身体検査
突然の眩しい光で目が覚めた。
硬いベッドの上で寝たせいで、首がものすごく痛い。
首を手でほぐしながら、黒島はトイレに向かい用を足した。
洗面台でコップ一杯の水を飲んでいると、再び頭上から声がした。
「今日から実験を始める。初めは簡単な身体検査だ。まもなく職員が部屋に行く。それまで大人しくしているように。」
「一応聞くけど、飯とかってないよな?」
黒島は話しかけてみたが、当然のように反応は無かった。こちらの声は本当に届いていないのかもしれない。逆に言えば、どんな大きな物音を立てても相手は聞こえないということだ。
まあ、そんな事がわかったところでどうしようもないのだが。
黒島はベッドの上に腰掛け、紙コップのリング状に巻かれている部分を広げていった。
そういえば自分は人生で初めて、紙コップのカールしてるところを弄ったな、と彼はぼんやり思った。
完全にリング部が無くなっり、上のところが薄っぺらく伸ばされた紙コップは潰れやすく、どこか頼りない印象を受けた。彼がしばらく紙コップの口をパクパクさせていると、ドアが開いた。
入ってきたのは白衣を着た二人組だった。一人は身長が高く、がっしりしている。よく焼けた肌が白衣と比べてさらに黒く見える。彼はメガネをはずし、右ポケットに入れながら入ってきた。
もう一人はデカ男と対照的で身長が低く、かなりの細身だった。髪の毛はセンター分けで、しきりにそれを手で撫で付けながら細男は入ってきた。
彼らはドアから一歩中に踏み込んだ位置で立ち止まり、しばらく黒島を眺めていた。細男は黒島の手にあるコップを見て、ふん、と言わんばかりに少し鼻を鳴らした。
「我々についてこい。実験室に案内する。」
細男は見た目に似合わぬドスの効いた声でそんなことを言うと、まるで全世界の人間は自分が声をかけたらついてくるのが当たり前、と言わんばかりにすぐに背を向けて外に向かって歩き出した。
デカ男は無言で、影のような滑らかさで黒島の隣に立ってきた。そして、
「行くぞ、歩け。」
と短く言った。
こんな奴、逆らったら何をされるかわかったもんじゃない。恐らくビビらせるのが目的のガタイのデカさだろうが、冷静に考えてもここは従った方が良いだろう。
黒島はデカ男がかろうじて視界に入るぐらいのスピードで、細男について行った。
廊下は薄暗かった。三人の男の歩く靴音だけが規則正しく響く。
デカ男の視線を感じながら、黒島は細男の背中だけを見つめて歩いた。
数度の目覚めで、なんとも無かった心臓が今更バクバクしてくる。耳に心臓が来てしまったかのような鼓動音だ。自分は一体どこに連れて行かれるんだろう?実験室、とあの細男は言っていた。黒島は大学の実験室を思い浮かべた。机があって、様々な器具がある、、、だがそんな場所ではないはずだ。ここは何かの研究機関だろう。大学なんかよりずっと、工場のような実験室のはずだった。
そこで一体何をされるのか、見当など全くつかなかった。でも恐ろしい事なのは確かだ。
目の前の細男はまっすぐ前だけを見つめて歩いている。廊下の景色も規則的で、一定の間隔で鉄の扉が右に現れるだけだ。違うのはドアプレートに書かれた謎の記号だけ。永遠のループなのでは、と黒島は本気でそう思いかけた。
やがて時間感覚が麻痺してきたころ、細男はある鉄の扉の前で立ち止まった。ドアプレートには「G-22」と書いてある。恐らく数分間だったのだろうが、黒島にはここにくるまでかなりの時間が経ったように思えた。
デカ男はポケットをごそごそ探っていた。お菓子の包装紙のような、カサカサと乾いた音が廊下に響く。やがて彼は鍵を取り出した。束ではない。ただの、どこにでもありそうな鍵。デカ男が差し出したそれを受け取った細男は扉を開け、「中へ」とこちらを見もせずに言った。
実験室の中は思っていたよりもシンプルだった。廊下と違って明るかったので、黒島は最初その眩しさに目を細めた。やがて目をゆっくり開けると、大体の部屋の様子が見えた。
まず目についたのは部屋の中央にある大きなガラスケースだった。高さ5m、幅と奥行きが4mぐらい。天井部分に黒い箱のようなものがついており、中央に手術台が置いてあった。よく見ると、手術台の上には輪っか状のものが、ちょうど横たわった時に手足がくる位置についてあった。黒島はそれから目が離せなくなってしまった。
あれはなんだ?拘束具?自分があれに横たわるのか?
