司へ親密な誘いを示した。
司は意味をAIへ確認した。
《誘いの意味に誤認はありません》
エルザが司の手を引く。
二人の女性も笑いながら後へ続いた。
住居の入口を覆う布が閉じられる。
その先の記憶は、地ビールの酔いとともに途切れ途切れになっていった。
◇
翌朝。
司は、頭の奥に重い痛みを感じながら目を覚ました。
見慣れない木製の天井。
身体の下には、柔らかい藁を詰めたベッドがある。
「……どこだ、ここ」
身体を動かそうとして、右腕が何かに押さえられていることに気づいた。
隣を見る。
エルザが、司の右腕を枕にして眠っていた。
二人とも何も身につけていない。
掛け布が腰の辺りまでずれ落ちている。
「……は?」
司の思考が止まった。
《おはようございます》
脳内AIが、いつもどおりの声で話しかけてきた。
《血中アセトアルデヒド濃度が、まだ正常値へ戻っていません》
《浄化ナノマシンを起動しますか》
「……頼む」
《起動しました》
《約二十分で正常値へ戻る見込みです》
司は天井を見つめた。
「……あれ、俺、昨日はどうなったんだっけ」
《対象種族の生殖器官および、その使用方法は、人類とほぼ同等でした》
「……」
《ただし、人間社会と比較して、裸体や性行為を恥じる感覚は希薄なようです》
「お前もな……」
《おそらく文化的に、地球人と同等の貞操観念が発達していないものと推測します》
「昨夜は交流のために、アルコール無効化機能を切って飲んだんだ。俺は酒に弱いのに」
《はい》
「お前も賛同したよな?」
《はい。期待以上の成果が得られました》
「成果って……」
《長時間にわたる肉体的接触により、対象種族の体温、皮膚構造、筋肉反応、心拍変化など、多数の生体情報を取得しました》
「確認するぞ」
司は眠っているエルザを起こさないよう、小声で尋ねた。
「俺は彼女と、その……セックスをしたのか?」
《はい》
「……ほかには?」
《エルザを含む三名の女性と、それぞれ二回ずつ濃厚な性行為を行いました》
司は両手で顔を覆おうとした。
だが、右腕はエルザの枕になっていて動かせない。
「マジか……」
「念のため聞く。誰も嫌がってなかったよな?」
《全参加者の明確な同意を確認しています》
《強制、威圧、拒否はありません》
《司も現地語で複数回、意思を確認していました》
「そうか……それなら、まあ……」
《安心してください》
《あなたは生体型サイボーグであり、生殖機能はありません》
《射精時に排出される液体は、生殖細胞を含まない擬似体液です》
「そこまで説明しなくていい」
《この身体を使用する任務には、敵対勢力の人物を籠絡し、情報を獲得する戦術も想定されています》
《そのため、外見、感触、体温、反応を人間と同等に再現しています》
《設計時点では、この機能が実際に使用される確率は極めて低いと予測されていました》
《しかし今回、現地住民との円滑な関係構築に大きく貢献しました》
《したがって、今回の交流は大成功と評価できます》
「もういい」
《また、昨夜の行動時間と対象者の反応から、司の身体能力は――》
「もういいって」
AIは普段以上に饒舌だった。
よほど大量の生体情報と言語サンプルが得られたことがうれしいらしい。
司は天井を見つめ、大きく息を吐いた。
「……まあ、ここは別世界だ」
《はい》
「地球の常識だけで考えても仕方がない」
《合理的な判断です》
「深く考えるのはよそう。うん、そうしよう」
腕の中で、エルザが身体を動かした。
ゆっくりと目を開き、司の顔を見上げる。
「おはよう、ツカサ」
エルザは起き上がった。
自分が何も身につけていないことを、まったく気にしていない。
長い髪を手で整えながら、昨日の宴について話すのと変わらない調子で言った。
「昨日、気持ちよかったね」
司は返す言葉を失った。
エルザは満足そうに笑う。
「ツカサ、超人だね」
《現地社会における評価が大幅に向上したものと判断します》
「お前は黙ってろ」
集落の外から、朝を告げる鐘の音が聞こえてきた。
異星へ漂着して十八日目。
斎藤司は、戦闘ともサバイバルとも異なる理由で、自分が普通の人間ではないことを思い知らされた。
――第四話・終




