第15話「魔物を生む部屋」
透明な円筒の中で、白く濁った眼が開いた。
一つだけではない。
奥に並ぶ円筒の中でも、大小さまざまな影が動き始めている。
ごぽっ。
ごぽごぽっ。
青い培養液の中を、大量の気泡が昇った。
「円筒から離れろ!」
司の声に、ラルスと三人の兵士が即座に後退する。
エルザは亀甲盾を構えたまま、司の隣へ下がった。
円筒の下部で、赤い光が点滅する。
ヴゥン、ヴゥン、ヴゥン。
低い警告音が、部屋全体へ繰り返された。
背後から、重い金属音が響く。
先ほど開いた入口の扉が、左右から閉じ始めていた。
「扉を止めろ!」
ラルスの命令で、土鬼族の兵士が駆け寄る。
だが、指をかけられる隙間を残さず、二枚の扉は噛み合った。
ガゴンッ。
側面の操作部は暗いまま、何をしても反応しない。
「閉じ込められたの?」
「生体の搬出に合わせて、区画を隔離した可能性がある」
司は円筒から目を離さなかった。
「まず、こいつらを止める」
《培養設備から複数の制御信号を検出》
《内容は完全に解析できません》
《ただし、液体排出、固定解除、生体搬出を示す信号が含まれている可能性があります》
「全部、外へ出すつもりか?」
《その可能性が高いと判断します》
最も近い円筒の底から、青い液体が抜け始めた。
ごぼごぼごぼっ。
液面が下がり、中にいるものの全身が露わになる。
四本の脚。
異常に長い前肢。
皮膚の半分は黒い毛で覆われているが、残り半分は赤い筋肉が剥き出しになっていた。
左右の眼球は大きさが異なり、片方は瞼さえ形成されていない。
第二封鎖門で戦った魔物と同じ特徴を持つ。
だが、まだ身体が完成していなかった。
円筒の外殻が、左右へ開く。
プシュウッ。
生温かい培養液とともに、魔物が床へ落ちた。
べちゃっ。
四肢へ力が入らず、腹を床へ打ちつける。
魔物は口を開き、かすれた息を吐いた。
「死にかけているのか?」
ラルスが剣を向けたまま尋ねる。
「成長が終わっていない」
司は答えた。
「この状態では、外へ出されても長くは生きられない」
魔物の未完成な眼が動く。
最も近くにいた猫人族の槍兵を捉えた。
次の瞬間、動かないはずの後脚が大きく膨らんだ。
魔物が床を蹴る。
「来るぞ!」
槍兵が穂先を突き出す。
ずぶっ。
槍は魔物の胸を貫いた。
それでも勢いは止まらない。
魔物は柄に沿って身体を滑らせ、兵士へ爪を伸ばす。
司は横から銃口を向けた。
ダンッ!
銃弾がこめかみへ入り、頭部の反対側を赤黒く吹き飛ばした。
魔物は槍へ刺さったまま痙攣し、やがて動かなくなる。
「未完成でも、攻撃する機能だけは動くのか」
ラルスの声が低くなった。
「偶然そうなったとは思えない」
司が答えた直後、左右から一斉に排液音が響いた。
ごぼごぼごぼっ。
十を超える円筒で、青い液面が下がっていく。
部屋の奥には、さらに多くの円筒が並んでいた。
《確認可能な培養槽、三十二》
《生命反応、二十六》
《うち十一体は、短時間で活動可能な状態にあると推定します》
「止める方法は?」
《部屋中央の構造物から、各培養槽へ制御信号が分岐しています》
司は円筒の列の間を見た。
二十歩ほど先に、腰の高さほどの黒い台がある。
表面には光の消えた板と、複数の接続口らしき窪みが並んでいた。
「あそこが制御盤だ」
エルザが円筒から視線を外さずに尋ねる。
「止められるの?」
「調べなければ分からない」
最初の円筒に続き、二つ目の外殻が開いた。
中から、甲殻に覆われた小型の魔物が滑り落ちる。
こちらは四肢が完成していた。
床へ着地すると同時に頭を上げ、甲高い声を発する。
キィィィッ!
