第14話「生きている地下迷宮」
地下警報の鐘が、王城の廊下へ鳴り響いている。
司たちが謁見室前の武器預かり所へ戻ると、衛兵はすでに保管箱を運び出していた。
「ツカサ殿の装備だ。返却の手続きを省略する」
ラルスの命令を受け、箱の錠が開かれる。
司はライフルを取り出し、薬室と残弾を確認した。
拳銃を腰へ戻す。
ナイフを所定の位置へ固定し、予備弾倉を走行スーツへ収める。
エルザも亀甲盾を左腕へ通し、ボーガンの弦を確かめていた。
つい先ほどまで謁見室で笑っていた顔から、柔らかさが消えている。
「第三封鎖門から第二封鎖門までの距離は?」
「およそ五百歩だ」
ラルスは歩きながら答えた。
「地下迷宮の入口から、第一、第二、第三の順に門がある。第三が最も深い。今回はそこが内側から開き、巡回中の守備隊が第二まで後退した」
「第二封鎖門は閉じられなかったのか?」
「閉鎖中に大型の魔物が挟まり、門が止まったと報告を受けた。残った隙間を守備隊が塞いでいる」
つまり、第二封鎖門はすでに防壁として機能していない。
そこを抜かれれば、第一封鎖門が王城を守る最後の障壁となる。
三人は王城の奥にある鉄扉をくぐり、地下へ続く広い螺旋階段を駆け下りた。
壁には一定間隔で宝玉灯が埋め込まれている。
下るにつれて光は少なくなり、乾いた石の匂いへ、血と獣の臭いが混じり始めた。
前方から負傷兵が運ばれてくる。
二人がかりで担架を持つ兵士。
肩口を布で固く縛られ、自分の足で歩く者。
腹を押さえたまま、意識を失っている者。
担架の縁から、赤黒い血が、ぽたっ、ぽたっと階段へ落ちていた。
「副将……」
担架の猫人族が、かすれた声を出した。
片方の耳が半ばから失われ、顔の左側が血で濡れている。
「数が、報告より多いです。傷を負っても……止まりません」
「第二門の指揮は?」
「守備隊長が、まだ……」
「分かった。話さなくていい」
ラルスは道を空け、後方の兵士へ命じた。
「この者たちを上へ。歩ける負傷者にも必ず付き添いをつけろ」
「はい!」
階段の先で、ダンッ、ダンッ、と重い衝撃が続いた。
石壁を通しても分かる。
何かが、封鎖門へ身体ごとぶつかっている。
《地下からの周期信号が強くなっています》
「内容は?」
《培養区画を示すと推定される符号が反復されています》
《同時に、複数の生体監視情報らしき信号を検出》
「魔物の数は分かるか?」
《周囲の鉱物と金属構造による反射が大きく、正確な測定は困難です》
《ただし、四十を下回る可能性は低いと判断します》
報告された四十体は、確認できた数にすぎない。
第一封鎖門の前には、二十人ほどの増援が集まっていた。
ルミエール人と猫人族の兵士が盾と槍を持ち、土鬼族の兵士が門の巻き上げ機を操作している。
門の横にある通信宝玉からは、ざあっ、ざざっ、と崩れた音しか聞こえない。
「第二門、応答せよ」
兵士が情報伝達用の宝玉へ呼びかける。
返ってきたのは、短い叫びと金属の衝突音だった。
直後、通信が途切れる。
「地下では、いつもこうなの?」
エルザが尋ねた。
「第二門までは声が届くこともある。今日は雑音がひどい」
ラルスは答え、集まった兵士たちを見回した。
「第一門を一度だけ開ける。我々が通過したら即座に閉鎖しろ。以後、私の命令か、定められた帰還信号があるまで開けるな」
「副将たちが戻られても、確認できなければ開けないのですか?」
「開けるな」
ラルスは迷わなかった。
「我々の後ろに魔物が見えた場合も同じだ。王城へ一体も通すな」
兵士たちの表情が固くなる。
それでも全員が、胸へ拳を当てて応じた。
「承知しました」
