【3】愛おしい彼女
————怪異出現記録。
シャンプーハットの怪、そして浴槽が招いた怪。どれも綵のトラウマと向き合ったことで出口が開けたが。
謎は残る。
「海岩教授」
「ああ、マーフィーくん」
日本人の苗字の飛騨牧よりも馴染んでいることがやはり悔しい。
「お聞きしたいことがあります」
「何だね?」
「……その、ここ最近、娘さんに関わる怪異に二度遭遇しまして」
「綵が!?何故早く言わん!」
「す、すみません」
娘の話になった途端、は……迫力が。
「自分なりに資料をまとめてからと思ったのです」
それらを差し出せば海岩教授が急いで読み始める。
「おい」
「はい」
「2番目のこの巨大な泥人間とは?」
「それが分からず、教授にお伺いしようかと」
「まさかこの顔じゃあるまいな」
教授がスマホで見せてきた写真に吹き出しそうになる。教授を幾分か若くさせたような顔である。
「違いますね」
「それは良かった」
いや、ほんとにな。
むしろそれならすぐに気が付く。
「俺が気になっているのは、綵が一度母親に引き取られていると言う点です」
「……そのことか。私は綵も引き取るつもりだったが……無理だった」
「ですが結局は教授が引き取ってますよね」
「ああ……元妻の再婚相手が綵に虐待を加えたとして児童相談所が緊急保護したんだ」
「……虐待」
ならまさかあの泥人間は……。
「まさか風呂に関わることでは?」
「それもあったと聞いている」
それどけじゃないのが不穏だが、しかし教授が綵の風呂キャンを責めないのはそう言う理由があるんだろうな。……アイツの兄貴はともかく。
「それで結局、私が綵を引き取った」
「そう言うことだったんですね」
「ああ。あの子は……綵は風呂に入ってるのか」
「ええ、今のところ何とか」
「……そうか」
「教授はどうして俺との同棲を許可したんです?」
あの子の風呂恐怖症が同棲生活に響く可能性だってあったはずだ。
「……あの子の兄……廈玻との不仲もあったが。あの子はお前とのデートの朝、必死で風呂に入ろうとしていたからな」
「綵……」
「だから……私のいない間に廈玻が実家に帰ってきたらどうしようもできない。再び綵が傷付く」
「あんま言いたくないですけど。どんな兄貴ですか」
「よく喧嘩をする……と言うか、綵が泣かされることが多い」
「おいおい……」
綵の兄貴って社会人だろ?そのくせに妹泣かせてんのかよ。
「だが困ったことになった」
「何があったんです?」
「夏、私は現地調査も兼ねて実家の田舎に帰省するんだが、綵はおばあちゃん子でな、毎年付いてくるんだ。今年も会いたがってる」
「何か問題が?」
「ああ……若い男手がほしいと地元の連中が廈玻にも声をかけてしまった。私は来るなと言ったが私に招待されたわけではないと突っぱねられてしまった。恐らく私が無理矢理綵を家から出したことを恨んでいるのだろう」
「教授は綵を守っただけなのに……」
「そうはできない感情が、兄妹間にあるのだろう」
俺は弟を泣かせるなんてないし、そんな感情は理解できないがな。
「そこでだ……君も付いてきてくれないか」
「そういう事でしたらもちろん」
綵も心配だしな。
いくつか日本の田舎に調査には行っているが、教授の実家は初めてだな。ぶっちゃけ教授の帰省も兼ねてたから無理に付いていくこともなかった。
「早速日取りを調整しよう」
「ええ、教授」
こうして俺は教授と綵の帰省に同行することとなった。
※※※
————教授の借りたレンタカーで向かったのは自然の豊かな農村である。
「海岩……と言う苗字の割には山の中ですね」
運転する教授を見れば。
「マーフィーもそうだろう?」
「まぁ確かに」
山に住んでいるマーフィーもたくさんいるだろうし。
「海辺の地域を治めていたが跡目争いで逃れてきた土地がここだ。昔はここら一帯の地主だったと聞く」
「じゃぁ結構大きな……?」
「ま、そうだな。親戚も多い」
「なかなか退屈しなさそうですね。ところで綵は……」
後ろを振り返ればどんよりとした表情の綵がいた。
「綵、ばあちゃんに会うの楽しみなんじゃなかったのか?」
「お……おお、おばあちゃんには会いたい……けど」
「ん?」
「人付き合い……苦手なの。知らない人……多くて」
「昔説明したろう」
「覚えられないよ、お父さん!」
綵が涙目である。
「それに仲の良い子もいない……し」
「まぁまぁ、初対面の俺がそれとなく聞いたり教授に教えてもらうから」
「う……うん、微珪くん」
少しは……気を持ち直したか?
