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第18話「英雄の祝宴」

挿絵(By みてみん)


戦死者を弔う鐘は、夜が明ける前に鳴り終わった。


翌朝、王城の中庭で、地下迷宮の戦いに命を落とした兵士たちの名が一人ずつ読み上げられた。


灰色の布に包まれた遺体は、それぞれの家族と故郷へ送り出されていく。


家族のいない者は、王都の共同墓地に葬られることになった。


司たち六人も、その場に並んだ。


負傷した猫人族の槍兵は、右腕を身体へ固定したまま立っている。


土鬼族の兵士は兜を脇へ抱え、ルミエール人の弓兵は最後まで顔を上げなかった。


誰一人、勝利を口にしなかった。


それでも、最後の棺が城門を出ると、王城は少しずつ別の表情へ変わり始めた。


中庭に並んでいた灰色の旗が下ろされる。


代わりに、樹木と真竜を描いた王国旗が掲げられた。


厨房からは焼いた肉と香草の匂いが漂い、大広間へ酒樽や長机が運び込まれていく。


今夜、生還者を迎える祝宴が開かれる。


死者を見送ったあと、生きて戻った者を祝う。


それが、この国の弔い方だった。


◇


夕刻。


司は客室の中央に立ち、自分の身体へ当てられた濃紺の上着を見下ろしていた。


「これを着る必要があるのか?」


「ございます」


即答したのは、エルザの世話役を務めるミレアだった。


寝台の上には、濃紺の上着と黒い長ズボン、銀糸で細い縁取りを施した外套が並べられている。


司の身体に合わせて急いで仕立て直したらしい。


「走行スーツは修復した」


「存じております」


「汚れもない」


「それも存じております」


ミレアは穏やかな笑顔を崩さなかった。


「ですが、武器を身につけたまま祝宴へ出席なさる方は、王都でもツカサ様くらいです」


「警備兵は武装している」


「ツカサ様は、今夜は警備兵ではございません」


司は机へ目を向けた。


修復を終えた走行スーツと装甲服が置かれている。


レプリケータも通常機能へ復帰し、内部温度に異常はない。


《衣類に危険物は検出されません》


《身体動作を妨げる可能性も低いと判断します》


「危険性の問題ではない」


《では、着用を拒否する合理的理由は確認できません》


「お前はどちらの味方だ」


《質問の意図を理解できません》


脳内AIへ反論しても状況は変わらなかった。


司は諦めて、走行スーツの上から濃紺の上着を羽織った。


腰へ拳銃を装着しようとすると、ミレアが無言で見つめてくる。


「これは外せない」


「では、上着の内側へお願いいたします」


「分かった」


ミレアが満足そうにうなずいたところで、扉を叩く音がした。


「入っていい?」


エルザの声だった。


ミレアが扉を開く。


入ってきたエルザは、普段の軽装鎧でも旅装でもなかった。


深い緑色の長衣が、細身の身体に沿って足元まで流れている。


プラチナブロンドの髪は編まずに下ろされ、左右の耳の上だけを小さな髪飾りで留めていた。


両腕には、昨日の治療で巻かれた細い布が残っている。


「ツカサ、似合ってるよ」


「動きにくい」


司が右腕を回す。


「宴で戦うつもりなの?」


「何が起きるかは分からない」


「大丈夫。今夜、ツカサを襲うような人はいないよ」


エルザは一度言葉を切り、少し考える顔をした。


「たぶん」


「なぜ言い直した?」


「行けば分かるよ」


昨夜と同じ、何かを知っている笑顔だった。


司は、その意味を聞き出せないまま大広間へ連れていかれた。


◇


王城の大広間には、数百人が集まっていた。


地下迷宮で戦った兵士。


負傷者を治療した者。


王城の使用人。


記録官や技術者。


そして、戦死者の家族も一部が招かれている。


壁には無数の灯火が並び、天井から下がる透明な宝玉が淡い緑色の光を放っていた。


長机には料理が並んでいる。


丸焼きにされた大きな鳥。


香草を詰めた川魚。


根菜と肉を煮込んだ料理。


色の異なる果実酒。


焼きたてのパン。


だが、誰もまだ料理へ手を伸ばしていなかった。


大広間の正面に、六つの席が用意されている。


司だけの席ではない。


エルザ。


ラルス。


猫人族の槍兵。


土鬼族の兵士。


