第3話 ファーストコンタクト
この惑星へ漂着して、十五日目の朝。
斎藤司は、いつもと同じ時刻に目を覚ました。
夜間警戒システムの記録を確認し、川の下流側に設けた排泄区画へ向かう。
続いて上流側で水をくみ、拠点へ持ち帰って濾過、煮沸する。水筒へ飲料水を補充し、保冷庫から前日に仕留めた獲物の肉を取り出した。
十分に血抜きされた肉を切り分け、金属網の上で焼く。
いつもと変わらない朝だった。
だが、今日の予定だけは違っていた。
昨日、北東の尾根から確認した一本の煙。
自然発火とは考えにくい、一定量の煙だった。
この惑星に来て初めて発見した、知的生命の痕跡かもしれない。
司は朝食を終えると、装備の点検を開始した。
全身を覆う黒い戦闘スーツを着用し、その上から強化装甲を装着する。
胸部装甲。
肩部装甲。
前腕防護装置。
脚部補助装甲。
各部の接続が完了すると、スーツと司の電脳が同期した。
《強化装甲システム、正常》
《筋力補助機構、正常》
《生命維持機能、正常》
《火器管制システム、正常》
司は制式自動小銃を背中へ回し、長距離射撃用のライフルを手に取った。
腰には拳銃とサバイバルナイフ。
複数の予備弾倉、医療キット、食料、水筒を装備する。
最後に、携帯型レプリケータを背部装甲へ接続した。
「レプリケータを緊急生成待機状態へ」
《待機状態へ移行します》
通常より多くの生成素材を内部へ装填し、必要な装備をいつでも作り出せるようにする。
煙の主が友好的とは限らない。
言葉が通じる保証もない。
そもそも、人間に近い存在なのかさえ分からない。
今日は、通常の地図作成ではない。
明確な目的を持った偵察任務だった。
司はヘルメットを装着した。
顔全体が黒い装甲に覆われ、電子眼が緑色に発光する。
《出発準備完了》
「行くぞ」
◇
司は昨日作成した地図に従い、北東へ進んだ。
煙を確認した地点まで、直線距離で約二キロメートル。
敵対的な存在に発見される可能性を考え、開けた場所を避けて森の中を移動する。
出発から二十分ほど経過した頃だった。
甲高く、奇妙な鳴き声が空から響いてきた。
鳥の声ではない。
獣の咆哮とも違う。
金属を擦り合わせた音と、大型爬虫類の威嚇音を混ぜたような声だった。
司は立ち止まり、木々の隙間から空を見上げた。
青空の高い位置を、複数の黒い影が横切っている。
「飛行生物か」
《七体を確認》
肉眼では、詳しい姿までは見えない。
司は電子眼を遠距離観測モードへ切り替えた。
《光学倍率を最大へ》
視界の中央にある黒い影が、急速に拡大される。
長く伸びた頭部。
鋭い牙。
全身を覆う鱗。
二本の後脚と、巨大な翼。
前脚に相当する部分は翼と一体化している。
長い尾が飛行姿勢に合わせて左右へ動いていた。
司は無言でその姿を見つめた。
《既知の生物データベースに一致しません》
「どう見てもワイバーンだな」
《ワイバーンは地球の神話上に存在する架空生物です》
「だから、便宜上そう呼ぶんだ」
《暫定呼称『ワイバーン』を登録します》
七体のワイバーンは、高度約千二百メートルを飛行していた。
単に上空を通過しているのではない。
一定の間隔を保ち、明確な目的地へ向かっている。
AIが飛行方向を地図上へ重ねた。
七体の進路の先に、昨日煙を確認した地点がある。
「偶然じゃなさそうだな」
《煙の発生地点へ向かっている可能性が高いと判断します》
一体のワイバーンが大きく鳴いた。
それに応じるように、残りの個体も鳴き声を上げる。
群れの速度が上がった。
司は煙の方向を遠距離観測する。
昨日よりも煙の量が増えている。
《大気中に含まれる微粒子を分析》
《煙に複数の揮発性物質が含まれています》
