第16話「禁則兵器」
隔壁が、内側から裂けた。
ギギギギギッ!
白い爪が金属板を押し広げ、その奥から巨大な頭部が現れる。
最初に見えたのは、黒い鱗だった。
一枚一枚が掌よりも大きく、赤い非常灯を濡れたガラスのように反射している。
次に、眼が開いた。
額に三つ。
左右の頬に二つずつ。
さらに、顎の付け根近くにも小さな眼が並んでいた。
それぞれが別々の方向へ動き、最後にすべての瞳が司たちを捉える。
裂けた隔壁の向こうから、低く濁った声が漏れた。
「……殺す……」
ラルスの剣先が、わずかに上がる。
「今、何と言った?」
「……壊す……燃す……」
人の声ではない。
金属の筒へ何人もの呻き声を閉じ込めたような、濁った発音だった。
それでも、確かに言葉だった。
《発声内容を解析》
《神代語と推定されます》
《翻訳――殺す、壊す、燃す》
「意味は、そのままだ」
司の言葉に、エルザの耳が伏せられた。
「あれ、話せるの?」
「言葉を理解しているとは限らない。覚えた音を繰り返しているだけかもしれない」
巨大な爪が、もう一度隔壁へ食い込んだ。
ズドンッ!
厚い金属板が中央から折れ、通路側へ吹き飛ぶ。
三人は左右へ跳んだ。
ひしゃげた隔壁が、先ほどまで立っていた床へ激突する。
ガァンッ!
黒い巨体が、裂け目から這い出してきた。
頭部だけで司の身長を超えている。
長い首に続き、盛り上がった肩と、太い四肢が現れる。
背には翼らしきものが付いていた。
だが、左右で大きさが違う。
片方は骨格の途中で途切れ、もう片方には裂けた膜がわずかに残っているだけだった。
空を飛ぶために作られた形だけが、失敗したまま背中へ貼りついている。
翼の残骸が痙攣するたび、黒い鱗同士が擦れた。
ジャリッ。
ジャリ、ジャリッ。
《周辺の保安表示を解析》
《断片的な分類情報を取得しました》
《原型――始祖創造種、エンシェントドラゴン》
《模倣実験体》
《統制失敗》
《恒久鎮静対象》
「エンシェントドラゴンを真似て作った失敗作か」
「こんなものを、誰が作ったの?」
「記録は消されている。今は分からない」
巨体が完全に隔壁を抜けた。
尾まで含めれば、二十メートル近い。
床へ落ちた腹部の下には、古い拘束具の残骸が引きずられている。
その鎖さえ、何本も途中から引きちぎられていた。
《室内気体を分析》
《鎮静作用を持つ化合物を微量検出》
《本来の維持濃度を大幅に下回っています》
《排気系の誤作動により、封鎖区画内の鎮静ガスが外部へ排出されたと推定します》
司は、赤く点滅する天井の換気口を見た。
この生物は、神代からただ眠っていたのではない。
設備が動いている限り、眠らされ続けていたのだ。
そして装置が壊れ、眠りだけが先に終わった。
「……殺す」
複数の眼が、ばらばらに動く。
「壊す……燃す……」
そこに理性は見えなかった。
作られた命令と、抑えきれない破壊衝動だけが残っている。
ラルスが叫んだ。
「後ろの三人は、培養室まで下がれ!」
声に反応したのか、黒い巨体の頭部が動く。
顎が開いた。
口の奥に、赤い光が灯る。
《急激な熱量上昇を検出》
「伏せろ!」
司はエルザとラルスを突き飛ばすように、壁の窪みへ飛び込んだ。
次の瞬間、白熱した炎が通路を薙ぎ払った。
ゴオオオオオオッ!
空気が一瞬で焼ける。
壁へ残っていた埃が燃え上がり、金属の床が赤く変色した。
炎が通り過ぎたあとも、通路の中央には陽炎が揺れている。
ラルスの外套の端から、細い煙が上がっていた。
「今のを、何度も吐けるのか?」
「分からない。だが、次が来る前に動く」
司は窪みから身体を出し、ライフルを三発撃った。
ダンッ!
