第17話「六人の帰還」
帰りの通路は、行きよりも静かだった。
魔物の咆哮も、爪が金属床を引っかく音も聞こえない。
壁の奥で動いていた機械音さえ止まり、六人の足音だけが細い通路へ響いている。
カツン。
カツン。
六人は、区画制御装置によって新たに開いた保守通路を進んでいた。
この道なら、マイクロ・アトミックシャワーを使用した封鎖区画を通らずに培養室へ戻れる。
先頭はラルス。
その後ろを、土鬼族の兵士に支えられた猫人族の槍兵が歩いている。
右肩には応急処置の布が巻かれ、腕は身体へ固定されていた。
ルミエール人の弓兵が、その後方を警戒する。
エルザは槍兵の歩調に合わせ、いつでも反対側から支えられる位置にいた。
最後尾を歩く司は、レプリケータの状態と六人の生命反応を交互に確認している。
《同行者五名の生命反応に急激な変化はありません》
《猫人族兵士の出血量は減少しています》
《ただし、帰還後に傷口の洗浄と縫合が必要です》
「分かっている」
《携帯型レプリケータは緊急冷却を継続中》
《通常製造機能の復旧まで、二十二分を要します》
司は背中から伝わる熱を確認した。
外殻はまだ温かいが、触れられないほどではない。
あの一発を作るため、内部の全回路が限界に近い出力で動いた。
補充した希少素材があっても、装置そのものが壊れれば意味はない。
《禁則兵器使用記録の保全処理が完了しました》
視界の端に、赤い枠で囲まれた表示が現れる。
《使用申請、再確認、生成命令、発射記録、着弾後の測定結果を独立記録領域へ保存》
《地球圏への帰還時、上級司令部への自動提出対象となります》
《軍事法廷から要求された場合、改変されていない全記録が証拠として提出されます》
「何度も言わなくても分かっている」
《確認に対する応答です》
脳内AIの声には、責める響きも、慰める響きもなかった。
ただ定められた事実を、定められた順序で告げている。
司は前を歩く五人を見た。
ラルスの深緑色の外套は裂け、鎧には爪痕が残っている。
エルザの盾に埋め込まれた宝玉は、ほとんど光を失っていた。
三人の兵士も、血と培養液と煤にまみれている。
それでも、全員が自分の足で地上へ向かっていた。
使用しなければ、今ここに何人残っていただろう。
結果だけで使用の正当性が決まるわけではない。
禁則兵器には、それだけの理由がある。
判断の過程も、ほかの手段が本当になかったのかも、帰還すれば調べられる。
それでも、司は自分の決定を後悔していなかった。
「ツカサ」
エルザが歩調を緩め、司の隣まで下がってきた。
「何だ?」
「さっきから、ずっと怖い顔をしてる」
「いつもと変わらない」
「変わってるよ」
エルザは前を歩く兵士たちとの距離を確認してから、声を落とした。
「あの武器を使ったこと、後悔してるの?」
司はすぐには答えなかった。
「後悔はしていない」
「じゃあ、何を考えてたの?」
「地球へ帰還した場合、あの兵器を使用したことについて審理を受ける」
「しんり?」
「正しい判断だったかを調べる裁判だ」
エルザの耳が、ぴんと立った。
「あれを倒したのに、罪になるの?」
「必要性が認められれば、罪にはならない」
「認められなかったら?」
「処罰される可能性がある」
エルザは足を止めかけた。
「おかしいよ。あれを使わなかったら、私たちは死んでた」
「それを、残された記録から判断するのが軍事法廷だ」
「記録だけじゃ分からないこともあるでしょ」
「だから証言も取る」
「それなら、私が説明する」
「地球の軍事法廷は、異世界に住むルミエール人の証言を想定していない」
「だったら、想定させればいいよ」
エルザは迷いなく言った。
「私も、兄様も、あの三人も、あそこにいた。ツカサだけの責任じゃない」
「使用を決定し、発射したのは俺だ」
「でも、五分半を稼ぐって決めたのは六人だよ」
前方から、ラルスの声がした。
「エルザの言うとおりだ」