ルミエール人の弓兵。


深部へ到達した六人全員の席だった。


負傷した槍兵には肘掛けのある椅子が用意され、治療師がすぐ近くに控えている。


「本当に、私もここへ座るのですか?」


槍兵が落ち着かない様子で尋ねる。


「六人で倒したんだから、当たり前だよ」


エルザが答えた。


「ですが、殿下や副将と同じ席など……」


「地下では同じ場所に立っていただろう」


ラルスが椅子を引く。


「今さら遠慮するな」


三人の兵士は顔を見合わせ、ようやく席についた。


司たちが並ぶと、広間の奥にある扉が開く。


国王アルディスが姿を見せた。


昨夜よりも儀礼的な衣装を身につけているが、頭に王冠はない。


アルディスは正面へ立ち、集まった者たちを見渡した。


広間から話し声が消える。


「昨夜、我々は多くの者を見送った」


低い声が、静かな広間へ響いた。


「彼らが第二封鎖門を守らなければ、深部へ向かった六人が戻る道は残されなかった」


「今日の宴は、失った者を忘れるためのものではない」


「彼らが守った命と、彼らの働きによって得られた未来を、我々が無駄にしないと示すためのものだ」


戦死者の家族がいる一角へ、アルディスは深く頭を下げた。


王が頭を下げると、広間にいる全員が続いた。


司も黙って頭を下げる。


しばらくして、アルディスが顔を上げた。


「王城の地下で、数百年にわたり魔物を生み続けていた装置は停止した」


広間の空気が変わった。


「深部へ到達し、その原因を断った六人を、ここに王国の功労者として迎える」


アルディスが六人を見る。


「ラルス」


「エルザ」


「そして、名も地位も異なる三人の兵士」


最後に、司へ視線が向けられた。


「異なる世界から来ながら、我々とともに戦ったツカサ殿」


「六人が一人も欠けず戻ったことを、心から喜ぶ」


最初に拍手をしたのは、第二封鎖門を守っていた兵士だった。


一人の拍手が二人へ増える。


盾を叩く音が加わる。


やがて、大広間全体が大きな音に包まれた。


猫人族の槍兵は俯き、左手で目元を拭った。


土鬼族の兵士は照れ隠しのように髭を撫でる。


弓兵は、隣にある空席を見るように一度だけ広間の端へ視線を向け、それから深く頭を下げた。


アルディスが杯を頭上へ掲げる。


「命を落とした者たちへ敬意を」


「生きて戻った者たちへ感謝を」


「そして、魔物に怯えることのない明日へ」


「ルミエール!」


アルディスの掛け声に応え、数百の杯が一斉に頭上へ掲げられた。


「ルミエール!」


大広間を震わせる声が重なる。


司もエルザに倣って杯を掲げ、皆とともに口をつけた。


それが、祝宴の始まりだった。


◇


最初の杯を飲み終えても、司は席を立てなかった。


次々に人が訪れるからだ。


地下で戦った兵士たちが礼を告げる。


王城の使用人が頭を下げる。


幼い子どもの手を引いた女性は、第二封鎖門で夫を失ったと名乗った。


「あの人が守った先で、魔物を生む場所を止めてくださったと聞きました」


司は返す言葉を探した。


「止めたのは、俺一人ではありません」


「はい」


女性は六人を見た。


「でも、あなたもそこにいてくださった」


「それだけで、あの人が戦ったことには意味があったと思えます」


女性はもう一度頭を下げ、子どもとともに人の中へ戻っていった。


司は、その後ろ姿を見送る。


《心拍数が上昇しています》


「異常ではない」


《了解しました》


隣に座るエルザが、司の杯へ果実酒を注いだ。


「何て答えればよかったか、分からなかった?」


「ああ」


「今のままでいいと思うよ」


「何も答えていない」


「ちゃんと聞いてたでしょ。それで十分なときもあるよ」


司は杯の中にある薄い金色の液体を見た。


アルコールを分解する機能があるため、地球の酒で酔うことはほとんどない。


この果実酒にも、未知の有害物質は含まれていなかった。


一口だけ飲む。


甘さのあとから、わずかな酸味が広がった。


「おいしい?」


「悪くない」


「それ、気に入ったときの言い方だよね」


エルザも同じ酒を口へ運んだ。


やがて、アルディスが杯を置いて立ち上がる。


「ツカサ殿。もう一つ、皆の前で確認しておきたい」


