お休みの日と約束の履行
「はあ、お休みっていっても特にする事もないしなあ。また畑にお手伝いに行こうかなあ。この刺繍はかなり難しいから、先生がいる時でないと無理っぽいしなあ」
翌日、いつものように子供達と朝食を食べた後、一旦部屋に戻った私は壁面に設置された戸棚に置かれたカゴを見て小さなため息と共にそう呟いた。
一応、前回の入院の後にしばらく養生期間があって、その間は守番組に入れてもらっていた。その時に、お裁縫組の人達からよければやってみてと言われて刺繍セットを一通りもらっているのよね。
あの棚に置かれたカゴの中に入っているのは、綺麗な下絵がすでに描いてくれてあるもので、出来上がれば色とりどりの花束になるいわゆるフリー刺繍。
でもまあ、出来上がるかどうかは……。
うん、人にはやっぱり向き不向きってものがあるわよね。
ため息を吐いて、戸棚のカゴを見なかった事にした私は、部屋に置かれたベッドに横向きに寝転がった。
今の私の背中には、畳んであるけれどそれなりの質量のある翼があるので、以前のように仰向けには寝転がれない。
横に置いてあった抱き枕に抱きついた私は、一つため息を吐いてから抱き枕に顔を埋めた。
『そういえば、別の浮き島へジェムモンスター狩りに行っていたグレイさん達、そろそろ戻ってきているはずよ。明日は彼らもお休みのはずだし、なんなら一緒に飛んでみれば?』
昨日、チムタムから言われた言葉を思い出して、無言で悶絶する私だったわ。
「ねえ、ルリ。あら、寝てるのかしら?」
その時、リッティの声がして、私は慌てて抱き枕から手を離して起き上がった。
「ああ、おはよう。ちょっと退屈だからゴロゴロしていただけ。何か用? ああ、どうぞ入ってちょうだい」
慌ててベッドから立ち上がったんだけど、リッティは笑って首を振った。
「今日はお休みなんでしょう? いいお天気みたいだし、ちょっと、外を飛んでみない?」
にっこり笑ってそう言われて、私も笑顔になる。
「もちろん。ぜひ行きましょう!」
今日も良いお天気だったからね。確かに思いっきり飛ぶのもいいかもしれない。
笑顔で頷き合い、そのまま部屋を出ていったわ。
「じゃあ行こうか。ええと、右手を握っても大丈夫?」
建物の外へ歩いて出たところで、リッティにそう言われて笑顔で頷く。
「もうほぼ痛みもないから大丈夫よ。怪我したところを握られたらさすがに痛いけどね」
笑ってそう言い、私の方から右手を差し出す。
「じゃあ行こうか」
笑顔で手を握り返してくれたので、手を繋いだままで一緒に飛び立ったわ。
リッティの翼は、グレイさんほどではないけれどとても大きくて飛び方も安定している。
手を引かれて一緒に飛びながら、私はその安定した飛び方を感心して見ていたのだった。
広い畑の上空を飛んでいると、畑を担当していた顔見知りの人達が私達に気付いたみたいで、上を見上げて笑顔で手を振ってくれたので私達も笑顔で手を振り返す。
「遊覧飛行には最適な日和だな。気をつけてな〜〜」
「はあい、いってきま〜〜す!」
笑ってそう答えて、一気に加速する。
そのまま浮き島の上空を離れて少し飛んでいたところで、何故か軽く羽ばたいて止まったリッティが私の手を離した。
「え? どうかした?」
驚いて彼女を見ると、何故か満面の笑みで私を見ているだけで、何も言わない。
意味がわからず首を傾げていると、不意に背後から羽ばたく音が聞こえて驚いて振り返ると、そこには少し赤い顔をしたグレイさんが飛んできたところだった。
「じゃあグレイ、あとはよろしくね。ルリ、ではごゆっくり! なんなら明日もお休みにしておくから、一晩ゆっくりしてきてくれていいからね〜〜〜」
満面の笑みでそう言ったリッティは、なんとそのまま手を振ってその場に私を一人残したまま飛んでいってしまった。
「ええ、ちょっと待って……」
あっという間に飛び去って行った彼女を呆然と見送っていた私は、ここでようやく我に返った。
周囲には誰もいない浮島からも離れた上空で、グレイさんと二人っきり。
唐突に真っ赤になったのが分かって、もう恥ずかしすぎてグレイさんを直視出来ない。
「ルリ、良ければ手を。ええと、右手は握っても大丈夫かな?」
遠慮がちなグレイさんの言葉に、私はなんとか顔を上げて笑顔で大きく頷いた。
「怪我した部分を握られたらさすがに痛いですけど、普通に手を握るくらいなら大丈夫ですよ」
そう言って右手を差し出す。
すると、それを聞いて嬉しそうに笑ったグレイさんは、私の右手を彼の左手でそっと握った。
そしてそのまま流れるように私の左手も彼の右手に握られる。
そうなると、当然真正面から彼と向き合う体勢になる。
赤い顔が恥ずかしくて俯きそうになると、笑ったグレイさんが私の腕をそっと引いた。
当然、離れていた体ごと引き寄せられて、抱きしめられるくらいの近さになる。
立っていたら身長差が相当あるので、この距離でグレイさんの顔を見ようと思ったら真上を見上げるくらいにしないと駄目なんだけど、今は空中だから関係ない。
私の顔のすぐ前にグレイさんの顔がある。
「飛ぶよ」
ふっと笑ってそう言ったグレイさんが一度だけ大きく羽ばたいた。
その瞬間、ググッと体が持ち上がる感覚があり、そのまま私の体ごと一気に加速した。
両手をつなぎ合って向かい合った体勢のまま。でも不安なんて全然ないくらいに安定した飛行。
見えるのは、お互いの顔と背後に広がる瑠璃色の空だけ。
あの、流砂に流された時に思い出したのと同じ笑顔がすぐ側にある。
しばし呆然と向かい合ったまま見つめていたんだけど、私はあの時の事を思い出して笑顔になったわ。
そして、気がついたら口を開いていた。
「あの、流砂に流されて砂に飲み込まれた時、思い出したのは……グレイさんの笑顔だった。もう駄目だって思ったから、その時に後悔したの。こんな終わり方をするのなら言えばよかったって……」
半ば無意識のその呟きを聞いて、グレイさんが驚いたように目を見開く。
「何を言えばよかったって、そう思ったんだい?」
優しいその声に、気がつけば私の口は答えていた。
「ちゃんと、好きだって言えばよかったって……!」
答えてしまってから、我に返って唐突に真っ赤になる私。
そして、同じくらいに真っ赤になるグレイさん。
両手を握り合って向かい合った状態で飛んでいた私達は、唐突に体勢を崩してきりもみ状態になってしまった。
「おっと悪い悪い」
悲鳴を上げた私を見て苦笑いしたグレイさんがそう言い、すぐに体勢を整えてくれた。
そのまま飛行を続け、改めて向かい合う。もちろん両手は繋いだまま。
「先に言われてしまったな。でも俺からも言わせてくれ。好きだよ、ルリ。気付けばいつも貴女の事ばかり考えている」
蕩けそうなくらいの優しい声でそう言われて、もう私は声も出せずに口をパクパクさせる事しか出来ない。
笑ったグレイさんがそっと顔を寄せてくる。
思わず目を閉じた私の唇に、グレイさんの唇が重なる。
キスをしたままの私達は、またきりもみ状態になったけど、今度は二人ともそんな事を気にする余裕は全くなくなっていたのでした。