振り返らないまま、ラルスは歩き続けている。
「ツカサ殿の故郷の法が、私たちの証言をどう扱うかは分からない」
「だが、必要なら私も証言する。あの場で指揮を執っていた者としてな」
「兄様、聞いてたの?」
「この通路で聞こえないと思ったのか?」
エルザは少し気まずそうに耳を伏せた。
ラルスは、そこで初めて振り返った。
「それに、軍事法廷が開かれるということは、ツカサ殿が故郷へ帰れたということだろう」
「そうなる」
「ならば、帰るまで忘れなければいい。報告すべきことが一つ増えただけだ」
ラルスは再び前を向いた。
司は、隣にいるエルザを見る。
エルザは、当然だと言うようにうなずいた。
「一人で背負わないで」
第二封鎖門で、戦闘機械へ戻りかけた司を引き止めたのも、この声だった。
「分かった」
司が答えると、エルザの耳が元の角度へ戻った。
◇
保守通路を抜けると、培養室へ戻った。
青い液体に満たされた円筒は、すべて沈黙している。
点滅していた赤い光は消え、外殻も閉じたまま動かない。
床には、戦闘で倒した魔物と、形成途中で崩れた個体が残されていた。
生きている反応はない。
エルザが、円筒の中に浮かぶ不完全な影を見上げた。
「もう、外へ出てこないんだよね」
「この区画の装置は止めた」
「ずっと?」
「誰かが、もう一度動かさない限りはな」
「そんなこと、させないよ」
ラルスが制御盤の表示を確認する。
「この入口を封鎖する。中へ入る者も、王の許可を受けた者だけにする」
「最深部には、しばらく誰も入れない方がいい」
司は答えた。
「あの爆発が起きた部屋には、目に見えない危険が残っている」
「先ほど言っていた、放射線というものか?」
「そうだ。短時間なら直ちに命を失う量ではない。だが、長く浴びる理由もない」
「どれほど待てばよい?」
「今回散布した核マイクロマシンの量なら、通常は二週間から三週間で平常値まで下がる」
「ただし、破片や粉塵が一か所へ集まっていれば、そこだけ高い値が残る可能性がある」
「安全を優先するなら、封鎖期間は一か月だ。そのあと、俺が最深部を再測定する」
ラルスの表情が険しくなる。
「知らずに入れば、どうなる?」
「浴びた量によっては、すぐには何も起きない。数日後、あるいはもっと後に身体を壊す」
「見えず、臭いもなく、後から人を殺すのか」
「だから禁則兵器なんだ」
六人は培養室を通過し、閉じていた入口へ向かった。
保安権限で解錠された扉は、中央に人一人が通れる隙間を作っている。
その先は、第二封鎖門へ続く石造通路だった。
金属の床から石の床へ足を移した瞬間、ラルスの左手首が淡く光った。
正式な国民用ブレスレットに付いた、小さな紫色の宝玉だった。
光は一度消え、また点く。
「通信が戻り始めた」
ラルスが宝玉へ指を当てる。
「こちらラルス。第二封鎖門、応答せよ」
最初に返ったのは、砂を擦るような雑音だった。
『……こちら……第二封鎖……』
声が途切れる。
ラルスは位置を変え、もう一度呼びかけた。
「こちらラルス。地下深部の異常を停止した」
宝玉の光が強くなる。
『副将! ご無事ですか!』
今度は、はっきり聞こえた。
「帰還者は六名。負傷者一名を含むが、全員生存している」
背後で、誰かが声を上げた。
続いて、複数の兵士が一斉に話す音が通信へ入り込む。
『六名全員ですか!』
「そうだ。担架と治療具を用意しろ」
『承知しました!』
「深部から新たな魔物が来る可能性は低い。ただし、警戒は解除するな。詳しい報告は戻ってから行う」
『お待ちしております、副将!』
通信が切れた。
負傷した猫人族の槍兵が、安堵したように息を吐く。
「帰ってきたことを、やっと信じられました」
「まだ着いていない」
ラルスは厳しい言葉を返したが、その声は少しだけ柔らかかった。
「最後まで気を抜くな」
「はい」
六人は、第二封鎖門へ向かって再び歩き始めた。