「私が道を作る」
ラルスが前へ出ようとした。
「一人で行くな」
司は止めた。
次々と標的へ番号を振り、一人で盾壁の前へ出たときの感覚が蘇る。
敵を倒すことだけなら、一人の方が速い。
だが、今ここですべきことは違う。
「六人で制御盤まで移動する。ラルスと土鬼族の兵士が前。エルザは右側。俺と弓兵が左右の円筒を警戒する。槍兵は後ろを頼む」
ラルスは一度だけ司を見たあと、うなずいた。
「その配置で行く。全員、互いの姿が見える距離を保て」
「分かった」
エルザが短く答える。
六人は固まったまま、制御盤へ向かって走った。
甲殻の魔物が前方から跳ぶ。
土鬼族の兵士が丸盾で受け止めた。
ガンッ!
爪が盾の縁を削り、細かな金属片が散る。
兵士は低い姿勢のまま踏みとどまり、斧を横へ振った。
ゴッ。
刃が前脚の付け根へ食い込み、魔物の身体が横へ傾く。
ラルスの剣が、その首を下から斬り上げた。
ザシュッ。
甲殻の隙間から血が噴き、魔物が床へ転がる。
左の円筒が開いた。
無毛の四足獣が、液体と一緒に飛び出してくる。
「左、二体!」
ルミエール人の弓兵が矢を放った。
一本目が胸へ刺さる。
二本目は魔物の前脚をかすめた。
司が肩関節へ一発撃ち込む。
ダンッ。
前脚が砕け、魔物が床へ顔を打ちつけた。
槍兵が踏み込み、後頭部へ穂先を突き入れる。
「止まった!」
もう一体がエルザへ向かう。
エルザは盾で牙を逸らし、身体を半歩だけ横へずらした。
魔物の脇腹が開く。
右手の短剣を、前脚の付け根へ深く突き刺す。
ズブッ。
魔物が振り向くより早く、短剣を抜いて後ろへ跳ぶ。
「ツカサ!」
呼ばれる前から、司の照準は魔物の頭部を捉えていた。
ダンッ。
弾丸が眼窩から入り、魔物の身体が前へ崩れる。
司は、エルザの無事を確認してから次の円筒へ銃口を向けた。
一人で前へ出る必要はない。
互いに見える位置で戦えば、少ない動きで全員を守れる。
「あと十歩!」
ラルスが声を上げる。
右側で三本の円筒が続けて開いた。
一体目は、床へ落ちたまま立ち上がらなかった。
胸郭だけが大きく上下し、口から培養液を吐いている。
二体目には後脚がなかった。
前脚だけで這いながら、それでも六人へ牙を向けてくる。
三体目は立ち上がった。
背中から、骨のような突起が何本も伸びている。
「動ける一体だけを狙え!」
司が指示する。
エルザのボーガンが鳴った。
バシュッ。
矢が魔物の右目へ入る。
ラルスと土鬼族の兵士が左右へ分かれ、その横を抜けた。
司は一発だけ撃ち、残った左目を破壊する。
魔物が方向を見失い、開いた円筒へ頭から衝突した。
ガンッ。
六人はその脇を通り、制御盤へたどり着いた。
「ここで円陣を組め!」
ラルスの命令で、五人が制御盤を囲む。
司は携帯型レプリケータを床へ降ろした。
制御盤の接続口を電子眼で拡大する。
形状も配線も、地球の規格とは一致しない。
《接点配置と信号電圧を測定します》
「接続用の部品を作れるか?」
《可能です》
《仮設接続端子の製造に、一分十八秒を要します》
「作れ」
《承知しました》
レプリケータ内部で、小さな作動音が始まった。
「一分半、ここを守る」
司が告げると、ラルスは剣を構え直した。
「聞いたな。一体ずつ確実に止めろ。追う必要はない」
「一分半なら、何とかなるよ」
エルザが新しい矢を装填する。
「何とかする、の間違いだろう」
「同じことだよ」
部屋の奥で、四つの円筒が開いた。
プシュッ、プシュウッ。
完成した二体が床へ降りる。
残る二体は、培養液とともに崩れ落ちた。
肉と骨の形を保てず、赤黒い塊となって床へ広がっていく。
生き物を育てているのではない。
壊れた装置が、完成するかどうかも構わず、命令されたものを吐き出し続けている。
二体の魔物が左右へ分かれた。
「右は私が止める!」
ラルスが右へ踏み込む。
左の一体は、猫人族の槍兵へ飛びかかった。
槍兵が穂先を向ける。
魔物は空中で身体を捻り、槍をかわした。
爪が兵士の肩を捉える。
がりっ。
鎧の継ぎ目が裂け、血が飛んだ。
「ぐっ!」
兵士が膝をつく。
司は制御盤から離れず、身体だけを振り向かせた。
射線上に、エルザが入っている。
「エルザ、伏せろ!」
エルザは迷わず床へ身を落とした。
司が二発撃つ。
ダンッ、ダンッ!