、、、今、逃げてしまおうか?
突然、肩に手を置かれた。黒島の肩が跳ね上がった。ゴツゴツした手だった。慌てて振り向くとあのデカ男だった。
「今日は基本的な検査だけだ。あの部屋に入って、台の上で横になる。検査が終わったら飯ももらえる。簡単だろ?」
「、、、待ってくれ。俺はまだ、ここに連れてこられてから何も聞いていない。そもそもここはどこだ?俺は何をされるんだ?質問に答えてくれ。お前たちがやっていることは明らかに法律違反だ。」
黒島はまっすぐデカ男の目を見つめて言った。逸らすもんか、と思った。
デカ男はでかいため息をついてめんどくさそうに口を開いた。「、、、質問に答える義務はないし、お前は法律などもはや適用範囲外だが、一応教えてやる。ここは軍用研究所だ。軍用と言っても兵器開発だけではない。お前みたいな危険な未知数も収容し、観察するところだ。そしてお前は今から研究される。解明される。完全に無害になるまで徹底的にな。これで満足だろ?」
「待て、全く満足じゃない!そもそもなんの権利があって?お前たちは俺についてどれだけ知っている?俺は、、、」
黒島の話を遮るように細男が低く、よく通る声をあげた。
「被験体N、入室。」
それと同時に、デカ男は黒島は凄い力で推してきた。黒島は踏ん張った。意地でも入ってやるものか、と。
彼はデカ男相手に考えられないほど踏ん張った。デカ男がどれだけ推しても黒島は壁のようにびくともせず、両足を地面に吸い付けている。
俺、こんなに体幹強かったっけ?
黒島は自分でも驚いた。だがこのままならいけるぞ、と思った。恐らくアドレナリンのおかげだろう。今なら逃げられる、と彼は思い、出口に体を向けようとした時だった。
首に何かが刺され、チクっとした痛みを感じた。と同時に黒島の手足が急速に重くなってきた。彼はそのままぐにゃり、と糸が切れた操り人形のように倒れ込んだ。指一本、動かせない。思考はクリアだったので、余計恐ろしかった。
床に叩きつけられた時の痛みも感じなかった。首はもちろん動かせない。眼球はかろうじて動かせる。黒島は近づいてくるデカ男を下から睨み上げた。
「何を、、した、、、。」
舌はもつれてうまく動かせない。それでもなんとか声を出した。
「薬を打ったんだよ。お前も医者なんだからわかるだろ?」
デカ男は黒島の体の下に手を差し入れて起こそうとした。腰を両手でがっしり掴まれる。全く抵抗できない。
「やめろ、、、離せ、、!」
だがデカ男は黒島をそのまま軽々と持ち上げると、ガラスケースに向かって歩いた。黒島はただの精巧な人形のように、頭と足がだらりと下に垂れ下がった。頭は恐怖で燃え上がり、危険信号を発し続けているのに体は全く動かせない。
運ばれている途中、細男が見えた。ガラスケースから少し離れたところに置いてある執務机に座り、腕を組みながら黒島をじっと眺めている。だがすぐにそれも黒島の視界から消え、デカ男はガラスケースの中に入ると黒島を台の上に寝かせ、手際よく拘束具をつけていった。
カチッ、カチッ、という金属音が続き、最後に首にもひんやりとした拘束具をつけられた。見上げるとガラス越しに部屋の蛍光灯がぼんやりと見え、ガラスケースの上についてあった黒い箱のようなものに大きな穴が二つぽっかり口を開けていた。
デカ男は黒島の手術着を捲り、電極パッドを無造作に取り付けていった。まるで物に対するかのような扱いだった。さらに頭の上にヘルメットのようなものを被せてくる。視界の上の一部がそのせいで見えなくなった。
「測定を開始する」
デカ男がそう言い、「了解」と細男が答えた。黒島の目が僅かに揺れ、恐怖に耐えるようにギュッと閉じられた。