《ワイバーンの嗅覚器官、または神経系を強く刺激している可能性があります》
「煙の臭いが、あいつらの神経を逆なでしているわけか」
《意図的に誘引しているのかは不明です》
「どちらにしても、煙を出している連中が攻撃されそうだな」
《まずは参戦する以前に、現地の状況を確認してください》
「分かってる」
司は自動小銃の弾倉を確認した。
続いて長距離射撃用ライフルへ、高威力弾を装填する。
肩部装甲の防御出力を引き上げ、ヘルメットの気密機能を作動させた。
《まずは状況を確認してください》
「もちろん分かってる」
司は構わず、全身の戦闘システムを最高出力へ切り替えた。
視界が完全な戦闘表示へ変化する。
《まずは状況を――》
AIの音声が途中で止まった。
一秒ほどの沈黙。
《論理回路強制切替を実行》
《通常分析モードを終了》
《戦術分析モードへ移行します》
司の視界に、七つの赤い照準枠が現れた。
《敵性候補W‐01からW‐07を登録》
《高度、速度、予想飛行経路を算出》
《各個体の戦闘係数を表示》
《煙発生地点周辺の地形を戦術マップへ統合》
AIの声から、先ほどまでの慎重さが消えた。
「やっぱり戦場でこそ、お前の能力は発揮されるよな」
司は少し嬉しそうに言った。
《感想は戦闘終了後にしてください》
「了解」
司は姿勢を低くし、森の中を走り始めた。
◇
煙の発生地点まで、約二キロメートル。
司は小高い岩場へ移動し、茂みの中から現地の様子を観測した。
森の一部が開け、小さな野営地が作られている。
中央では、樹脂を多く含む木材が燃えていた。
あれが煙の発生源だった。
その周囲に、人影がある。
「人間……なのか?」
十人に満たない人型の集団だった。
身長や体格は人間と大きく変わらない。
だが、全員の耳が細長く尖っている。
弓、ボーガン、槍、短剣、木と金属を組み合わせた盾。
司の基準から見れば、あまりにも原始的な装備だった。
《知的生命体と推定》
《火器の所持は確認できません》
《集団の上空へ、ワイバーン七体が接近》
最初のワイバーンが翼を畳んだ。
急降下を開始する。
野営地の者たちも接近に気づいた。
叫び声が上がり、弓とボーガンが一斉に空へ向けられる。
複数の矢が放たれた。
だが、ほとんどがワイバーンの鱗に弾かれた。
一体の翼へ矢が刺さったが、飛行能力を奪うほどの損傷ではない。
ワイバーンが地上すれすれを通過した。
巨大な翼が巻き起こした風で、野営用の布や道具が吹き飛ばされる。
人型種族の一人が地面へ倒れた。
二体目が口を開く。
喉の奥が、赤く光った。
「火を噴くぞ」
ワイバーンの口から、炎が放たれた。
地上の者たちは左右へ散る。
炎が野営地を焼き、積まれていた薪へ燃え移った。
司の電子眼が、集団の中にいる一人の女性を捉えた。
細身の身体。
プラチナブロンドの長い髪を、戦闘の邪魔にならないよう編み込んでいる。
緑色の戦闘服を身につけ、左腕には亀甲模様の小型盾。
右手にはボーガンを持っていた。
女性は仲間へ指示を出しながら、自らは集団の前へ出ていた。
急降下してきたワイバーンに対し、最後まで引きつけてからボーガンを放つ。
矢は、ワイバーンの右目へ突き刺さった。
飛竜が苦痛の声を上げ、軌道を外れる。
「腕はいい」
《集団内の指揮官、または上位戦闘員と推定》
だが、敵は七体いる。
空を飛び、鱗で矢を弾き、炎まで吐く。
地上側には、決定的な攻撃手段がなかった。
負傷者も増えている。
《人型集団の戦力では、ワイバーン群の撃退は困難と推定》
「介入する」
《正体不明の武装集団です》
「今攻撃されているのは、あっちだ」
《ワイバーンを敵性目標として確定しますか》
司はライフルを構えた。
「確定だ」
