68.砕け散ったポーション
シャロン様の声に、ただならぬことが起きたのだと思った瞬間だった。
ルカの右手から黒い渦のようなものがブワッっと沸き上がった。
それにつられて、ルカの右手も引っ張られるようにして浮き上がる。
「な、なにあれ、煙!?」
「いえ、おそらく違います!あれは……」
驚く私を後ろに下げながら、薬局長が言った。
「お前らにも見えてるのか!?あれは魔力だ!とんでもないほどの魔力!」
オーウェン様が叫びながら、なにかをしたらしい。
私と薬局長の周りに薄い膜が張られる。
それとほぼ同時に、ルカの右手にぐるぐるとまかれていた布がはじけ飛んだ。
そして彼のむき出しになった右手から黒い渦が、ものすごい勢いで部屋中を暴れまわる。
ルカの右手の刻印が赤黒く光っているのを見た瞬間、全身がすっと冷える感覚が走る。
なぜだか今すぐここから逃げ出したくなった。
黒い渦は竜巻のように荒れ狂い、ありとあらゆるものを破壊する。
棚が倒れ、置いてあった花瓶をなぎ倒し、机の上に置いていたポーションの箱もすべて吹き飛ばした。
ガシャーン!!という耳をつんざく音ともに、今夜作ったばかりのポーションの瓶がわれ落ち、破片も液体もあちこちに飛び散る。
目の前に飛んできた破片が、薄い膜のおかげか目の前でぽとりと落ちていく。
ここで起こっていることにまるで理解が追い付かず、私は動くことができない。
「ルカ様、失礼いたしますわね!!」
シャロン様はすぅっと息を吸うと、ルカに向けて両手を広げた。
眩しいほどに光る彼女の指輪。
思わず目をつむる。
瞼の裏まで真っ白になった。
しばらくすると、波を打ったように静まり返る。
そっと目を開けると、部屋中がめちゃくちゃに荒れ果てた空間が広がっていた。
ベッドに横たわっていたルカは、相変わらず静かに目を閉じていた。
彼の右手は落ち着きを取り戻していたけれど、黒い渦をうっすら纏わせているかのようで、今にも動き出しそうだ。
ルカの手なのに、なんとなく怖い。
なんとなくその場から動けず、彼の手を見つめてしまう。
「普通の奴にも見えるほどの魔力、やばくね?」
「えぇ。とんでもないですわね。私にもくっきりはっきり見えましたもの」
オーウェン様とシャロン様がホッとしたようにそう話している。
しかし、シャロン様の両手はルカに向けられたままだった。
「ルカの手、どうしたんですか……?」
恐る恐る尋ねる私に、彼らが振り返る。
「突然、ルカ様の右手が暴走したのです。ちゃんと結界も貼ってありましたし、容体は落ち着いていたはずなのに……とんでもないですわね」
「満月の夜は油断できませんね。ルカ君の意識がないのにこんなことが……」
いつのまにかベッドに近づいた薬局長が、ルカの顔色を確認している。
眠っている彼は、遠目に見ても青白い。
「……意識がないからかもな……」
彼らの言葉に胸が苦しくなる。
呪いが勝手に動いてしまう。ルカの意志に関係なく。
「……ポーション、割れちゃいました……」
がんばったのにな……。
破片を集めようと薄い膜から一歩外へ出た時だった。
「クレア!ダメだ!!」
オーウェン様の言葉にはっと顔を上げた瞬間、黒い渦が目の前に迫っているのが見えた。
「!!!」
あっという間に私の体は黒い渦に飲み込まれた。
体は動かず、声も出せない。
熱いのか冷たいのかもわからない暗闇の中。
くるしくて、息ができなかった。
もがこうにも動けないし、何も触れる感覚がない。
意識を手放しそうになった時だった。
「クレアさん!!!」
美しい声が闇を切り裂いて、私を呼んだ。
白くて眩しい光に包まれた気がする。
その瞬間ふっと体が楽になった。
そのままふらりと後ろに倒れこんだ私を、誰かが受け止めてくれた。
「大丈夫ですか!?」
「クレアさん、しっかり!!」
咳込みながら、荒い呼吸をなんとか整える。
見ると目の前には、シャロン様の美しい顔。
私を心配そうに見下ろしていた。
「ごめんなさいね、私がもっと警戒していれば……」
「あんただけのせいじゃない。……俺たちが完全に呪いを見くびってたんだよ」
シャロン様の後ろから声をかけるオーウェン様。
どうやら、今は彼がルカを抑えつけているようだった。
「見た所、特に異常はなさそうですね。落ち着いて呼吸してください」
薬局長が私を覗き込んだ。
彼の言葉に従い、ゆっくりと呼吸をする。
「すぐに異変が起こるようなことがなくて本当に良かった。立てますか?」
「はい。ありがとうございます」
私をすぐそばの椅子に座らせると、彼は言った。
「……完全に狙い撃ちでしたね」
「そうだな」
その言葉に私は固まった。
『黄泉の手』が私を狙った……?