巻き上げ機の鎖が、じゃらららっと動き始める。
石と金属を組み合わせた分厚い門が、低い振動を伴って持ち上がった。
人がかがんで通れる高さになったところで、ラルスが先頭を切る。
司とエルザ、増援の兵士たちも続いた。
最後の一人が通り抜ける。
背後で鎖が外され、第一封鎖門が落ちた。
ズズンッ。
足元の石床が震え、王城への道が閉ざされた。
◇
第二封鎖門へ近づくにつれ、音が一つずつ判別できるようになった。
剣が硬いものへ弾かれる、ギィンッという音。
槍の柄が折れる、バキッという音。
獣の咆哮。
兵士の怒号。
そして、短く途切れる悲鳴。
通路の曲がり角を抜けた瞬間、戦場の全景が見えた。
第二封鎖門は、床から人の胸ほどの高さを残して止まっている。
門の下には、黒い毛に覆われた大型の魔物が挟まっていた。
胴体は押し潰されているのに、四本ある腕のうち二本を動かし、近づいた兵士の足をつかもうとしている。
その脇の隙間から、小型の魔物が次々と這い出していた。
守備隊は三列の盾壁を作っている。
最前列が盾で受け止め、二列目が隙間から槍を突き出し、三列目が負傷者を後方へ引く。
動きに乱れはない。
訓練された部隊だった。
だが、相手が異常だった。
槍に腹を貫かれた四足の魔物が、止まらない。
自ら身体を押し込み、ずぶっ、ずぶっと穂先を背中まで貫通させながら前へ進む。
柄を持つ兵士へ牙を届かせようと、裂けた口を何度も閉じた。
がちんっ。
がちんっ。
歯が空を噛むたび、黄色い唾液と血が糸を引いた。
別の魔物は、前脚を一本切り落とされていた。
それでも三本脚で跳び、倒れた兵士の首へ噛みつく。
ぶちっ。
皮膚と肉が引き裂かれる湿った音がした。
兵士の喉から空気と血が同時に噴き出す。
ごぼっ、ごぼっと赤い泡を吐きながら、両手が石床を掻いた。
仲間が剣を振り下ろす。
ガギィッ。
刃が魔物の頭蓋へ食い込んでも、顎は離れなかった。
「右を押さえろ!」
地下守備隊長が叫んだ。
「列を崩すな! 負傷者を後ろへ――」
最後まで言い終わる前に、第二門の隙間が大きく揺れた。
内側から、灰色の腕が伸びる。
人間の胴ほどもある腕だった。
五本の指が盾の上端をつかみ、最前列の兵士ごと持ち上げる。
「離せ!」
隣の兵士が指へ剣を叩きつけた。
ギンッ。
浅く裂けた皮膚から血が飛ぶ。
それでも指は緩まない。
門の下から、猿に似た巨大な頭部が押し込まれてきた。
目は白く濁り、口の端から黒い泡を垂らしている。
魔物は盾を投げ捨てると、兵士の兜を片手でつかんだ。
「う、ああっ!」
兜の金属が、みしっ、とへこむ。
兵士は両手で魔物の指を引き剥がそうとした。
みし、みしみしっ。
頭を包む鉄板が内側へ折れ、頬当ての隙間から血が流れ出した。
「やめ――」
べきんっ。
鈍い破裂音とともに、兜がひしゃげた。
赤い血と白い骨片、灰白色の肉片が、指の間からぶしゅっと噴き出す。
首から力を失った身体が、鎧をがちゃりと鳴らして垂れ下がった。
魔物が手を開く。
潰れた兜と兵士の身体が、どさっと床へ落ちた。
魔物の指先から、血がぼたっ、ぼたっ、ぼたっと流れ落ちる。
砕けた兜の隙間からも、溢れた血が胸当てを伝い、ばたばたっと石床へ落ちた。
一瞬だけ、周囲の兵士が凍りついた。
その一瞬を、別の二体が盾壁へ飛びかかる。
「伏せろ!」
司はライフルを構えた。
照準枠が、空中へ跳んだ一体の頭部を捉える。
ダンッ!
狭い石造通路で、銃声が爆発した。
銃弾が魔物の眉間へ入り、バヂュッと後頭部を吹き飛ばす。
赤黒い肉と頭蓋の破片が門へ叩きつけられた。
二体目が盾の上を越える。
ダンッ、ダンッ!