七つの照準枠が、濃い赤色へ変わった。
《敵性目標、確定》
《交戦を許可》
◇
司は茂みの中から、最初の標的を選んだ。
高度百八十メートル。
ワイバーンW‐03。
野営地へ向け、再び急降下を開始している。
AIが飛行速度、風向き、重力、弾道を瞬時に計算する。
照準点が、ワイバーンの頭部へ重なった。
《射撃可能》
司が引き金を絞る。
「パシュ!」
減音された短い発射音。
銃口から放たれた弾丸は、音速を超えて空を切り裂いた。
ワイバーンの左目から侵入し、頭蓋内部を貫通する。
飛竜の身体から力が抜けた。
巨大な翼が折れ曲がり、地面へ激突する。
土煙が上がった。
戦っていた者たちが、一斉に動きを止めた。
何が起きたのか理解できていない。
残りのワイバーンも、仲間が突然墜落したことに混乱していた。
「次」
W‐05。
旋回中で、左胸部がこちらへ向いている。
《心臓に相当する器官を推定》
二発目。
「パシュ!」
弾丸が鱗を突き破り、胸部へ入る。
W‐05は数秒間飛行を続けた後、急激に高度を失って森へ落ちた。
三体目が飛来した弾丸の方向に気づいた。
首を回し、司の潜む岩場を見つめる。
《W‐01、こちらを認識》
「来るぞ」
W‐01が野営地から離れ、司へ向かって加速した。
同時に、W‐02も進路を変更する。
《二体接近》
司は茂みから立ち上がった。
黒い戦闘装甲が、ワイバーンの視界に入る。
W‐01が口を開いた。
喉の奥が赤く発光する。
《火炎攻撃を予測》
炎が放たれる直前、司は引き金を引いた。
弾丸が開かれた口から入り、喉の奥を貫通する。
W‐01の口から、行き場を失った炎が漏れた。
飛竜は空中で姿勢を崩し、司の手前をかすめるように地面へ墜落した。
W‐02は、その死骸を飛び越えて迫ってくる。
司は横へ跳んだ。
この惑星の重力は地球の約七十五パーセント。
強化装甲の補助を受けた身体が、十メートル近く横へ移動する。
直後、ワイバーンの爪が岩場を砕いた。
司は着地と同時に振り返り、至近距離から胸部へ三発撃ち込んだ。
「パシュ! パシュ! パシュ!」
W‐02が大きく身体を震わせる。
一歩、二歩と前へ進み、その場へ崩れ落ちた。
《四体を無力化》
「残り三体」
野営地では、残るワイバーンとの戦闘が続いていた。
W‐04が負傷者へ向かって急降下している。
プラチナブロンドの女性が、その進路へ飛び出した。
左腕の盾を構え、負傷者をかばう。
ワイバーンの爪が盾へ激突した。
女性の身体が後方へ吹き飛ばされる。
それでも盾を手放さず、すぐに立ち上がろうとする。
司は照準を合わせた。
W‐04の翼の付け根へ弾丸を撃ち込む。
骨が砕け、片方の翼が不自然に折れ曲がった。
飛行能力を失ったワイバーンが、女性の近くへ墜落する。
まだ生きていた。
長い首を持ち上げ、牙をむき出しにする。
女性はボーガンを捨てた。
腰から短剣を抜き、ワイバーンへ走る。
飛竜が噛みつこうとした瞬間、盾で顎を外側へ押し退けた。
そのまま首の鱗の隙間へ短剣を突き立てる。
一度。
二度。
三度。
ワイバーンの身体から力が抜けた。
「なかなかやるな」
《戦闘能力を上方修正します》
残る二体のうち一体は、集団の放った矢を翼へ受けて高度を下げていた。
複数の戦士が集中攻撃を加え、ついに地面へ引きずり落とす。
最後の一体は上空を旋回していたが、仲間が次々と倒されたことで戦意を失った。
大きく鳴き声を上げ、森の向こうへ逃げていく。
司は照準を合わせた。
《射撃可能》
「追撃しない。脅威圏を離脱するなら放っておけ」
《了解》
赤い照準枠が、一つずつ消えていった。
《戦闘終了》
◇
野営地には、焦げた木と獣の血が混じった臭いが漂っていた。