一発目が魔物の肩を貫く。
二発目が首の骨を砕いた。
魔物は槍兵へ覆いかぶさるように落ちる。
エルザがすぐに起き上がり、魔物の身体を蹴り退けた。
「傷を見せて!」
「浅いです。まだ戦えます」
槍兵の肩から血が流れている。
だが、腕は動いていた。
エルザは傷へ布を押し当て、その上から帯を強く巻いた。
「無理に腕を上げないで。後ろだけ見てて」
「承知しました」
右側では、ラルスと土鬼族の兵士が魔物を壁際へ追い込んでいた。
ラルスの剣が前脚を払い、体勢を崩したところへ斧が振り下ろされる。
バキンッ。
頭蓋が割れ、魔物の脚から力が抜けた。
《仮設接続端子の製造が完了しました》
レプリケータの回収口が開く。
司は指先ほどの端子と細い導線を取り出した。
《高純度導体材、および複数の希少添加材の備蓄が警戒値を下回りました》
「残りは?」
《同種部品の製造は可能ですが、今後の装備修復と医療物資製造に影響します》
レプリケータは、何もない場所から物質を生み出す装置ではない。
回収した物質を分解し、必要な構造へ組み直す。
炭素や水、鉄のように現地で容易に集められるものは補充できる。
だが、地球から持ち込んだ希少元素や、現地で代替できない特殊素材を使うたび、その備蓄は確実に減っていた。
「今は止める方が先だ」
《同意します》
司は端子を制御盤へ差し込み、導線をレプリケータの解析口へ接続した。
視界へ、意味を持たない記号の列が流れ込む。
《物理接続を確認》
《通信規格を推定中》
《制御信号の模倣を開始します》
円筒の開放は止まらない。
奥の列で、さらに赤い光が点滅する。
「急げ」
《応答形式がベリシーア号と異なります》
《直接的な命令は拒否されました》
「別の方法は?」
《緊急停止回路が独立しています》
《保守用信号を偽装すれば、培養液の供給と外殻開放を停止できる可能性があります》
「実行しろ」
《停止後、上位の区画制御装置によって再起動される可能性があります》
「それでもいい。今動いているものを止める」
《実行します》
制御盤の奥で、何かが切り替わった。
カチッ。
続いて、部屋の左右から重い作動音が響く。
ガコンッ。
円筒の下で点滅していた赤い光が、一つずつ消えていった。
培養液の排出が止まる。
開きかけていた外殻も、その場で動きを止めた。
部屋へ出た魔物は、残り三体。
「停止した! 残った三体を片づける!」
ラルスが命じる。
一体が正面から突進してきた。
土鬼族の兵士が盾を構える。
エルザの矢が魔物の前脚へ刺さった。
わずかに体勢が崩れる。
その瞬間を、司は逃さなかった。
ダンッ。
銃弾が鼻先から入り、頸椎へ抜ける。
二体目は弓兵が眼を射抜き、ラルスが喉を斬った。
最後の一体が、負傷した槍兵へ向かう。
槍兵は傷のない左腕で柄を支え、穂先を正面へ向けた。
「来い!」
魔物が跳ぶ。
槍兵は避けなかった。
穂先が口から入り、後頭部を突き破る。
勢いに押され、兵士の背中が床へ叩きつけられた。
「大丈夫か!」
弓兵が魔物の死骸を引き剥がす。
「肩は痛みますが、生きています」
槍兵は左手を借りて起き上がった。
ラルスが全員を見回す。
「ほかに負傷した者は?」
誰も手を上げない。
「あの数を相手に、一人の負傷で済んだか」
土鬼族の兵士が、荒い息を吐きながら言った。
「ツカサ殿の武器だけではない。互いの穴を埋めた結果だ」
ラルスが答えた。
その視線が一瞬だけ、司とエルザへ向く。
エルザは何も言わなかった。
ただ、司と目が合うと、小さくうなずいた。
◇
床には十体以上の魔物が倒れていた。
その半数近くは、武器で倒したものではない。
形成途中で排出され、自ら崩れた個体だった。
動かなくなった円筒の中では、残された実験動物が浮かんでいる。
