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蒼境の子羊《メシア》たち  作者: くろ飛行機
6章 光より来たる
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8 炎が全てを燃やした日 ~火を投ずる者~


 どうでもいい過去。消し去りたい過去。消えない、過去――――――。


 僕は最悪の家庭で育った。

 狭くて汚い木造のアパート。物が大量に散らかっていて窮屈だった。

 母親は狭い部屋に大きな化粧台と鏡を置いて、いつも綺麗に身支度をしていた。

 母は十八の時に僕を生んだ。未成年でありながら、違法な店で働かされていた風俗嬢だった。美しい容姿と愛嬌の良さで、月に何百万も稼いでいたらしい。


「行ってくるね、(みやび)


 母は僕のことを(みやび)、と呼んだ。僕を見る目は、母親が子どもを見る目ではなかった。

 母は僕ではない誰かを見ていた。僕ではない、愛する誰かをずっと見ていた――――――。


「雅。好きだよ」


「雅は本当に、かわいいね」


「私の愛する雅……」


 僕は母親に合わせた。心のどこかで拒絶していても、母のために笑ってみせた。母の求める雅を演じ続けた。でもそれは、長く続かなかった。

 ある日、家に父親と名乗る男がやってきて、一緒に住むようになった。

 父は落ちぶれた元ホストだった。ホスト時代は何度もナンバーワンに輝いた凄腕のホストだったらしい。

 父は酒と煙草と女に溺れ、働かずに母の金でギャンブルばかりしていた。でも母は、父が家に来てから活力が増したように元気になった。その代わり、僕に一切見向きもしなくなった。


 それから僕は、両親の小間使いになった。何か気に入らないことがあると癇癪を起して僕を殴る父を、母はうっとりと見つめていた。僕は何でもした。買い物、家事、雑用。すべて指示通りこなした。それでも母は僕を見てくれなかった。

 父は、母以上に煙草臭のきつい男だった。酒を飲むと僕の服を脱がせ、体に煙草を押しあてた。


「いいか雅治。お前の名前は、オレのホスト時代の名前から取られてる。オレのために生まれたガキなんだとよ。オレとの絆を断ち切られないように、あの女が無理やり生んだ、オレのための首輪なんだ」

「え」


 ある日父がそう言った。母の店から高いシャンパンをもらってきて、それを飲んでいた時だった。


「だからオレは、利用してやることにしたんだ。お前の母親は、オレにとっての都合のいい駒でしかないんだ。あいつはオレの駒でしかないバカな女(・・・・)なんだよ」


 ――――――僕の心の中の何かが、ガラガラと音を立てて壊れた。

 僕は母が好きだった。生まれてから父が来るまでずっと、母は僕に笑顔を向けてくれていた。

 でも母は父が好きなのだ。好きで好きでたまらないのだ。父のために生きていると言っても過言ではない。

 なのに――――――この男は、母を貶めた。


「だからよぉ雅治。お前もせいぜいオレのために尽くせよ? あのバカ女がre:born(ヤク)で死んだらさ、お前が代わりをしなきゃなんねえんだからよ」


 そう言って隣の部屋に行った父は、激しく母と愛し合った。

 いつも扉を開いて、あえて僕に見せつけるようにしていた。

 嫌だった。それがどういう行為なのか、当時の僕はわからなかったが、気持ち悪くて仕方なかった。心の底から嫌悪していた。


 それなのに、母は死ぬほど嬉しそうだった。


 ――――――気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。


 母は水商売で稼いだ金を父に貢ぐ。欲を満たしてくれる。愛をくれる。そう思い込んでいるだけの馬鹿な女だった。父にとっては死ぬほど都合のいい存在だったことだろう。


 許せなかった。

 母を守らなくてはならない。あの男から母を守らなければならない。母を取り戻さなければならない。

 僕は、母に振り向いてほしかった。もう一度、笑いかけて欲しかった。嘘でもいい。父親の代わりでもいい。僕ではない(だれか)になってもいい。

 父親がいなければ、もう一度振り向いてくれると思った。雅を治める(・・・・・)ための道具ではなく―――雅の鏡写しではなく、本物になりたかった。


 いつものように酔いつぶれていたところを、父親が大切に取っていた酒の瓶で殴って殺した。まだ息があったから、吸殻だらけのガラスの灰皿で何度も殴った。

 父はとてもあっけなく死んだ。

 しばらくして母が帰ってきた。僕は母に泣いて縋った。父親が殺そうとしてきたから殴り返したら死んだと言った。そしたら母は、父の死体の前で崩れ落ちた。


 そして――――――にっこりと笑って、「ご飯、買ってきて」と言った。


 嬉しかった。やっと、僕を、見てくれたのだ。


 弁当を買ってくると、母は首を吊って死んでいた。

 床に酒を撒き、煙草で火を付けたらしい。炎が、部屋中を焼いていた。


 ――――――炎が、すべてを消していく。

 辛い日々も、憎い父親も、そして大好きな母も消えていく。


 母は結局、最初から最後まで自分を見てくれなかった。

 でも炎は、僕の犯行を消し去った。

 なぜ最後に、母は火を放ったのだろう。なぜ最後に、すべてを消そうとしたのだろう。


 僕にはわからない。

 ただ僕は――――――本物(・・)になれる機会を、永遠に失ってしまった。

 茫然と、炎を見続けていた。


「なんて……心底、気持ち悪いんだろう」



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