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ザラント地方第七行政地区の飢饉③

 役場に到着すると、区長はすぐに応接室へアンネリーゼたちを案内した。


「遠路はるばるご苦労様です。このような寒村までお越しいただき……」


 机の上には湯気の立つ茶が用意されている。区長は終始穏やかな笑みを浮かべ、王都からの監察を歓迎しているように振る舞っていた。

 ハインリヒは懐から監査命令書を取り出し、机に置く。


「救済申請について確認したい。帳簿類を閲覧する」


 ベッカー区長の笑みがほんのわずかに固まる。


「もちろんです。ご協力いたします」


 税務係が保管庫から分厚い帳簿を運んできた。提出用の元帳、徴税記録、備蓄台帳。

 アンネリーゼは一冊ずつページをめくっていく。

 ダニエルはその様子を一度見届けると、ハインリヒに声を掛けた。

 

「課長。ここはもう私がいても邪魔ではないでしょうか」

「ああ。村を見てこい」

「はっ」

 

 後ろで交わされる会話も今のアンネリーゼには聞こえない。ただひたすら、報告書と帳簿を突き合わせる。

 

「収穫量……平年並み。徴税額……予定通り。人口も大きな変動なし……」


 数字だけを見る限り、報告書と矛盾はない。だが、どうしても一つだけ説明がつかなかった。


「課長」

「何だ」

「確か周辺地域ではこの秋、かなり早い時期に大寒波が来た影響でどこも収穫量が軒並み落ちていたはずです。免税となった荘園もあったはずです」

 

 ハインリヒは肩をすくめる。

 

「区長、ここは影響なかったのか?」


 ベッカー区長は迷いなく答えた。


「はい。どういうわけか寒波を逃れたようです。ただ、晩秋に備蓄倉庫へ早霜が入りまして。保管していたイモや小麦が傷んでしまったのです。収穫そのものは悪くなかったのですが、備蓄を失った影響が大きく……」


 提出された報告書と同じ説明だった。アンネリーゼは黙って帳簿へ目を落とす。

 数字は合っている。しかし、どうにも違和感を拭いきれなかった。

 

「ふん、そうか。まあ今日はひとまずここでお開きにしよう」

「承知いたしました。それでは食事を持って来させます」

 ベッカー区長は気が抜けたように柔らかな表情になって、一礼するなり去っていってしまった。


「フォルマー、どう思う?」

「数字上はおかしなことがないように思いますが、どうしてここだけ大寒波を逃れられたのでしょうか」

「そうだな、やはり村人から話を聞くしかないな」

「そうですね」


 夕食は役場の炊事場で用意された黒パンと豆の煮込み、それに塩漬け肉が少しだけだった。村の困窮を反映するように、王都では当たり前だった白パンも果物もない。


「本来ならもっとおもてなしすべきなのですが……」


 ベッカー区長は申し訳なさそうに頭を下げた。


「十分だ」


 ハインリヒは短く答え、パンを割った。ハインリヒはベッカー区長に一緒にどうだと勧めたが、頑として断り続けていた。

 食事の後、区長は役場二階の来客用の一室へ案内した。粗末な木の寝台と机だけの質素な部屋だったが、薪だけは惜しまず焚かれている。

 アンネリーゼは旅鞄を開いた。予備のブラウスに着替え、冷え切った指先を暖炉へかざす。

 それだけでようやく、長旅の疲れを少しだけ実感した。



 あくる朝、外に出てみると村の雰囲気が少しだけ変化していた。

 ダニエルたち憲兵が雪かきに追われている。

 村の道は膝まで雪が積もり、年寄りだけでは通ることも難しい。

 

「よし、この薪は俺たちが運びます」

 

 子どもが雪に足を取られれば抱き上げ、倒れた荷車を起こし、薪を家々へ届ける。

 村人達も彼らに礼を言っている。

 なるほど、そういうやり方で警戒心を解く必要があったのか、とアンネリーゼが頷いていると、ハインリヒが後ろから声をかけた。


「さあ、我々も仕事を詰めよう」

「はい!」

 

 今日も引き続き、帳簿と周辺地域の気候データや収穫量、税収のデータを照らし技合わせていく。

 突然、応接室のドアがノックされた。

 はい、と答えてベッカー区長がドアを開けると、そこにはダニエルが立っていた。

 敬礼をして、よく通る声で要件を伝える。

 

「ハインリヒ閣下、お耳に入れたいことがございます」

 

 ハインリヒは頷いた。そして応接室に入って来たダニエルの話を聞く前に言った。

 

「フォルマーを連れていけ」

 

 役場の外に出ると、憲兵達が昨日の婦人から話を聞いているところだった。彼女は近づいて来たアンネリーゼを一瞥するも、話を止めはしなかった。

 

 「実は……この秋に早霜で作物が全滅したんだ」

 

 彼女の一言をきっかけに、広場で配給を待つ人々がどっと押し寄せた。

 皆口々に、秋の早霜について、その被害について話している。

 思わず、役場を振り返ったアンネリーゼにダニエルがささやいた。

 