広間の視線が、再び司へ集まった。


「第二封鎖門より先は、一か月の封鎖を命じた」


「はい」


「放射線という危険が、通常なら二週間から三週間で平常値まで下がることも聞いている」


「ただし、破片や粉塵が集まった場所には、高い値が残る可能性があります」


司は周囲にも聞こえる声で説明した。


「一か月後、俺が最深部を再測定します」


「安全を確認できるまで、封鎖は解除しないでください」


「そのために頼みがある」


アルディスは王としてではなく、一人の協力者へ願うように司を見た。


「一月後の再測定が終わるまで、この王城に滞在してもらいたい」


「客人として行動を縛るつもりはない。王都へ出ることも、周辺を調べることも自由だ」


「ただ、封鎖を解く判断には、そなたの知識が必要だ」


司は答える前に、脳内AIへ確認する。


「一か月の滞在による影響を評価しろ」


《現時点で、地球への帰還経路は特定されていません》


《王城地下には、転移および神代文明へ接続する情報が残されている可能性があります》


《三十日間の滞在が帰還可能性を低下させると判断できる情報はありません》


「俺も同じ判断だ」


司はアルディスへ向き直った。


「承知しました」


「一か月後の測定が終わるまで、王城に滞在します」


アルディスの表情が緩む。


「感謝する」


広間から、安堵の声と新たな拍手が起きた。


司には、そこまで喜ばれる理由が分からない。


エルザを見ると、彼女は満足そうに何度もうなずいていた。


「どうした?」


「これで、一か月は一緒にいられるね」


「再測定のためだ」


「理由は何でもいいよ」


昨夜まで残っていた疲労が消えたように、エルザは笑った。


◇


宴が進むと、六人の周囲に集まっていた人々も少しずつ散っていった。


三人の兵士は仲間に囲まれ、それぞれ別の卓へ移っている。


負傷した槍兵は何度も杯を渡され、そのたび治療師から酒量を止められていた。


ラルスも部下たちに呼ばれ、第二封鎖門の席へ向かった。


正面の卓に残ったのは、アルディス、司、エルザの三人だった。


アルディスが焼いた肉を切り分けながら尋ねる。


「ツカサ殿。地下にいたものは、真竜とはまったく異なるのか?」


「外見と一部の身体構造は似ています」


「ただし、俺が地上で見た真竜と比べれば、頭部の形も翼も不完全でした」


「真竜にある知性も確認できません」


「やはり、名だけを借りた化け物か」


アルディスは杯へ口をつけた。


「現在、外輪山に暮らす真竜は、どれほど生きる?」


司は以前から気になっていた疑問を口にした。


「およそ千年から千二百年だ」


「千二百年……」


《これまでに得られた真竜の外見および生態情報と矛盾しません》


《既知の地球生物と比較した場合、極めて長命です》


「だが、エンシェントドラゴンはそれよりはるかに長く生きたとされている」


アルディスが続ける。


「王家に残る最も古い記録では、五万年以上を生きた個体もいたという」


「五万年……」


エルザが目を見開いた。


「私も、そこまで長いとは知らなかった」


「今の真竜と、エンシェントドラゴンは同じ種族なのか?」


「分からぬ」


アルディスは首を横へ振った。


「真竜たち自身も、古き竜を祖先として語る者と、まったく別の存在だと語る者に分かれている」


「確かなのは、神代の終わりには、すでにほとんど姿を消していたということだけだ」


司は地下で黒焦げになった巨体を思い出す。


複数の眼。


黒い鱗。


空を飛ぶ役目を果たせない翼の残骸。


あれを作った者は、五万年を生きる身体まで再現しようとした。


そして、寿命だけは再現できた可能性がある。


「あの実験体も、長期間生存できるよう設計されていた」


司は言った。


「どれほどの時間を眠っていたかは分かりません」


「ただ、施設が作られた時代から生体組織を維持していたなら、長寿化だけは成功していたことになります」


「知性も、翼も、制御する方法も失敗したのに?」


エルザが尋ねる。


「そうだ」


「ずっと生きることが、成功とは限らないんだね」


その言葉に、アルディスは静かにうなずいた。


◇


「エルザ」


人々の間から、女性の声がした。


振り向いたエルザの顔が明るくなる。