一発目が肩関節を砕く。
前脚が不自然な方向へ跳ね、身体が横へ回った。
二発目が開いた口から入り、グシャッと頸椎を破壊する。
魔物は勢いを失い、兵士の目前へ滑り落ちた。
「増援だ! 道を開けろ!」
ラルスの声が飛ぶ。
守備隊が左右へ分かれ、司たちのために細い通路を作った。
エルザが司の右側へ入る。
「門の下、三体!」
ボーガンが、バシュッと鳴った。
短い矢が一体の眼球を貫く。
魔物が頭を振ったところへ、司の弾丸が側頭部から入った。
ダンッ。
ゴキャッ。
頭部が横へ折れ、門の下へ転がる。
ラルスは剣を抜き、崩れた盾壁の前へ出た。
「増援一列目、穴を埋めろ! 二列目は負傷者の回収! 地下守備隊は左右へ分かれ、呼吸を整えろ!」
命令を受けた兵士たちが、即座に動く。
新しい盾が並び、空いた場所へ槍が差し込まれた。
戦線が、わずかに押し戻される。
だが、門の向こうから咆哮が重なった。
一つではない。
十を超える足音が、石床を叩きながら近づいてくる。
《前方から多数の生体反応》
《大型四、小型十三。後続は判別不能》
「第二波が来る!」
司の警告と同時に、最初の魔物が隙間から飛び出した。
◇
それからの数分間は、時間の流れが変わったようだった。
魔物が門をくぐる。
盾へぶつかる。
兵士が槍を突き出す。
一体が倒れる前に、次の一体が死骸を踏み越える。
ガンッ。
ギィンッ。
ズブッ。
バキッ。
ぶしゅっ。
硬い音と湿った音が、途切れることなく重なった。
石床の継ぎ目を血が流れ、浅い溝を作っている。
踏みつけられるたび、ぴちゃっ、びちゃっと赤い飛沫が兵士たちの脚へ散った。
右端で、猫人族の兵士が大型の魔物へ槍を突き込む。
穂先は胸へ深く入った。
本来なら、それで止まる傷だった。
魔物は槍の柄を両手でつかみ、胸へさらに引き込んだ。
ずるっ。
裂けた傷から内臓が押し出され、石床へぼたぼたと落ちる。
自分の腹から垂れた腸を踏みながら、魔物は兵士へ近づいた。
「なぜ倒れない!」
兵士が槍を離す。
魔物の腕が振り上げられた。
司は引き金を絞る。
ダンッ!
肘が後方へ弾け、骨と肉が壁へ飛び散った。
ダンッ!
次弾が膝を粉砕する。
巨体が傾く。
司は三歩で距離を詰め、銃口を顎の下へ押し当てた。
ダンッ!
頭頂部が、ばくっと裂けた。
魔物の身体が膝から落ち、胸に刺さった槍の柄が石床へ当たる。
ごきり、と胸骨が内側から折れた。
「下がれ」
司は猫人族の兵士を盾壁の後ろへ押し戻した。
左から甲殻に覆われた魔物が迫る。
エルザの矢が首の柔らかい部分へ刺さった。
「ツカサ、左!」
司は身体を半回転させる。
ライフルの銃床を、突き出された顎へ叩き込んだ。
ゴッ。
牙が二本折れ、血と一緒に転がった。
魔物が口を開き直すより早く、司はその口内へ銃口を差し込む。
ダンッ!