「どうぞ。ここは俺達が話を聞きます」


 頷いて役場へ一目散に走り出す。

 大した距離ではなかったが、日頃の運動不足が祟り、息を激しく切らしていた。

 ベッカー区長は応接室のようだ。税務係に直接、指示をする。

「補助簿を見せてください」

 税務係は強く頷いた。応接室には戻らず、カウンターでページをどんどん巡っていく。今日もアンネリーゼの指は汚れている。

「あった!」

 提出用の元帳と徴税記録の数字がズレている。申請書の通り、そして村の住人達の言うとおり、本当に秋の早霜によって作物が全滅しかけていた。そのまま冬に突入してしまい、村の備蓄倉庫は空っぽのまま、本格的な冬を迎えた。いよいよ配給も底をつき、餓死者が出始めた。ようだった。


「これは、あなたが?」


 税務係はコクコクと頷いた。

 

「第七行政区を助けてください」


 アンネリーゼも大きく頷くと、補助簿を抱えて応接室へ深呼吸しながら向かった。ノックをして、ベッカー区長が開けるのもまたず、扉を開く。

 

「課長、見つけました! 区長が帳簿を改ざんしています。すぐに彼を告発して、逮捕させるべきです」

 

 ベッカー区長は目を見開いてアンネリーゼの抱える帳簿を見つめ、裏返った声で叫ぶ。

 

「し、しかしそれは補助帳簿だ。公的な記録ではない」

「村人からも証言が取れています」

 

 ダニエルがアンネリーゼの後ろに現れた。

 何やらたくさん書かれた紙の束を持っている。

 ベッカー区長は膝から崩れ落ちた。

 

「春になれば返せると思ったんです。たった一度の不作で役人失格だなんて言われたくなかった……」


 ハインリヒはベッカー区長には目もくれず、外に出てダニエルを呼んだ。

 

「アレンス曹長」

「はっ」

「急使を出せ。王都内務省宛てだ。『第七行政区、実態は大規模凶作。救済物資の即時輸送を要請』。俺の名で送れ」

「了解しました」

 

 そしてダニエルの部下が一人、最も脚の速い馬で王都へと走り去っていった。

 応接室に悠々と戻って来たハインリヒは椅子にどっかりと座り、ベッカー区長を冷たい眼差しで見つめた。


「では区長、話を聞こうか」

 

 ベッカー区長は観念したように項垂れた。

 彼の話によると、無能の判を押されるのが怖くて、『不作でした。税金が免除される次元です』とは書けず、過去の豊作だった年の数字を丸写しし、大ウソの報告を上げてしまった。

 見栄を張って平年通りです、と嘘をついたせいで、国からは容赦なく、じゃあ予定通りの税金を王都に送れと言われる。ベッカー区長は今だけ税だけ払っておけば、春になれば収穫で埋め合わせできると考え、役所の予備費をはたいて、無理やり税金を中央に送った。

 その結果、本来なら冬の配給用に小麦を買い足すはずだった資金が尽き、備蓄倉庫は空のまま冬を迎えることになってしまい、飢饉が起きた。慌てた区長は自分の嘘を隠したまま、なんとか金と食糧を手に入れるため『備蓄倉庫に霜が降りてイモや小麦がだめになってしまって』と言い訳を並べ、国からタダで支給される飢餓救済の手続きを三倍の規模で申請した、と言うのが実情だった。


「フォルマー、報告書を書け。それをもって本監査は終了とする」

「はい」


 アンネリーゼは強く大きく頷いた。その瞳が燃えている。

 その晩、応接室は一晩中明かりがついていた。

 アンネリーゼは時計に目もくれず、激しい怒りの込められた報告書を書き続けていた。

 絶対に許してはいけない、こんなことがあってはならない!

 鬼気迫る顔でペンを滑らせ続けていた。

 

 翌日、ハインリヒは、アンネリーゼが書いた告発調書のような報告書を一蹴した。

 

「フォルマー、書き直しだ。主題を〝区長〟から〝現行の救済申請手続き〟に変えろ」

 

 不満そうな顔をするアンネリーゼに、ハインリヒは静かにしかし重みのある声で語りかけた。

 

「いいか、個人をとっ捕まえるのは軍の仕事だ。俺達内務省の仕事は、構造の穴をふさぐことだ。あの男が極悪人だから起きたんじゃない。マヌケな凡人が、自分の椅子を守るために書類をちょっと書き換えただけで、一地区が簡単に干上がるような仕組みそのものが問題なんだ。俺たちがやるべきは、あの男を吊るすことじゃない。二度とこんな致命的な嘘をつけなくする、地方監査制度の改善だ」

「穴を、塞ぐ……」

 

 アンネリーゼは頭を殴られたような気分だった。そうだ。

 正しいことと証明できることが違うように、裁くことと正すことも、また、違うのだ。

 アンネリーゼは一つ頷くと、新しい半紗紙を広げた。今度はただ淡々と数字のつじつまが合わなくなることを許容できてしまう制度の問題点だけを論理で埋めていく。

 

 ハインリヒはその様子を満足そうに眺め、パイプに火をつけた。

 


「それにしても、どうして今まで誰も気付かなかったんでしょう」

 

 昼食の軽食を食べながら、アンネリーゼの問いにハインリヒが答える。

 

「一日に何百通も届く報告書を、一枚ずつ前年と見比べる役人はいない。……お前以外はな。だから中央が現地の生データを二重チェックしない仕組みをどうにかしなきゃならない」

「人手が足りるでしょうか」

「そうさな、それは上が考えてくれるさ」

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