4 何で負けたか、明日まで考えといてください
――――――キーンコーンカーンコーン。
「ふああ……眠んむ……」
台風は消え去り、梅雨の足音が聞こえてくる五月の暮れ。
曇天の空の下、昼休みを告げるチャイムと共に、楠木将人は大きなあくびをした。
「あーだる。放課後生徒会ある日やん……今からサボって帰ろかなぁ」
「生徒会だけサボればええやんか」
「だって午後から数学と化学基礎あるやん? 理系のオンパレード、眠むなるて。体育がええわ」
「あ、化学基礎小テストやったっけ今日」
将人と話しているのは、女子生徒の湊川桜だ。将人は渋い顔で化学基礎のテキストを開く。
「桜もサボれば? カラオケでも行く?」
「行かへんわ。何でアンタと二人でカラオケ行かなあかんねん」
桜に断られ、将人はシャープペンシルをくるくる回しながらもう一度あくびをした。
「おーい将人。“デコピンじゃんけん”やろうぜー」
すると、遠くのほうで将人を呼ぶ声がする。
「お。ええなぁ、やろか」
「何? デコピンじゃんけんって」
「知らんの? 古の時代からある、おもろい遊びやで」
呆れる桜をよそに、将人は呼ばれた方へ向かっていく。
「アンタ、帰ったら承知せんで。わかってる?」
「わかってるわかってるって。そんなことより……昂大くんもやろうや」
「……へ?」
将人は呼ばれた方へ行く前に、ぼんやりと外を見つめていた昂大の腕を掴んだ。
「好きな人に思いを馳せるのはええけど、現実見よか」
「え、は!? 好きな人!?」
「はーい。沖田君電撃参戦しまーす」
将人は、ゆかいな仲間たちの元へ昂大を引っ張っていく。
デコピンじゃんけんとは、クラスの一部で流行っているよくわからない遊びである。負けた者は勝った者たちから額にデコピンをされる、というそれだけの遊びなのだが、ここ数週間妙に盛り上がっていた。
昂大もよく遠くから眺めているので知っていたが、何が楽しいのかさっぱりわからなかった。
「ほな行くぞ。デコピンじゃんけんじゃんけんポン」
「ぽん」
将人がグーで、昂大がチョキ。
「はい、おれの勝ち。何で負けたか、明日まで考えといてください」
「あっはっは!! 将人アホやろ。そのネタいつの時代やねん。じいさんか」
「古のネットミームやんけ! ネタが通じひん奴やな」
将人と愉快な仲間たちは、ゲラゲラ笑い合っている。
「じゃんけんに負けた理由とかあるのか? 考えられねえけど……」
「昂大もネットミームわからん?」
「痛って」
びしっとデコピンをされて、昂大は額に手を当てる。
「二回戦やろか。はい。じゃんけんぽん」
「ぽん」
将人がグーで、昂大がチョキ。
「また俺の勝ちやんけ。コーラちょうだい。コーラ」
将人に再度デコピンを決められ、愉快な仲間たちはまたゲラゲラと笑う。
こうしてしばらくの間、昂大は昨日からの考え事を忘れられた。
ジーンと痛む額が、少しだけあったかく感じられる。
「てなわけで」
「何だよ」
「この間から何考えてんねん。ぼーっとして」
昼休み終了直前に、将人は昂大の前の席に座り、そう切り出した。でこぴんじゃんけんは昂大が負けすぎて、いい加減額が赤く腫れあがってしまう、ということでお開きとなっていた。
「俺な、こう見えても悩んでる人の顔くらい判別できんねんで。ほら何でも話してみ。敗者やから語る義務あるやろ」
「優しいのか強引に喋らせたいのかどっちなんだよ」
昂大はそう言いつつも、将人が声をかけてくれたことを喜んでいた。
とはいえ、雪のことを考えています、などとストレートに悩みを言うわけにはいかない。どう言ったら良いのか、きちんと考えながら発言する必要がある。
「……ちょっと、悩んでる人がいてさ」
「それ、お前のことちゃうん?」
「いや違う。多分その人は……おれなんかよりもずっと悩んでる」
昂大は、空いた雪の席を一瞥する。雪は学校には来ているが、空気に溶けるように過ごしており、あれから口を利いていなかった。
「ふーん。つまりお前は、自分のことじゃなくて、他人のことを考えてるってこと?」
「まあ、そうなるかな……」
将人は腕を組み、何かを考えたのち、
「痛って!」
再び昂大の額にデコピンをかます。
「何すんだよ」
「どんなこと考えてんのか知らんけど、それ意味あるか?」
「えっ」
将人はニヤリと笑って席を立つ。
ちょうどチャイムが鳴り、昼からの授業が始まる時間となる。
「他人のために他人が悩むって、あんまりええことないと思うで」
将人はそう言って自席に戻ろうとする。その前に、思い出したように昂大の耳元に近づくと、
「部活終わったらさ、ちょっと時間ある?」
と言った。昂大はこくりと頷くと、
「ほな、放課後正門で」
と言い残して去って行った。