胸がわずかに動いているものもいた。
「このままにして大丈夫なの?」
エルザが尋ねた。
「この部屋だけなら止めた」
司は制御盤へ目を戻した。
「だが、上位の区画制御装置が再起動命令を送れば、また動き出す」
「さっきの場所まで戻って、兵士をもっと連れてくることは?」
ラルスが来た方向を見る。
培養設備が起動した直後、入口の金属扉は閉じていた。
扉の横にある操作部は、何をしても反応しない。
「あれを開ける方法も、中央の装置を調べなければ分からない」
司が答えた。
「破壊は?」
「できなくはない。ただし、時間がかかる。向こう側の構造まで壊せば、第二封鎖門へ魔物を通す道を広げることになる」
戻るためにも、先へ進む必要がある。
司は接続を維持したまま、制御盤の内部を調べた。
「おい、研究記録を探せ」
《検索中》
《一次記録領域に、有効なデータは存在しません》
「故障か?」
《否定します》
《複数の記録媒体が、同一形式の無意味な情報で上書きされています》
《上書き処理は、ほぼ同時刻に開始されています》
「復元できるか?」
《極めて困難です》
《自然劣化や事故による消失ではありません》
《何者かが、意図的にデータを消去したと判断します》
司は端子を外さずに立ち上がった。
「何が分かった?」
ラルスが尋ねる。
「詳しい記録は、すべて消されている」
「五百年前の戦争で失われた記録のように?」
「違う。時間とともに壊れたのではない。同じ命令で、一斉に上書きされている」
エルザが動かない円筒を見た。
「誰かが、わざと消したの?」
「そうだ」
「どうして?」
「知られたくないものがあったからだろう」
「誰に知られたくなかったの?」
「それも消されている」
研究者の名前。
船の名前。
ここで何を作り、どこへ送ろうとしていたのか。
それらを示す記録は、何一つ残っていない。
《隔離された保安記録領域を発見》
《研究用記録とは異なる系統です》
「開けるか?」
《断片的に可能です》
司の視界へ、短い情報が順番に表示された。
意味の分からない識別番号。
時刻の基準を失った記録。
何度も繰り返される異常通知。
《攻撃反応評価》
《集団統制》
《命令追従》
《装甲形成》
《環境耐性》
完全な翻訳ではない。
信号の接続先と動作内容から、脳内AIが意味を推定したものだった。
だが、並んでいる言葉だけで目的は見えてくる。
「ここは、動物を保管するだけの場所ではない」
司は、円筒の中に浮かぶ異形を見上げた。
「生物を戦わせるために、作り替えていた」
「戦わせる?」
「攻撃する相手を選ばせ、命令に従わせ、傷ついても止まらない身体を作る。その試験をしていた施設だ」
ラルスの表情が険しくなる。
「魔物を、兵士として作っていたというのか」
「兵士ではない」
第二封鎖門で、自分の内臓を踏みながら襲いかかってきた個体を思い出す。
「使い捨ての生物兵器だ」
部屋にいる全員が、並ぶ円筒を見た。
神代の遺物。
空から落ちてきた船。
この国では、それらを神々の残したものとして伝えてきた。
「文明の始祖が、これを作ったの?」
エルザが尋ねた。
「分からない」
司は即答した。
「文明の始祖自身かもしれない。その技術を受け継いだ別の者かもしれない。作った者を示す情報は消されている」
「ツカサにも分からないんだね」
「装置があっても、記録がなければ過去は見えない」
《保安記録の追加断片を解析しました》
《研究区画全域を対象とした封鎖命令です》
《生体収容異常、統制喪失、乗員退避を示す符号が含まれています》
「この魔物たちは、昔にも制御できなくなった可能性がある」
司は解析内容を全員へ伝えた。
「それで区画ごと閉じた。そのときに、研究記録も消した」
「乗っていた者たちは?」
ラルスが尋ねる。