そして到着した家はまさに豪邸とも呼べる和風建築だった。
「……すご」
「ふぅ……ええぇ」
後ろの綵がそれどころではないんだが。
「ほら、手。繋いでやるから」
「ん……微珪くん」
教授の後に続いて屋内に招かれれば、にこやかな老夫婦が出迎えてくれる。
「よく来たねぇ、英潔。綵ちゃん。それからそちらさんが……」
老婦人が俺を見る。
「助手の微珪です。綵さんの彼女で……」
「あらあらまぁ、若い子。人手は足りないから助かるわぁ」
「あ、あはは……」
出来れば綵の側にいてやりたいんだが。
「綵、ばあちゃんだよ」
「う……うん、久しぶり」
だがおばあちゃんがついていてくれるのなら少しは大丈夫か?
そう思われた時だった。
「綵!」
その声に綵が飛び跳ねる。
「ひぅ……お兄ちゃん」
あれが廈玻か。
「お前、何で勝手に家を出ていった!」
「……それは……」
「しかも彼氏と同棲だと!?まだ大学生のくせに。そいつか!」
廈玻が俺を指差す。
だから何だと言ってやりたいが。
「やめなさい、廈玻」
「……父さん」
「交際と同棲は親である私が許可したことだ。何の問題もない」
「あるだろ!綵はまだ学生で……しかも父さんの助手が相手だなんて!」
「関係ない。たまたま娘の交際相手が助手だっただけだ」
「そんな勝手な……っ」
勝手なのはどちらだよ。
「とにかく綵はこっちに来い!」
廈玻の腕が伸びてくる。
「やめろ」
思わず遮れば廈玻がギロリと睨んでくる。
「微珪くん」
後ろでピッとシャツを引っ張るか弱い手。
「何なんだお前」
「彼氏だよ。彼氏なら彼女を守るのは当然だろ!」
「俺はそいつの兄だぞ!」
「知るか!」
「何だと!?」
「おいおい、喧嘩か?」
「おい廈玻!こっち手伝え!」
その時親戚の親父たちが廈玻を呼ぶ。むしろ彼らはそのために廈玻を呼んだのだからお前は役目を果たせよ。
「く……っ」
廈玻は悔しげに去っていく。
「全く兄妹喧嘩も大概にしないと」
「ご……ごめんなさい、おばあちゃん」
「綵ちゃんを責めたわけじゃないのよ。それにしてもカッコいいじゃないか、綵ちゃんの彼氏」
「お、おばあちゃんったら」
隣で綵の祖父が微妙な顔をしてるんだが。いや……そういや父方の祖母もいくつになってもトキメキを忘れないひとだったな。
※※※
親戚が多い……と言うのは本当のようで夜は宴会場のように広い部屋に長テーブルを三列も置いて多くの親戚が集まっていた。
その中には綵と同世代の子もいるようだが。
「あの、帰国子女って本当ですか?」
「英語ペラペラだって聞きました!」
綵と同世代の女の子や中高生くらいの子たちが俺のところに集まって来て、隣の綵はどこかそわそわし始める。
「ああ……帰国子女と言うか、まぁそうなるか」
帰ってきたのは20歳過ぎてからだから子女と言う表現が適当かは知らないが。
「あの、英語教えてください!」
「えー、私にも!」
その言葉に綵が訴えるような目を向けて来る。
「暇な時にね」
「じゃぁ今は?」
「あっちで私たちと食べましょうよ」
少女たちが俺の腕を掴み、綵がくわっと目を見開く。
「いや、俺はここで。彼女も一緒だし」
そう言うと綵がホッとしたように微笑む。
「えー、でもその子、変な名前ですよ」
「そうだそうだ!聞いたもん!変な字で、絶対にキセキなんて読めないのに!」
「キセキなんて名前の時点で変!」
少女たちが無慈悲にギャハハと笑う。
その様子に綵は恥ずかしそうに視線を落としてしまう。仲の良い子がいない……というのはこういうことか。
貴重な綵の表情を楽しんでちょっとSに目覚めかけたが、もう終わりだ。
「あー……因みに俺の名前はこう書くんだ」
メモとペンを取り出し書いてやる。
【微珪】
「これで【カガヤ】って読むんだ。変な名前で悪かったな」
そう言ってやると彼女たちの顔がサアァッと青くなる。
「何?まだいたの?」
そう煙たそうに言ってやれば。
「……」
彼女たちは無言で去っていく。
「はぁ……全く。キラキラネームの被害はとんでもないな」
日本を放てた頃は漢字の読み書きを出来る日本人以外に笑われることはなかったからまだ俺は耐えられたが。
「この名前……お父さんは変えてもいいよって言ってくれたの」
「綵……」
「好きな名前をつけなさいって」
「それなら……」
「でも、お兄ちゃんが反対して」
またアイツかよ。アイツだって軽微なキラキラネームだろ?
「だけど今なら兄貴の顔色を窺う必要もないだろ?」
「でもその……くんが、呼んでくれたから」
「ん?」
「微珪くんが呼んでくれた、名前がいい……」
こんなにもひとを愛おしいと思うことが今でにあったろうか。
「そうか……」
なら俺は、綵を否定する悪意から綵を守るだけだ。
教授やその親戚たちに勧められた酒をあおり、ひとり余韻に入り浸る。
しかしどうにも落ち着かないのは。廈玻が妙に大人しいからだろうか。




