習い事の取捨選択(2027年)
2027年の春、佐伯家のリビングには、冷徹なまでの「整理」の空気が流れていた。
テーブルの上には、美沙のスケジュール表が広げられている。月曜は英語、火曜はプログラミング、水曜はピアノ。由香が神妙な面持ちで、その紙に赤ペンを走らせていた。
「慎吾さん、これ全部続けるのは無理だわ。特にプログラミングなんて、今やAIが秒単位で書いてくれる。美沙が今さら基礎構文を覚えて何になるの?」
由香の行政書士事務所でも、定型的な書類作成はAIに取って代わられ、彼女自身は「AIが導き出した結論に対する、クライアントの感情的なフォロー」に追われるようになっていた。そんな彼女にとって、子供の教育は「どこまでをAIに委ね、どこに人間を置くか」という切実な経営判断だった。
「ピアノはどうするんだ。あれは身体的な訓練だろ」
慎吾が問うと、美沙がタブレットから顔を上げずに口を挟んだ。
「ピアノもAIが作曲して、自動演奏してくれるよ。でも……」
「でも?」
「先生が、私の指の形を見て『そこはもっと力を抜いて』って言うでしょ。あの感じ、AIの音声ガイドにはないの」
慎吾はハッとした。美沙が求めているのは、演奏技術そのものではなく、指導者という「生身の人間からの介入」だったのだ。効率を極めれば、すべてのプロセスは最適化される。しかし、人間という存在は、往々にして「最適ではない介入」によって形作られる。
「英語とプログラミングは削ろう」
慎吾が結論を下した。
「その代わり、美沙が本当に『誰かとぶつかり合う』ような習い事を探そう。AIが提示する正解に頷くだけじゃなくて、相手を説得したり、あるいは自分が納得しなかったりするような場所だ」
「そんなの、どこにあるの?」
由香が呆れたように笑う。
その夜、慎吾は一人、ベアリングの旧式モデルを眺めていた。今のAI設計システムは、最初から「故障しない完璧な配置」を導き出す。しかし、あえて「遊び(クリアランス)」を持たせた旧式の設計図には、過酷な環境下で金属が膨張した際、その余白が危機を救うという設計思想があった。
「美沙の習い事も、この『クリアランス』と同じだ」
効率の良すぎる時代において、わざわざ「非効率」を配置すること。それが、子供たちをAIの支配から守る唯一の防波堤になるのではないか。
慎吾は、近所の古い道場や、手作業の工芸教室を検索し始めた。AIが推奨する「将来のキャリアに直結する習い事」リストの、ずっと下の方にある、埃を被ったような選択肢たちを。
「美沙、明日は習い事に行かなくていい。代わりに、パパと工場に行こう。機械の油と、金属の音を聞きに行くんだ」
美沙は不思議そうにしながらも、
「面白そう」
と小さく呟いた。慎吾は、そのわずかな「予想外の反応」を頼もしく感じた。2026年から始まった、見えない競争。慎吾は、効率化の波の中で溺れそうになりながら、家族を繋ぎ止めるための「不要なもの」を必死に守り続けていた。




