変化の兆し(2028年)
初夏。窓から差し込む風は穏やかだが、小学校の教室は妙な静けさに包まれていた。
かつてこの場所は、先生のチョークの音と、生徒たちの活発な——あるいは騒々しい——議論で満ちていた。しかし今、教壇に立つ教員の姿はない。代わりに、教室の隅に設置されたホログラム投影機が、生徒一人ひとりの学習進度に合わせた「AIチューター」を映し出している。
美沙を含むクラスの子供たちは、それぞれがタブレットに向かい、個別の最適化されたカリキュラムを黙々とこなしていた。
「……ねえ、これ意味あるのかな」
休憩時間、美沙が隣の席の友達に話しかけた。だが、友達はヘッドセットを外そうともせず、AIとの対話に没頭している。美沙が首をかしげていると、教室内を巡回していた学校職員の佐藤が、どこか疲れ切った足取りで歩み寄ってきた。
「美沙、質問かな?」
「いいえ。でも、みんな画面を見てるだけで、誰とも話してないから」
佐藤は苦笑した。かつては「教師」と呼ばれた彼は、今や教えることを禁じられている。教育現場における「知識の伝達」はすべてAGIが担い、彼らに残されたのは、端末の動作確認と、AIが処理しきれないトラブルの窓口——つまり「管理」だけだった。
「ここはもう、知識を教える場所じゃないんだよ、美沙」
佐藤は窓の外を見やった。校庭では、AIがプログラムした「最適な運動メニュー」を消化する子供たちが規則正しく動いている。そこに、かつてあったドッジボールの歓声や、誰かが転んで膝を擦りむくような「不測の事態」は存在しない。
「じゃあ、学校はなんのためにあるの?」
美沙の問いに、佐藤は答えられなかった。彼自身も、自分がなぜこの箱の中に座り続けているのか、その理由を見失いかけていたからだ。
その日の夕方、慎吾は由香と二人で、学校の存続について話し合っていた。
「最近、美沙が学校を『ただの充電スポット』と呼ぶようになったんだ」
慎吾はため息混じりに言った。
「家庭のAIと学校のAIが同期して、一日中同じような問いに答えるだけ。美沙は賢くなったが、同時にひどく退屈しているように見える」
「うちの事務所のクライアントも同じよ」
由香は窓際に立ち、夜の帳が降りる街を見つめていた。
「悩みやトラブルを抱えて相談に来るはずなのに、結局はAIが弾き出した結論を裏付けるための『確認作業』を求めてくる。誰も、自分の頭で決断して、その責任を負いたくないのよ」
効率的で、安全で、そして何よりも正しい世界。しかし、その正しさが、人間から「コミュニティという名の、脆くて不完全なつながり」を削ぎ落としていく。
慎吾は、自分が開発に関わった生産システムと、今の教育現場が酷似していることに寒気を感じた。研磨工程から「ノイズ」を取り除いたとき、製品は完璧になったが、同時に「機械としての個性」を失った。
学校から「先生」がいなくなり、家庭から「親の教え」が消えていく。その空白を埋めるのは、無機質で、永遠に正しいAIの声だけだ。
「……何か、間違っている気がする」
慎吾はパソコンを閉じた。しかし、その間違いを正すための手段すら、今はAGIのアルゴリズムの中にしか存在しない。彼は、まだ見ぬ「抵抗」の形を探して、暗いリビングでただ一人、沈黙を深めていた。