首の後ろが弾け、甲殻の隙間から血が扇状に飛んだ。
エルザが亀甲盾を上げる。
血と肉片が、ばたたっと盾の表面を叩いた。
「これは、いつもの魔物じゃない」
ラルスが剣についた血を振り払いながら言った。
「姿は同じだ。だが、傷を恐れない。仲間の死骸まで食い破って進んでくる」
門の向こうでは、二体の魔物が同じ隙間へ身体を押し込もうとしていた。
一体が邪魔になると、後ろの魔物がその首へ噛みつく。
ぶちぶちっと肉を引きちぎり、まだ動いている同族を踏み越えてくる。
敵と味方の区別さえない。
最も近くで動く生物へ、ただ襲いかかっている。
《通常の捕食行動ではありません》
《恐怖反応、逃避行動、疼痛回避行動の著しい欠落を確認》
「制御異常か?」
《可能性は高いと判断します》
《ただし、外部制御が失われた結果か、攻撃性を高める指令を受けているのかは判別できません》
司は弾倉を交換した。
空になった弾倉が石床へ落ち、からんっと血の中を滑る。
視界の端に、三十七個の標的表示が浮かんだ。
大型個体を一番。
盾壁右側へ接近する個体を二番。
天井近くの亀裂を這う個体を三番。
負傷兵へ向きを変えた個体を四番。
距離。
速度。
骨格。
予測進路。
必要弾数。
数字が並ぶ。
司は一番の膝を撃った。
ダンッ。
砕けた関節が内側へ折れる。
二番の眼窩を撃つ。
ダンッ。
眼球が潰れ、弾丸が脳幹へ達する。
三番の前脚を撃ち抜く。
ダンッ。
天井から落ちたところへ、もう一発。
ダンッ。
四番。
五番。
六番。
引き金を絞るたび、標的表示が消えた。
少し後ろで、エルザが司の横顔を見た。
黒い瞳の奥で、緑色の光が普段よりも強くなっている。
「ツカサ……?」
司は振り返らなかった。
血の臭いが遠のく。
兵士の悲鳴も、銃声も、処理すべき情報へ変わっていく。
司の中から、怒りが消えた。
嫌悪も消えた。
兜の中で潰された兵士の顔を、考える必要はない。
喉を食い破られた者の最期を、覚える必要もない。
脅威を識別し、最短の手順で停止させる。
それだけでいい。
《右前方、七番。跳躍まで〇・八秒》
司は撃った。
《左壁面、八番。頭部装甲が厚いため、口腔からの射入を推奨》
撃った。
《九番と十番が重なります。貫通射撃可能》
撃った。
一発の弾丸が、小型個体の頭をバヂュッと抜け、その後ろの個体の首へ食い込んだ。
二体が絡み合い、どさどさっと倒れる。
司は盾壁を越えた。
「ツカサ殿、前へ出すぎだ!」
ラルスの声が聞こえた。
意味は認識した。
だが、停止する理由としては弱かった。
前へ出れば射線が広がる。
敵が司へ集中すれば、負傷兵への攻撃も減る。
サイボーグの身体は、生身の兵士より損耗に耐えられる。
合理的だった。
十一番が右腕へ噛みつく。
牙が走行スーツを裂き、人工筋肉の表面で止まった。
司は魔物の下顎を左手でつかむ。
そのまま力を加えた。
めきっ。
顎関節が外れる。
さらに捻る。
べき、ぶちっ。
下顎が肉ごと引き剥がされ、赤い舌が垂れ下がった。
それでも魔物は前脚を振り上げる。
司は頭をつかみ、第二封鎖門へ叩きつけた。
グシャッ。
頭蓋が割れ、鉄板へ血の染みが広がる。
十二番。
十三番。
十四番。
ライフルを構える。
撃つ。
関節を壊す。
頭を砕く。
神経中枢を断つ。
そこには、かつて戦場で何度も繰り返した静けさがあった。
身体は命令を待たない。
銃口は最適な位置へ動き、指は必要な瞬間にだけ引き金を絞る。
戦うために切り落とされたもの。
戦うために埋め込まれたもの。
戦うために残された脳。
人間の形をしているだけの兵器。
目の前の光景は、その事実をあまりにも容易に証明していた。
そして、兵器でいる間は何も感じなくて済む。
それが、ひどく楽だった。
《十五番、接近》
司は踏み込んだ。
「ツカサ!」
エルザの声がした。
十五番の前脚を撃ち抜く。
体勢を崩した魔物の首へ、ナイフを突き立てた。
ズブッ。
刃を横へ引く。
ぶしゅうっと血が噴き出し、司の頬へ熱い飛沫がかかった。
次の標的へ視線を移す。
新たな魔物が積み重なった死骸に阻まれ、戦いにほんの短い切れ目が生まれた。
「ツカサ、無茶はしないで……」
引き金へかけた指が止まった。