ダンッ!
ダンッ!
弾丸は額の鱗へ命中した。
火花が散る。
一発は潰れ、一発は弾かれ、最後の一発だけが鱗の縁をわずかに欠けさせた。
血は出ない。
巨体は痛みを感じた様子すら見せなかった。
エルザのボーガンが鳴る。
バシュッ!
矢は頬にある小さな眼の一つへ向かった。
だが、眼球を覆う透明な膜が閉じる。
鏃は膜の表面を滑り、黒い鱗へ弾かれた。
「硬すぎる!」
「眼も守れる。普通の竜とは違うぞ!」
ラルスが横から接近し、前脚の関節へ剣を振り下ろした。
ガキィンッ!
剣の刃が跳ね返る。
黒い前脚が、虫を払うように動いた。
「兄様!」
ラルスは剣を引き、床を転がった。
爪の先が胸当てをかすめる。
ガリィッ!
金属板に四本の深い傷が刻まれた。
司は巨体の骨格、関節、眼球、口腔を順番に走査した。
《小火器による外殻貫通は困難です》
《推定筋密度、既知の大型生物を大幅に超過》
《細胞活動は安定しています》
《老化に相当する損傷は、ほとんど確認できません》
「封鎖された当時から、生きているのか?」
《断定できません》
《ただし、培養直後の個体とは考えにくい状態です》
神代から生き続けている失敗作。
空を飛ぶことも、命令に従うこともできなかった。
ただ長く生き、壊し、燃やし、殺す機能だけが残った生物兵器。
「……燃す」
エンシェントドラゴンもどきが頭を振り上げた。
尾が横薙ぎに振られる。
ドゴォンッ!
通路の壁が大きくへこみ、金属片が飛び散った。
後方に待機していた三人の兵士が、盾を構えながら駆けてくる。
「副将!」
「来るなと言った!」
「通路ごと潰されれば、培養室まで下がる時間もありません!」
土鬼族の兵士が叫ぶ。
その判断は正しかった。
エンシェントドラゴンもどきが暴れるたび、保守経路の壁と天井が変形している。
このままでは、戦う前に全員が生き埋めになる。
司は通常兵器で倒す方法を探した。
眼をすべて潰す。
口腔から脳を狙う。
脚を破壊し、動けなくする。
どの方法も、相手の攻撃を受けながら実行するには時間がかかりすぎる。
何より、体内にどれほどの再生能力があるのか分からない。
選択肢の一つが、意識の底へ浮かんだ。
地球でも、実戦使用を前提としていなかった兵器。
使用記録が残れば、たとえ味方を救うためであっても、軍事法廷で審理される。
司は一秒だけ考えた。
ここには司より上位の指揮官はいない。
許可を求める相手も、地球との通信手段もない。
「禁則兵器の使用許可を申請する」
《申請を記録します》
《私は使用を許可も禁止もしません》
《ただし、これ以降の会話、感覚記録、交戦記録はすべて保存され、帰還後の軍事法廷において証拠として使用されます》
《再度確認します》
《禁則兵器を使用しますか?》
黒い巨体の喉が、再び赤く光り始める。
エルザが盾を正面へ向けた。
ラルスと三人の兵士が、その背後へ集まる。
もう迷う時間はなかった。
「使用する」
《兵器名を指定してください》
「マイクロ・アトミックシャワーを生成せよ」
《承知しました》
《生成完了まで、五分二十九秒です》
「実行しろ」
《了解》
《これより安全プロトコルを開放します》
《放射性物質が漏出する可能性があります》
《全レプリケート回路を、禁則兵器生成へバイパスします》
司は背負っていた携帯型レプリケータを床へ降ろした。
壁際ではなく、通路の中央へ置く。
左右と背後に、最低限の放熱空間が必要だった。
起動音が一段低くなる。
ヴゥゥゥン。
内部の全回路が切り替わり、排熱口から白い蒸気が噴き出した。
司は一メートルほど距離を取る。
表面温度が急激に上がり、床に落ちていた培養液が音を立てて蒸発した。
ジュウウウッ。
「何を作っているの?」
エルザが盾越しに尋ねる。
「あれを殺せる武器だ」
「どれくらいかかる?」
「五分半」
ラルスがエンシェントドラゴンもどきとレプリケータを交互に見る。
「五分半、あれをここへ近づけなければいいんだな」
「そうだ。ただし、レプリケータから俺も離れられない。異常が出れば止める必要がある」
「なら、私たちが反対側へ誘導する」
ラルスは三人の兵士へ向き直った。
「聞いたな! 倒そうとするな! 狙うのは眼と脚だ。攻撃を散らし、五分半を稼ぐ!」
「承知!」
土鬼族の兵士が盾を斧の柄で叩いた。
ガンッ!
