第13話「王女の帰還」
巨大な城門をくぐると、王都の喧騒が一段と大きくなった。
門の外からも見えていた大通りは、近くで見ると小さな広場ほどの幅がある。
中央を二本の水路が流れ、その両側に石畳の車道と歩道が設けられていた。
荷車を引く土鬼族。
屋根の上へ軽々と飛び移る猫人族。
水路から上半身を出し、観光客を小舟へ呼び込む鱗人族。
長い耳を持つ複数のエール系士族に混じり、司とよく似た人間の姿も見える。
十万人が暮らす都市の密度は、第三のルミエールとは比較にならなかった。
《周辺に存在する身分証用宝玉から、断続的な信号を検出》
《城門、商店、公共施設の読み取り機が、何らかの情報網を形成していると推測します》
「独立した記録装置ではないのか?」
《少なくとも一部の情報は、離れた場所へ転送されています》
司は左手首のブレスレットを見た。
小さな紫色の宝玉は、何の変化も見せていない。
外見だけなら、装飾品と区別することは難しかった。
「城門で登録したことも、王城へ伝わっていると思うか?」
《可能性は高いと判断します》
エルザは司の腕を引き、大通りの端へ寄せた。
酒樽を満載した大きな荷車が、二人のすぐ横を通り過ぎていく。
御者台に座る土鬼族が、片手を上げて礼を示した。
「真ん中を歩くと危ないよ」
「見て分かった」
「ずっと街を見上げてたから」
エルザは楽しそうに笑った。
王都へ入ってから、彼女の歩調は少し速い。
長い旅を終え、ようやく故郷へ帰ってきたことがうれしいのだろう。
道の両側には、三階から五階ほどの石造建築が隙間なく並んでいる。
一階は店として使われ、色とりどりの布製の日よけが歩道まで張り出していた。
焼いた肉。
香辛料。
果実酒。
熱した金属。
水路の湿った匂い。
さまざまな匂いが混ざり合っている。
一軒の店先では、鱗人族を模した小さな木像が大量に売られていた。
隣の店には、翼を広げた真竜の置物が並んでいる。
「あれも観光客向けか?」
「そうだよ。角を回ると、真竜の鱗を使ったお守りも売ってる」
「本物なのか?」
「抜け落ちた鱗を、真竜から分けてもらうの。大きいものは高いよ」
「あとで見に行こう」
エルザは足を止め、司を見上げた。
「興味あるの?」
「真竜の身体構造を調べる資料になる」
「お土産が欲しいのかと思った」
「資料も土産の一種だ」
「そうかな?」
納得していない顔をしながらも、エルザはうれしそうだった。
大通りの先には、中央の岩山へ向かって緩やかに上る道が続いている。
その頂上に、始まりの城がそびえていた。
城は遠くから見たときよりもはるかに大きい。
外壁だけで一つの町を囲めるほどの広さがあり、幾重もの尖塔が空へ伸びている。
白灰色の石壁には、樹木と真竜を組み合わせた紋章旗が掲げられていた。
《新たな信号を検出》
《王都の情報網とは異なる、極めて微弱な周期信号です》
司は歩きながら、王城へ視線を向けた。
「発信源は?」
《王城方向》
《ただし、地上施設からではありません》
《地形による減衰を考慮すると、発信源は王城の地下深部に存在すると推測します》
「自然現象の可能性は?」
《低いと判断します》
《信号は一定の間隔で反復しており、人工的な同期情報を含んでいます》
「ベリシーア号との共通点は?」
《信号構造の一部が、ベリシーア号の艦内通信規格と類似しています》
司は足を止めた。
数歩先へ進んだエルザが振り返る。
「どうしたの?」
「城の地下に、何かあるのか?」
「地下?」
エルザは王城を見上げた。
「ダンジョンならあるよ」
「ダンジョン?」
「古い地下迷宮。お城が造られる前からあったんだって」
エルザにとっては、特別な話ではないらしい。
「中には何がある?」
「石の通路と大きな部屋。それから魔物」
