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蒼境の子羊《メシア》たち  作者: くろ飛行機
5章 自己否定《レーゾンデートル》
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幕間 君は、この世界が好きか?


 ザア――――――。


 黒い雲に覆われた空から、バケツをひっくり返したような雨が降り注ぐ。


 吉凶のオフィスがある街―――夜都町から新田川市へ帰るために、昂大は屋根のあるバス停でバスを待っていた。

 時刻表に書かれた時間になっても来ず、待ちぼうけの状態が続いている。


『季節外れの台風3号は、依然として強い勢力を保ったまま北東方向へ進んでいます。そのため、近畿地方全域にて大雨暴風警報が発令されています。河川や山の状況にご注意いただき、土砂災害に最大限警戒してください』


 昂大はイヤホンを付け、携帯で台風の情報を眺めていた。

 台風が来ることは前日からわかっていた。直撃するかどうかはわからなかったが、思い立ってすぐに吉凶のオフィスに来たのは、翌日動けなくなるかもしれないと思ったからである。


「……やっぱオフィスにいればよかったかな」


 ベッドで寝てしまい、朝になるとオフィスには誰もいなくなっていた。

 薄暗くひんやりとしたコンクリートの気配に耐え切れず、新田川市に帰ることにしたものの、この雨で足止めを食らっている。


 昂大はイヤホンを外す。

 ――――――雨音以外、何も聞こえない。

 どこかでカエルが鳴いているような気もする。視界は白く、遠くの街はずれに田んぼがあるのが見えるだけであった。


 不意に、ぬかるんだ地面を走る足音が聞こえてくる。

 それはだんだんこちらに近づいてきており、次第に水を蹴る音が大きくなっていた。


「ふう……流石にヤバい雨だったな」


 からっとした声と共に、作業着姿の若い男性がバス停の中に入って来た。

 昂大はその男性にくぎ付けになる。白い肌に黄金色の瞳、少し癖のある短髪は、瞳と同じく金色だった。外国人だ。珍しい―――と思った時には、凝視してしまっていた。

 昂大の視線に気づいた男性は、ニカッと笑って昂大を見る。


「いきなり驚かせちゃったな。すまない」

「あ……いえ」


 昂大が視線を逸らしたのを見て、男性はびしょ濡れになった自分の状況を顧みる。


「いやぁ。ちょっとだけって思って畑に行ったんだが、ついつい作業してしまった。君はバスに乗って帰るのか?」

「あ、はい。バス来なくって」

「バスは今日、運休らしいぞ」

「えっ」


 昂大がわかりやすく狼狽えたので、男性は思わず吹き出してしまった。


「今朝のニュースでやってた。終日運休なんだと」

「そんな……帰れないじゃん」


 男性はびしょ濡れの作業着を脱いで、白シャツ一枚になると、勝手に服を干し始めた。

 男性の体は随分と鍛えられているようで、自然と腕の筋肉に視線が引っ張られる。


「つまり、ここには誰も来ないから、服も干し放題だ!」

「今日ずっとここにいるつもりですか?」

「そんなことはないさ。晴れれば自分の足で帰るつもりだ」


 終日運休という状況下で、随分と能天気なことを言う――――――そんなことよりも、これからどうするかを考える必要がある。


「家は近いのか?」

「……それなりに遠いですね。歩いたら数時間はかかります」

「そっか。なら、この雨じゃきついな」

「……戻ろっかな」

「家出でもしたのか?」

「なんでそんなこと……」

「顔に書いてあるぞ」


 男性は昂大の前の席に座り、昂大の顔を見てほほ笑んだ。

 不思議な雰囲気だ――――――昨今、街中で見ることのない外国人を見たからそう思うのだろうか。


「あなたは、その……」

「ああ。俺が外国人だから驚いてるのか。それとも、イケメンだからか?」

「……人の心を読むのが好きなんですか?」

「おっと、俺の悪い癖が出てしまった。知りたいと思った相手に対して、無意識に心を推し量ってしまうのさ。なにせ、人間の心は複雑怪奇で繊細だからな」

「……?」


 男性は頭を下げる。昂大は余計に混乱して、小さなため息を吐いてしまった。

 とはいえ、沈黙が続けば、鬱屈な雨音に意識が沈んでしまいそうだ。昂大は男性に質問をする。


「近くに住んでいるんですか?」

「いいや。まったく。畑は秘密の趣味なんだ。俺の知り合いは誰も知らない」

「そうですか……」

「俺はダグラス。君の名前は?」

「……沖田昂大です」

「そうか! 昂大と言うのか。いい名前(・・・・)だ」

「その、ダグラス、さんは……ずっと日本に住んでるんですか?」

「ずっと、というわけではないが、この国が好きで、最近は居憑いてしまったな」

「日本語、上手いなって思って……」

「俺は世界中を飛び回る仕事をしているから、言語には気を使っているんだ。なんてったって、言葉は相手を知るために必要不可欠だからな。コミュニケーションは、年々大切になっていると思う」