「レオナ!」


歩いてきたのは、エルザと同じルミエール人の女性だった。


長い髪を背中でゆるく束ね、身体を締めつけない淡い黄色の長衣を着ている。


下腹部は、衣服の上からでもはっきりと丸みを帯びていた。


エルザは立ち上がると、彼女の身体を気遣いながら抱きしめる。


「王城にいるって聞いてたけど、会いに行けなくてごめんね」


「昨日戻ったばかりで、地下へ潜っていた人に怒るほど狭量ではありません」


レオナはそう言いながら、エルザの両腕に残る治療布を見た。


「本当に無事でよかった」


「うん。ただいま」


二人が身体を離す。


レオナの視線が司へ向いた。


「こちらが、噂のツカサ様ですね」


「斎藤司です」


「レオナと申します。エルザとは、子どもの頃に同じ教室で学びました」


「同い年なの」


エルザが付け加える。


「六十六歳です」


司は、レオナとエルザを見比べた。


外見だけなら、どちらも二十代前半にしか見えない。


ルミエール人の年齢には慣れ始めていたが、並んで告げられると改めて感覚が狂う。


レオナは司の反応を見て、楽しそうに笑った。


「エルザから聞いていたより、ずっと真面目な方なのですね」


「エルザから、何を聞いたんですか?」


「旅の話を少し」


「その少しに、何が含まれている?」


司がエルザを見る。


エルザは視線を逸らし、皿の上の果物を口へ入れた。


「いろいろだよ」


「答えになっていない」


「細かいことを気にしたら、宴を楽しめないよ」


レオナは声を上げて笑った。


アルディスが、空いている椅子を指す。


「立っていては身体に障る。座るとよい」


「ありがとうございます、陛下」


レオナは腹部へ手を添え、ゆっくり椅子へ腰を下ろした。


司はアルディスとレオナを交互に見る。


二人の間にあるものを察したエルザが、司の袖を軽く引いた。


「レオナのお腹にいるのは、父様の子だよ」


「エルザ」


「隠すことじゃないでしょ?」


「そのとおりです」


レオナは穏やかに答えた。


「生まれれば、陛下の二十三人目の子どもになります」


「二十三人……」


司はアルディスを見る。


「何だ、その目は」


「いえ」


「言いたいことがあるなら言うとよい」


「ありません」


「その返答は、明らかに何かある者の返答だ」


アルディスが苦笑する。


エルザとレオナも笑っている。


「ツカサ殿の故郷では、子どもが二十三人いる男は珍しいのか?」


「珍しいという範囲を超えています」


司が答えると、今度はアルディスまで声を上げて笑った。


「この国に、結婚という制度がないことは聞いているか?」


「資料で確認しました」


「ならば、妻が二十三人いるわけではないことも分かるだろう」


「それは分かります」


レオナが自分の腹部を撫でる。


「陛下から子どもを望まれ、私が承諾しました」


「王には、国内の女性へ子どもを望む申し出をする特権がある」


アルディスが説明した。


「ただし、申し出る権利であって、従わせる権利ではない」


「断った者へ不利益を与えることも許されぬ」


「私は、自分で望んでここにおります」


レオナが続ける。


「お腹の子を授かるまでに何度かお会いしましたが、嫌ならいつでも断れました」


「陛下は、断られた経験も多いのです」


「レオナ、それは言わなくてよい」


「事実ではありませんか」


「王にも守るべき威厳がある」


「二十三人もお子様がいて、今さら何を守るのです?」


エルザが吹き出した。


司も、アルディスが昨夜より身近な人物に見え始めていた。


◇


「エルザの母親も、陛下から申し出を受けたのですか?」


司の問いに、アルディスが杯を持つ手を止めた。


「ルテーシアか」


「はい」


「あのときは、王の特権として申し出たわけではない」


アルディスは、少し遠いものを見るように目を細めた。


「ルテーシア・ハナウェイは、モルドエールから王都を訪れていた」


「弓の名人でな。背に弓を負って城下を歩く姿を見て、一目で心を奪われた」


「父様が自分で言うと、少し恥ずかしいね」


「お前の母の話だぞ」


「だからだよ」


アルディスは咳払いをした。


「私は身分を明かさず、子どもを望みたいと申し出た」


