【4】迷宮風呂
————夕飯の片付けを手伝えば、おばあちゃんと語らう綵を見守りつつ、教授に見せてもらった郷土資料をめくる。
「微珪くん」
「綵?」
「あ……あのね、ここのお風呂、離れにあるの」
「そうだったのか」
やたら大きな屋敷だと思ったら風呂だけで離れとは。どんだけでかいんだ。
「その……私、時間かかっちゃうから」
暑くなってくるとその分、脱衣場に避難する時間も増える。辛い時は冷たい飲み物も差し入れているからな。
「若い子は多分もうみんな入ったみたいだから、私も入ろうと思って。おばあちゃんや叔母さんたちはもっと遅くていいみたいで。だから、微珪くんは……」
「俺は綵の後でいいよ」
「ううん、男湯と女湯、別れてるから。私が入ってる時に、入って来て」
「まぁそれなら」
「中から声、届くから」
「ああ、何かあったら呼ぶんだぞ」
「……うん!あ、あのね、持ってきたお土産も、使うんだ」
「ああ、あれな」
少しでも彼女の負担が少なくなるようにと、フレグランスや髪通りのいいシャンプーやトリートメントも用意した。彼女はおばあちゃんやこちらで暮らす叔母たちにお土産代わりに別途持ってきたのだ。
「準備、してくるね。その、回廊から行くと近いから、待ち合わせしよう」
「ああ、分かった。俺も準備しに行くよ。教授は?」
「もう少し飲んでから行く」
まだ飲むのか。テーブルは同世代の親父たちで楽しそうだからいいけど。
部屋に戻りタオルと着替えを用意して……綵との待ち合わせ場所に向かう。
「あら、微珪くんだったわね」
「ええ、はい」
年齢的に若い子たちの母親だろうか。
「夕飯の時は娘たちがごめんなさいねぇ。綵ちゃんは何も悪くないのに」
「いえ、慣れてますんで」
「あなたいい彼氏さんね。あの子も色々とあったけど、仲良くしてあげてね」
「ええ、もちろんです」
ぺこりと母親に礼をし、待ち合わせ場所に向かう。
「……遅いな」
入浴には慎重になるものの、準備でこんなに手間取るとは考えられないのだが。
「……?」
回廊を進んでいけば何かが落ちている。
「これ……綵のシャンプーだ」
浴場に持っていくと言っていたのにどうして……しかも乱暴に落ちたのか液が漏れている。
「一体何が……」
その時、きゃっきゃと騒ぎながら駆けてくる少女たちの姿を見る。その手にはビニール袋に……あれは綵のトリートメント?
「おい」
ビニール袋を持つ少女の手首を掴む。
「ひ……っ」
「そのビニール袋、綵のだろ」
「そ……そんなの、知らない」
「知らないはずがあるか!」
「わ、私の……私のシャンプーだよ!」
「中高生がホイホイ買える値段の代物じゃないんだよ。それからそっちはトリートメントだ。自分のものなのに何で知らないんだ?」
「……と」
「返せ。それから綵をどこにやった!」
少女からビニール袋を奪い取る。しかしその時だった。
「きゃーっ!!」
は……?
いきなりの悲鳴に何事かと屋敷内から人が集まって来る。
「このひとが私に暴力を」
「私も見たわ!」
「私たちのものを無理矢理取ったのよ!」
「Damn……このクソガキども」
「おい、何をしている!」
「あなた、娘に何を!」
親父たちだけじゃない。先ほどの叔母さんまで目を吊り上げている。
「じゃぁこれはアンタのものなんだな」
叔母さんに高級シャンプーとトリートメントを差し出す。
「やだ、これ高級なものじゃない?こんなものどこで……」
「これは綵が土産代わりに浴場に持っていこうとしていたものだ。それが回廊に散乱し、一部はアンタの娘たちが持っていた。それはどういう事だ?」
「あ、アンタたち!」
叔母さんの目が少女たちを捉える。
「違……暴力振るわれたのは本当だもん!お母さん信じて!」
「彼はそんなことはしない」
そこに来てくれたのは教授だ。
「私が保証しよう」
「お義兄さんが言うなら……」
叔母さんたちが引き下がる。
「それより君たち、私の娘はどこだ?」
その言葉に彼女たちの顔が青くなる。
「よ……浴場……そ、そうだ、これはあの子が私たちにくれたの!ね?私たち、悪くないでしょ!?」
「いい加減になさい!」
叔母さんの怒りに少女たちが再び黙りこくる。
「教授」
「ああ、とにかくここは任せて浴場へ。浴場まではあそこから一本道だ」
「ええ!」
何処かで怪我をしているかもしれない。急いで離れに駆け込めば悲鳴が聴こえる。
『キャーッ!ァァァあぁ、いやぁ、ぇ……————ッ』
もはや言葉にすらならない恐怖が伝わってくる。
場所は……女湯。男が入るべきではないが……しかしいるとしたら綵だけのはず。
「許せよ」
悲鳴覚悟で飛び込めば、そこにいたのは。
『————ッ!……ぃちゃん、出して……開けて……いやぁぁぁぁッ』
響く悲鳴を気にもせず、女湯に上がり込む男の姿がある。
『お……にぃちゃ……』
「うるさい!ちゃんと風呂が終わるまで出てくんな!」
廈玻が叫ぶ。その言葉の通り、引き戸を棒で固定して綵を中に閉じ込めたのだ!
