【5】南国の楽園
————怪異、それは時にひとの心の闇でありトラウマでもある。だからこそ怪異は発生し、相応しいものが現れればひとを呑み込むのだ。
そしてその怪異を乗り越えられるかどうかは……そのひと次第。しかしこうして俺を呑み込んだということは、怪異は彼女を助けたいと思っているのだろうか。
「喰らえ!」
本日何十発目のモリブデンであろうか。
霧散したマグマを後にし、広い更地に立つ。その中央で震えながらうずくまる少女の姿を見付けた。
「綵」
「……っ」
ビクン、と、背中が震える。
躊躇なくTシャツを脱ぎ捨てれば、それをふぁさりとかけてやる。
「着ておけ」
「微珪くん……どうして」
「守ってやるって言ったろ?」
「……でも……でも……おにい、ちゃんが……」
その瞬間周囲から廈玻のマグマが大量に湧き出る。
「これはもう攻略済みなんだよ!」
容赦なくモリブデンをぶち込めば、マグマは塵と化す。
「これでいい」
「微珪くん……すごい」
「ま、これでも理系の博士号持ってるからな」
「民俗学って文系じゃないの?」
「そっちもあるけど、理系のはあっちで取ったやつ」
「ええええぇっ!?じゃぁどうしてわざわざ日本に来て、民俗学を……?」
「うーん……科学では証明しきれない『怪異』ってやつに興味があったんだ。そしてそれを日本で研究していたのが教授だったから日本でやってみたいって思ったんだ。俺の故国でもあるしな」
「それで……私たちも出会ったんだよね」
「ああ」
出会いは俺がまだ大学院生の時だったが。
「何だか、奇跡みたい」
「綵……」
「わ、私の名前じゃないから」
「でもどちらも同じだ。綵、お前に出会えて良かった」
「ほんと……に?私、こんなんだから……風呂キャン界隈、だし……」
「理由があったんだろ?兄貴のこととか」
「う……ん……私、お風呂、苦手で。入れないこと、多くて」
そのきっかけはシャンプーハットだったかもしれないが、決定的にしたのは母親の再婚相手からの虐待だ。それもあって教授は綵の風呂キャンも時間をかけて克服してもらえれば良かったのだろうが……。
「廈玻は無理矢理入れたんだな」
「うん……くさい、からって。きたないって……お風呂の中、閉じ込められて……全部終わるまで出ちゃいけないって……」
本当に、監禁じゃないか。
「泣いても叫んでも、怒鳴られるだけで……出して、もらえなくて」
「辛かったな」
抱き締めてやればヒックと泣き啜る。
「その時は俺が出してやるから」
「か、がや、くん」
「だから、もう泣かなくていい」
「う、……ん」
「一緒に出口を探そう。一緒にここを出よう。こんな地獄みたいな場所、いるべきじゃない」
「だけど……どこに」
「今での流れからすれば……ゴールは浴槽だな」
恐怖の象徴でもあったあそこが、実はいつどんな時も現世と繋いできたのだ。
「マグマじゃない湯を探そう」
「だけどどうやって……」
「想像力もあながち無駄にならないぞ」
「じゃぁ……ここが地獄なら、地獄温泉?」
「え?」
「そう言う、温泉があるの」
「……日本ってすごいな」
「ふふっ。微珪くんでも知らないことがあるんだ」
「さすがにそれはな。そもそも幼い頃は温泉も苦手だった。母さんが旅行で連れてった温泉もなかなか入れなくてな」
「私も……修学旅行はシャワーだったから」
「分かる。俺も小学生の頃はまだ日本にいたからさ。シャワーだけ済ませて逃げるように脱衣場に駆け込んだ」
「うん……だけどあの時、入っておけば良かったのかなって……最近は、思うの。でもまだ、ハードルは、高いかな」
「露天風呂って選択肢もあるぞ。教授に勧められたら、割と良かった」
「なら……露天風呂、いいな」
そう告げれば、薄まったトラウマがマグマの湯を塗り替えていく。
「この湯の中、入れるのか?」
「赤い温泉も……あるはず」
「なら先に俺が入る」
そっと足を入れれば。
「ちょうどいい温度だ」
「なら……」
2人で入れば、そこはまさに温泉と変わらない。
「でも湯船じゃない……」
「同じじゃないか?これももしかしたら出口かもしれない」
「そっか……通じる、かも」
恐る恐る肩まで浸かれば、赤赤とした湯がすうっと透明になる。
そこは……年季が入ってはいるものの手入れの行き届いた湯船である。
「うそ……本当に帰ってきた」
浴室の中では叔母さんたちが待ってくれていたようだ。急いで湯船から上がれば、タオルを貸してくれて、2人で無事に脱衣場に生還する。
「はぁ……帰ってきた」
「……うん、微珪くん」
「それじゃ、俺は」
「行っちゃうの?」
「あんまり女湯にいるわけにもいかないだろ?ちゃんと男湯に行くし……こんなにいればまた廈玻が紛れ込むこともないだろ」