◇
第二封鎖門の手前には、多くの兵士が集まっていた。
負傷者を運ぶための担架。
水と布。
包帯や薬草を入れた木箱。
通路の両側へ並んだ兵士たちは、暗闇から現れた六人の姿を見つける。
「副将だ!」
「エルザ殿下もいる!」
「六人だ! 本当に全員いるぞ!」
声が重なり、大きな歓声へ変わった。
剣を掲げる者。
盾を叩く者。
涙を拭う者。
長い通路に、何度も六人の帰還を喜ぶ声が反響した。
ラルスは、歓声の中で右手を上げた。
兵士たちが少しずつ静かになる。
「最深部にあった、魔物を作る装置は停止した」
一瞬の沈黙。
意味を理解した兵士たちの表情が変わる。
「もう、魔物は湧かないのですか?」
前列にいた猫人族の兵士が尋ねた。
「王城地下にある装置から、新しい魔物が作られることはなくなった」
ラルスは、断言できる範囲だけを伝えた。
「ただし、地下に残っている個体がすべて消えたわけではない。警戒は続ける」
それでも、兵士たちの間から歓声が上がった。
何百年も繰り返されてきた討伐。
いつ現れるか分からない魔物。
封鎖門を守り続ける任務。
その原因が、初めて取り除かれた。
歓声は先ほどよりも大きくなった。
だが、司は通路の右側に目を向けた。
壁際に、灰色の布をかけられた人影が並んでいる。
一つではない。
その前には、回収された剣や槍、割れた盾が置かれていた。
第二封鎖門の戦闘で命を落とした兵士たちだった。
歓声に気づいた者から、同じ方向を見る。
一人、また一人と声を止めた。
やがて、通路は静まり返った。
帰還したルミエール人の弓兵が、布の下から見える一足の靴を見つめた。
ゆっくり歩み寄り、その場へ膝をつく。
弓を床へ置き、両手で顔を覆った。
誰の遺体なのか、司には分からない。
だが、弓兵には靴だけで分かったのだろう。
土鬼族の兵士も兜を脱いだ。
負傷した槍兵は支えを断り、左手で槍を杖代わりにして立つ。
ラルスは、並べられた遺体の前へ進んだ。
剣を抜き、刃を自分の胸の前へ垂直に立てる。
エルザも盾を置き、胸元へ右手を添えた。
司は踵をそろえ、背筋を伸ばした。
右手を眉の横へ上げる。
この世界の作法ではない。
それでも、戦場で命を落とした者へできる、司なりの敬礼だった。
ラルスが低い声で言う。
「私たちが深部へ到達できたのは、ここを守った者たちがいたからだ」
誰も動かなかった。
「魔物を生む装置は止まった」
「お前たちの犠牲を、無駄にはしない」
ラルスは剣を下ろした。
司も敬礼を解く。
帰還を祝う声は、もう上がらなかった。
代わりに、兵士たちは静かに道を開けた。
◇
「全員、ここで止まれ」
司は第二封鎖門を通過する前に、六人を広い待機区画へ集めた。
治療兵が負傷者へ近づこうとする。
「まだ触らないでくれ」
「傷の処置が必要です」
「先に、危険な物質が付着していないか確認する」
治療兵は戸惑いながらも、二歩下がった。
司は電子眼の走査範囲を広げた。
五人の身体。
武器。
盾。
衣服と靴底。
レプリケータ。
《表面汚染を走査中》
《同行者五名から、警戒値を超える放射性物質は検出されません》
《斎藤司の右靴底、および左脚外装に微量の放射性粉塵を検出》
《周辺への二次汚染を防ぐため、除去を推奨します》
「俺以外は問題ない」
司はレプリケータを床へ降ろした。
通常機能は復旧している。
除染用の吸着布と、密閉容器を生成する。
《生成時間、十七秒》
内部から小さな作動音が始まった。
「ツカサ殿だけが、危険なのですか?」
猫人族の槍兵が尋ねる。
「俺の身体と装備には対策がある。付着している量も少ない」
「触れれば、私たちにも移るの?」
「可能性がある。だから落とす」
回収口が開いた。
司は灰色の吸着布を取り出し、右の靴底と左脚の外装を丁寧に拭った。
使用済みの布を厚い密閉容器へ入れる。
蓋を閉め、もう一度全身を走査した。
《表面汚染、警戒値未満》