「城の真下に魔物がいるのか?」
「普段は下の方にいるから大丈夫だよ。増えすぎると上へ来るから、ときどき兵士が討伐してるけど」
《生物が閉鎖空間で継続的に発生しているのであれば、食料と繁殖環境が必要です》
《地下深部の人工信号との関連を調査する価値があります》
「入口はどこにある?」
「お城の中。でも、王族と兵士以外は入れないよ」
「国王へ相談する必要があるな」
「お父様なら、たぶん見せてくれるよ」
エルザは簡単に答え、再び歩き始めた。
その直後、大通りの先から騎馬の一団が近づいてきた。
先頭には、深緑色の外套をまとったルミエール人の男がいる。
腰まで届く銀色の髪。
エルザと同じ緑色の瞳。
年齢は外見から判断すれば三十歳前後だが、周囲の兵士よりも落ち着いた雰囲気を持っている。
男は二人の前で馬を止めると、鞍から飛び降りた。
「エルザ!」
「ラルス兄様」
エルザが名前を呼ぶより早く、男は彼女の両肩をつかんだ。
顔や腕に怪我がないか、確かめるように見回している。
「無事だったか」
「見れば分かるでしょ」
「帰還予定を二十日も過ぎて、何の連絡もなかった。第三のルミエールへ送った者から、お前が見知らぬ人間と旅へ出たと聞かされたとき、城がどれほど騒ぎになったと思っている」
「ちゃんと帰ってきたよ」
「結果だけで済ませるな」
叱ってはいるが、その声には安堵が滲んでいた。
エルザもそれが分かっているのか、反論しながら笑っている。
ラルスは国王の第六子で、エルザより年長の兄だった。
王の子どもたちは、全員が父だけを同じくする腹違いの兄妹である。
母親はそれぞれ異なるが、幼い頃は王城の同じ区画で育てられるため、年齢の近い者同士は親しい兄妹関係を築いていた。
ラルスとエルザも、幼い頃から一緒に剣や弓の稽古をしてきたという。
ラルスは男子だけに認められる王位継承権を持ち、現在は王都守備隊の副将を務めている。
「門の読み取り機から、お前の帰還記録が届いた」
ラルスはようやくエルザの肩から手を離した。
「父上もすでにご存じだ。すぐに城へ来るよう命じられている」
「だから向かってたの」
「途中の店へ寄ろうとしていただろう」
エルザの耳が、わずかに横へ倒れた。
「少しだけ」
「帰還の報告が先だ」
兄の視線が、司へ向けられた。
背中のライフル。
黒い走行スーツ。
左手首の一時滞在者用ブレスレット。
一通り確認したあと、ラルスは司へ向かって姿勢を正した。
「あなたがツカサ殿か」
「そうだ」
「妹を助けていただいたと聞いている。兄として礼を言う」
ラルスは右手を自分の胸へ当て、深く頭を下げた。
王族の形式的な挨拶ではない。
妹を心配していた兄の、率直な感謝だった。
「俺一人で助けたわけではない。エルザたちも最後まで戦った」
「それでも、あなたが来なければ全員死んでいたよ」
エルザが横から口を挟む。
「七頭のワイバーンを、ツカサが全部倒したの」
ラルスの眉が動いた。
「七頭を、一人で?」
「正確には、先に三頭を倒し、残りの四頭を俺が倒した」
「同じことだよ」
「同じではない」
エルザは司の右腕へ自分の腕を絡めた。
「ツカサは命の恩人で、私の大好きな人」
周囲の兵士たちが、一斉に司を見た。
ラルスも数秒間、言葉を失っている。
「エルザ。そこまで一度に説明する必要があるのか?」
「隠すことじゃないでしょ?」
「そういう問題ではない」
「では、どういう問題だ?」
司が尋ねると、ラルスは困ったように額へ手を当てた。
「いや……あなたが困っていないなら、私から言うことはない」
「少しは困っている」
「ツカサ、嫌なの?」
エルザが腕を絡めたまま、司の顔を見上げる。
「嫌だとは言っていない」
「なら大丈夫」
何が大丈夫なのかは分からなかった。
