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59.【ルカ視点】余裕なんて全然ない

 〈これは、薬局長がルカの殺気に当てられる数時間前の出来事――〉



「なーなー。噂聞いた?俺たちの癒しの女神様の話」


「……誰がお前たちのだ。ふざけんな」


 反射的に出た俺の言葉に、一瞬しんとなる。


 ……やってしまった。


 どう取り繕うかと焦った瞬間、同僚たちが笑い出した。


「なんだよ、ルカ。お前もついに参戦?」


 うっかり本音を口に出してしまった俺を、楽しそうに見る彼ら。


「まぁお前はトーマ王子と俺らを挑発した張本人だからなー」

「怒る権利あるな」


 冗談として受け止めてくれる彼らに、ホッと胸をなでおろす。


「そうそう、女神様がさー、なんと昨日薬局でオーウェン副団長をデートに誘ったんだって」


「は!?マジで!?」


「嘘だろ。俺の女神……よりによってオーウェン副団長かよ……全てにおいて勝てねぇじゃん」


「地位も名誉も、容姿も才能もな」


「やめて。ほんと。っていうかその言葉、俺を貶めてない?」



 一気に体が冷えていく。

 周りの声も音もなくなった。


 しかし、右手だけが異常な熱を帯びていくのが分かった。

 重苦しい熱さがまとわりつき離れない。

 じりじりとした痛みが少しずつ大きくなり、俺は必死に鎮めようと右手を握る。


 それと同時に、先ほどの話が頭の中で響いた。


 ……クレアが?

 あの副団長を?