《周辺への汚染拡大はありません》
「これで触れても問題ない」
治療兵たちが、ようやく六人へ近づいた。
猫人族の槍兵は担架へ乗せられる。
ラルスは裂けた胸当てを外され、脇腹の打撲を確認された。
エルザの両腕には、防壁を支えたときの内出血が広がっていた。
治療兵が盾の宝玉へ手を伸ばそうとする。
「それは触らない方がいいよ。今、すごく弱ってるから」
「宝玉が弱るのですか?」
「私も初めて見たけど、たぶん」
エルザは亀甲盾を自分で抱えた。
司は治療兵の一人へ、先ほど密閉した容器を示した。
「これは、ほかの廃棄物と一緒にするな。俺が管理する」
「承知しました」
「最深部の封鎖区画には、誰も入れないでくれ。床へ散った黒い鱗も回収してはいけない」
ラルスがその言葉を引き継いだ。
「第二封鎖門より先は、一か月間立ち入り禁止とする。交代の兵士にも徹底しろ」
「はい、副将」
「内部の監視は続ける。ただし異常を確認しても、勝手に深部へ入るな。まず地上へ報告しろ」
命令を受けた兵士が走り出す。
六人は治療を受けながら、地上へ戻る準備を進めた。
◇
王城の地上部へ戻ったとき、窓の外は夜になっていた。
地下警報を受けて避難していた者たちは、すでにそれぞれの持ち場へ戻り始めている。
それでも地下入口の周辺には、多くの兵士や王城の使用人が残っていた。
六人が現れると、押し殺した声が広がっていく。
「戻った……」
「全員、生きてる」
「魔物を作る場所を止めたらしい」
誰が伝えたのか、深部で起きたことの一部はすでに広まり始めていた。
ラルスは集まる人々へ立ち止まらず、負傷者の搬送を優先させた。
六人は王城内の治療室へ入る。
猫人族の槍兵は傷口を洗浄され、縫合を受けた。
土鬼族の兵士と弓兵にも、細かな裂傷と打撲が見つかる。
ラルスとエルザも、治療師から薬を塗られ、布を巻かれた。
司の身体には、治療を必要とする損傷はなかった。
走行スーツと装甲服の一部が傷ついているが、自己修復可能な範囲に収まっている。
治療が終わる前に、扉の外が静かになった。
衛兵の声が響く。
「国王陛下がお見えです」
治療室にいた者たちが立ち上がろうとする。
扉が開き、国王アルディスが入ってきた。
長い銀髪には白いものが混じり、額には深い緊張の跡が残っている。
王としての衣装を着ているが、儀礼用の装飾はほとんど身につけていなかった。
「そのままでよい」
低く落ち着いた声が、立ち上がろうとした兵士たちを止めた。
アルディスは最初に六人を見渡した。
全員の顔を、一人ずつ確かめる。
そしてエルザの前へ進んだ。
「父様……」
アルディスは、包帯の巻かれた娘の両腕を見た。
何も言わず、エルザを抱きしめる。
エルザは一瞬驚いたあと、父親の背へ腕を回した。
「ただいま、父様」
「ああ」
短い返事だった。
だが、娘を抱く腕には力がこもっていた。
アルディスはエルザを離すと、ラルスの前へ立つ。
裂けた外套と傷ついた鎧を見て、その肩へ手を置いた。
「よく戻った」
「ご心配をおかけしました、父上」
「報告はあとで聞く。今は、六人とも戻ったことを喜ばせてくれ」
国王は三人の兵士にも歩み寄った。
身分も種族も異なる三人へ、同じように言葉をかける。
「よく生きて戻ってくれた」
三人は座ったまま、深く頭を下げた。
最後に、アルディスは司を見る。
「ツカサ殿」
「はい」
「二人で生きて戻るという約束を、果たしてくれたな」
「俺一人で果たした約束ではありません」
司は治療室にいる五人を見る。
「全員がいたから戻れました」
アルディスは、ゆっくりうなずいた。
「その話も含めて、聞かせてもらいたい」
◇
正式な報告は、治療室の隣にある作戦会議室で行われた。
大きな机の上には、王城地下の古い見取り図が広げられている。
国王アルディス。
ラルス。
エルザ。
司。
そして、治療を終えた三人の兵士。
負傷した猫人族の槍兵には椅子が用意されていた。
