86.新月の希望と挑戦
「薬局長、ルカの特別調剤、私も行っていいですか?」
新月の夜、退勤前に私は思い切ってそう言った。
解呪できるかもしれないタイミングで、私が近づいたらダメだ、というのはわかっている。
「……もしダメなら、窓からこっそり見るだけでもいいんです」
黙ったまま私を見つめる薬局長の視線にたじろぎ、そう付け足した。
薬局長が静かに言う。
「クレアさん、今日は新月です。一番魔力が落ちる時間――つまり真夜中に薬を飲ませるんですよ?あなた、明日早出ですよね?」
「はい。大丈夫です」
早出なんて大したことない、とばかりに大きくうなずく。
「ルカ君の呪いが、今日解けるとは限らないんですよ?」
「はい。でも、やっぱり気になります」
一歩も引かない私の様子に、薬局長はため息をついた。
「……はぁ。あなた達、本当にルカ君のことを心配してくれてるんですね」
「あなた達?」
首を傾げた私に、薬局長が笑う。
「オーウェン様も来ますよ。見たいらしいです」
「そうなんですか!?」
「……ルカ君が嫌がったら、二人とも出て行ってくださいね」
ということで、許可をもらった私は薬局長について、真夜中の医務室に向かうのだった。
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「失礼します」
そう言って騎士団の医務室に入ってきたルカは、新月のせいか本当に呪いなんてあるのかな?と思ってしまうくらいに軽やかな足取りだった。
表情だってとても明るい。
「あれ、オーウェン様もいるんですね?」
医務室の椅子に座るオーウェン様を見て、ルカが言う。
「気になるからさ。呪いがもし解けるなら、どういう感じなのかその瞬間を見たいなと思って」
「なるほど」
頷いたルカは、私を見る。
「クレアもいるんだね。こんな真夜中なのに」
「ごめん。いない方がいいのはわかってるんだけど、やっぱり気になって……」
「いいよ。呪いが解けたら、一番に触りたいのはクレアだから」
にこりと笑うルカに、私は恥ずかしさで何も言えなくなる。
大人二人は何も聞こえてないようかのように、スルーしてくれていた。
「ルカ君、薬で呪いが解けるなんて前例がありません。ましてや、その呪いは解呪方法が明確に示されているものです。もし今回解呪できなかったとしても、落ち込まないでください。新月前にその姿に戻っているのが、すでに奇跡ですからね」
「……わかりました」
まっすぐな瞳で頷いたルカに、薬局長も頷くと、私の作ったポーションを差し出した。
「……なんかドキドキするな。ポーションを飲むのにこんな注目されたことないから」
そう言って笑うルカに、私も思わず笑ってしまう。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
ついそう言ってしまった私に、「お前、母親か?」と笑うオーウェン様。
「せめて彼女にしてあげてください」と言う薬局長。
そのやりとりにくすくす笑ってから、ルカは一気にポーションを煽った。
ルカがポーションを飲み干すと、右手の刺繍入りの手袋が、おかしな色に光りだした。
「うっ!」
ルカが右手をぐっと押さえて、顔をしかめる。
私はびっくりして思わず立ち上がる。
ポーションを飲んで苦しむなんて、今まで一度もなかった。
「魔力が暴れてるな。最後の抵抗かもしれねぇぞ」
ルカの右手をじっと見つめるオーウェン様が、目を細めてそう言った。
「だ、大丈夫!?」
思わず声を上げる私の肩を、薬局長がぐっと掴む。
「そこまで大きな魔力じゃないはずです。落ち着いて」
静かにそう言って、ルカを見つめる薬局長。
私は唇をかむと、しっかりとルカを見る。
両膝をついたルカは、右手を押さえたまま、うずくまってしまった。
本当に大丈夫なの!?
もしもルカに何かあったら……
見ていられずに駆け寄ろうとする私を、オーウェン様がすっと手を伸ばして止める。
「ちょっと待て。そこから動くな」
いつの間にか、私の周りには薄い膜のようなものが張られている。
オーウェン様の結界らしい。
「で、でもっ……」
「いくら新月でも油断すんな。暴れた魔力に近づいたらお前死ぬぞ」
「!」
その言葉に体が一気に硬直する。
黙って見ていることしかできない自分が、とてももどかしい。
しばらくすると、手袋の怪しげな発光がなくなり、ルカが落ち着いた。
ぐったりとした様子で、右手を押さえていた左手を離す。
「……はぁ……はぁ……」
荒い息をしながら、上半身を起こすと、床に膝をついたまま大きく息を吐いた。
「る、ルカ……?」
恐る恐る声をかける。
しばらくぼんやりとしていたが、やがてゆっくりと右手を見つめるルカ。
意を決したように手袋をにらみつけながら、それを外した。
むき出しになったルカの右手を見て、私は息を飲む。
「!」
薬局長が顔をしかめ、魔力が見えるオーウェン様は無表情だった。
「……まだ近づいちゃダメだって」
ルカは私を見てそう言うと、悲しそうに笑った。
彼の右手の甲には、まだ赤黒い呪いの印がくっきりと浮かんでいたのだった。
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「数値的には最低値なんですけど、やっぱりルール通りの解呪方法を実践しないと、解けないようにできているのかもしれませんね」
ルカの左腕から測定器を外しながら、薬局長が言った。
「……これだけ魔力が弱ってるのに、しつこい呪いだな」
オーウェン様が口を尖らせながら、パチンと指を鳴らした。
私の周りの膜がふっと消える。
「解呪、無理かもしれませんね」
ぽつりとルカがつぶやいた。
その言葉に何も言えずルカを見る。
「新月だし、数値だってずっと低いのに、クレアの薬を飲んでもダメだった。そうしたらもうできること、ないですもんね」
「……ルカ君」
静まり返る部屋が、重苦しい空気に包まれる。
うつむくルカに胸が痛む。
「あきらめるなんてまだ早いよ、ルカ。次の満月までに、私がもっと良い薬を作るから、だから……」
「うん、ありがとうクレア」
そう言いつつも、ルカの笑顔は弱々しい。
私が泣きそうになってしまう。
「すみません、俺今日はもう戻ります。新月も終わるし、明日には黒髪になってるかもしれないですね」
かける言葉も見つからない。
ふらふらと薬局を出ていくルカを、私達は静かに見送るのだった。




