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8’

8’






 久しぶりに会ったルーカスは、今まで見た中で一番機嫌が悪かった。


 客間へ通されても、挨拶らしい挨拶はない。





 扉が閉まるなり、ルーカスは重厚なソファへどさりと腰を下ろした。



 長い脚を組み、懐から煙草を取り出す。


 火を点ける仕草だけは妙に慣れていて、紫煙が静かに部屋へ漂った。




 誰も口を開かない。


 いや――開けない。








 「話しかけるな」




 そんな空気が、部屋いっぱいに張り詰めていた。


 侍女たちでさえ、お茶を置く音を立てないよう気を遣い、そっと部屋を下がっていく。




 静寂だけが残った。





 それでも。


 インユーは目の前の男から視線を逸らせなかった。




 久しぶりに見るルーカス。


 少し伸びていた金髪は短く整えられ、癖一つないよう後ろへ流されている。


 今日は女王への謁見があるからだろうか。


 濃紺を基調とした正装は隙なく着こなされ、いつものように襟元を緩めたり、上着を肩へ引っ掛けたりもしていない。





 まるで別人だった。


 粗野な海賊ではない。


 西の大国に仕える、一人の貴族。



 あるいは――物語から抜け出してきた王子様。





 窓から差し込む柔らかな陽射しが、その金髪をきらきらと照らしている。



 海のように澄んだ青い瞳。


 整いすぎた横顔。


 高い鼻梁。



 どこを取っても、絵画のように美しい。






 その姿を見ていると。


 不意に。


 もう二度と会えないはずの、あの人の面影が重なる。





 


 あの人も金色の髪だった。



 海の底のように、碧い瞳だった。



 記憶はもう、霞がかかったように朧げだ。



 けれど、ルカが生きていたら。



 こんなふうに、大人になっていたのだろうか。



 もし、生きていたなら。




 今頃――。











『……。』




 インユーは小さく首を振った。




 違う。


 何を考えているのだろう。





 今日は大事な日なのに。


 結婚相手が決まる。



 だから、こんなにも気持ちが落ち着かないのだ。



 余計なことばかり考えてしまう。



 苦笑して、自分の頬をそっと叩いた。



 しっかりしろ。





 そう心の中で言い聞かせる。









 改めてルーカスを見る。



 やっぱり違う。


 全然似てない。




 この男は。


 王子様なんて、生易しい生き物じゃない。





 鋭い眼差し。


 近寄れば切り裂かれそうな空気。


 人を寄せ付けない威圧感。


 どこまで着飾っても、中身はやはり”西海の悪魔”。








 ルーカスを眺めているうちに、ずっと気になっていたことが口をついた。







『……ねぇ。』



「……。」



『なんで、そんなに怪我してるの?』








 ルーカスは煙草をくわえたまま、ほんの少しだけ視線を向けた。



 インユーは思わず眉を寄せる。


 今まで、こんな姿を見たことがなかった。






 誰よりも強く。



 誰よりも剣が立ち。



 戦場でも海でも、飄々として帰ってくる男。



 怪我など無縁だと思っていた。






 それなのに。


 今は。




 額には白い包帯。



 頬には浅く走る裂傷。



 首元にも新しい治療の跡が覗いている。



 正装の下にも、きっと傷が隠れているのだろう。





 かすかに漂う消毒液の匂い。



 洗い立ての包帯の清潔な香り。



 見慣れないその姿に、胸がざわついた。








『誰にやられたの。』


『そんなに強い人がいた?』




 問い掛けた瞬間だった。





 ルーカスの眉がぴくりと動く。



 しまった。


 そう思った時には遅かった。









「……聞くな。」




 低い。


 短い。


 それだけ。





 だが、その一言には明らかな苛立ちが滲んでいた。


 インユーは思わず口をつぐむ。  




 地雷だった。


 やっぱり、地雷だった。


 そう理解する。





 ルーカスは煙草を乱暴に灰皿へ押し付けた。


 じゅっ、と火の消える音が静かな客間に響く。


 忌々しげに舌打ちすると、深くソファへ背を預ける。




 その青い瞳だけが、どこか遠くを睨みつけていた。


 まるで今も、目の前に憎むべき相手がいるかのように。

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