アルディスは、ほかの五人にも座るよう命じた。
「これは謁見ではない。正確な報告を聞くための場だ」
全員が席につく。
ラルスが、第二封鎖門での戦闘から順番に報告を始めた。
通常とは比べものにならないほど凶暴化した魔物。
痛みも恐怖もなく、致命傷を負っても襲いかかってきたこと。
第二封鎖門を立て直したあと、司、エルザ、ラルスと三人の兵士が深部へ進んだこと。
そこで、魔物を作り続ける培養設備を発見したこと。
報告を聞くアルディスの表情は動かなかった。
だが、戦死者と負傷者の数が告げられたとき、机の上で組んだ指へ力が入った。
ラルスは続ける。
「ツカサ殿の装置を使い、培養室単体の停止には成功しました」
「しかし、それだけでは再起動を防げないと判明したため、区画全体を制御する場所へ向かいました」
アルディスが司を見る。
「魔物は、あの場所で作られていたのか?」
「はい」
「自然に棲みついたものではなく?」
「保存されていた生体細胞から、機械が同じ生物を繰り返し複製していました」
アルディスは意味を考えるように、わずかに目を細めた。
「生体細胞とは?」
「生物の身体を作る、極めて小さな単位です。その一部へ残された情報から、同じ特徴を持つ身体を育てていたと考えてください」
「死んだ魔物を、生き返らせていたのか?」
「同じ個体を生き返らせたわけではありません。同じ設計を持つ、別の個体を作っていました」
「だから、何度倒しても同じような魔物が現れたのか」
「そう考えられます」
司は、培養個体の在庫情報が壊れていたことを説明した。
装置は実験動物が一体もいないと誤認し、不足を補う命令を繰り返していた。
成長を確認する機能も壊れ、未完成な個体まで外へ排出していた。
「誰が、そのようなものを作った?」
アルディスの問いに、司は首を横へ振った。
「分かりません」
「装置に記録は残っていなかったのか?」
「研究記録は、ほぼすべて消されていました」
「長い年月で失われたのではありません」
司は、同じ命令で記録領域が一斉に上書きされていたことを伝える。
「誰かが、知られたくない情報を意図的に消しています」
部屋に重い沈黙が落ちた。
アルディスは古い見取り図へ目を向ける。
「地下迷宮は、空から落ちた船だと話していたな」
「正確には、船の一部分です」
司は紙の見取り図の外側へ指を置いた。
「深部で確認した構造は、三方向が直線的に途切れていました。固定具と分離用の推進装置も残っています」
「より巨大な船から、切り離された区画だと判断しています」
「残りの区画は?」
「どこにあるか分かりません。王都の近くへ落ちた可能性も、遠くへ落ちた可能性もあります」
アルディスはラルスを見る。
「地上の調査も必要になるな」
「はい。ただし、今は地下の封鎖を優先すべきです」
「そのとおりだ」
アルディスは、司へ報告の続きを促した。
「区画全体を止める場所へ向かう途中で、巨大な実験生物が覚醒しました」
エルザが、膝の上で両手を握る。
司は続けた。
「残っていた表示では、エンシェントドラゴンを模して作った実験体とされていました」
アルディスの顔から、わずかに血の気が引いた。
「エンシェントドラゴンだと?」
「本物ではありません。模倣実験体です」
「それでも、伝承にしか残っていない存在を作ろうとしたというのか」
「飛行用の翼は不完全で、知性も最低限しかありませんでした」
「神代語で、殺す、壊す、燃す、と繰り返していました」
アルディスは何も答えなかった。
この国の王だけが知る記録に、何が残されているのか。
司には分からない。
だが、エンシェントドラゴンという言葉を、アルディスは知っていた。
「なぜ、今になって目を覚ました?」
「本来は、鎮静作用を持つ気体で活動を抑えられていました」
「設備の誤作動で、その気体が封鎖区画から排出されたためです」
「倒したのか?」