「ありえないだろ……」


 そうつぶやく。


「いや、それがマジみたいなんだよ。そのあとオーウェン副団長と一緒に薬局から出て行ったらしいぜ」


「うわーー、やめて!俺の女神を連れて行かないで……!」


「やべーじゃん。あの初々しさが汚されるとかマジでないわ……って痛っ!!ルカ!なんだよ!なんでいつも俺!?」


「でかい虫がいた」


「絶対嘘じゃん!叩くなら俺じゃなくてオーウェン副団長だろ!」


 叩けるもんなら叩いてる。

 っていうか軽々しく汚されるとか言うな、冗談じゃない。


「そういえばこないだも食堂に二人でいたもんなー」


「そうそう。なんか鏡みたいの2人で覗き込んでたし」


「……お前よく見てんな」


「だって俺の女神だから。って痛っ!!ルカ!!」


 どうしようもなく腹が立ったので、もう一度虫退治をしておいた。




 夕方、特別調剤を受けるため医務室へやってきた。

 まだ薬局長は来ていない。

 俺はいつもの椅子に座ると、ふぅっと息をついた。


 あの話を聞いてからずっと右手が熱い。

 指先はちりちりと燃えるようだし、手のひらがどうしようもなくうずくのだ。

 この黒く濁った力を少しでもどこかへ逃さないと、抑えきれないかもしれない。


 自分から突き放したくせに。

 クレアが何をしようと、彼女が誰と過ごそうと、俺には関係ないはずなのに、どうしようもなくイライラする。

 そう思えば思うほど、右手は黒い炎に包まれているかのように熱くうずくのだ。





「……オーウェン副団長だけはダメだろ……」


 思わず左手で顔を覆った。

 全然知らない奴ならまだいい。

 顔も名前も、存在すらも知らない奴だったなら。

 よりによって、俺の呪いを全て知っているあいつだなんて……。


「手を出すなって言ったよな」


 早いもん勝ちだと笑う奴の顔を思い出した瞬間、一気に感情が爆発した。





 その時、ドアがノックされ薬局長が入ってきた。


「こんにちは。お待たせしました」


 いつもの笑顔でやってきた彼だったが、部屋に足を踏み入れた途端表情をこわばらせた。

 そして、俺を見た瞬間に固まった。


「ルカ君……なにかありました?」

「いえ、別に」


 右手を抑えながらそう答えると、ゆっくりと部屋に入ってきた彼は苦笑しながら首を振った。


「そうですか……。いやでも……ちょっとこれは……尋常じゃないというか……部屋中殺気だらけですよ」


 そういうが早いか、彼は測定器をとりだすとすぐに数値を図り始めた。


「満月が近いからですかねぇ……右手、うずいてます?」

「……はい」


 ピピっという電子音が鳴り響き、数値を見た薬局長は息を飲んだ。


「あー、すごい。これは久しぶりに見る数値だなぁ。レッドゾーン越えてますね」


 彼はそう言って手早く測定器を取り外す。

 表情を見る限り、今回はかなりまずい数値をたたき出したらしい。


「ルカ君、もう少し抑えられますか?」


「これ以上は無理なんで、とりあえず外へ行ってその辺の木でも触ってきます」


「あぁ、ちょっと待ってください!景観も損なわれますし、お城の庭師達が悲しみます!!」


 その言葉に、立ち上がりかけた俺はもう一度座りなおす。

 木なら問題ないだろ、本当はあいつを触ってやりたいくらいなんだから。

 右手を抑えながら、そんなことを考えていた俺は、すごい顔をしていたらしい。


「ルカ君不満そうですね……この数値の原因に、お心当たりがあるんですか?」

「……」



 ありすぎる。

 うつむく俺に、彼は眼鏡を光らせて静かに言った。


「……クレアさんに会ってませんよね?」


「会ってないです。見てもいない」


「ですよね。じゃあどうしてこんなに……」


 そこまで言って、彼は俺を見る。


「もしかして……『あの噂』、聞きました?」


 その瞬間、クレアとオーウェン副団長の姿が思い浮かび、ぶわっと右手が熱くなった。

 ぐっと右手を握り締めたけれど、なかなか抑えきれない。

 左手で右手を押さえつける。

 刺繍入りの手袋がおかしな色に光り、今にも破れそうだ。


 勝手に暴走しようとする術者の意志に、心底腹が立つ。

 それを抑えきれない自分にはもっと腹が立つ。



 薬局長はすばやく立ち上がると、着ていた白衣を脱いだ。

 バサっと俺の右手に白衣をかぶせると、そのままぐるぐると巻き付けた。

 巫女の力がこもっているという白衣が、シュウシュウと右手の熱を抑え込んでゆく。


 右手を抑えたままほっとする俺と薬局長。


「……治まりました?」

「なんとか。……すみませんでした」


 俺の言葉に、彼はふぅっとため息をついて椅子に座った。



「……ルカ君。単なる噂です。あなたが心配することなんて一つもないんですよ?さっきクレアさんから聞きました。彼女も噂に困っていましたからねぇ。

『私が嫌なんです』ってはっきり言ってましたよ」


 クレアが嫌がってた?

 その言葉に、俺の胸の奥にあるドロドロとしたものが、少し小さくなった気がした。


 俺の様子を見て安堵の笑みを浮かべた薬局長は、鞄からポーションを取り出す。


「とりあえずどうぞ。これで落ち着けばいいんですけど」


 彼はポーションの蓋を開けてから俺に差し出した。

 左手で受け取ったポーションをそのまま飲む。

 白衣でぐるぐる巻きになった右手の熱が、どんどんと鎮静化されていくのがわかった。


「……これ、いつもと違いません?」

「え?クレアさんの調剤ですけど」

「……甘いけど……なんかちょっと濃い気がする……」


 瓶を見つめてみるが、見た目はなにも変わっていない。

 薬局長も瓶を見つめていたけれど、やがて穏やかに言った。


「クレアさん、あなたのために色々勉強してるんです。もしかしたら、その成果が少しずつ薬に現れているのかもしれませんね」


 その言葉に彼を見る。


「仕事の合間を縫って、魔力のコントロール訓練をしていたり、調剤中も色々なやり方を試しているようです。少し前まで落ちこんでいたようですが、今はもう平気みたいですよ」