彼らを見ると、2人は静かにうなずいた。
「僕が結界から出ても何もなかったです。クレアさんが外へ出た瞬間、でしたね」
「……半信半疑だったけど、やっぱり禁書に書いてあった通りなのかもしれないな。『黄泉の手』ってのは」
彼らは目くばせをして、小さく頷きあう。
「クレアさん、もう戻ってください。あなたがここにいたら危険すぎます」
薬局長がそう言った。
いつもの笑顔ではなく、まっすぐに私を見て。
薬局長だけではない。オーウェン様もシャロン様もじっとこちらを見ている。
私がいたら、迷惑になってしまうのかもしれない。
そして、ルカにも負担になってしまうのかもしれない。
でも……。
「ルカは今、呪いと戦っているんですよね?」
「そうだな、今無理やり俺が体の内側に魔力を閉じ込めてる。さっきより暴れたくて仕方ないみたいだ。けっこう強めにしないとやばいな」
「私の薬が効くんですよね?」
「おそらく。ただ、割れてしまったので、今から薬局に取りに行かないと……」
「今すぐここで調剤します!」
私がそういうと、薬局長は顔をしかめた。
「……クレアさん、無理しないでください。今あんなことがあったばかりですし、今日はもうゆっくり休んだ方が……」
「でも!でも、私はルカと一緒に頑張るって決めたんです。殺されそうになっても離れないって決めたから……」
私の言葉に、薬局長が思い切り深いため息をついた。
「……あなた達の気持ちはわかりますけどね、僕らの気持ちも考えて下さい。二人を危険な目に遭わせたくないんです」
大抵のことは許してくれる薬局長だったけれど、さすがに今回はそうもいかないらしい。
それはそうかもしれない。私だけの問題ではないのだ。
「……わかりました。申し訳ありませ……」
「フランツ様!!」
ダンッ!と靴音を響かせて、私の前に立ったのはシャロン様だった。
「推しを案じて行動するのは当然のことですわ!クレアさんの推し活を邪魔しないでいただけますか?」
「え……」
固まったのは私だけではなかった。
薬局長も意外な展開に目を丸くしている。
「推し……?」
「……まだ言ってんのか、それ?」
首をかしげる薬局長に、ぷっと噴き出すオーウェン様。
自分の推しである薬局長に『推し活精神』を訴えるシャロン様。
私もあっけにとられる。
「私が責任をもってルカ様を抑えますわ。クレアさんは落ち着いてポーションをお作りになってくださいね」
彼女はそう言ってにこりと微笑むと、オーウェン様に「ほら、どいていただける?そんな野蛮なやり方ありえませんわ!!」と言いながら、ルカに向き合うのだった。
男性陣タジタジ。
女の子は強いのです。




