5.
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海賊船での生活は。
思っていたものとは、まるで違っていた。
朝。
甲板の鐘が鳴る。
船員たちが慌ただしく動き始める音。
潮の匂い。
揺れる床。
その全てが、まだ身体に馴染まない。
眠たい目を擦りながら部屋を出れば。
「インユー。」
聞き慣れた低い声。
『……。』
悪魔だ。
しかも朝から機嫌がいい。
最悪である。
机の上には。
昨日より確実に高くなっている紙の山。
『……なんだ、これ。』
「今日の分だ。」
『……昨日終わらせた。』
「昨日の分は昨日の分だ。」
『増えてるじゃないか。』
「増えたからな。」
『増えるな。』
「海賊だから。」
『理由になってない。』
ルーカスは肩を竦めた。
「船は毎日動く。」
「荷も増える。」
「取引もする。」
「だから書類も増える。」
『全部捨てろよ、海賊なら。』
「ダメだ。」
『燃やせよ、海賊なら。』
「もっとダメだ。」
『海へ流せ、海賊。』
「なおダメだ。」
『……。』
インユーは無言で机へ額をぶつけた。
ごつん。
鈍い音。
「壊れるぞ。」
『壊れたい。』
「机が。」
『俺じゃないのか。』
「お前は丈夫そうだからな。」
『嬉しくない。』
本当に嬉しくない。
この男は真顔で訳の分からないことを言う。
『……最悪。』
ぶつぶつ言いながら羽ペンを持つ。
さらさら、と紙へ文字を書き始める。
ルーカスは少しだけ覗き込み。
「字が綺麗だな。」
『褒めても働かない。』
「もう働いてる。」
『……。』
しまった。
言い返せない。
ルーカスは口元だけ笑う。
腹が立つ。
『なんで俺がこんなことを…。』
「字が読める。」
『そんな理由あるか。』
「ある。」
「この船、読める奴が少ねぇ。」
『だからって。』
「使える奴は使う。」
『俺は道具じゃない。』
「そうだな。」
一拍置き。
「道具なら給料はいらねぇ。」
『……給料?』
「飯。」
「寝床。」
「服。」
「全部出してる。」
『それ給料じゃない。』
「細けぇことは気にするな。」
『気にする。』
「じゃあ給料ってことにしとけ。」
『勝手に決めるな。』
「決まった。」
『決まってない!』
部屋の外を歩いていた船員たちが、そのやり取りを聞いて吹き出した。
「また始まった。」
「朝の夫婦漫才だ。」
『誰が夫婦だ!』
「元気だなぁ。」
『元気じゃない!』
朝から疲れ切っていた。
◇◇◇
昼。
積荷の確認が終わる。
ようやく一息つける。
……と思った。
廊下の角で立ち止まる。
視線の先。
ルーカスが一人で甲板へ出ていく。
『……今だ。』
鼓動が速くなる。
誰も見ていない。
風向きもいい。
音も波に消える。
足音を殺す。
一歩。
二歩。
三歩。
袖へ隠していた暗器を握る。
首筋まであと一歩。
『……っ!』
振り下ろした。
――はずだった。
気付けば。
暗器は空高く舞い。
きらり、と陽光を反射する。
『え。』
次の瞬間には。
自分が甲板へ転がっていた。
『……いっ!』
背中を強かに打つ。
「終わったか。」
見下ろすルーカスは、退屈そうですらある。
『なんでだ!』
「殺気。」
「丸見えだ。」
『くそっ……!』
転がった暗器を拾い上げるルーカスは、それをくるくる指先で回した。
「まだこんなの隠してたか。」
『返せ。』
「嫌だ。」
ひょい、と海へ放る。
小さな銀色は陽を弾き、そのまま青い海へ吸い込まれた。
『あああ!!』
「まだあるなら。」
ルーカスは平然と言う。
「見ぐるみ剥ぐか?」
『……っ!!』
反射的に後ずさる。
その様子を見た瞬間。
「ぎゃはははは!!」
豪快な笑い声が甲板中へ響いた。
ガレットだった。
腹を抱え。
涙まで流し。
立っていられないほど笑っている。
「坊主!」
「今日も一秒だったな!」
「しかも武器没収!」
「新記録じゃねぇか!」
周りの船員まで腹を抱え始めた。
「昼飯前で四敗!」
「朝・倉庫・廊下・今!」
「全部返り討ち!」
「船長、もう数えてるぞ!」
「賭けの倍率変えねぇとな!」
『賭けるな!!』
耳まで真っ赤になる。
悔しい。
悔しすぎる。
その隣では。
海図を広げていた航海士シリウスが、静かにため息を吐いた。
「ガレット。」
「笑うのは構わん。」
「だが、仕事をしろ。」
「へーい。」
返事だけはいい。
しかし笑いは止まらない。
「いや無理だって!」
「坊主、毎日挑むんだもん!」
「飽きねぇ!」
「船長も全部返り討ちにするし!」
インユーは立ち上がる。
服についた埃を払う。
きっと睨みつける。
『悪魔。』
「なんだ。」
『明日は勝つ。』
「そうか。」
『絶対だ。』
「楽しみにしてる。」
『……その余裕、嫌い。』
「知ってる。」
『笑うな。』
「笑ってねぇ。」
口元だけ笑っている。
絶対笑っている。
船員たちはそんな二人を眺めながら肩を震わせた。
「また始まった。」
「毎日の恒例行事。」
「船長と坊主。」
「兄弟喧嘩みてぇ。」
『誰が兄弟だ!!』
「似たようなもんだ!」
「毎日船長追い回してるし!」
「船長もなんだかんだ相手してるし!」
「仲良しじゃねぇか!」
『仲良くない!!』
甲板中が笑いに包まれる。
インユーだけが、本気で怒っていた。
そして最後には、怒りが限界を超えたのか。
腕を組み、ぶつぶつと国の言葉で毒を吐き始める。
『混蛋!王八蛋!臭惡魔!去死吧!最好被鯊魚吃掉!笨蛋!混帳東西!』
(このクソ野郎! 最低な悪魔! 死んでしまえ! サメに食われろ! 馬鹿! ろくでなし!)
『一天到晚欺負人!簡直不是人!』
(一日中人をいじめて! あんな奴人間じゃない!)
『早晚遭報應!』
(いつか天罰が下るからな!)
一同、しん――と静まり返る。
数秒後。
ガレットが吹き出した。
「ははっ!」
「何言ってるか全然分かんねぇ!」
別の船員も腹を抱える。
「でも絶対悪口だ!」
「間違いねぇ!」
「今までで一番長かったぞ!」
「船長、相当嫌われてますね!」
ルーカスは肩を竦めるだけだった。
「まぁ、そうだろうな。」
『你還笑!!』
(まだ笑うのか!!)
「ほら。」
ガレットがまた腹を抱える。
「また何か言った!」
「絶対ひでぇこと言ってる!」
甲板中に笑い声が響く。
インユーは顔を真っ赤にしながら、一人だけ本気で拳を握り締めていた