「こっちだ、化け物!」
弓兵が矢を放つ。
槍兵は負傷した右腕を身体へ固定したまま、左手で槍を持ち上げた。
「私も行けます」
「無理に刺すな。音を立てて注意を引け!」
六人が、レプリケータと反対側へ広がった。
エンシェントドラゴンもどきの喉から炎が放たれる。
ゴオオオオオッ!
エルザが亀甲盾を突き出した。
中央の緑色の宝玉が輝き、半透明の防壁が扇状に広がる。
炎が防壁へぶつかった。
ドドドドドッ!
押し返された熱が左右の壁を焼く。
エルザの靴が床を滑った。
ラルスが背後から肩を支える。
「長くは無理だよ!」
「それで十分だ。止めずに横へ流せ!」
炎の向きが、少しずつ右へ逸れる。
土鬼族の兵士と弓兵が、その間に左側へ走った。
エンシェントドラゴンもどきの眼が二人を追う。
《生成完了まで、四分四十八秒》
司はレプリケータの温度と内部圧力を監視しながら、ライフルを構えた。
巨体が土鬼族の兵士へ前脚を振り下ろす。
ズドンッ!
兵士は盾を捨て、横へ転がった。
床が砕け、爪が深く食い込む。
弓兵の矢が、頬の眼へ命中した。
透明な膜へ弾かれる。
だが、エンシェントドラゴンもどきの頭が弓兵へ向いた。
「殺す……壊す……」
尾が床を擦り、横から迫る。
ラルスが叫ぶ。
「跳べ!」
弓兵と土鬼族の兵士が、同時に身を伏せる。
尾は二人の頭上を通過し、壁を削った。
ギャリィィッ!
無数の金属片が雨のように降る。
司は開いた口へ三発撃った。
ダンッ、ダンッ、ダンッ!
一発が舌へ突き刺さり、二発が上顎の内側を抉る。
初めて、黒い巨体が大きく反応した。
「グルオオオオオッ!」
複数の眼が、一斉に司を向く。
「そうだ。俺を見ろ」
司はレプリケータから離れない範囲で、左へ走った。
エンシェントドラゴンもどきが突進する。
一歩ごとに床が揺れる。
ドンッ!
ドンッ!
ドンッ!
《生成完了まで、三分五十六秒》
司は直前まで動かなかった。
牙が届く瞬間、床へ滑り込む。
巨大な顎が頭上で閉じた。
ガチンッ!
牙と牙がぶつかり、乾いた衝撃音が響く。
司は腹部の下を抜けながら、前脚の内側へ連射した。
ダダダダダンッ!
鱗の薄い部分から、黒い血が飛ぶ。
だが傷口は浅い。
筋肉へ達する前に、弾頭の大半が潰れていた。
エンシェントドラゴンもどきが身体を捻る。
不完全な翼が、司の背中へ叩きつけられた。
バゴッ!
司の身体が床を滑る。
装甲服の背部に警告が走った。
《外装損傷、軽微》
《左肩部の衝撃吸収材、十二パーセント低下》
司はすぐに立ち上がった。
「ツカサ!」
エルザの声が飛ぶ。
「問題ない!」
「それでも、無茶はしないで!」
一瞬だけ、第二封鎖門で聞いた声が重なった。
倒すためなら、もっと近づける。
自分の身体を囮にすれば、さらに長く注意を引ける。
だが、今の目的は自分を壊すことではない。
全員で生きて、この場所を出ることだ。
司はエンシェントドラゴンもどきの正面から下がり、エルザとラルスの射線へ誘導した。
「右へ追い込む。眼を狙え!」
「分かった!」
エルザの矢が左上の眼へ飛ぶ。
同時に、ラルスが床へ落ちていた金属片を剣で弾き上げた。
二つの刺激に、眼を守る膜の動きが遅れる。
司の弾丸が、その隙間を通った。
ぶしゅっ!