ラルスは妹と司を見比べ、小さく息を吐いた。
「続きは城で聞こう。馬車を用意している」
◇
王城へ続く坂道は長く、徒歩なら一時間近くかかる。
ラルスが連れてきた馬車は、一般の荷車とは異なり、車輪と客室の間に金属製の板ばねが組み込まれていた。
石畳の継ぎ目を越えても、揺れは小さい。
窓の外では、市街地の屋根が少しずつ低くなっていく。
やがて馬車は、王城を囲む最初の城壁へ到着した。
城門にはルミエール人と猫人族の兵士が並び、帰還したエルザへ一斉に敬礼する。
二つ目の門を越えると、兵舎や武器庫、厩舎が建ち並ぶ区画へ入った。
さらに三つ目の門を通り、ようやく王族が生活する本城が見えてくる。
白灰色の石で築かれた巨大な建物は、遠くから眺めたときよりも複雑な形をしていた。
異なる時代に増築されたらしく、太い円塔と細い尖塔が渡り廊下でつながれている。
壁面には植物の蔓が這い、石造建築の冷たさを和らげていた。
馬車が玄関前へ止まる。
扉が開くより早く、一人の女性が城内から駆け出してきた。
淡い茶色の髪を後ろでまとめた、ルミエール人の女性だった。
濃緑色の使用人服を身につけているが、走ったせいで長い裾が乱れている。
「エルザ様!」
「ミレア」
エルザが馬車から降りた瞬間、ミレアは彼女を強く抱きしめた。
「ご無事で……本当に、ご無事でよかった……」
「苦しいよ」
「二十日も連絡がなくて、苦しいのはこちらです」
涙を浮かべながら、ミレアはエルザの背中を何度も叩いた。
エルザより少し年上に見えるが、彼女が幼い頃から身の回りを世話してきた使用人だという。
主従というより、年の離れた友人に近い関係らしい。
「怪我はありませんか?」
「もう治ったよ」
「もう、ということは怪我をしたのですね?」
「少しだけ」
「少しではありませんでした」
司が訂正すると、エルザが振り返った。
「ツカサ」
「腹部に深い裂傷を負い、大量に出血していた」
ミレアの顔から血の気が引いた。
「エルザ様?」
「でも、ツカサが治してくれたから、今は何ともないよ」
エルザは服の上から腹部を叩いてみせた。
「後遺症も確認されていない」
「あなたが、ツカサ様ですね」
ミレアは司へ向き直ると、深々と頭を下げた。
「エルザ様をお救いいただき、ありがとうございます」
「必要な処置をしただけだ」
「この方は、こんなに穏やかな顔で、ときどき恐ろしいことを言います」
エルザが余計な説明を加えた。
「事実を説明した」
「ミレアを怖がらせなくてもいいでしょ」
「怪我を隠そうとしたのはお前だ」
二人の会話を聞いていたミレアが、口元を緩める。
先ほどまで流していた涙は、もう止まっていた。
「エルザ様が、これほど楽しそうに旅の話をなさるのは初めてです」
「まだ何も話してないよ」
「お顔を見れば分かります」
そのとき、城の奥から軽い足音が近づいてきた。
「エルザ姉様!」
鮮やかな赤い髪の若い女性が、廊下の角から飛び出してくる。
長い耳と緑色の瞳はエルザによく似ているが、背丈は少し低い。
彼女も勢いを落とさないまま、エルザへ抱きついた。
「セレナ」
「本当に帰ってきた!」
「うん。ただいま」
「森で行方が分からなくなったって聞いて、毎日心配してたの」
「行方不明になってたわけじゃないよ。ツカサと旅をしてたの」
セレナは王の第十五子で、エルザの腹違いの妹だった。
エルザは、抱きついたままの妹を司へ紹介した。
「ツカサ。この子は妹のセレナ。王立記録院で、古い文書や宝玉に残された記録を調べる仕事を習ってるの」
「まだ見習いだけどね」
彼女はエルザから離れると、すぐに司へ視線を移した。
頭の先から足元まで、遠慮なく観察する。
「この人が、ツカサ?」
「そうだよ」
「本当に黒い」