 昂大は呆気にとられ、押し黙ってしまった。

 自分はあまりコミュニケーションが得意ではないため、ダグラスが眩しく見える。


「なあ。君は、この世界が好きか?」

「えっ」

「この世界が好きか? それとも嫌いか?」

「……」


 突然の意味不明な質問に、昂大は首を傾げる。


「俺たちの目に見える世界は、人それぞれ見え方が違う。ある人にとってはユートピアでも、ある人にとっては地獄のように見えることだってある。世界は、歩んでいる人間一人一人にとって、捉え方が違うんだ」


 ――――――世界の捉え方について。

 そんなこと考えたこともなかった。

 今見えているのは、雨が降って真っ白になっている世界だけだ。世界はどうしようもないもので、自分の捉え方で好き嫌いを論じることなど、できそうにもないと思った。


 昂大が俯いたのを見て、ダグラスは膝を叩いて立ち上がった。


「俺は、この世界が好きだ。人が好きだ。どれだけ醜くても、穢れていても、無限の可能性に満ちている。俺はその可能性をいつまでも信じている」


 ダグラスは屋根のある場所から、外へ向かって進んでいく。

 外は相変わらず強い雨が降っていた。昂大も自然と立ち上がり、ダグラスの後を追った。


「昂大。俺と君が偶然出会ったのも、そんな可能性の一つだと、俺は思う」


 ダグラスはニカッと笑い、昂大を見据える。そして天に向かって両手を広げた。


「うおーーーーーっ!! きっと晴れる! 辛いことも一緒に!」


 ダグラスが叫ぶと、僅かに雨脚が弱くなったような気がした。


「ほら。君も叫べ! 叫んだら、心の中にあるモヤモヤだって晴れるかもしれない」

「……」

「晴れろーーー!!」


 若いとはいえ、大きな大人が子どものように叫んでいる光景は、はっきり言って歪だ。

 だが、昂大はその行動を軽視できなかった。ダグラスは終始、昂大の心を見透かしたような物言いをする。心の中にあるモヤモヤと言われれば、少しだけ心臓が跳ねた。モヤモヤは間違いなく、この天気と同じくらい鬱屈なものだろう。

 昂大は緊張が解けたように呆れ笑いを浮かべ、ダグラスの横に並ぶ。


「……晴れろ」

「いいな! だが、声が小さい!!」

「は、晴れろー!」

「もっと!!」

「晴れろ!!」


 腹の底から声を出すと、心に閊えていた鬱屈さが、少しだけ晴れたような気がする。

 自然と零れた笑みのまま、昂大は再び叫んだ。


 晴れろ、と。


「やっぱり、君は……」

「えっ?」


 雨が弱まっていく――――――。

 雨粒が次第に霧状に変わり、黒くて重い雲が、白い光に包まれていく。


「うおおおおっ!! 晴れたーー!」


 太陽の光がバス停に降り注いだ。

 昂大は呆気にとられたまま、美しい光を仰ぎ見る――――――雲の間から見えた青空は、本当に美しかった。


「ほ、本当に晴れた……」

「なっ? 世界は面白いだろ?」


 ダグラスは、まだ湿っている作業着を抱えると、明るくなった世界に向けて歩き始めた。


「実は予定が詰まってたんだ。台風のせいにして欠席しようと思ってたんだが」


 ダグラスはひらひらと手を振り、どこかへ去って行った。


「ちょ、ちょっと待って……」

「大丈夫。また会える。次に会えたら、質問の答えを聞かせてくれ」


 ダグラスは半分だけ振り返り、ニカッと笑った。


「俺の秘密の趣味を知っているのは、君だけだからな、昂大」


 昂大は、遠くなっていくダグラスの背中を、見えなくなるまでずっと見つめていた。


「……何者なんだろう」


 昂大はふと、手のひらを見つめる。

 太陽の光に照らされた自分の掌は、いつもより少しだけ力強く見えた。



ニカッと笑うのは、ふーがくんだけの特権だと思っていたのはちょっとした気づき(笑)

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