大きな声ではなかった。
命令でもない。
銃声と咆哮に紛れそうな、震えを含んだ一言だった。
司は振り返った。
エルザが数歩後ろにいる。
亀甲盾の縁は欠け、編み込んだ髪には返り血がついていた。
それでも彼女は魔物ではなく、司を見ていた。
緑色の瞳に浮かんでいるのは、戦う者への警戒ではない。
司が戻ってこなくなることへの不安だった。
つい先ほど、二人で帰ってくると約束した。
国王に対してだけではない。
エルザ自身が、その約束を信じて地下へ来た。
視界を埋めていた標的番号が、わずかに薄れる。
血の臭いが戻った。
負傷者の呻きが戻った。
自分の頬を伝う、生温かい液体の感触が戻った。
司は、ナイフについた血を振り払った。
「分かった」
声が、自分のものとして聞こえた。
「二人で帰る」
エルザの耳が小さく動く。
「うん」
司は盾壁の位置を確認した。
いつの間にか、十歩以上も前へ出ている。
単独で殺すことだけを考え、部隊との距離を失っていた。
敵を減らすことと、仲間を守ることは同じではない。
司は後退しながら二発撃ち、追ってきた魔物を止めた。
「ラルス、戦列へ戻る。盾壁を三歩前へ出せるか?」
ラルスが司の瞳を一瞬見た。
強くなっていた緑色の光が、ゆっくり弱まっている。
「出せる。何をする?」
「門の隙間を死骸で塞ぐ。俺が大型を止める。槍兵は倒れた個体を門の下へ押し込め。エルザは上を抜ける小型を狙ってくれ」
「任せて」
「全隊、聞いたな!」
ラルスが剣を上げる。
「前へ三歩! 負傷者を背に置くな。ここで止める!」
兵士たちが盾を重ねた。
「一歩!」
ガンッ、と魔物の身体を押し返す。
「二歩!」
槍が三方向から突き出され、前脚と喉を貫いた。
「三歩!」
全員の足が石床を踏みしめる。
司は、盾壁へ迫る個体だけを選んで撃った。
左端の兵士へ牙を向けた魔物の肩を砕く。
ダンッ。
盾の上へ乗ろうとした個体を、エルザの矢が射抜く。
バシュッ。
落下したところへ猫人族の槍兵が踏み込み、喉を貫いた。
ズブッ。
大型個体が死骸を押し退けようとする。
司は左右の膝へ一発ずつ撃ち込む。
ダンッ、ダンッ!
巨体が門の手前で崩れた。
「今だ、押せ!」
土鬼族の兵士たちが鉤のついた棒を死骸へ引っかける。
「せえのっ!」
肉と甲殻の塊が、ごりっ、ごりっと床を擦り、門の隙間へ押し込まれた。
後続の魔物が、その死骸へぶつかる。
通れる幅が半分になる。
「右上!」
エルザが叫ぶ。
天井を這ってきた小型個体が、ラルスへ跳んだ。
司が銃口を向けるより早く、ラルスの剣が下から閃いた。
ザシュッ。
魔物の腹が縦に裂ける。
内臓が、ばたばたっと石床へ落ちた。
ラルスは身体をひねり、落下してきた魔物を盾壁の外へ蹴り返す。
「私も副将になる前は、前線にいた」
「疑ってはいない」
「なら、そちらを見ろ!」
次の大型個体が門を押し上げようとしていた。
司は狙いを変える。
ダンッ。
一発目が手首を砕く。
ダンッ。
二発目が肘を抜く。
エルザの矢が濁った右目へ突き刺さった。
大型個体が仰け反ったところへ、盾壁の槍が一斉に突き出される。
ズドッ。
六本の穂先が胸と腹へ入った。
魔物はなお腕を振ろうとした。
だが、今度は一人で相手をしているのではない。
「押せ!」
ラルスの号令で、兵士たちが槍ごと前進する。
巨体が門の向こうへ押し戻され、別の死骸の上へ倒れた。
それを最後に、隙間から入ってくる魔物が途切れた。
誰もすぐには武器を下ろさない。
荒い呼吸だけが、血に濡れた通路へ重なった。
一秒。
二秒。
三秒。
門の向こうで、爪が石を掻く音がする。
やがて、その音も弱くなった。
「第一列、そのまま維持」
ラルスが命じた。
「生存者を確認しろ。魔物の死骸には近づきすぎるな。頭が残っているものは、動かなくても槍で確認しろ」
兵士たちが動き始める。
「こっちは生きている!」
「担架を!」
「止血帯が足りない!」
戦いの音に代わって、救護を求める声が飛び交った。
司は、壁際に倒れているルミエール人の兵士へ駆け寄った。
腿が深く裂けている。
傷口から血が、どくっ、どくっと脈に合わせて溢れていた。