眼球が潰れ、黒い液体が頬を流れる。
「グガアアアアッ!」
エンシェントドラゴンもどきが狂ったように頭を振った。
残った眼が、別々の標的を探す。
最低限しかない知性が、複数方向からの攻撃を処理できずにいる。
《生成完了まで、二分四十一秒》
レプリケータから噴き出す蒸気が増えた。
外殻が赤く熱を帯び、床へ円形の焼け跡が広がっていく。
その高熱に、エンシェントドラゴンもどきの一つの眼が気づいた。
頭部が、レプリケータへ向く。
《警告》
《生成装置が攻撃を受けた場合、放射性物質が飛散する危険があります》
「近づけさせるな!」
ラルスが巨体の前へ飛び出した。
剣を両手で握り、潰れた眼の周囲へ突き立てる。
ズブッ!
刃が透明な膜の隙間を抜け、奥へ入った。
エンシェントドラゴンもどきが首を振る。
ラルスの身体が剣ごと持ち上がった。
「兄様!」
「まだだ!」
ラルスは柄を離さない。
体重をかけ、傷口をさらに広げる。
黒い血が噴き出した。
エンシェントドラゴンもどきはレプリケータから顔を逸らし、ラルスを壁へ叩きつけようとする。
エルザが側面から矢を放った。
土鬼族の兵士は斧で床を叩き、弓兵は残った眼へ立て続けに射る。
負傷した槍兵も、石突きで金属壁を打ち鳴らした。
ガンッ!
ガンッ!
ガンッ!
「こっちを見ろ!」
刺激の方向が増え、エンシェントドラゴンもどきの動きが乱れる。
ラルスはその隙に剣を抜き、床へ飛び降りた。
着地と同時に膝をつく。
エルザが駆け寄ろうとした。
「来るな! 続けろ!」
ラルスは自力で立ち上がった。
《生成完了まで、一分三十三秒》
黒い巨体の喉が膨らむ。
これまでより強い赤い光が、首の鱗の隙間から漏れた。
「大きいのが来る!」
エルザが盾を構える。
宝玉が緑色に輝き、防壁が広がった。
エンシェントドラゴンもどきが炎を吐く。
ゴオオオオオオオオオッ!
白い炎が、防壁の中央へ突き刺さった。
衝撃で空気が歪む。
エルザの両腕が震え、靴底が床を削った。
「エルザ、正面で受けるな! 上へ流せ!」
「やって、るっ!」
亀甲盾の角度が、少しずつ上がる。
炎が天井へ逸れた。
赤熱した金属板が溶け、雫となって落ちてくる。
司と三人の兵士は左右へ散った。
ラルスはエルザの背中を支え続ける。
《生成完了まで、五十八秒》
炎が止まった。
エルザが大きく息を吸う。
宝玉の光は、先ほどより明らかに弱い。
エンシェントドラゴンもどきは首を下げた。
口の端から炎を漏らしながら、それでも前へ進もうとする。
「……壊す……殺す……」
その視線の先には、レプリケータがあった。
《生成完了まで、四十二秒》
司は弾倉を交換した。
残っていた徹甲弾をすべて装填する。
「全員、左から攻撃しろ! 右の眼をこちらへ向けさせるな!」
矢が飛ぶ。
斧が鱗を叩く。
剣が傷ついた眼の周囲を斬る。
司は正面から口腔を撃ち続けた。
ダンッ!
ダンッ!
ダンッ!
エンシェントドラゴンもどきは攻撃を受けながら、なおもレプリケータへ近づく。
残り十メートル。
八メートル。
前脚が上がる。
《生成完了まで、十七秒》
司はレプリケータの前へ立った。
「ツカサ、どいて!」
エルザの声と同時に、防壁が司の前へ展開された。
巨大な爪が緑色の光へ叩きつけられる。
ズドォンッ!