「彼女は、相手が国王だと知らないまま承諾した」


「なぜ身分を隠したんですか?」


「王だから応じたのか、私自身を受け入れたのか、分からなくなるのが嫌だった」


「それは、身勝手ではありませんか?」


司が言うと、レオナが小さく笑った。


アルディスは反論せず、杯を傾ける。


「若かったのだ」


「父様、今も同じことを言いそう」


「今は王だと知らぬ者を探す方が難しい」


「そういう問題かな?」


エルザの指摘に、アルディスは答えなかった。


「ルテーシアは、すぐにエルザを身ごもったのですか?」


「いや」


アルディスの表情が少し柔らかくなる。


「三年かかった」


「その間、彼女は王城に滞在した。弓を教え、狩りへ出て、私の悪い癖を遠慮なく指摘した」


「三年後にエルザを身ごもり、出産してしばらくすると故郷へ戻った」


「今はモルドエールで弓を教えている」


エルザが、自分の指先を見ながら微笑む。


「私が弓を使えるのは、母様に教えてもらったからだよ」


「ボーガンは別の者に教わったがな」


アルディスが付け加えた。


エルザの耳が、わずかに動く。


「イーザスのこと?」


「そうだ」


アルディスは司を見る。


「グラミエール士族のイーザス。百三十三歳。王都でボーガンを教えている」


「腕は確かだ。それは認める」


「父様、どうして少し嫌そうなの?」


「エルザを女にした男だからだ」


司の動きが止まった。


口へ運びかけていた杯も、空中で止まる。


《運動制御に異常はありません》


「分かっている」


《確認に対する応答です》


エルザは、父親の言葉に動じていなかった。


「イーザスは、私が最初に好きになった人だよ」


「ボーガンの腕自慢大会で会ったの」


「最初は私が勝ったんだけど、そのあと教えてもらうようになった」


「今も会っているのか?」


司は確認した。


「うん。王都へ戻ったときは、必ず会うよ」


「関係も続いているということか?」


「そうだよ」


ためらいのない返答だった。


司は、エルザと出会ってからの言動を思い返す。


彼女が嘘をついていたわけではない。


司が、自分の世界の関係を無意識に当てはめていただけだ。


「嫌だった?」


エルザが尋ねる。


先ほどまでの軽い調子ではない。


司の答えを、まっすぐ待っている。


「俺の故郷とは、考え方が違う」


司は正直に答えた。


「だから、すぐに理解できたとは言えない」


エルザの耳が少し伏せられる。


「だが、お前が隠していたわけではない」


「この国で、複数の相手を大切にすることが不誠実ではないことも分かっている」


「俺の常識だけで、お前を責めるつもりはない」


エルザの耳が、ゆっくり元へ戻った。


「よかった」


「イーザスにも、ツカサの話をしたいな」


「その必要はない」


アルディスがすぐに口を挟んだ。


「どうして父様が決めるの?」


「父親として、複雑なだけだ」


「百三十三歳の男と六十六歳の娘に対して、今さらではありませんか?」


レオナが言う。


「レオナ。そなたは、さきほどから私への遠慮が足りぬ」


「陛下が今夜は無礼講とおっしゃいました」


「その言葉を覚えている者ほど、都合よく使う」


四人の卓に、再び笑いが起きた。


◇


真竜の寿命よりも、司にとって理解が難しい話は、そのあとに待っていた。


アルディスとの会話が終わる頃には、司が一か月王城へ滞在するという話が広間全体へ伝わっていた。


最初に近づいてきたのは、王立記録院で働いているというルミエール人の女性だった。


「異世界のお話を、ぜひ詳しく聞かせてください」


「公開できる情報には限りがあります」


「では、公開できる範囲で結構です。今夜、お部屋でゆっくりいかがですか?」


「記録の聞き取りですか?」


女性は一瞬きょとんとしたあと、楽しそうに笑った。


「もちろん、それもいたします」


次に来たのは、地下迷宮の戦いに参加した女性兵士だった。


「あなたの戦いを見ました。もしご迷惑でなければ、一晩お相手をさせてください」


「治療は終わっているのか?」


「はい。身体には、どこにも問題はありません」


女性兵士は、問題がないことを示すように司の前で両腕を広げた。