「はい」
司は一度、言葉を切った。
「ただし、通常の武器では倒せませんでした」
◇
司は、禁則兵器の使用について説明した。
携帯型レプリケータで生成したこと。
完成まで五分二十九秒を要したこと。
六人で攻撃をかわしながら、その時間を稼いだこと。
着弾後、三十秒で起爆したこと。
そして、爆発後の区画に放射線が残ったこと。
「その兵器は、どれほど危険なものなのだ?」
「今回のように対象へ直接付着させれば、破壊を狭い範囲へ集中できます」
「しかし、放射性物質を使います。製造中に事故が起きれば、使用者と周囲の者を巻き込む可能性もあります」
「だから禁じられているのか」
「無条件に禁止されているわけではありません。ただし、通常の指揮系統では容易に使用できない兵器です」
「今回は、その指揮官がいなかった」
「はい。地球との通信手段もありません」
司はアルディスの目を見た。
「使用を決めたのは俺です」
「脳内AIとの会話も、生成から発射までの記録も、すべて保存されています」
「地球へ帰還した場合、軍事法廷で判断を受けます」
「責任は、俺一人にあります」
「違います」
猫人族の槍兵が声を上げた。
椅子から立とうとして、傷の痛みに顔をしかめる。
「座ったままでよい」
アルディスが言う。
槍兵は座り直したが、司から目を逸らさなかった。
「あの武器が完成するまで戦うと決めたのは、私たち全員です」
土鬼族の兵士が続ける。
「ツカサ殿が一人で作っていたのではない。私たちが守ったから完成した」
「撃たなければ、全員あそこで死んでいました」
ルミエール人の弓兵も言った。
「私たちが生きていることが、必要だった証拠にはなりませんか」
司が答える前に、ラルスが口を開いた。
「現場の指揮を執っていたのは私です」
「ツカサ殿が兵器の危険性と必要な時間を説明したあと、五分二十九秒を稼ぐと決めた」
「退却を命じることもできました。だが、逃げ道は狭く、あれを残せば第二封鎖門まで到達する可能性があった」
「使用を止めなかった責任があるというなら、私にもあります」
エルザが、最後に言った。
「私も、使ってって思ってた」
ラルスが妹を見る。
「お前は、もう少し言葉を選べ」
「でも本当だよ」
「あれを倒せるなら使ってほしいって、みんな思ってた」
「だから、ツカサだけの責任にするのは違う」
五人の視線が、司へ集まる。
アルディスは、しばらく何も言わなかった。
やがて、静かに口を開く。
「ツカサ殿の故郷の法を、我々が変えることはできない」
「はい」
「だが、この国で起きた事実を記録することはできる」
アルディスは机の端にいた記録官へ向けて言った。
「今の証言を、全員の名とともに残せ」
「兵器を使用するまでの状況、ほかに有効な手段がなかったこと、六人の合意によって時間を稼いだこともだ」
「承知しました」
記録官の筆が動き始める。
「国王である私の名でも証明する」
アルディスは司を見た。
「この兵器は、王都と民を守るために使用された」
「もし故郷へ戻り、その法廷へ立つ日が来たなら、この国の記録も持っていくとよい」
「異世界の王が残した文書を、地球の法廷が証拠として扱うかは分かりません」
「それを判断するのは、その法廷だ」
アルディスの返答に迷いはなかった。
「我々が事実を残さない理由にはならない」
司は、一度だけ深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
◇
報告の最後に、司は二つの密閉容器を机へ置いた。
一つには、エンシェントドラゴンもどきの黒い鱗。
もう一つには、資材保管区画で発見した黒い結晶が入っている。
容器の外からは、内容物が見えない。
「これは何だ?」
アルディスが尋ねる。
「最深部で回収した試料です」
司は黒い鱗から説明した。
核兵器級の爆発を受けても、一部が形を残したこと。