司は走行スーツの救急装備から止血帯を取り出し、傷より上へ巻く。
「痛むぞ」
「やって……くれ」
締め具を回す。
兵士が歯を食いしばり、喉の奥で声を漏らした。
血の勢いが弱まる。
「上へ運べ。六時間以内に適切な処置ができれば、脚を残せる可能性が高い」
救護兵がうなずき、担架を寄せた。
司が立ち上がると、エルザが隣にいた。
「怪我、見せて」
「俺のか?」
「右腕を噛まれてた」
走行スーツは裂けているが、その下の人工筋肉に浅い傷があるだけだった。
透明な修復液がわずかに滲み、すでに傷口を塞ぎ始めている。
「問題ない」
「本当に?」
「ああ」
エルザは傷と司の顔を交互に見た。
「さっきのツカサ、呼んでも聞こえてないみたいだった」
「聞こえてはいた」
「じゃあ、どうして止まらなかったの?」
司は、血に沈んだ空の弾倉を見た。
「止まる必要がないと判断していた」
「それが無茶だって言ってるの」
エルザの声は責めるような強さではなかった。
だからこそ、言葉がそのまま残った。
「次は、もっと早く戻る」
「私が呼ぶ前に戻って」
「努力する」
「約束は?」
司は少しだけ間を置いた。
「約束する」
ようやく、エルザの耳から力が抜けた。
◇
第二封鎖門の周囲には、四十体を超える魔物の死骸が積み重なっていた。
門の向こうに残るものを含めれば、最初の報告を大きく上回る。
同じ姿の個体が、いくつもあった。
毛の色。
牙の欠け方。
甲殻の節。
身体の大きさまで、ほとんど変わらない。
司は比較的損傷の少ない四足の魔物へ近づいた。
頭部が破壊されていることを確認し、膝をつく。
「何か分かるの?」
エルザが尋ねた。
「調べる」
電子眼で筋肉、骨格、内臓の状態を走査する。
《筋繊維の形成に不自然な均一性を確認》
《骨端部に急速成長の痕跡があります》
「子どもが急に大きくなったような状態か?」
《近似表現としては適切です》
《生殖器官は未成熟。消化管内に、通常の食物残渣はほとんどありません》
司は別の同型個体へ手を伸ばした。
皮膚の一部をナイフの先で採取し、携帯型レプリケータの素材識別部へ入れる。
本来は、回収した物質を原料として利用できるか判定するための機能だ。
数秒後、走査結果が視界へ表示された。
《複数の組織から、高濃度の成長促進物質を検出》
《二個体の遺伝情報は、自然繁殖した同種としては異常なほど近似しています》
《同一の細胞試料、または極めて限定された原型から複製された可能性があります》
「どういうことだ?」
ラルスが歩み寄ってきた。
剣についた血は拭ってあるが、外套の裾まで赤く濡れている。
「同じ姿の二体は、普通に生まれた別の個体ではない可能性がある」
「では、どこから現れた?」
司は、止まった第二封鎖門の向こうを見た。
「作られた」
周囲にいた兵士たちが黙る。
「卵や親がいなくても、地下の装置が肉体を育てているとすれば、討伐しても魔物が再び現れる理由を説明できる」
司は、リベール艦長から受け取った調査船の資料を思い出した。
「地下にあるものが、俺の知る調査施設と同じ用途なら、この国で魔物と呼ばれてきたものは、採取か実験のために保管されていた生物かもしれない」
「地下で、誰かが魔物を育てているの?」
エルザの問いに、司は首を横へ振った。
「誰かが今も操作しているとは限らない。命令だけが残り、壊れかけた装置が同じ作業を繰り返している可能性もある」
《推論を支持します》
《周期信号内の制御異常符号は継続中です》
「止められるか?」
ラルスが尋ねた。
「装置へ到達できれば、可能性はある」
「到達できなければ?」
「何体倒しても、また作られる」
第二封鎖門の下では、挟まった大型個体がまだ指を動かしていた。
槍兵が穂先を後頭部へ突き入れる。
ずぶっ。
指の動きが、ようやく止まった。
地下守備隊長がラルスへ近づいた。
兜は失われ、額の傷へ布が巻かれている。
「副将。動ける者は二十七名です。重傷者を第一門まで運ぶには、半数が必要です」
「全員を連れて下りるつもりはない」
ラルスは門を見た。
「負傷者を第一門へ。残りはここを再封鎖しろ。向こう側の死骸を引き出し、門を完全に下ろせ」
「副将は?」
「第三門まで状況を確認する」
