66.落ちる満月
「……意味わかんないんですけど」
ぽつりとつぶやく同僚の声が、夢の中のように響く。
情報になかった2体目の魔物に、全員が一瞬フリーズする。
しかし、相手は待ってくれるはずもない。
ガバァっと大きな口をあけたかと思うと、鼓膜をつんざくような鳴き声を上げ、一気にこちらに駆け寄ってきた。
ドラゴンというには醜く、丸いぼてっとしたシルエットだったが、とんでもない速さだった。
それぞれが剣や盾を構えたけれど、あっという間に弾かれ、体ごと吹き飛ばされる。
地面にたたきつけられ、俺もすぐに立ち上がることができなかった。
手にしていた剣もいつの間にか折れ、柄だけになっている。
その時、黒い影が落ちる。
目の前には恐ろしい牙をむき出しにした魔物。
手袋を外す暇なんて、ない。
……まずい。
剣の柄を握り締めた俺の目に、右手が映る。
先ほど火の粉で焦げ、指先に小さな穴がいくつかあいている手袋。
それを見た瞬間、勝手に体が動き出していた。
上手くいくかなんて考えてもいない。
振り返ってみれば、それは生への執着だったのだろう。
俺は、右手の魔力を手袋の焦げた小さな穴から、剣の柄、そして折れた刃先へと一気に流す。
集中しすぎて、自分の右手しか見えていなかった。
すると、目の前で大口を開けた魔物がぴたりと止まった。
そして瞬間、一気に灰になってさらさらと崩れていった。
「……できた」
思わぬ出来事に自分でも驚いて、右手を見る。
握っていた柄は形を保っている。
どうやら、直接触れることなく魔物を灰にしたようだった。
穴の開いた手袋に助けられるとは思いもしなかった。
ほっとして、柄を手放した時だった。
心臓はドキドキと早鐘のようになっているけれど、それとはまた別の感じが右手を襲う。
ドクドクどころじゃない。
じりじりと燃えるように熱く、赤黒い光が右手を覆っていた。
……まずい。
これはちょっと……とんでもないことになりそうだ……。
左手でぐっと右手を押さえつけるけれど、右手は勝手にあちこちに掴みかかろうとしている。
「……っ!」
コントロールし、押さえつけていた反動なのか、満月のせいなのか……どうにもならないほどの力が右手に渦巻いている。
このままにしたら、全員灰にしてしまいそうだ。そして、俺の命もなくなる。
血が滲みそうなほどの力で右手を押さえつけるが、止まりそうもない。
「どうすればっ……!」
一瞬の油断から、魔力が手袋を突き破り、勝手に右手が辺りの大木を灰に変える。
「おいルカ!!」
「どうした!!?」
「来るな!!」
心配して駆け寄ろうとする同僚たちに悲鳴のような声を上げる。
一気に力を使おうとする右手に、意識がもうろうとしてくる。
その時だった。
ずんっと右手が一気に重くなり、体ごと鎮められた。
「悪い、遅くなった」
見ると、オーウェン様が俺を見下ろしていた。
「ごめんな。2体でかいのを討伐した今日のMVPなのに、この扱い」
彼はそう言いながら、しゃがみこむ。
「いえ……助かりました」
「お前、右手ほんとに使いこなしたんだな。なにあれ、直接触れてなかっただろ?」
「……色々あって……」
意識を手放しそうになりつつもそう答える。
「へぇ?まぁ、それは後でゆっくり聞くとして……」
「これ、今お前に結界貼ったんだけど、ここから出たらたぶんまた暴れだすぞ。その右腕。感覚わかる?」
「わかります……ここにいてもズクズクうずいてるんで」
俺の答えにオーウェン様が頷いた。
「本当に悪いんだけど、もう少し結界の濃度あげていい?」
「……はい?」
「大丈夫。死なない程度にするから」
彼がそういった瞬間、さらに右手が重くなった。
行き場のない魔力が、俺の中で暴れ始めているのがわかる。
「ごめんな、俺はお前の力を押さえつけることしかできない。外に出さないようにするのが精いっぱいなんだ。だから治療チームにあとは任せる」
「……おれの、気絶待ちってこと……ですね?」
「そういうこと」
「……怖すぎますけど」
「早く意識を手放した方が楽だと思うぜ」
「ほんと鬼……です、ね…」
純粋な疲労と、俺の内側で暴れる魔力の嵐に、俺の限界はとうに超えていた。
意識を手放す直前に見たのは、薄暗い夜の森を照らす、空にぽっかりと浮かんだ大きな満月だった。