その後ろから、別の女性が進み出る。


「私は一晩だけではなく、子どもを望みます」


周囲にいた数人が、私も、と声を上げた。


司は椅子へ座ったまま、短時間で周囲を囲まれた。


《周囲二メートル以内に、女性十一名》


《うち八名が斎藤司へ継続的な関心を示しています》


「包囲された」


《武器を所持している人物は二名》


《いずれも儀礼用の短剣です》


《現時点で敵対行動は確認できません》


「そういう意味ではない」


《では、状況の説明を求めます》


「必要ない」


女性たちの質問は途切れなかった。


地球の女性は皆、司のように強いのか。


身体のどこまでが機械なのか。


食事を取らなくても本当に動けるのか。


今夜、誰か一人を選ぶのか。


子どもを作るつもりはあるのか。


最後の質問に、司は答えられなかった。


自分には、生殖能力がない。


この世界へ転移した時点で確認した事実だった。


軍用サイボーグとして設計された身体に、次代へ遺伝情報を残す機能は必要とされなかった。


だが、目の前の女性たちは司の強さを、自分の子どもへ継がせたいと望んでいる。


その願いへ応じることはできない。


「困らせないで」


女性たちの輪へ、エルザが入ってきた。


救援だと考えた司は、わずかに息を吐く。


「ツカサは、こういうことに慣れてないの」


「殿下が独占なさるのですか?」


記録院の女性が尋ねる。


「しないよ」


エルザはあっさり答えた。


司は、エルザを見る。


「しないのか?」


「うん。ツカサが望んで、相手も望むなら、私が止めることじゃないから」


「でも、今すぐ答えを出させるのは駄目」


エルザが女性たちを見回す。


「一か月いるんだから、焦らなくても会えるでしょ?」


女性たちは互いに顔を見合わせた。


一人が笑い、また明日、と告げる。


それをきっかけに、包囲は少しずつ解けていった。


司はエルザへ向き直る。


「助かった」


「どういたしまして」


「あれが、昨日言っていたことか?」


「何のこと?」


「宴で俺を襲う者がいるかもしれないと言った」


エルザは口元へ手を当てた。


「襲われてはいないよ。申し込まれただけ」


「俺には大きな違いが分からない」


「すぐ慣れると思う」


「慣れるつもりはない」


「一か月もあるよ?」


エルザが楽しそうに笑う。


だが、すぐに声を落とし、司の耳元へ顔を寄せた。


「私も、止めるつもりはないからね」


「何をだ?」


「ツカサの子どもが欲しいって思ってること」


司の表情から、わずかに動きが消えた。


エルザは気づかずに続ける。


「ほかの人と関係を持つのは構わないよ」


「でも、ツカサの最初の子どもを身ごもるのは、私がいい」


緑色の瞳が、まっすぐ司を見ている。


冗談ではなかった。


司は、守れない約束を口にできない。


「その話は、あとでしよう」


「うん」


エルザは拒絶されたとは考えなかったらしい。


頬を少し赤くしながら、うれしそうにうなずいた。


司の胸に、小さな痛みだけが残った。


◇


宴が終わりに近づいた頃、アルディスが三人の女性を連れてきた。


全員が、濃緑色と生成り色を基調とした半袖の使用人服を着ている。


スカートとエプロンは膝より少し下まであり、脚には黒いストッキングを身につけていた。


最初の女性は、短い金髪を簡素な髪留めで留め、丸い眼鏡をかけている。


小柄で細身のルミエール人だった。


「ニーナと申します」


次の女性は、薄い栗色の長い髪を後ろで束ね、左側へ流していた。


顔には薄いそばかすがあり、左の口元に輪郭のはっきりしたほくろがある。


左耳には、小さな銀色の輪が一つ付いていた。


「レイミーと申します」


最後の女性は、赤い髪を肩の下まで伸ばしている。


耳は司と同じ人間型で、猫人族に見られる耳や尾はない。


ただし、そろえた指先の爪は、人間よりもわずかに鋭かった。


左耳には銀色の輪が二つ並んでいる。


「ジーナと申します」


三人が同時に頭を下げた。


「ツカサ殿が滞在する一か月間、身の回りを担当する者たちだ」


アルディスが説明する。


「三人も必要ありません」


「王城へ長く滞在する賓客に、専任の者を付けるのは普通のことだ」


「一人で十分です」