防壁全体に亀裂のような光が走った。
エルザの膝が床へ落ちる。
「ぐっ……!」
宝玉が激しく明滅した。
それでも、防壁は消えなかった。
《生成完了まで、五秒》
エンシェントドラゴンもどきがもう一度爪を上げる。
四。
三。
二。
一。
レプリケータの作動音が止まった。
《マイクロ・アトミックシャワーの生成が完了しました》
《封入容器の健全性、正常》
《発射可能です》
司は熱を帯びた回収口へ手を伸ばした。
中から現れたのは、携帯型ロケットランチャーに似た兵器だった。
太い砲身。
肩へ固定する支持具。
そして砲身内部には、マイクロ・アトミックシャワーを封入した弾体が一発だけ格納されている。
着弾した弾体は、目標の周囲へ無数の核マイクロマシンを散布する。
微量の核物質を内包した機械群が対象へ付着し、広がり、互いの位置を確定する。
その後、全機が同時に着火する。
局所へ集中する威力は、超小型核爆弾に匹敵する。
だからこそ、禁則兵器に指定されていた。
司は支持具を肩へ当て、照準器を起動する。
エンシェントドラゴンもどきが爪を振り下ろした。
「エルザ、解除しろ!」
防壁が消える。
同時に、司は横へ踏み出した。
爪が床を砕く。
照準の中央へ、黒い胸部が入った。
《射線上に味方なし》
《着火まで三十秒》
司は引き金を引いた。
ドシュッ!
弾体が白い煙を引き、至近距離から飛ぶ。
エンシェントドラゴンもどきの胸部へ命中した。
バンッ!
黒い鱗が数枚砕け、弾体が肉へ食い込む。
《着弾を確認》
《核マイクロマシンの散布を開始》
一瞬、何も起こらなかった。
次いで、傷口から緑色の光が滲み出す。
細い光の筋が、胸から首へ、腹へ、四肢へと走った。
黒い鱗の隙間を縫い、無数の微光が巨体全体へ広がっていく。
エンシェントドラゴンもどきは胸を掻きむしった。
爪で肉を抉っても、光は消えない。
「全員、三十秒以内にこの区画から退避しろ!」
司は撃ち終えた発射筒を捨て、レプリケータの携行枠を起こした。
外殻はまだ焼けるように熱い。
断熱処理された取っ手をつかみ、背中へ固定する。
《緊急冷却へ移行》
《携行可能です》
ラルスが兵士たちへ叫ぶ。
「来た扉の向こうへ走れ!」
六人は一斉に走った。
負傷した槍兵の足がもつれる。
土鬼族の兵士が左肩を抱え、半ば引きずるように進む。
ラルスが最後尾につき、エンシェントドラゴンもどきを警戒する。
《着火まで、二十秒》
エンシェントドラゴンもどきが咆哮した。
「グギャアアアアアアッ!」
緑色の光が、黒い鱗の下で急速に明るくなる。
巨体が六人を追おうとする。
しかし、内部へ入り込んだ機械群が筋肉の動きを阻害し、前脚が床へ崩れた。
ズシンッ!
《着火まで、十二秒》
司は裂けた隔壁を抜けた。
「エルザ、まだ盾を使えるか!」
「使える!」
返事に迷いはなかった。
六人全員が、元来た保守通路へ飛び込む。
司とラルスが、近くに倒れていた隔壁の残骸を引き起こした。
完全には塞げない。
それでも爆風を直接受けるよりはいい。
《着火まで、五秒》
エルザが亀甲盾を隔壁の残骸へ向けた。
緑色の宝玉が、最後の力を振り絞るように輝く。
半透明の防壁が通路いっぱいに広がった。
四。
三。
二。
エンシェントドラゴンもどきの全身が、緑色の光に包まれた。
一。
カッ!
視界が白く染まった。
ドゴオオオォォォォォォン!