人型種族の戦士たちは、倒れたワイバーンと森の方向を交互に見ている。
何が仲間を救ったのか、まだ理解できていなかった。
司はライフルを背中へ回した。
「接触する」
《相手は武装しています》
「こっちも十分すぎるほど武装している」
司は両手を見える位置へ上げ、茂みから姿を現した。
黒い全身装甲。
緑色に光る電子眼。
人型種族の戦士たちは、司の姿を見た瞬間、一斉に武器を構えた。
弓とボーガンの先端が司へ向けられる。
《六名がこちらを照準》
「撃つなよ」
《命令の対象を特定できません》
「両方だ」
プラチナブロンドの女性が、仲間たちの前へ出た。
盾を構え、短剣を司へ向ける。
緑色の瞳が、警戒を込めて司を見つめている。
女性が聞いたことのない言葉で叫んだ。
司には、意味が分からない。
《未知の言語を検出》
《音声の収集を開始》
《現時点では翻訳不能》
「敵じゃない」
司は日本語で話しかけた。
当然、相手には通じない。
女性がさらに何かを問いかける。
司はゆっくりとライフルを地面へ置いた。
続いて両手を上げたまま、ヘルメットの解除を命じる。
顔を覆っていた黒い装甲が分割され、後頭部側へ収納された。
司の人間の顔が現れる。
戦士たちの間に、わずかな動揺が広がった。
少なくとも、黒い鎧の中に人型の顔があることは理解されたらしい。
そのとき、地面に横たわっていた負傷者が苦痛の声を上げた。
腹部がワイバーンの爪で裂かれ、大量に出血している。
《負傷者の出血量が危険域に到達》
「治療する」
《接近すれば攻撃される可能性があります》
「このままなら死ぬ」
司は腰の医療キットを取り外した。
プラチナブロンドの女性が、再び短剣を構える。
司は医療キットを指さし、次に負傷者を指さした。
傷口を塞ぐような仕草を見せる。
女性は司と負傷者を交互に見た。
すぐには武器を下ろさない。
だが、仲間の出血は止まらない。
女性は短剣を構えたまま、ゆっくりと道を開けた。
司は刺激しないよう、静かに負傷者へ近づいた。
傷口を確認する。
内臓には達していない。
だが、太い血管の一部が損傷している。
司は止血用の医療フォームを傷へ注入した。
白い泡状の物質が傷の内部へ入り、損傷した血管を圧迫する。
その上から抗菌性の被膜を形成し、ナノ繊維包帯で固定した。
出血が止まった。
《応急処置完了》
《生命の危険は低下しました》
負傷者の呼吸が、少しずつ安定していく。
周囲の戦士たちは、言葉を失ったように治療の様子を見つめていた。
彼らには、司の医療技術が魔法のように見えているのかもしれない。
司は立ち上がり、プラチナブロンドの女性へ向き直った。
女性はまだ警戒していた。
だが、短剣の切っ先は下がっている。
しばらく司を見つめた後、女性は右手を自分の胸へ当てた。
「エルザ・モネ・ルミエール」
司は、その言葉を聞き取った。
名前だ。
「エルザ……モネ……ルミエール」
司が繰り返すと、女性――エルザは小さくうなずいた。
司も自分の胸へ手を当てる。
「斎藤司」
エルザは、司の口元を見ながら発音しようとした。
「サイトー……ツカサ」
完全ではない。
だが、確かに自分の名前だった。
「そうだ。斎藤司だ」
言葉は通じない。
生まれた星も、文明も、種族さえ違う。
それでも二人は、互いの名前だけを理解した。
《接触対象の名称を登録》
《エルザ・モネ・ルミエール》
《知的生命体との初接触記録を開始します》
焼けた野営地の上空を、逃げたワイバーンの鳴き声が遠ざかっていく。
司とエルザは、互いを警戒しながら向かい合っていた。
こうして、地球から漂着したサイボーグ兵士と、異星のエルフとの最初の接触が始まった。
――第三話・終




