64. 特別な夜の始まり
クレアと別れ、医務室に一人座る。
渡されたクリームケースをしばらく眺めてから、そっと右胸の内ポケットにしまった。
『私のこと守ってくれなくても平気!だから、ルカもまずは自分のことを考えて!』
そんなことを言っていた。
守ってくれなくてもいいというけれど、俺が心のままに動いたら、きっと彼女を壊してしまう。
現に、右手は先ほどから変わらず、うずいているし、禍々しい力が渦巻いているのを感じる。
クレアを前にして、右手が勝手に魔力を上げたのもすぐわかった。
だいぶギリギリだったと思う。
けれど、自分の中で確実に何かが変わった。
『一緒に生きよう!』
クレアは確実に、俺のいる未来を見てくれている。
彼女を守るために遠ざけていた自分とは違い、共に乗り越えて行こうとしてくれていることに、やっと気づいた。
クレアを遠ざけるのではなく、呪いを遠ざけることが必要なのだ。
呪いは、いつの間にか未来を見る目も曇らせていたのかもしれない。
「お前の言いなりにはならない」
自分の右手に向かってつぶやく。
こんなに前向きな気持ちで満月を迎えるのは、初めてかもしれない。
窓から差し込む月の光の中で、俺はそっと目を閉じる。
右胸に入れたクリームケースにそっと触れながら。
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「お、出てきたな」
演習場に戻ると、すぐに声をかけられた。
長い髪を一つにまとめた天才魔術師が、俺を見ている。
ものすごい威圧感。
たぶん誰が見てもわかる。
彼から溢れ出る魔力が、空気を震わせているのだ。
満月に彼と討伐に出るのは初めてだけれど、こんなにも魔力が爆上がりする人間は初めて見た。
あまり近寄りたくないなと思っていると、彼はいつも通りの様子でニヤリと笑った。
「もっと悲痛な面持ちでの登場かと思ったぜ」
そう言って、ちらりと俺の右手を見る。
「……どうだ?」
「普段の満月と変わらないです」
「そうか。どちらかというと満月の割にはくすぶってる感じ。いつそれが暴走してもおかしくはないように俺には見える」
「よくわかりますね」
そう答える俺を見て、副団長は肩をすくめた。
「その割にはなんだか冷静というか、いつもよりもだいぶラフだな、お前。悲壮感がない」
「なんだかもう馬鹿馬鹿しくて」
言葉にしたとたん、笑いそうになった。
本当に、今までどうかしていたんじゃないかと思えたからだ。
そんな俺を、オーウェン様は物珍しそうに見る。
「へぇ?」
「うじうじ考えるの、面倒になってきたんです」
「いいね。俺もその考えに賛成」
オーウェン様は、ものすごく楽しそうに口元をゆがませる。
「この最悪な力を、今ならうまく乗りこなせそうな気がしてるんです。不思議と」
そう。そうなのだ。
拒絶をやめ、とりあえず受け入れてみることにしたとたん、嘘みたいに感覚が変わった。こればかりは説明のしようがないけれど。
「……もしそれが本当にできたなら、怖いもんなしだな。名実ともに黒髪の悪魔だ。何があった?」
「なんでしょうね?」
はぐらかすと、彼は一瞬俺を見てからふっと笑った。
彼には隠し事なんてできそうもない。
「まぁいいや。どうにもならなくなったら俺がなんとかするから、色々ためしてみな。お前を生きて帰すのが、今回の俺の役割だからな」
「……よろしくお願いします」
そう頭を下げると、彼はぽんと俺の肩をたたいて行ってしまった。
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その広い救護室はとても静かだった。
ベッドがざっと20台、治療道具や薬の箱が山積みになって部屋の片隅に置いてある。
騎士団付きの医師と看護師数名、そして薬局長であるフランツと巫女であるシャロンがこの広い救護室で待機していた。
「……この時間が一番静かで、一番落ち着きませんわね」
シャロンが静かに言った。
彼女の言葉を受け、騎士団付きの医師が書類を見ながら言う。
「今夜は魔術師団のオーウェン殿もご一緒とか? 英雄ルカ殿と共に行くとなれば、怪我人が出る前に終わる可能性もありますよね」
フランツが頷く。
「そうですね。このまま終わるのが一番いいのですが……ルカ君次第ですね」
彼の様子を見て、シャロンが立ち上がった。
「準備してまいりますわね」
彼女はそう言って、救護室の入口とは別の扉をあけるとその奥へと消えていった。
彼女の後を追うように、フランツも席を立つ。
彼らが入って行った扉の奥は、小さな部屋になっている。
ここはルカ専用の治療室だった。
万が一、呪いが暴走した際の被害を最小に抑えるために、彼はいつも隔離されている。
シャロンは持ち込んでいる様々な道具の中から小さな山型の香を取り出すと、祈りをささげて火をともす。
「最近のルカ様は数値が不安定でしたわね。今夜は空間の魔力浄化濃度を少し強めにしておきましょう」
香からゆるゆると煙が立ち上り、清らかな香りがふわりと漂い始める。
シャロンは目を閉じると、手を組み祈りの言葉を口にした。
彼女の指輪がきらりと輝き、ぱちんと光がはじけた瞬間、香も一緒に弾けてキラキラと部屋中に飛び散った。香りだけが残る。
「準備完了。多少強めの呪いもこの空間ならば抑えきることができるはずですわ」
「ありがとうございます。相変わらずお見事ですね」
フランツの言葉に、彼女はにこりと微笑んだ。
推しの言葉にその対応で済ませることができるのは、彼女が仕事中の時だけなのだった。
「クレアさんのポーションもありますし、生きて帰ってくればなんとかなりそうですね」
「そのためのオーウェン様というわけですわね?」
シャロンの言葉に、今度はフランツがにこりと頷くのだった。
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薬局に戻った私は、はーーっと息をついた。
ルカに会えた。
言いたいことを言った。
たぶんわかってもらえた。
クリームケースも渡せた。
今夜は満月。
持てる魔力が最大化する特別な夜。
きっとルカは大丈夫。
私は、私にできることをやろう。
調剤前に、あの手鏡型魔道具を取り出す。
深呼吸してから丁寧に魔力を流し込んでみる。
細い絹糸をそっと出し続けるように……
意識を集中していると、青から紫、そして少しずつ鏡が赤紫へと変わっていく。
このままいけば赤くなるかも?
そう思った瞬間、ふっと限界がきた。
「はぁ~~~。ダメかぁ」
でも、あの色は初めて見た。
オーウェン様の言う「満月補正」がかかっているのかもしれない。
ただの鏡となった魔道具を覗き込む。
見慣れた自分と目が合った。
「今の私ができる最高の薬を作る!」
鏡をしまうと、手を洗い、調剤セットを出すと、私はおくすりラムネを一粒食べる。
「よし!」
今夜は魔力が枯れるまでポーションを作る!
そう心に決めて、私は調剤を始めた。