「先に言うことがあるでしょ」
ミレアが注意すると、セレナは慌てて背筋を伸ばした。
「姉様を助けてくれて、ありがとうございます」
「気にする必要はない」
「その服は、金属でできているの?」
礼を言い終わると、すぐに好奇心が勝った。
セレナは司の走行スーツを間近から見つめる。
「一部には金属も使われている」
「触ってもいい?」
「構わない」
セレナは司の前腕を指先で押した。
柔らかい表面の下に、硬い構造があることへ気づき、目を輝かせる。
「布じゃない。革とも違う」
「複数の人工素材を重ねてある」
「人工素材?」
「セレナ」
ラルスの低い声が飛んだ。
「父上がお待ちだ。調べるのはあとにしろ」
「少し触っただけです」
「お前の少しは長い」
セレナは不満そうに頬を膨らませたが、司の腕から手を離した。
「あとで、もっと詳しく見せてね」
「安全に開示できる範囲ならな」
「約束だよ」
好奇心の強さは、エルザとよく似ていた。
《セレナの協力を得られれば、王都に残る古代記録の調査が進む可能性があります》
「妹を利用するような言い方をするな」
《将来的な協力可能性を評価しただけです》
「分かっている」
セレナは、自分へ目を向けたまま黙り込んでいる司へ首を傾げた。
「ツカサ?」
「何でもない」
エルザが楽しそうに笑う。
「AIと話してたんだよ」
「頭の中にいるっていう?」
「その説明も、あとだ」
ラルスは再び話を打ち切り、謁見室へ向かって歩き始めた。
◇
司は、城内へ持ち込む武器をすべて申告した。
ライフルと拳銃は、謁見室前の武器預かり所へ置く。
ナイフも同じ場所へ預けた。
携帯型レプリケータについては、ラルスから詳しい説明を求められた。
「その装置では、武器も作れるのか?」
ラルスが、背負い直した装置を見ながら尋ねた。
「ああ。ただし、大型武器を作るには相応の材料と時間が必要だ。この場ですぐに作れるものではない」
ラルスは少し考えてから、うなずいた。
「城内では、私の許可なく使用しないこと。それを守るなら持ち込みを認める」
「了解した」
《小型爆発物であれば、現在の備蓄材料から二分四十秒で製造可能です》
「今は、そういう抜け道を検討しなくていい」
《承知しました》
城の廊下は広く、天井も高い。
石壁には歴代国王と真竜を描いた大きな絵が掛けられている。
五百年前の戦争を描いたと思われる絵もあった。
大河沿いへ布陣する人間の軍勢。
外輪山から飛び立つ数十頭の真竜。
その先頭には、他の真竜を上回る巨大な白銀の竜が描かれている。
「あれが、当時の真竜軍か?」
「そうだよ」
エルザが絵を見上げる。
「先頭にいるのが、白銀竜ヴァレリウス。今も生きてるよ」
「五百年前から?」
「もっと前から生きてるって聞いた」
《真竜族の寿命は、少なくとも数百年以上と推定されます》
「話す機会はあるか?」
「ヴァレリウスが会いたいと思えば」
「こちらから会いに行くことはできないのか?」
「できるけど、寝てたら起こしちゃ駄目だよ。怒るから」
「覚えておこう」
廊下の先に、二枚の大扉があった。
扉の両側に立つ衛兵が槍を上げる。
「エルザ王女殿下、ならびにツカサ殿、ご到着です」
重い扉が、ゆっくりと内側へ開いた。
◇
謁見室は、司が想像していたよりも質素だった。
床には深緑色の絨毯が敷かれているが、壁や柱には過剰な装飾がない。
正面の一段高い場所に、木と石を組み合わせた玉座が置かれている。
その傍らには、青緑色の真竜を模した彫刻があった。
玉座へ座っていた男が、エルザを見るなり立ち上がった。
国王アルディス。
長い銀髪には白いものが混じり、額には細い皺が刻まれている。
しかし、背筋はまっすぐに伸び、歩みもしっかりしていた。