すさまじい爆発が、封鎖区画を内側から膨らませた。
床が跳ねる。
天井が軋む。
隔壁の残骸が防壁へ叩きつけられ、赤熱した金属片が四方へ飛び散った。
エルザの盾の宝玉が、太陽のように煌々と輝く。
防壁へ衝突した爆風が、緑色の光に沿って左右へ分かれた。
ゴゴゴゴゴゴゴッ!
六人の身体が、圧力に押されて床を滑る。
土鬼族の兵士が負傷した槍兵を抱え込む。
ラルスはエルザの背中を支えた。
司は倒れかけた隔壁を両腕で押さえ続ける。
やがて爆音が遠ざかり、代わりに細かな破片が床へ落ちる音だけが残った。
ぱらっ。
ぱらぱらっ。
エルザの防壁が消える。
盾の中央にある宝玉は、弱い明滅を繰り返していた。
エルザが、その場へ座り込む。
「みんな……いる?」
「六人いる」
司は全員の生命反応を確認した。
「死者はいない」
《残留放射線レベル、イエロー》
《短時間の曝露であれば、直ちに致死的な影響はありません》
「致死レベルではないな。状況を確認する」
《対放射線対策は万全です》
司は立ち上がった。
エルザが顔を上げる。
「一人で行くの?」
「お前たちはここで待て。生身で入る必要はない」
「でも――」
「すぐ戻る。何か動いたら、全員で培養室まで下がれ」
エルザは何か言いかけ、口を閉じた。
盾を握ったまま、不安そうに司を見つめる。
「絶対に戻ってきて」
「分かっている」
司は崩れた隔壁の横を抜け、封鎖区画へ戻った。
◇
爆発前とは、部屋の形そのものが変わっていた。
壁は外側へ膨らみ、天井の一部が崩れている。
床の中央は深く抉れ、黒い煙がゆっくりと渦を巻いていた。
その中心に、エンシェントドラゴンもどきが倒れている。
巨体は黒焦げになっていた。
四肢は原形を失い、不完全だった翼は根元から消えている。
外殻を覆っていた黒い鱗は、爆発で周囲へ飛び散っていた。
床一面に散らばる破片は、まるで巨大な黒いガラスを砕いたように見える。
司の靴が触れると、薄い破片が音を立てた。
カリッ。
だが、簡単には割れなかった。
焦げた肉の臭いと、金属が焼けた臭いが充満している。
《対象の生命反応を走査》
複数あった眼は、すべて焼け落ちていた。
胸郭は動かない。
心拍も、神経反応もない。
《生命反応なし》
《対象の完全停止を確認しました》
司は銃口を下げた。
勝利は確定した。
床へ落ちている鱗の一つへ、簡易回収具を伸ばす。
中心部から離れた破片でありながら、表面はほとんど溶けていなかった。
《簡易走査では材質を特定できません》
「あとで調べる」
司は破片を耐熱容器へ入れた。
長居はできない。
致死量ではなくても、ここへ留まれば全員が不要な被曝を受ける。
司は通路へ戻った。
エルザが立ち上がる。
「倒したの?」
「完全に止まっている」
三人の兵士から、張りつめていた息が一斉に漏れた。
ラルスは喜ぶより先に、奥の区画へ続く扉を見た。
「ここを離れた方がいいんだな」
「ああ。放射線が残っている。速やかに奥へ進む」
「戻るのではなく、奥か?」
「培養設備を止めなければ、また別の魔物が作られる。ここまで来て原因を残すわけにはいかない」
ラルスがうなずく。
「全員、歩けるな?」
負傷した槍兵も、左手を上げた。
「問題ありません」
六人は、放射線の残る封鎖区画を足早に横切った。
エンシェントドラゴンもどきの死骸へ近づかず、壁沿いを進む。
奥の扉は爆発で変形していたが、司とラルスが力を合わせると、わずかな隙間が開いた。
土鬼族の兵士も加わり、三人で扉を押し広げる。
ギギギギッ。
一人ずつ通れる幅ができた。
全員が中へ入る。
最後に司が扉を戻すと、放射線量の表示が急速に下がった。
《隔壁による遮蔽を確認》
《現在位置の放射線レベル、グリーン》
エルザが壁へ背中を預けた。
「あの光、しばらく見たくない」
「俺もだ」
「ツカサでも、そう思うんだね」
「使わずに済むなら、その方がいい武器だ」
