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86.新月の希望と挑戦

「薬局長、ルカの特別調剤、私も行っていいですか?」


 新月の夜、退勤前に私は思い切ってそう言った。


 解呪できるかもしれないタイミングで、私が近づいたらダメだ、というのはわかっている。


「……もしダメなら、窓からこっそり見るだけでもいいんです」


 黙ったまま私を見つめる薬局長の視線にたじろぎ、そう付け足した。

 薬局長が静かに言う。


「クレアさん、今日は新月です。一番魔力が落ちる時間――つまり真夜中に薬を飲ませるんですよ?あなた、明日早出ですよね?」


「はい。大丈夫です」


 早出なんて大したことない、とばかりに大きくうなずく。


「ルカ君の呪いが、今日解けるとは限らないんですよ?」


「はい。でも、やっぱり気になります」


 一歩も引かない私の様子に、薬局長はため息をついた。


「……はぁ。あなた達、本当にルカ君のことを心配してくれてるんですね」


「あなた達?」


 首を傾げた私に、薬局長が笑う。


「オーウェン様も来ますよ。見たいらしいです」


「そうなんですか!?」


「……ルカ君が嫌がったら、二人とも出て行ってくださいね」


 ということで、許可をもらった私は薬局長について、真夜中の医務室に向かうのだった。



 ***********



「失礼します」


 そう言って騎士団の医務室に入ってきたルカは、新月のせいか本当に呪いなんてあるのかな?と思ってしまうくらいに軽やかな足取りだった。

 表情だってとても明るい。


「あれ、オーウェン様もいるんですね?」


 医務室の椅子に座るオーウェン様を見て、ルカが言う。


「気になるからさ。呪いがもし解けるなら、どういう感じなのかその瞬間を見たいなと思って」


「なるほど」


 頷いたルカは、私を見る。


「クレアもいるんだね。こんな真夜中なのに」


「ごめん。いない方がいいのはわかってるんだけど、やっぱり気になって……」


「いいよ。呪いが解けたら、一番に触りたいのはクレアだから」


 にこりと笑うルカに、私は恥ずかしさで何も言えなくなる。

 大人二人は何も聞こえてないようかのように、スルーしてくれていた。


「ルカ君、薬で呪いが解けるなんて前例がありません。ましてや、その呪いは解呪方法が明確に示されているものです。もし今回解呪できなかったとしても、落ち込まないでください。新月前にその姿に戻っているのが、すでに奇跡ですからね」


「……わかりました」


 まっすぐな瞳で頷いたルカに、薬局長も頷くと、私の作ったポーションを差し出した。


「……なんかドキドキするな。ポーションを飲むのにこんな注目されたことないから」


 そう言って笑うルカに、私も思わず笑ってしまう。


「いただきます」


「はい、どうぞ」


 ついそう言ってしまった私に、「お前、母親か?」と笑うオーウェン様。

「せめて彼女にしてあげてください」と言う薬局長。

 そのやりとりにくすくす笑ってから、ルカは一気にポーションを煽った。





 ルカがポーションを飲み干すと、右手の刺繍入りの手袋が、おかしな色に光りだした。


「うっ!」


 ルカが右手をぐっと押さえて、顔をしかめる。

 私はびっくりして思わず立ち上がる。

 ポーションを飲んで苦しむなんて、今まで一度もなかった。


「魔力が暴れてるな。最後の抵抗かもしれねぇぞ」


 ルカの右手をじっと見つめるオーウェン様が、目を細めてそう言った。


「だ、大丈夫!?」


 思わず声を上げる私の肩を、薬局長がぐっと掴む。


「そこまで大きな魔力じゃないはずです。落ち着いて」


 静かにそう言って、ルカを見つめる薬局長。

 私は唇をかむと、しっかりとルカを見る。


 両膝をついたルカは、右手を押さえたまま、うずくまってしまった。


 本当に大丈夫なの!?

 もしもルカに何かあったら……


 見ていられずに駆け寄ろうとする私を、オーウェン様がすっと手を伸ばして止める。


「ちょっと待て。そこから動くな」


 いつの間にか、私の周りには薄い膜のようなものが張られている。

 オーウェン様の結界らしい。


「で、でもっ……」


「いくら新月でも油断すんな。暴れた魔力に近づいたらお前死ぬぞ」


「!」


 その言葉に体が一気に硬直する。

 黙って見ていることしかできない自分が、とてももどかしい。


 しばらくすると、手袋の怪しげな発光がなくなり、ルカが落ち着いた。

 ぐったりとした様子で、右手を押さえていた左手を離す。


「……はぁ……はぁ……」


 荒い息をしながら、上半身を起こすと、床に膝をついたまま大きく息を吐いた。


「る、ルカ……?」


 恐る恐る声をかける。


 しばらくぼんやりとしていたが、やがてゆっくりと右手を見つめるルカ。


 意を決したように手袋をにらみつけながら、それを外した。

 むき出しになったルカの右手を見て、私は息を飲む。


「!」


 薬局長が顔をしかめ、魔力が見えるオーウェン様は無表情だった。


「……まだ近づいちゃダメだって」


 ルカは私を見てそう言うと、悲しそうに笑った。


 彼の右手の甲には、まだ赤黒い呪いの印がくっきりと浮かんでいたのだった。



 ***********



「数値的には最低値なんですけど、やっぱりルール通りの解呪方法を実践しないと、解けないようにできているのかもしれませんね」


 ルカの左腕から測定器を外しながら、薬局長が言った。


「……これだけ魔力が弱ってるのに、しつこい呪いだな」


 オーウェン様が口を尖らせながら、パチンと指を鳴らした。

 私の周りの膜がふっと消える。


「解呪、無理かもしれませんね」


 ぽつりとルカがつぶやいた。

 その言葉に何も言えずルカを見る。


「新月だし、数値だってずっと低いのに、クレアの薬を飲んでもダメだった。そうしたらもうできること、ないですもんね」


「……ルカ君」


 静まり返る部屋が、重苦しい空気に包まれる。

 うつむくルカに胸が痛む。


「あきらめるなんてまだ早いよ、ルカ。次の満月までに、私がもっと良い薬を作るから、だから……」


「うん、ありがとうクレア」


 そう言いつつも、ルカの笑顔は弱々しい。

 私が泣きそうになってしまう。


「すみません、俺今日はもう戻ります。新月も終わるし、明日には黒髪になってるかもしれないですね」


 かける言葉も見つからない。

 ふらふらと薬局を出ていくルカを、私達は静かに見送るのだった。

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