レプリケータでも材質を完全には特定できないこと。
続いて、もう一つの容器へ手を置く。
「こちらは、資材保管区画に残されていた未知の物質です」
「危険なものか?」
「現時点では、危険性も用途も分かりません」
「レプリケータで複製することもできませんでした」
「ツカサ殿の装置でも作れないのか」
「構造を読み取れません。分解すれば、同じ状態へ戻せなくなる可能性があります」
「名称は?」
「正式名称は不明です。脳内AIは仮に、UM―01と登録しています」
アルディスは容器へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。
「王城の者へ調べさせることはできるか?」
「安全性が確認できるまでは、触れさせない方がいいでしょう」
「分かった」
アルディスは即座に手を引いた。
「そのままツカサ殿が保管してくれ」
「よろしいのですか?」
「我々には、安全に容器を開く方法も、調べる方法もない」
「発見したという理由だけで扱い、取り返しのつかない事態を起こすべきではない」
「性質が分かった時点で報告してほしい。それまでは誰にも触れさせない」
「承知しました」
司は二つの容器を収納袋へ戻した。
アルディスは、机に広げられた見取り図へ向き直る。
「ラルス」
「はい、父上」
「第二封鎖門より先を、一か月間立ち入り禁止とする」
「見張りは残すが、異常があっても深部へ入らせるな」
「承知しました」
「魔物の発生が本当に止まったか、地上側で記録を続けろ」
「黒い鱗と、爆発が起きた区画については、ツカサ殿が安全を確認するまで接近を禁じる」
「一か月後、ツカサ殿の再測定を受け、安全が確認できた場合にのみ封鎖解除を検討する」
「直ちに命令を出します」
アルディスは、そこで全員を見渡した。
「今夜、王城の鐘を鳴らす」
エルザの表情から、わずかな明るさが消えた。
それが勝利を祝う鐘ではないと、すぐに分かったのだろう。
「まず、命を落とした者たちを送り出す」
「名を一人ずつ記録し、その働きを家族へ伝える」
「負傷者の治療と、残された者への補償も行う」
国王の声が、会議室へ静かに響いた。
「我々が今日を迎えられたのは、地下で戦ったすべての者のおかげだ」
誰も言葉を挟まなかった。
「戦死者を見送ったあと、帰還した者たちのために宴を開く」
アルディスは司を見る。
「ツカサ殿にも出席してもらいたい」
「俺だけではなく、六人全員を功労者として扱ってください」
「そのつもりだ」
アルディスは三人の兵士へも視線を向けた。
「六人で倒したのだろう?」
エルザが、わずかに笑った。
「うん。六人で倒したよ」
◇
報告を終えたあと、司は王城内に用意された部屋へ戻った。
血と煤を洗い流し、傷ついた走行スーツを机の上へ広げる。
レプリケータは通常の温度まで下がっていた。
損傷した外装部品を一つずつ取り外し、自己修復に必要な素材量を確認する。
《装備修復に必要な資材は、補充後の備蓄量で充足します》
《修復完了まで、三時間十二分》
「実行しろ」
《承知しました》
レプリケータ内部で、静かな作動音が始まった。
司は椅子へ座り、机の端へ二つの密閉容器を置いた。
黒い鱗。
UM―01。
《保管容器内部に変化はありません》
《放射性物質、既知の病原体、腐食性反応は検出されません》
「構造解析は?」
《進展なし》
《現在の走査方法では、固定された内部構造を取得できません》
「監視だけ続けろ」
《承知しました》
窓の外から、低い鐘の音が聞こえた。
ゴォン……。
長い余韻が、夜の王都へ広がっていく。
少し間を置き、二度目の鐘が鳴った。
ゴォン……。
戦死者を弔う鐘だった。
第二封鎖門で布をかけられていた者たち。
名前も知らない兵士たち。
その中には、司の目の前で命を失った者もいる。
魔物の腕に頭部を握り潰された兵士。
腹部を食い破られた兵士。