司は熱の残るレプリケータを背負い直した。
外殻の一部は変色し、内部の希少素材備蓄は大きく減っている。
一発を作るために支払ったものは、小さくなかった。
◇
制御区画は、封鎖室から百八十メートル先にあった。
途中の通路には魔物の姿がない。
古い爪痕と、途中で力尽きた小型個体の骨だけが残っていた。
円形の扉を越えると、壁一面に黒い表示板が並ぶ部屋へ出る。
その大半は光を失っていた。
中央の台だけが、弱い青色の明滅を続けている。
《区画制御装置と推定》
司は、先ほど培養室で作った仮設接続端子を取り出した。
熱で変形していないことを確認し、中央の台へ接続する。
《物理接続を確認》
《保守用信号を送信します》
表示板の一つへ、区画図が浮かび上がった。
培養室。
封鎖区画。
生体細胞保管庫。
そして、資材保管区画。
赤く点滅している場所は、全部で十一か所あった。
《培養設備の自動補充処理が継続しています》
《封鎖命令と補充命令が競合しています》
《排気系の異常により、鎮静ガスの維持に失敗》
《先ほどの模倣実験体を含む複数区画で、覚醒条件が成立しました》
「やはり、ガスが抜けたことで目を覚ましたのか」
《肯定します》
《同様の異常が、ほかの収容区画でも発生する可能性があります》
「全部止めろ」
《研究権限が存在しません》
「保安権限で封鎖を優先できないか?」
《試行します》
司の視界へ、拒否を示す符号が何度も流れた。
それでも脳内AIは、神代に残された緊急退避命令と、現在の生体収容異常を結びつけた。
古い命令へ、現在の異常情報を追加する。
一度目は拒否された。
二度目も拒否された。
三度目、中央の台で何かが切り替わる。
ガコンッ。
表示板の赤い光が、一つ消えた。
続いて、二つ目。
三つ目。
《緊急封鎖命令が受理されました》
《全培養設備への栄養供給を停止》
《生体細胞保管庫を物理隔離》
《搬出機構を停止》
《封鎖隔壁を閉鎖》
《区画内の自動補充処理を休止します》
部屋の奥から、何十もの重い作動音が連続して響いた。
ガコンッ。
ガゴンッ。
ゴォンッ。
区画図を埋めていた赤い点滅が、すべて消える。
代わりに、青い線が各区画を囲んだ。
《停止処理を確認》
《現在の研究ブロック内で、新たな培養および搬出信号は検出されません》
《緊急封鎖対象外の保守通路を解錠》
《培養室入口までの帰路が開通しました》
司は接続を保ったまま、数秒待った。
再起動命令は来ない。
「終わったの?」
エルザが尋ねる。
「この区画で、新しい魔物が作られることはなくなった」
「この区画では、か」
ラルスが区画図の途切れた外側を見る。
「ほかの分離区画がどこにあるかは分からない。だが、少なくとも王城地下から魔物が湧く原因は止めた」
三人の兵士は、言葉もなく表示板を見つめた。
何百年も王国軍を悩ませてきた地下迷宮。
そこで魔物が生まれる理由を、今ようやく断ち切った。
◇
帰還前の最終確認を行っている途中、脳内AIが別の反応を見つけた。
《資材保管区画の一部に、有効な保管容器が残っています》
「危険物か?」
《内容物は不明です》
《ただし、保管設備の遮蔽と密閉は維持されています》
制御室の隣に、小さな保管庫があった。
扉を開くと、壁に沿って銀色の容器が並んでいる。
半数以上は空だった。
残っている容器にも、腐食や破損が見られる。
その中で、十二本だけが緑色の保全表示を灯していた。
司は最も手前の容器を走査する。
《高純度金属を検出》
《複数の希土類元素、触媒用希少元素、耐熱合金原料を確認》
《一部は携帯型レプリケータの不足資材として転用可能です》
「地球の装置に使えるの?」
エルザが尋ねる。
「物質そのものに、地球製も神代製もない。必要な元素が同じなら使える」
「さっき、武器を作って減ったものも?」
「補える可能性がある」