「退避命令が出たことしか分からない。何人が逃げられたのか、その後どこへ行ったのかは残っていない」
「今になって、なぜ封鎖が解けた?」
「おい」
《制御系に多数の不整合を確認しています》
《培養個体の在庫数を示す領域が破損し、すべてゼロとして処理されています》
《一方で、生体細胞の保管設備と補充命令は残存しています》
《不足した実験個体を自動補充する処理が、繰り返し実行されていると推定します》
「装置は、中に何体いるか分からなくなった」
司は説明した。
「だから一体もいないと判断し、保存された細胞から新しい個体を作り続けている」
「完成していないものまで外へ出していたぞ」
土鬼族の兵士が言った。
「成長を確認する部分も壊れている。装置の中では、命令だけが残っているんだ」
作れ。
外へ出せ。
足りなければ、また作れ。
気の遠くなるほど長い時間が過ぎたことも知らず、機械は同じ作業を続けている。
◇
《保安用の区画図を取得しました》
制御盤の上にある黒い板へ、弱い光が戻った。
青白い線が浮かび上がり、複雑な構造を描いていく。
現在いる培養室。
その先に延びる複数の通路。
隔離室。
資材を保管すると思われる区画。
さらに深部には、すべての線が集まる制御区画があった。
ただし、表示された構造は一隻の船として不自然だった。
外壁の三方向が、ほぼ垂直に途切れている。
途切れた場所には、同じ形の接続部がいくつも並んでいた。
太い動力線も、外壁へ向かったところで終わっている。
《構造図を解析中》
《現在の施設には、主動力に相当する設備が存在しません》
《独立補助動力のみが、最低限の区画へ電力を供給しています》
「宇宙船なのに、大きな動力装置がないの?」
エルザが図を見ながら尋ねた。
「ここが、船のすべてではないからだ」
司は接続部の一つを指した。
「この直線は、壊れて欠けた形ではない。最初から切り離すために作られている」
「船を、切り分けたということか?」
「ああ」
《複数の機械式固定具、および分離時に使用する推進装置の痕跡を確認》
「俺たちがいるのは、巨大な船から分離された一つの区画だ」
ラルスが図の途切れた先を見つめる。
「残りはどこにある?」
「分からない。近くへ落ちたかもしれない。分離したあと、まったく別の場所へ降りた可能性もある」
「王都の外輪山は、この区画が落ちたときにできたの?」
エルザの問いに、司は表示された施設の輪郭を見た。
一つの区画だけでも、王城の地下を大きく超えて広がっている。
だが、直径十キロの地形を作るには、それだけでは説明できない部分がある。
「この区画だけとは限らない。複数の区画が同じ地域へ落ちた可能性もある」
《地形と地下構造の追加調査が必要です》
「全部が今も動いている可能性は?」
ラルスが尋ねた。
「否定できない」
その言葉に、三人の兵士が顔を見合わせた。
王城の地下にあるものは、船そのものではない。
より巨大な何かから切り離された、生物兵器研究区画の一つ。
そして、ほかの区画がどこにあるのかは分からない。
司は区画図の深部へ視線を移した。
「培養設備を完全に止めるには、この制御区画へ行く必要がある」
「道は?」
「二つある。直通路は崩落している。残るのは、隔離区画を通る保守経路だけだ」
ラルスは負傷した槍兵を見た。
「歩けるか?」
「はい。右腕を使わなければ問題ありません」
「無理だと思ったら、すぐに言え」
「承知しました」
司はレプリケータから接続端子を外した。
制御盤の光は残ったままだった。
「この部屋は、どれくらい停止している?」
「中央から再起動命令が来るまでだ。数分かもしれない。数時間かもしれない」
「急ぐしかないな」
ラルスが先に立つ。
六人は、区画図が示す保守経路へ入った。