「危険です」
「ここで待てば、次に何体出てくるか分からない」
守備隊長は反論しかけたが、司を見て言葉を飲み込んだ。
「六名、お連れください。全員、軽傷です」
「四名でいい。残りはお前を手伝わせろ」
「承知しました」
司はライフルの残弾を確認した。
十分とは言えない。
だが、第三門までの偵察なら対応できる。
エルザが新しい矢をボーガンへ装填する。
「お前はここに残ってもいい」
ラルスが言った。
「私だけ?」
「ツカサ殿の分析が必要だ。私は部隊の責任者として行く。お前には残る選択がある」
「三人で行けば、三人で戻れるよ」
「数の計算をしているのではない」
「分かってる。でも行く」
ラルスは短く息を吐いた。
「私の指示から離れるな」
「うん」
地下守備隊長が、第二封鎖門の脇にある保守用通路の鍵をラルスへ渡した。
人が一人ずつ通れるだけの狭い道で、両端は厚い鉄扉によって閉ざされている。
小隊は一人ずつ深部側へ抜け、魔物が入り込まないよう背後の扉へ再び鍵をかけた。
門の向こうも血に覆われている。
魔物同士が争ったらしく、兵士の武器ではつかない大きな噛み跡を持つ死骸が転がっていた。
第三封鎖門までの通路には、一定間隔で壁画が刻まれていた。
樹木。
太陽。
翼を広げた竜。
王城で見た装飾と似ている。
だが、司には後から付け加えたものに見えた。
壁画の割れ目の奥に、石ではない平滑な面がある。
司は立ち止まり、表面の砂埃を手で払った。
黒灰色の金属が現れる。
腐食はほとんどない。
継ぎ目さえ、目を凝らさなければ分からなかった。
「これも石に見せかけていたのか?」
ラルスが尋ねる。
「逆かもしれない」
司は答えた。
「先にこの金属の構造物があり、後から石を貼って地下迷宮に見せた」
「誰が?」
「それを調べに来た」
さらに進むと、宝玉灯が一つずつ減っていった。
第三封鎖門の手前で、情報伝達用の宝玉が完全に沈黙した。
同行した兵士が、情報伝達用の宝玉を耳へ寄せた。
「第二門、応答してください」
返事はない。
ざああっという雑音すら聞こえなかった。
「完全に通じません」
「ここから先は、伝令を戻さなければ地上へ何も伝わらない」
ラルスは四人の兵士のうち一人を振り返った。
「この場所を記録し、第二門へ戻れ。三十分待って我々が戻らなければ、第一門へ報告を送れ」
「はい」
兵士が来た道を引き返す。
残った六人は、開いた第三封鎖門の前へ立った。
門そのものは破壊されていない。
左右の壁へ、正確に収まっている。
操作用の宝玉だけが、濁ったように暗くなっていた。
門の先には、石造りの通路が続いている。
ただし、十歩ほど先で壁の一部が崩れていた。
その奥から、白い光が漏れている。
火でも宝玉灯でもない。
一定の明るさを保ち、わずかな揺らぎもない光だった。
《人工照明を検出》
《ベリシーア号の設備とは規格が異なります》
《ただし、発光効率と配置には宇宙船内設備との共通性があります》
司が一歩踏み込む。
床の下から、低い振動が返ってきた。
ヴゥン……。
白い光が、通路の奥へ向かって順番に点灯する。
カッ。
カッ。
カッ。
まるで、侵入者の進路を示しているようだった。
エルザが司の袖をつかむ。
「これ、今まで動いたことがあるの?」
「ない」
ラルスの声が低くなる。
「少なくとも、私が地下へ入るようになってから、一度もない」
通路の最奥で、何かが作動した。
ガコンッ。
続いて、密閉されていた空気が抜けるような音がする。
プシュウウッ。
石壁だと思われていた部分が、中央から左右へ滑り始めた。
その奥には、淡い青色の液体で満たされた透明な円筒が並んでいる。
一つ。
二つ。
十。
暗闇の先まで、同じ形が続いていた。
最も近い円筒の内側で、大きな影が動く。
ごぽっ。
液体の中を、気泡が一つ浮かび上がった。
《培養設備と推定》
《複数の生命反応を検出しました》
《警告。全個体、活動状態へ移行中》
透明な壁の向こうで、閉じていた瞼が開いた。
第二封鎖門で見たものと同じ、白く濁った眼だった。
地下迷宮は、死んだ遺跡ではない。
今この瞬間も、新しい魔物を作り続けている。
――第十四話・終