彼は階段を下りると、臣下たちが見守る前でエルザを抱きしめた。
「父様、苦しい」
「ミレアにも同じことを言っていたな」
「みんな、力を入れすぎなの」
「無事に帰ったのだから、これぐらいは我慢しなさい」
国王は娘の頭を撫で、ようやく腕を緩めた。
「よく戻った」
「ただいま、父様」
短い言葉だった。
だが、国王の表情から、娘の帰還をどれほど待っていたかが伝わってくる。
エルザは父親の手を取ると、司の前まで連れてきた。
「父様。この人がツカサ」
「そなたが娘の命を救ってくれた方か」
国王は司を見上げた。
エール系種族としては大柄だが、それでも司より十センチほど低い。
視線には警戒もある。
しかし、人間だからという理由だけで敵意を向けている様子はなかった。
「大東亜連合国軍所属、司だ」
司は地球の軍人として敬礼した。
「この国の作法を知らない。無礼があれば許してほしい」
「命の恩人に、形式だけの礼を求めるつもりはない」
国王は右手を差し出した。
司がその手を握る。
「娘だけではなく、七人の民も救っていただいたと報告を受けている。ルミエールを治める者として、感謝する」
「間に合ったのは偶然だ」
「偶然に助けられた命であっても、感謝の価値は変わらない」
国王は司の手をしっかりと握ってから離した。
謁見室には、国王のほかに数人の重臣が控えている。
ラルスとセレナも、少し離れた場所へ並んだ。
エルザだけは司の隣に立ったまま動こうとしない。
「まず、そなたの話を聞かせてほしい」
国王は玉座へ戻らず、室内の中央に用意された円卓へ司を案内した。
正式な謁見ではなく、少人数の会談として話を聞くつもりらしい。
全員が席へ着く。
司は、自分がこの世界へ来た経緯を最初から説明した。
地球という別の世界。
大東亜連合国と北米連合の合同軍事演習。
宇宙基地からの帰還中に巻き込まれた、正体不明の空間異常。
輸送機の消失。
そして、見知らぬ森で一人だけ生き残ったこと。
「空の向こうにある別の大地から来た、という意味だろうか」
国王が尋ねる。
「正確には、空の向こうにある別の星だ」
「星は、夜空に見える小さな光ではないのか?」
「遠くにある太陽のようなものもあれば、俺たちが暮らす地球のように、光を反射している星もある」
言葉だけで説明するには限界があった。
司は携帯型レプリケータの側面から、手のひらほどの投影装置を取り出した。
円卓の中央へ置き、起動する。
淡い光が立ち上がり、青い球体を空中へ映し出した。
謁見室の全員が息をのむ。
青い海。
褐色と緑色の大陸。
白い雲。
地球の立体映像が、ゆっくりと回転していた。
「これが地球だ」
映像が縮小し、月と太陽が現れる。
さらに視点が引き、無数の星が広がった。
「地球とこの世界が、同じ宇宙にあるのかは分からない。俺が通過した現象が、遠い星同士をつないだのか、異なる宇宙をつないだのかも不明だ」
セレナは椅子から身を乗り出し、星々の映像へ手を伸ばしている。
指は光を通り抜けた。
「触れない……」
「光で作った像だ」
「これもツカサが作ったの?」
「装置は、携帯型レプリケータで製造した」
重臣たちが小声で言葉を交わす。
国王は騒がず、回転する地球を見つめていた。
「にわかには信じがたい話だ」
「当然だと思う」
「だが、虚偽だと切り捨てることもできない」
国王の視線が、司の黒い走行スーツと投影装置へ向けられる。
「我々の技術では、これほど精密な像を空中へ描くことはできない。そなたが極めて遠い文明から来たことは、疑いようがないだろう」
「俺の目的は、地球へ帰る方法を見つけることだ」
司は映像を消した。
「その手掛かりを得るため、古い記録と遺跡を調べたい。エルザから、国王なら神代の記録に詳しい者を紹介できると聞いた」