 薬局長はじっと俺を見てから、優しく微笑んだ。


「というよりも、あなたのために前を向いたという感じですね」


「……俺のため?」


「確かにオーウェン様といることもありますが、全てあなたのためなんですよ。ルカ君」


「心配なのもわかります。でも、ちゃんと信じてあげてください。そして、彼女に向き合ってあげてください」


 クレアに向き合う……。

 心配だから近づかないように、見ないようにしていたけれど……。


「余計なことは考えず、今は呪いを解く同志として協力することはできませんか?」


「……できたら苦労しないですよね」


「ですよねぇ。わかってました。すみません」


 俺が何もできないせいで、周りをこんなにも困らせている。

 申し訳なさと、どうにもできない焦りが押し寄せてきた。


 クレアと協力して呪いを解く。それができたら一番いいに決まっているけれど……。


「もうダメなんです。物心ついた時から、彼女しかいなかったから……」


「確か、あなたはご両親を早くに亡くされたんでしたね」


「……姉であり、妹でもあり、幼馴染でもあったけど、そんなことはどうでもよくて、とにかく俺にはクレアしかいなかった。あの人がいなかったら、俺はきっと傲慢な人間になっていたと思います」




 両親を早くに亡くしたけれど、記憶にはまるで残っていない。

 だから、寂しいとか悲しいという気持ちも正直ほとんどなかった。

 家族ってどういうものかな?とたまに思うことはあったけれど、憧れという感じはほとんどなかった。


 しかし、俺が置かれた環境の不幸さと、金髪緑目という見た目も相まって、俺を可愛がってくれる人は多かった。男も女も、子どもも大人も。

 小さいころはニコニコしていれば、お菓子やお小遣いをくれる大人も多かった。


 本当のことを言えば、あの頃からだいたいのことはやればできたし、人が何を求めているのかもなんとなくわかっていた。


 でも、愛想よくしていれば誰かが助けてくれる、そう思いかけていた頃だった。


「ルカ。自分でできることは自分でやらないとダメだよ。やってもらうのってずるいと思う」


 クレアがばしりとそう言った。たぶんまだ俺が4歳くらいの時だ。


「本当はちゃんとできるの知ってるんだよ。だから一緒にがんばろう」


 クレアは、見た目だけでちやほやしてくる人とは違って、俺の中身を見てくれていた。俺の前でも自然体だったし、誰に対しても平等だった。


 その日から、俺はクレアに褒められたくて、自分でできることはきちんとやる、ということを意識するようになった。


「ルカすごい!これも自分でやったの!?私よりも上手だね!!私の方がお姉さんなのに」


 本当に心の底から褒めてくれる彼女。

 嬉しくて、彼女の笑顔が可愛らしくて、すごくドキドキした。


 たぶんあの日からだ。

 俺の中でクレアは普通とは違う。幼馴染とか、そういうものではないと意識したのは。


 俺がずるい人間にならずにすんだのは、クレアのおかげだ。



「クレアを失いたくないんです……誰かに取られるのも嫌だけど、自分が手にかけてしまったらと思うと……どうしたらいいんだろう」


 しんと静まり返る医務室。


「ルカ君。満月が迫っている今は、とにかく気持ちを一定に保つことが大切です。彼女のことはいったん忘れて、目の前のことだけに集中しましょう。

 あなた、もうすぐ討伐に出るんですよね?」


「……はい」


「でしたら、それだけを考えましょう。満月の英雄として討伐に出るとは思いますが、できればその右手を使わずに戻ってきてもらいたいですね。

 先ほどの異常な高さの数値を魔物にぶつけたら、あなたの命も一緒に削れてしまいます」


「わかりました。なるべく使わないようにします」


「満月を越えれば少し楽になるはずです。今後のことはその時に考えましょう」


「……はい」


 薬局長は静かに頷くと、俺の右手をぐるぐる巻きにしていた白衣をほどく。

 手袋はボロボロに破れており、暴走しかけた呪いの力の大きさにわれながら驚く。

 こんなことは今までになかった。


「ルカ君。予備の手袋、ありますか?」

「持ってます」


 内ポケットから予備を出すとそれをはめる。

 すると隣から「あっ!」という声がした。

 見ると、白衣を広げた薬局長が目を丸くしていた。


「……穴、あきました」


 白衣のあちこちに穴が開いている。

 黒こげになっている場所もあった。


「すみません……」


「この仕事、割と長いんですけど、命の危険を感じたのは初めてです」


「……本当にすみません」


「大丈夫です。僕も予備の白衣は持っているんで」


 頭を下げることしかできない自分に、彼はいつも通りの笑顔を浮かべるのだった。

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