◇
通路は、これまでより狭かった。
壁を覆っていた石はなく、黒灰色の金属が剥き出しになっている。
床には、古い傷が無数に残されていた。
鋭い爪で引っ掻いたような溝。
何かを引きずった跡。
壁へ叩きつけられ、内側へ大きくへこんだ扉。
そのいずれも、今日ついたものではない。
傷の内側まで、厚い埃に覆われている。
「昔も、ここで魔物が暴れたんだね」
エルザが壁の溝へ指を近づける。
「触るな」
「触ってないよ」
指先は、溝の直前で止まっていた。
司は傷の深さを測定した。
金属壁を数センチ削っている。
第二封鎖門で戦った大型個体でも、これほどの跡を一度には残せない。
《前方に生体反応を検出》
司は手を上げ、全員を止めた。
「数は?」
《一体》
「距離は?」
《約百二十メートル》
《ただし、推定質量が測定範囲を超えています》
「さっきの大型よりも大きいの?」
エルザが小声で尋ねる。
「比較にならない」
通路の先から、低い音が伝わってきた。
ゴォン……。
空気ではなく、床と壁を直接震わせる音だった。
一定の間隔を置き、もう一度響く。
ゴォン……。
天井から細かな埃が落ちた。
区画図を確認する。
巨大な反応がある場所は、制御区画へ向かう唯一の保守経路と重なっている。
「迂回路は?」
ラルスが尋ねる。
「ない。ほかの通路は崩れている」
「戻る道も開かない。進むしかないということか」
「そうなる」
六人は慎重に前へ進んだ。
通路の終点には、第二封鎖門よりも厚い隔壁があった。
表面には、古い爪痕が幾重にも刻まれている。
隔壁の中央は、内側から何度も殴られたように膨らんでいた。
その横にある表示板が、赤い光を弱々しく点滅させている。
《保安記録と照合》
《この隔壁は、古い封鎖命令の対象です》
「昔から、この奥へ閉じ込められていたのか?」
《その可能性があります》
《ただし、生体反応が当時の個体と同一であるかは確認できません》
「制御区画は?」
《隔壁の先、さらに百八十メートル》
《この経路を通過する必要があります》
ラルスが三人の兵士を見る。
「ここから先は、私たち三人だけで進む。お前たちは距離を取り、この通路を守れ」
「しかし、副将――」
「負傷者がいる。逃げ道を残す者も必要だ」
土鬼族の兵士が、斧を握り直した。
「あれがここを抜けた場合は?」
「戦うな。培養室まで下がり、使える円筒を障害物にしろ」
「承知しました」
司はライフルの残弾を確認した。
携帯型レプリケータの備蓄で弾薬を補うことはできる。
だが、それを続ければ、修復や医療へ回す材料まで失う。
目の前の相手がどれほどの攻撃に耐えるのかも分からない。
隔壁の向こうで、何かが動いた。
ずるっ。
硬いものが床を擦る。
次いで、湿った呼吸音が聞こえた。
ゴォォォ……。
エルザがボーガンを構える。
「ツカサ」
「何だ?」
「今度は、最初から一緒に戦うからね」
「そのつもりだ」
「ならいい」
ラルスが二人の前へ半歩出た。
「私もいることを忘れるな」
「忘れてないよ、兄様」
三人が武器を構えた、その瞬間だった。
隔壁が内側から大きく膨らんだ。
ズドンッ!
金属が裂け、白い爪の先が突き出す。
一本だけで、司の腕ほどの太さがある。
爪は隔壁を引き裂きながら、ゆっくり横へ動いた。
ギギギギギッ。
裂け目の向こうに、黒い影が立ち上がる。
赤い光を反射し、いくつもの眼が順番に開いた。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
そして、最も高い位置にある眼が司を捉えた。
《生体反応、完全覚醒》
《警告。隔壁の構造限界まで、残りわずかです》
神代から続いてきた封印が、今、完全に破られようとしていた。
――第十五話・終