仲間を逃がすため、最後まで槍を離さなかった兵士。
司の記録領域には、すべての光景が鮮明に残っている。
忘れようとしても、映像は劣化しない。
それがサイボーグ兵の利点であり、ときには欠点でもあった。
扉を叩く音がした。
コン、コン。
「ツカサ、起きてる?」
エルザの声だった。
「入れ」
扉が開く。
エルザは簡素な室内着に着替えていた。
洗ったプラチナブロンドの髪は、まだ少し湿っている。
両腕には治療室で巻かれた細い布が残っていた。
「眠れないのか?」
「ツカサも寝てないでしょ」
「装備を修理している」
「それ、ツカサが見てなくても動くよね?」
「動く」
「じゃあ同じだよ」
エルザは部屋へ入り、扉を閉めた。
机の上にある二つの容器を見る。
「黒い石、何か分かった?」
「何も分からない」
「まだ、分からないものがあるって分かっただけ?」
「そういうことだ」
エルザは向かいの椅子ではなく、司の隣にある寝台へ腰を下ろした。
三度目の鐘が鳴る。
ゴォン……。
「あの鐘、地下で亡くなった人たちのためなんだって」
「聞いた」
「私たちは帰ってきたけど、みんなじゃないんだね」
「ああ」
エルザは膝の上で指を組んだ。
「第二封鎖門で戦ってたとき、ツカサが怖かった」
「魔物ではなく、俺が?」
「うん」
「何を言っても聞こえないみたいな顔をしてた」
司は答えなかった。
あのとき、自分の中で何が起きていたかは理解している。
恐怖も嫌悪も切り離し、目標へ番号を振り、効率よく壊す。
兵器としての自分へ戻ることは、あまりにも簡単だった。
「でも、あのエンシェントドラゴンもどきと戦ったときは違った」
エルザが続ける。
「ちゃんと私たちを見てた」
「一人で倒そうとしなかった」
「俺一人では倒せなかった」
「そうじゃなくて」
エルザは司の横顔を見る。
「一人で何とかしようとしなかったってこと」
鐘の余韻が消えていく。
司は、封鎖区画でエルザに言われた言葉を思い出した。
無茶はしないで。
その一言がなければ、エンシェントドラゴンもどきの注意を引くため、自分の身体を壊れるまで使っていたかもしれない。
「お前の声は聞こえていた」
「本当に?」
「無茶をするなと言っただろう」
「言った」
「だから、正面から囮になるのをやめた」
エルザは少し驚いたあと、安堵したように笑った。
「それなら、次はもっと早く聞いてね」
「努力する」
「絶対に、とは言わないんだ」
「守れない約束はしない」
「ツカサらしいね」
エルザは寝台から立ち、司の隣まで来た。
そして机ではなく、司の手へ自分の手を重ねる。
「あの武器が完成するまで、本当はずっと怖かった」
「兄様も、兵士たちも、ツカサも、誰かが死ぬと思ってた」
「でも、六人で帰ってこられた」
エルザの指に、少しだけ力が入る。
「ありがとう」
「礼を言う相手が違う」
司は重ねられた手を振りほどかなかった。
「俺一人では、五分二十九秒を稼げなかった」
「六人で倒したんだ」
「うん」
四度目の鐘が鳴った。
ゴォン……。
エルザは手を重ねたまま、司の隣へ座った。
「父様、戦死した人たちを見送ったら宴をするって言ってたね」
「聞いている」
「きっと、すごく大きな宴になるよ」
「王都を救ったと言われても、実感がない」
「明日になったら、嫌でも実感すると思う」
「どうしてだ?」
エルザは、わずかに楽しそうな顔をした。
「父様は、感謝している相手を静かに帰すような人じゃないから」
「それは、少し困るな」
「もう遅いよ」
二人は、それ以上話さなかった。
窓の外で、戦死者を弔う鐘が鳴り続けている。
地下で聞いた爆発よりも、はるかに小さな音だった。
それでも、その余韻はいつまでも司の中から消えなかった。
六人は帰還した。
だが、あの戦いへ向かったすべての者が帰れたわけではない。
司は隣にいるエルザの手を感じながら、鐘が鳴り終わるまで静かに座っていた。
――第十七話・終