「う、うん」
叔母さんたちもそのつもりらしい。
その夜は綵はお土産のシャンプーとトリートメントと共に叔母さんたちと入ったようである。途中休憩で脱衣場に避難しつつ……のようであったが、風呂上がりの彼女はどこかスッキリした顔立ちをしていた。
「そう言えば廈玻は?」
「追い出したよ」
そう告げたのは母屋で迎えてくれたおばあちゃんだ。
「あの子は、今後一切我が家に出入り禁止だ。分かったね」
「は、はい!」
親父たちが完全に肩を落としている。まぁ、招いた元凶出しな。
「それからアンタたち」
「は……はい」
おばあちゃんはイタズラをした少女たちを見る。
「どうやら廈玻くんに乗せられてアンタに近付いたり、綵ちゃんのトリートメントを羨んで盗んで女湯まで誘導する役を引き受けたようなの」
と叔母さんが解説してくれる。
「だって……ずるいもん」
「あの子だけあんないいシャンプー……」
「しかも帰国子女の彼氏とか……変な名前なのに」
それは付けたやつに言えよ。まだ言うか。
「あれはあの子がおばあちゃんやお母さんたちのために買ってきてくれたもんだよ!盗っ人なんてするアンタたちにはまだ早い!あと、ひとの名前を馬鹿にするんじゃない!」
ピシャリと言われて彼女たちは肩を落とす。
「罰として、夏休みのお小遣いはなし。泊まっている間は家事を手伝いなさいね」
おばあちゃんが告げる。
そう言えば綵が叔母さんたちの手伝いをしていた間、あの子たちは加わってもいなかったな。
「はぁい……」
しかしおばあちゃんの剣幕に少女たちも反論する気も起きないらしい。
夜に田舎を追い出された廈玻がどうなったかなんて知らないが。
翌朝俺と綵は教授と共に羽根を伸ばして例の地獄温泉に行くことにした。
「まさか途中で行き先を伸ばすとは」
「いいじゃないですか。綵が行きたがってるわけですし」
「まぁ……うん、そうだな」
風呂が苦手な綵が率先して行きたがる事態に、教授も嬉しさを隠せないらしい。
「そ……それからね、微珪くん」
「ん?」
「南国も、楽しみにしてる」
「ああ、旅行な。帰ったらそちらも手配を……」
「ちょっと待て」
「……教授?」
「まさか2人で行く気じゃあるまいな」
「そりゃぁ恋人同士ですから2人では」
今回は教授の帰省に付き合ったから一緒なだけで、本来の旅行は2人っきりが妥当では?
「宿に着いたら……話し合いだ」
「え゙」
何故そうなる。
「お父さんも南国、行きたかったの?」
「ああ、それもいいな。綵」
「いやちょ……待ってください教授!帰りの運転……代わりますから」
「それだけじゃ足りん!許したのは同棲までだ!」
「旅行も2人っきりなんですから同じでしょ?」
「それとこれとは話が違ううぅっ!」
どうしよう、どうなることやら、カノジョとの南国リゾート。
地獄温泉はたっぷり楽しめたものの、2人っきりの旅行について教授を説得するのに……大学に帰ってから更に3日かかった。
※※※
————しかし、そんな甲斐あってか。
「わぁ……ソフトクリーム、溶けちゃう溶けちゃう!」
南国独特のむわりとした湿気と暑さ。ソフトクリームも素早く食わねば溶ける溶ける。
「んむっ、でも旨い」
「うん、美味しい!」
「少し波打ち際くらいまで行ってみるか?」
「ちょっと……だけなら」
今日のために買い込んだ可愛らしい水着を着て、恐る恐る海の水に足を差し入れる。
「初めてなのに、何だか懐かしい?」
「怪異の中で会ったからかな」
「そう、かも」
綵が嬉しそうに微笑む。
「じゃぁ、恩返しに来たんだね」
「ああ、そうなるな」
落ち着きを取り戻した俺たちのもとに、あれから怪異は訪れていない。
そしてその後訪れた変化もある。
「あのね、微珪くん。私……普通に読める字に改名しようと思って」
「……!いいんじゃないか?でも漢字だけ?」
「うん、みんなに綵って呼ばれてるし、微珪くんにもそう呼んでもらいたいの。でも……漢字だけはちゃんと呼んでもらえるのにしたくて。お父さんにもちゃんと話すつもり」
「ああ、教授も賛成してくれるはずだ」
「うん!」
「それなら俺も読める字に変えようか?カガヤ……いや店の名前みたいなのしか思い付かんが」
「なら、私、一緒に考えるよ」
「ああ、助かる」
その方がきっといい。
名前の字を考えつつ、俺たちは平穏な時を過ごす。
異界と現世を行き来しながらも、そこにあるのは見慣れた浴室でしかない。
しかし何気ない日常に紛れ込むのもまた、怪異である。
しかしながら今の俺たちなら、そんな怪異にも立ち向かえる……そんな気がするのだ。
【完】