司はレプリケータの資材取込口を開いた。
密閉容器を一本ずつ接続し、内容物の再分析を行う。
安全が確認されたものだけを、内部備蓄へ移した。
《高純度導体材を補充》
《耐熱添加材を補充》
《医療用触媒原料を補充》
《希少素材の総備蓄量が、警戒値を上回りました》
《地球から持ち込んだ消費済み資材のうち、七十三パーセントを同等物質で補充可能です》
司は、短く息を吐いた。
マイクロ・アトミックシャワーの生成で大きく減った分を含めても、残量は地下へ入る前より増えている。
今後の弾薬。
装備の修復。
医療器具。
現地で入手できず、使うたびに失われると思っていた資材の多くを、ここで補うことができた。
「いいものが見つかった顔だね」
エルザが言った。
「これで、すぐに作れなくなるものは減った」
「あの危ない武器も、また作れるの?」
「作れることと、使うことは別だ」
「ならいいけど」
残る容器を調べていると、レプリケータが一つだけ異なる警告を出した。
《未登録物質を検出》
銀色の容器の中に、親指ほどの黒い結晶が収められていた。
透明にも見えるが、向こう側は見えない。
光を当てると、内部の奥深くで緑とも紫ともつかない微光が揺れた。
司は容器ごと走査台へ置いた。
《既知の元素スペクトルに一致しません》
「化合物でもないのか?」
《判定不能です》
《質量および外形は測定可能です》
《ただし、内部構造が走査条件に応じて変動します》
《固定された物質設計情報へ変換できません》
「分解して、同じものを作り直せるか?」
《推奨しません》
《分解後に同一構造へ復元できる保証がありません》
「複製は?」
わずかな間があった。
《複製不能です》
司は表示された言葉を見つめた。
携帯型レプリケータは、材料さえあれば何でも作れる装置ではない。
そのことは最初から知っていた。
設計情報がなければ作れない。
必要な元素がなければ作れない。
大きなものほど、資材と時間が必要になる。
だが、見本が目の前にあり、十分に走査できる大きさでありながら、構造そのものを読み取れない物質が存在するとは考えていなかった。
司は、先ほど回収した黒い鱗の破片を耐熱容器から取り出した。
二つを並べて再走査する。
《鱗片内部に、同系統の反応を微量検出》
《黒い結晶との完全な同一性は確認できません》
《ただし、外殻強度の形成に関与していた可能性があります》
あの核兵器級の爆発を受けても、形を残した黒い鱗。
その異常な強度に、この物質が関係しているのかもしれない。
「何か分かったの?」
エルザが、司の手元をのぞき込む。
「分からないものがあると分かった」
「それ、答えになってる?」
「今は、それが答えだ」
司は黒い結晶を容器へ戻し、二重に封をした。
《未知物質を暫定登録します》
《仮識別名、UM―01》
《複製可否――不可》
《用途――不明》
文明の始祖が残した技術。
その技術を使った何者かが作った、生物兵器。
そして、人類の科学も、司のレプリケータも理解できない物質。
地下迷宮の魔物を生み出していた装置は止まった。
だが、この世界に眠るものの正体は、まだ何一つ終わっていなかった。
司は小さな容器を、レプリケータとは別の収納袋へ収めた。
「帰るぞ」
ラルスが、開放された帰路を見た。
「王へ報告することが、ずいぶん増えたな」
「全部を説明できるわけではない」
「なら、分かっていることから話せばいい」
エルザが司の隣へ並ぶ。
疲れ切った顔で、それでも少しだけ笑った。
「まずは、六人とも帰ってきたって報告しよう」
司は全員の顔を見た。
ラルス。
エルザ。
傷を負いながら立っている三人の兵士。
そして、自分。
「そうだな」
六人は、静かになった神代の研究区画をあとにした。
司の収納袋の中で、複製できない黒い結晶が、誰にも見えない微かな光を一度だけ放った。
――第十六話・終