あまりにも惨い仕打ちに身体が動く。
「ふざけるな!」
「く……っ、お前ここは女湯だぞ!」
「その言葉、そのまま返すぞ!」
バコンと廈玻の頬に拳をぶち込む。
「Go to hell!」
「は……はぁ?」
知るか!とにかくこのつっかえ棒を……。
「させるか!お前だって嫌だろう!」
「は!?」
廈玻が後ろから抱きついてくる。
「綵は俺がこうしてやらないと風呂にも入れない!綵には俺が必要なんだ!俺なしでは生きていけないんだよぉっ!」
「……っ」
妹への歪んだ執着……ここまで気持ち悪いとは。
「綵は俺がいなければまともに風呂にも入れない風呂キャン女だ!お前だってこんな不潔な女は嫌だろう!どうだ、別れる気になったか!」
「そんなことのために……」
お前の歪んだ感情のために、綵を自分だけのものにしようとした。
俺と別れさせようとしてまで。
教授が離婚時に子どもたちを別々にしたのも納得だ。やむなく綵も引き取ったが、廈玻の執着とこの仕打ちを悔やんで教授は俺に綵を……っ。
「何をしているの!」
叔母さんたち女性陣が飛び込んでくる。
「コイツを……この男は女湯に忍び込んだ変態だ!つまみ出せ!」
「ふざけんなAsshole!綵の悲鳴が聞こえないのか!」
「そうよ、早く綵ちゃんを!」
「誰か来て!」
女性陣が男手を呼ぶ。
「綵にはこうするのが一番なんだ!俺だけが本当の綵を理解してやれる!」
何言ってやがるこの男は!
「廈玻!」
その時殴り込んできた教授が俺から廈玻を引き剥がし、思いっ切りぶん殴った。俺よりも重い拳で。
「貴様は何をしている!」
「と……、さ……。だって……だっ……綵は俺がこうしてやらないと風呂にも入れない不潔おん……」
「違う!」
その通りだ。あの子は俺のために苦手なものを我慢してまで……。
つっかえ棒を外し、すぐに浴場の引き戸を開ける。
「綵!」
しかしそこは……。
「何だ、これ」
綵の悲鳴は聞こえない。
「中に……誰もいない?」
叔母さんたちが中を覗き呆然とする。
「なぁ、アンタたちには何が映ってるんだ?」
「何って……女湯だよ。アンタ、女湯をじろじろと見るんじゃ……」
「それは済まないが……悪い、俺にはそうは見えない」
「どういう事だ、マーフィー」
「……教授、ここには怪異が発生しています」
「怪異だと?しかし義妹たちが見る限りそんなことは……いや、綵がいなくなったことが怪異か」
「ええ、恐らくこの中の怪異に巻き込まれたんです」
「その怪異は君にしか見えないのか」
「多分そうでしょう。俺と綵しか見えない」
「何故なんだ」
「……そうですね。浴室が……苦手だと感じるからでしょうか」
共通点はそれだ。浴室という因縁深い場所で、綵の心のトラウマが刺激されることで怪異を発生させていることは明らかだ。そしてそんなトラウマが生んだ怪異は似たトラウマを抱える俺と共鳴した。
「この怪異は同じ痛みやトラウマを持ったものにしか見えないんですよ」
だから普通に風呂に入れるものたちには見えない。教授にも廈玻にも、叔母さんたちにも。
「綵を迎えに行きます」
「ああ……頼む。あんなにパニックになっている娘は……もう、見たくない。迎えに行ってやってくれ」
やはり廈玻は何度もこんなことを。そしてその行為が綵の風呂キャンに効果があると思い込んでいる。そんなの完全に逆効果じゃないか。
さらには歪んだ感情で綵を支配しようとした。あの子はずっとこの地獄みたいなトラウマと戦っていたんだ。
俺は意を決して怪異の中へ足を踏み入れる。
「消えた?」
「ちょ……どこに」
女性たちの唖然とした声が遠のく。案の定足を踏み入れれば入口は消える。
そして道の左右にコポコポと湧き立つマグマ。
これは綵の風呂への恐怖に他ならない。
「何処にいるんだ……綵」
それでも進むしかない。
「おお……おおお」
男の声?
それはマグマから立ち上がり、こちらに向かってくる。その顔は……廈玻だ。
これは綵が感じている兄への恐怖だ。
「くそ……逃げるしか手がない!」
いや……違う。石だ。
「喰らえ!」
バコンと命中した石がマグマの廈玻に呑み込まれる。マグマと石のどちらが強いのか……いいやマグマだろう!こういう時はモリブデンとかタングステン、純度の高い鉄……なんて転がってるはずが。
「そうだ……俺と綵のトラウマが共鳴しているのなら」
そこには俺の意思や武器も含まれるはずである。あの南国のビーチのように、ヒノキの入浴剤のように干渉してくるものもある。特にビーチは……俺の記憶の中のものだったのに。
「なら……」
頭の中で強く念じる。
「……っと、相変わらず割と重い」
しかし今は感謝である。
「喰らえ!」
銀色の塊を投げ付ければ、今度こそマグマの廈玻が霧散する。
「さすがは優秀だ、モリブデン」
迷路のように枝分かれした道を進み、襲って来るマグマの廈玻をモリブデンで倒して行く。
「こっちの方が数が多い」
つまり綵の深いトラウマがある。
「なら、こっちに進むしかない」
幸いこちらのモリブデンも無限である。