国王は、隣に座るセレナへ一度目を向けた。
「王立記録院には、一般へ公開していない記録がある」
「空から落ちた火の玉についても?」
「ある。ただし、完全な記録ではない」
国王は円卓へ両手を置いた。
「始まりのルミエールが築かれる以前、この地へ巨大な火の玉が落ちた。外輪山に囲まれた窪地は、そのとき生まれたと伝わっている」
「エルザから聞いた」
「民へ伝えている話は、そこで終わりだ」
室内の空気が変わった。
国王の声が、少し低くなる。
「王族だけが閲覧できる最古の記録には、火の玉が単なる岩ではなかったと記されている」
司は黙って続きを待った。
「空を覆うほど巨大な、黒く輝く船だったという」
《王城地下の周期信号と関連する可能性が高いと判断します》
「船の残骸はどこにある?」
「分からない」
国王は首を横へ振った。
「記録では、船は大地へ衝突し、その大部分が地中へ沈んだ。地上に残ったものは、長い年月の間に土と森へ覆われたとされている」
「この城の地下にあるダンジョンは?」
国王の目が、わずかに細くなった。
「もう、その話を聞いたのか」
「王都へ入ってから、城の地下で人工的な信号を検出した。エルザに地下施設があるか尋ねた」
「信号?」
「一定の間隔で繰り返される、機械の信号だ。俺が先日調査したベリシーア号という宇宙船の信号と、一部が似ている」
「ベリシーア号?」
司は、旅の途中で発見した宇宙船と、リベール艦長の記録について説明した。
約三万八千年前。
文明の始祖の調査団。
事故によって航行不能となった船。
この星へ降りた生存者たち。
彼らが持ち出した宝玉製造装置。
話が宝玉へ及ぶと、国王と重臣たちの表情がさらに真剣なものへ変わった。
「それが事実なら、我々が神々の遺産と呼んできた宝玉は、その船の技術から生まれたことになる」
「可能性は高い。ただし、王都の地下にあるものが、同じ調査団の船とは限らない」
「調べれば分かるの?」
セレナが尋ねた。
「内部へ入ることができれば」
ラルスが腕を組む。
「ダンジョンなら、すでに何度も兵士が入っている。石の通路と部屋が続くだけで、船に見えるものはない」
「三万年以上、地中へ埋もれていたなら、表面が岩石や堆積物に覆われていても不思議ではない」
《人工構造物を、現地住民が石造遺跡と誤認している可能性があります》
「内部の形状を確認したい」
国王は、すぐには答えなかった。
円卓の上で指を組み、しばらく考えている。
「ダンジョンは王城の地下にあり、現在も魔物が発生し続けている」
「エルザから聞いた」
「浅い階層は兵士の訓練にも使われているが、深部は違う。討伐隊を送るたび、何人かが傷つく。命を落とす者もいる」
「魔物は、どこから現れる?」
「それが分からない」
ラルスが答えた。
「卵も巣も見つからない。一定数を討伐して通路を封鎖しても、数か月後には再び現れる」
《外部からの侵入経路、または内部での人工的な生成機構が存在すると推測します》
司は、リベール艦長から受け取った記録を思い出した。
調査船には、未知の惑星で採取した生物を保管し、培養する設備があった。
ベリシーア号の同型船であれば、同じような装置を搭載していても不思議ではない。
「魔物の数や種類に、変化はあるか?」
ラルスと国王が顔を見合わせた。
「なぜ、それを?」
「長期間動いている装置なら、故障や制御異常が起きる。発生数が増えているなら、状況が悪化している可能性がある」
ラルスの表情が険しくなった。
「二か月ほど前から、討伐の間隔が短くなっている」
「以前は半年に一度で足りた。今は、一か月も経たずに魔物が上層へ現れる」
国王が続けた。
「次の討伐隊を、三日後に送る予定だった」
その瞬間、床の下から低い振動が伝わった。