「客室の管理、衣服、食事、入浴、城内の案内。昼夜を通して一人に任せれば、休む時間がなくなる」


それは合理的だった。


司は三人を見る。


「交代勤務ということですか?」


一瞬だけ、三人の間に沈黙が生まれた。


ニーナが眼鏡の位置を直す。


レイミーは穏やかな笑顔を浮かべたまま、ジーナへ視線を送る。


ジーナも何かを言おうとしたが、その前にエルザが口を開いた。


「詳しいことは、部屋へ戻ってから聞けばいいよ」


「なぜ、お前が答える?」


「今は宴の途中だから」


答えになっているようで、なっていない。


三人は、もう一度そろって頭を下げた。


「ご滞在の間、昼夜を問わずお世話をさせていただきます」


司は、夜間にも一人が待機するという意味だと理解した。


エルザと、少し離れた場所にいたレオナが、意味ありげに視線を交わす。


それにも気づかなかった。


◇


やがて、宴を終える鐘が鳴った。


楽器の音が止まり、残っていた客たちが少しずつ大広間を出ていく。


司も立ち上がった。


ニーナ、レイミー、ジーナの三人が、少し離れた位置で待っている。


エルザはレオナを部屋まで送ることになり、先に大広間を出ていた。


司が三人のもとへ向かおうとすると、アルディスの側近が前へ出た。


「ツカサ様」


「何でしょうか」


「陛下がお呼びです」


司は大広間の正面を見る。


アルディスの姿は、すでになかった。


「公的な話ですか?」


「いいえ」


側近は声を落とした。


「お一人でお越しいただきたいとのことです」


司は三人の侍女へ向き直る。


「先に部屋へ戻っていてください」


「承知しました」


三人が頭を下げる。


司は側近に案内され、大広間とは反対側の通路へ進んだ。


王の私室がある区画ではない。


執務室からも、王族の居住区からも離れている。


通路を二度曲がり、下り階段を一つ進む。


突き当たりに、小さな木製の扉があった。


扉の前に警備兵はいない。


側近が鍵を開ける。


「陛下は中でお待ちです」


「あなたは入らないのですか?」


「私は、ここで失礼いたします」


側近は司が入ると、外から扉を閉めた。


部屋の中には、小さな机と二脚の椅子しかない。


窓もなかった。


壁へ一つだけ取り付けられた宝玉が、淡い光を放っている。


アルディスは王の衣装を脱ぎ、簡素な上着へ着替えていた。


机の上には、酒も料理も置かれていない。


「座ってくれ」


司はアルディスの向かいへ座った。


《室内に第三者の生命反応はありません》


《壁面の厚さは平均一・二メートル》


《既知の盗聴装置および通信反応は検出されません》


「陛下」


「今は、その呼び方でなくてよい」


アルディスは両手を机の上で組んだ。


先ほどまでの宴で見せていた笑顔はない。


「そなたに、一つ頼みたいことがある」


「内容を聞いてから判断します」


「それでよい」


アルディスはすぐには続けなかった。


何度か口を開きかけ、そのたびに言葉を飲み込む。


王として命令を下す姿しか知らない者が見れば、別人に見えただろう。


やがて、アルディスは静かに息を吐いた。


「今夜、レオナの腹にいる子が、私の二十三人目の子になると話した」


「はい」


「だが、正確には違う」


司は黙って続きを待った。


「私には、公に数えていない息子が一人いる」


アルディスの指へ力が入る。


「母親は、北方から来た人間の女性だ」


人間。


その言葉が、司をこの部屋へ呼んだ理由と結びつく。


「その息子は、自分の父親を知らない」


「王族として登録もしていない。私と会った記憶すらない」


「なぜ、俺に話すのですか?」


「そなたが、この国の血縁にも権力にも縛られていない人間だからだ」


アルディスは司の目を見た。


「そして、あの子に近づいても、王家との関係を疑われにくい」


司は、王の顔ではなく、一人の父親の顔を見ていた。


「名前は?」


「ロイン・ブルック」


アルディスは答えた。


「二十一歳だ」


「本人は、自分が私の息子だとは知らない」


――第十八話・終


挿絵(By みてみん)

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