19. 冷たいくせに、優しく触れないで
その日の夜。
もうすぐ閉店という時間に薬局長が言った。
「クレアさん、申し訳ないのですがたった今呼び出しが入りまして、僕はちょっと抜けます。
もうお客様は来ないでしょうし、あとは閉店作業だけですので、終わったらあがっていいですよ」
「わかりました」
一人になった広い薬局のカウンター。
一気に気が抜けて、はーっとため息が出た。
「……なんだか仕事が忙しすぎて、呪いをとくどころじゃないかも……」
これは誤算だった。
ルカの呪いについて、もう少しあちこちで情報を探ってみたり、図書館で調べ物ができるとか思ってしまっていたけれど、これはだいぶ難しいかもしれない。
そして、肝心のルカにも全く会えていない。
今日の昼間、在庫管理へ行った時にルカに会えることをちょっと期待したんだけど、演習場から出ていく騎士団員を数名見かけただけだった。(迫力があって怖かったので、よく見てない)
私が日々会うのは、薬局長と先輩たちとお客さんだけ。
薬局には騎士団の人もわりと来るけれど、ルカは一度も姿を見せなかった。
休日は城内に入ることもできないし……
「あぁ……どうしたらいいんだろ?」
仕事も遅いって叱られちゃうし、薬局長には気を遣わせちゃうし、ルカには会えないし……。
慣れない環境と、気持ちの焦りや色々な思いがぐちゃまぜになり、ぽろりと涙が零れ落ちた。
うわ、なんで?
精神的に来てるのかも。
涙をぬぐった時だった。
薬局の扉が開き、一人のお客様が入ってきた。
まさか閉店ぎりぎりに!?
まずい、泣いてるの見られたら不審に思われる!
わたわたしながらハンカチを探していると、目の前に影が落ちる。
「……泣いてるの?」
その声にどきりと鼓動が跳ねる。
見上げると、ルカがまっすぐにこちらを見ていた。
眉根を寄せている彼の方が、泣きそうな顔をしている。
「……る、ルカ。なんで……」
「眼鏡の人を呼びに来た」
「薬局長なら今用事があるって出て行ったけど……」
「え……」
私の言葉にルカが一瞬顔をしかめる。
迎えに来いって言ったのはあの人なのに……とつぶやく声が聞こえた。
「薬、買うわけじゃないのね?」
「……うん。俺も行かないと」
そう言って彼は歩き出す。
あぁ、そうだよね。
今のルカは私に用はないよね。
「接点をなくしたい」ってそう言われていたし、わかってはいたけれど……。
こうもそっけなくされると、さすがに堪えられそうもない。
ここに来てから、彼に無視され続けてきた辛さが一気に押し寄せる。
うつむいてぎゅっと目をつぶった時だった。
「辛いことがあった?」
先ほどよりも、さらに近くから声が降ってくる。
目を開けると、自分の足もとのすぐそばに、黒いブーツが見えた。
……ルカだよね?
こんなにそばまで来てるってこと?
驚きと緊張で顔を上げることができない。
固まったように動けず、私はじっとその足元を見つめる。
「がらりと環境が変わったのに、今まで通りにするなんて無理だよ」
声のトーンに、あの頃のような優しさを感じてしまう。
なので、私はつい本音を漏らす。
「ほんとだね。もう少しできると思ってた自分が甘かったみたい……」
声が震えてしまうのを、必死にこらえる。
すると、ルカが身をかがめて私の顔を覗き込んでくる。
心配そうにこちらを見る黒い瞳と目が合った。
泣きそうになって、思わずうつむく。
「私、ルカの呪いを解くって言ったのに……そのためにここに来たのに……まだ何もできてないの……ごめんね」
「!」
私の言葉にルカが息をのんだ。
そして低い声で、私に言い聞かせるように話す。
「クレアは何もしなくていい。辛い思いをしてまで、こんなところにいる必要はないんだ」
どうしてそんなことを言うんだろう。
私がつらいのは、環境が変わったからなんかじゃないのに。
「……つらいのは、ルカが冷たいことだよ。
……そして、こうやって結局気にかけてくれるのがずるくて嫌だ」
泣いてしまいそうで、ルカの顔は見られない。
「はっきり言うね」
私の言葉に、ルカは苦笑したようだった。
「俺も。こっちが頼んでるのに、忘れさせてくれないクレアが嫌だ」
そう言って私の頭をぽんと撫でる。
え、と思い顔を上げると、左手で私の頭を撫でるルカが目に映った。
「左手なら触れるって思った?違うよ。つい抱きしめてしまいそうになって怖いんだ。だから本当は触らない方がいいんだけど……」
そう言いながら、私の頭から頬へと左手を滑らせていく。
息がとまる。
ドキドキと心臓が痛いほどに早く胸を打つ。
指先が冷たくなる感覚。
黒い瞳のルカが、じっと伺うように私を見ていたけれど、そっと左手が離れていった。
「わからないよね。こんなの」
右手を切り落とせばいいのかもしれないね、と小さくつぶやいた彼は、右手をぐっと握りしめる。刺繍された部分が赤黒く光ってみえた。
「いやだ……そんなこと言わないでよ。絶対治すから」
「……いいんだ。なにもしないで。クレアは何も知らなくていいから」
彼はそう言ってそっと立ち上がると、コツコツと薬局を出て行った。
ぐちゃぐちゃになった感情を抑えきれず、涙がボロボロと出てくるのを止めることができなかった。




