1 怒りと責任
吉凶の社長室で、万屋は報告書を閲覧していた。
物音一つない室内に、ページをめくる紙の音だけが等間隔で響いている。
六月六日。ついに、計画が始動した。昂大の命を狙って現れた、アルフレド・シュトラと名乗る男。そして繰り広げられたのは、臨起と呼ばれる力を使った殺し合いだった。
「アルフレド、シュトラ……か」
報告書の中の一枚、シュトラに関する情報には、空白が目立っている。
光を纏った天使のような男は、新田川高校の中に別の空間を形成すると、圧倒的な力で石川を追い詰めた。
張り詰めた緊張感を砕くように、万屋は紅茶の入ったカップを机に置いた。
万屋は報告書を机に投げ、椅子の背に体重を乗せる。
いつもと同じ、毅然とした表情だったが、その中には深い憂いがあった。
「……どこまで知っていたんですか」
万屋は目の前の応対用ソファに腰かけている雪を一瞥する。雪は疲れ切った表情で万屋を睨んでいた。
「どういう意味だ」
「計画って何ですか? 〈蒼花幻想機関〉は何をしようとしているんですか? あの男は誰なんですか!?」
雪の声は次第に大きくなっていく。
「アルフレド・シュトラは、〈蒼花幻想機関〉第七席に属する、言わば選定人だ」
「選定……? 何を選定するっていうんですか? 雅治さんを……殺すことが選定?」
雪は立ち上がると、万屋に詰め寄った。雪の瞳を見つめ続ける万屋からは、一切の感情が読み取れない。
睨み合いののち、万屋は雪を諭す。
「少し落ち着け」
「落ち着けるわけ……ない。だって、雅治さんが……許さない。絶対に」
「雅治は、立派に努めを果たした。これ以上騒ぐな」
「第七席ってどこのどいつなんですか」
「……」
「知ってるんでしょ。知らないはずないですよね。だって、吉凶は第五席ですもんね。同格なんだし、知らないはずないじゃないですか」
雪は万屋のデスクに両手を叩きつける。
万屋は小さくため息を吐き、呆れたように続ける。
「雪。誰が治めていようと関係ない。計画は動き続ける」
「じゃあそのトップを殺せば計画は止まりますね。そうすれば、もう誰も襲って来なくなる。殺しますよ。今すぐに奴らの喉元を噛みちぎって殺してやる!」
「雪。気持ちはわかる。私の考えが甘かった。全ての責任は私にある」
「ッ!!」
雪の怒りは収まるどころか、さらに激しさを増していく。
「甘かった? ふざけないでください! 万屋さんが完璧じゃなかったら、ついていく私たちは犬死するんですよ? 貴方の言葉を信じて、貴方の言葉にしか従わない昂大君は、貴方が死ねと言ったら笑顔で死ぬんですよ!? その意味……わかってて甘かったとか言ってるんですか!?」
雪は万屋の胸元を掴んだ。しかし、顔色一つ変えずに押し黙るだけの万屋を見て、雪は一歩だけ後退する。
「……私、雅治さんを、殺したんです。シュトラって人に一切攻撃すらできなかったのに。何の役にも立てなかった。私の力は、臨起を持つ人に効きにくいみたいなんです。雅治さんのほうが絶対に役に立ったのに。昂大君を守れたのに……」
万屋は抵抗せずに雪を見据える。雪の震える呼吸の音だけが、万屋の意識に響いていた。
「……新田川高校の地下、何かあるんですよね? この間手に入れたデータの解析、終わってるんですよね?」
「まだだ」
「なら……他の先生たちを脅して地下の入り口を暴きます。私、やりますよ。私が臨起を使って先生たちを操りますから」
「もういい……やめろ」
「私が役に立つのは、それくらいしかないんです。私が全部殺します。私が昂大君の代わりにたくさん殺します。だから! もう二度と昂大君に人殺しをするなって言ってください……!」
「やめろと言っているのがわからないのか」
万屋は、恐ろしいまでの殺気を雪にぶつける――――――。
雪は言葉が詰まり、緊張に支配された。まるで大きな死の塊そのものに、首を掴まれているようだった。
「雪。少し休め。仕事はもうしなくていい。昂大と共に学園生活を送るんだ。いいな」
「は……なんで……そうだ。あの刑事は? 雅治さんが言ってた、あの刑事はどうなるんですか?」
「刑事は第一席が対処する。問題ない」
「ッ……」
万屋は乱れたシャツとスーツを正し、窓の方を見ると、雪に背を向けた。
――――――だめだ。ここで引き下がってはならない。
引き下がってしまえば、昂大を助けることができなくなってしまう。
雪は震える声で小さく告げる。
「昂大君、もう三日も学校に来てないんです」
「……」
「シュトラって人を殺したあと、雅治さんの前でずっと泣いてて。私は何もできなかった。声をかけることもできなかった」
万屋は小さくため息を吐いて、顔を半分だけ振り向かせる。
「雅治さんを殺したのは私です。だから、昂大君を守り通す責任がある。絶対に、守らなきゃいけない。だから、もう、計画とか、貴方の言ってることとか……聞きません」
震える雪の声が、室内に溶けて消えていく。しかし万屋は、雪を見ることなくはっきりと返す。
「そうか。ならば好きにしろ」
「……え」
「お前の責任など、私は知らん。好きなように、勝手にするがいい」
万屋はそう言い残し、素早く社長室を後にする。
一人残された雪は、茫然と立ち尽くしていた。
「……ち、違う。私は」
雪は口元を押さえて蹲った。
言ってはいけなかった。万屋に一番言われたくない言葉を言われてしまった。
言ってしまった言葉を後悔している自分と、それを否定したい自分がせめぎ合っている。
辛い――――――辛さなど感じてはならないのに。心が悲鳴を上げていた。
「私……馬鹿だ……」
――――――存在理由を求めているのは、雪自身だった。




