突然の陣痛?
妊娠が判明してからしばらくして、私とグレイさんは夫婦棟から家族棟へ引越しした。
もちろん、引っ越し自体も家具を収納して新しい部屋に出すだけなのであっという間に終わってしまい、私は完全にお客様状態でお皿の一枚も運ばせてもらえませんでした。
ちなみに夫婦棟や家族棟は、基本的に私のよく知る真ん中が吹き抜けになった高層マンションみたいな構造になっていて、広い廊下と一つの階に複数部屋のある家が並んでいる状態ね。
そして以前の倍くらいに広くなった新しい家族棟の部屋での生活が始まったんだけど、もうどれだけ過保護なのよと言いたくなるくらいに世話焼きになったグレイさんが本当になんでもやってくれて、彼が家にいる日は、私はトイレと水浴びに行く時以外は、ほぼずっとソファーに座ったまま怠惰な一日を過ごしていたわ。
それこそ棚に入れているお皿を取る事さえ禁止されるレベル。
食事だって、いつも通りに食堂へ食べに行くって言ったんだけど、危ないから駄目だと言われて、結局グレイさんが二人分を部屋まで運んでくれて、毎回部屋で食事をしていたわ。
上げ膳据え膳ってきっとこういう状態の事を言うのよね。
もちろん、グレイさんに仕事がある日はそんな事はなくて、勝手に出かけたりはしないけど、普通に自分で動いて生活していたわ。
でも、そんな時はリッティかチムタムが大抵部屋に来てくれて、一緒に食堂へ食べに行ったりのんびり部屋でおしゃべりをしたりして過ごしたりしていた。
一応、妊娠が判明して以降は採取の仕事はお休みにされてしまい、子ども達と触れ合う機会が激減して、ちょっと寂しい日々を過ごしていたのでした。
ちなみに、心配していた悪阻は驚くくらいに全く無くて、私の体調は本当にいつも通り。それはそれで不安になってミルキー先生に聞いたところ、逆に悪阻って何? って聞かれて、マジで驚いたわ。
これも詳しい説明を求めて確認したところ、妊娠するとそれなりに体調が悪くなったり貧血を起こしたりするような人はたまにいるらしいんだけど、いわゆる悪阻独特の酷く吐いたり食事が出来なくなったりするような酷い体調不良は無いとの事。
これに関しては、地上にいる人間の女性って大変なのねと真顔で言われてしまい、逆に、もしかしてこの世界の人は地上の人間でも卵生なのかもと割と本気で思った私だったわ。
まあ、これに関しては確認のしようがないので答えは出ないんだけどね。
そんな感じで、周りの人達に助けられて二ヶ月ほどを過ごした私は、その朝いつもと違う違和感に目を覚ました。
何故か普段と違って下腹の辺り全体にが突っ張っていて、腰も痛い。
なんとか手をついて起きあがろうとしたんだけど、その瞬間に下半身に一瞬だけ強い痛みが走り、あまりの痛さに悲鳴を上げてしまった。
「ん? どうしたんだ?」
すぐ横で眠っていたグレイさんが、私の声に気づいて目を覚ましてくれた。
「何故か下腹の辺りが酷く痛くて起きられないの。これ、どうしたらいいかしら」
横向きになったまま、とにかくお腹が痛い事を訴える。
その瞬間、横になっていたグレイさんが凄い勢いで文字通り飛び起きた。
「どの辺りが痛いんだ?」
真顔でそう言われて、痛い場所を訴える。
「今すぐ施療院へ行くぞ!」
どうやら、グレイさんはこういった時の対処法を先生から教えられていたみたいで、あっという間に着替えてきたグレイさんは、それはそれは慎重に私をお姫様抱っこ状態で抱き上げると慎重に歩いて部屋から出て行き、そのまま家の扉から出て広い廊下を早足で歩いて、家族棟の建物の扉を出たところで一気に飛び立っていった。
まだ夜明け前で、東の空がうっすら明るくなり始めている時間。
私では絶対に出来ない速さで飛んでいったグレイさんは、本当にあっという間に施療院に到着した。
「おはようございます! ルリが産気付きました!」
まだ真っ暗な廊下に駆け込んでいったグレイさんが、唯一明かりが灯っていた受付に向かって大声でそう叫んだ。
次の瞬間、受付にいた人が思いっきりハンドベルみたいなのを振り回した。
ガランガランとものすごい音が響き渡った直後、奥から担架を抱えた白衣の看護師さん達が駆け出してきた。
「ルリさんをこちらに!」
「ゆっくりで構いませんから!」
顔見知りの看護師さん達が、真顔でそう言い担架を下す。
頷いたグレイさんが私をそこに下ろしてくれた。
当然のようにそのまま運ばれていき、ベッド以外は何もない部屋に連れて行かれた。
下腹の鈍痛はまだ続いているけれど、それほど痛いというわけではない。
「あの……」
一応、一通りの説明は聞いているけれども、どうにも以前の常識が邪魔をして状況が理解出来ない。
「すぐに済みますからね。頑張ってください」
「チムタムさん達から、素敵なカゴが届いていますからね」
「もちろん、このカゴを使わせていただきますよ」
にっこりと笑った看護師さんが、そう言ってひと抱えはある大きなカゴを運んできてくれた。
何かの蔓なのだろう。小指くらいの細さで編まれたそのカゴには、あちこちにカラフルなリボンが結び付けられていて、何か文字が書き込まれている。
「そのリボンはなんですか?」
思わずそう尋ねると、驚いたようにこっちを見た看護師さんが納得したように頷いてから笑顔で教えてくれた。
「そっか。ルリさんはまれびとだし、こっちでも身近に妊娠した人がいなかったから知らないのね。ここに結んであるのは、このカゴを編んでくれたチムタムや彼女のお友達達、それから貴女の知り合いの人達が無事の出産と子供の成長を願って織ってくれたリボンよ。書かれている文字は、祝福の言葉ね」
カゴを顔の近くに寄せてくれたので見てみると、確かに、無事の出産を心から願います。赤ちゃんに会えるのを楽しみにしています。など、嬉しい言葉が並んでいた。
「素敵な風習ですね」
笑った私の言葉に看護師さんも頷いてくれた。
一つため息を吐いて、横に置かれた抱き枕に抱きついた私は、波のように時折押し寄せる下半身の痛みに耐えつつ早く終わってとひたすらに願っていたのでした。