卓上の杯が、かすかな音を立てる。
一度。
二度。
遠くで、重い何かが連続してぶつかっている。
《地下から複数の衝撃を検出》
《推定距離、直下二百八十メートル》
謁見室の外で、鐘が鳴った。
高く短い音が三回。
少し間を置いて、再び三回。
ラルスが椅子を蹴るように立ち上がった。
「地下警報だ」
大扉が開き、鎧を着た猫人族の兵士が駆け込んでくる。
右肩から血を流し、呼吸も乱れていた。
兵士は国王の前へ膝をついた。
「ご報告します。ダンジョン第三封鎖門が突破されました」
「魔物の数は?」
「確認できただけで四十以上。現在、第二封鎖門で地下守備隊が交戦中です」
「第三封鎖門は、三日前に点検したばかりだぞ」
ラルスが問い返す。
「門が破壊されたのではありません。突然、内側へ開きました」
「誰が開けた?」
「分かりません。操作用の宝玉には、誰も触れていません」
《周期信号の強度が上昇》
《信号内容の一部を解析しました》
「何が送られている?」
《同一の情報が反復されています》
《現時点で完全な翻訳はできませんが、機器識別番号、培養区画、制御異常を示す情報が含まれている可能性があります》
培養区画。
司の推測と一致する言葉だった。
国王はラルスへ命じた。
「第一封鎖門を閉じろ。城内の非戦闘員を上層へ避難させ、討伐隊を招集せよ」
「承知しました」
ラルスは出口へ向かいかけた。
司も立ち上がる。
「俺も行く」
国王が司を見る。
「客人を、到着したその日に危険な地下へ送ることはできない」
「地下にあるものは、俺の帰還に関係している可能性がある。それに、今の兵士たちより俺の方が、あの信号を理解できる」
「でも、ツカサ一人では行かせないよ」
エルザも立ち上がった。
「お前は残れ」
「嫌」
「負傷から回復したばかりだ」
「もう完全に治ってる」
「今回は森ではない。地下施設の構造も、魔物の能力も分からない」
「だから、一人より二人の方がいいでしょ」
エルザは譲るつもりがないらしい。
国王が娘を見つめ、深く息を吐いた。
「帰ってきたばかりだというのに、お前はまた危険な場所へ行くのか」
「ツカサと一緒に帰ってくるよ」
「それは約束になっていない」
「じゃあ、二人で帰ってくる。約束する」
国王はしばらくエルザの目を見た。
自分の意志で決めた娘を、言葉だけで止められないことを知っているのだろう。
「ラルス」
「はい」
「二人を討伐隊へ加えろ。ただし、ツカサ殿には地下の構造と魔物について、我々が知る情報をすべて伝えよ」
「承知しました」
「エルザ」
「なに?」
「約束を忘れるな」
「うん」
国王は次に、司へ視線を向けた。
「娘を頼む、と言うべきなのだろうな」
「互いに生きて戻る」
司は答えた。
「約束しよう」
遠くで、再び地下警報の鐘が鳴る。
ラルスは衛兵へ負傷者の治療を命じ、足早に謁見室を出た。
司も預けた武器を受け取るため、そのあとに続く。
エルザが隣へ並んだ。
「お城へ着いたら、少し休めると思ってたのに」
「休むのは、地下の問題を解決してからだ」
「終わったら、街を案内するからね」
「真竜の鱗も見る」
「覚えてたんだ」
「調査資料だからな」
エルザは笑い、歩調を速めた。
《地下信号を継続解析中》
《一つ、訂正があります》
「何だ?」
《先ほど、王城地下を古代の遺跡と表現しました》
《しかし、現在も制御信号を発し、内部設備を稼働させている構造物を、遺跡と呼ぶことは適切ではありません》
城の地下から、三度目の振動が伝わってくる。
《王城の下にあるものは、まだ生きています》
司は足を止めず、地下へ続く廊下を見据えた。
王都へ到着したその日。
地球へ帰る手掛かりになるかもしれない扉が、足元で開こうとしていた。
――第十三話・終




