3 でもやっぱ、|臨起のせい《・・・・・》だったんですかね
ワンルームのボロアパートに帰宅した昂大は、糸の切れた人形のように布団に倒れた。
夕飯時であるにも関わらず、辺りは静まり返っており、物音一つ聞こえなかった。
(……わかんないや)
昼からずっと、雪の叫びが頭から離れなかった。
やはり雪は、自分のことを認めてくれないのだろうか。臨起の力というのも、まったく心当たりがないし、聞いてもよくわからない。
――――――だから雪は、自分を嫌うのだろうか。
「……」
疲れた――――――倒れたまま動けない。
天井を眺めていた昂大は、大きな腹の虫に促されてようやく立ち上がることができた。
キッチンにある冷蔵庫を開けるが、食材はほとんど入っていない。
「……めんどくせ」
部屋にある可愛い羊の置時計が、二十一時半すぎを示している。どうやら、二時間近く天井を眺めていたらしい。昂大はため息をついて紺色のパーカーに着替えると、カバンだけ持って家を出た。
明日は休日だが、練習は休みだった。それなら、この機会に行きたい場所がある。ついでに、腹も満たせるし――――――。
昂大は新田川駅からバスに乗ると、吉凶のオフィスがある街、夜都町へと向かった。
= = = = = =
オフィスビルの最上階にある暗い社長室で、昂大は万屋の帰りを待っていた。
万屋がオフィスに戻って来たのは二十三時過ぎだったが、それまで昂大は、オフィスの冷蔵庫の食材を頬張っていた。
「……帰って来たのか」
「……遅くなら、万屋さんいると思って」
「ホームシックか?」
「ち、違う……違う……と思います」
万屋は呆れたように笑うと、皺一つないえんじ色のジャケットをハンガーにかける。
「ここは食堂じゃないぞ」
「家に何にもなかったんで」
「だから帰って来たのか」
「ま、まあ……それもあります」
万屋は、社長室の棚に置かれていた美しいアラベスク模様のティーカップに、紅茶を注いでいく。淹れ終わったカップを、昂大の前に置いた。
「飯、作るのは面倒か」
「は、はい。正直……なんかないかな。宅配してくれるやつとか」
「わかった。三食きちんと届けさせるようにしよう。食べ盛りも考慮させる」
「やった! ありがとうございます」
昂大が満面の笑みで喜んだのを見て、万屋の顔つきはさらに穏やかになった。
「どうだ。学校生活は」
「……ちょっと微妙です」
「そうなのか。雅治から、そこそこにやっていると聞いているぞ」
意外な回答だった。てっきり、こけおろされると思っていたが――――――昂大は思わず目を丸くしていた。
「雪とは、やっていけそうか」
「……」
昂大は雪の名前が出て固まってしまった。紅茶の入ったティーカップを覗き込むと、自分の情けない顔が映っている。
「……万屋さん。どうしておれに、臨起とか、今回の仕事の内容とか、秘密にするんですか?」
「言う必要がないからだ」
「なんで? おれ、〈機関〉のことだって全然知らなかったのに」
万屋は昂大を一瞥する。昂大は悲しみと怒りの混ざったような、複雑な表情をしていた。
「それにおれ、雪を傷つけてしまったんです」
「……」
「おれが臨起のことを知らなかったせいで、雪が怒ったんです。それで……」
「それで、生徒たちに臨起の力を使い、お前を傷つけた」
万屋は昂大を直視したまま、さらりと流すように言葉を紡ぐ。
「おれはっ! 傷ついてなんかないです。おれのせいなんです」
「お前の意識を奪い、音楽室に拉致したと聞いたが」
「……」
「監視カメラに映っていたそうだ。雪はプロとしても、人間としても良くない行いをしたな。違うか」
昂大は言葉が出ず、押し黙る。しばしの沈黙の後、万屋は改めて昂大に問いかける。
「なぜ雪を庇う」
「……おれが、傷つけてしまったから」
「それはお前視点での主観の話だ。雪はどう思っていると思うんだ」
「雪が、どう思ってるのか……?」
万屋は足を組み直し、紅茶の香りを味わってから口をつける。
「お前の悪い癖だ、昂大。自分のせいにしてしまえば、他人のことを考えなくてもよくなる。自分が悪かったと思考を放棄してしまえば、相手のことを考えなくてもよくなる。だからお前は、無意識に自分を罰する癖がついてしまっている」
「ッ……」
「正直に言ってみろ。お前は雪に拒絶されるのが怖かったのではないか?」
「……おれ」
雪と出会った時に感じた胸の高ぶり。
あの笑みを、あの表情を――――――失いたくなかった。
「人から嫌われたくないのはわかる。人間ならば誰もしも抱く感情だ。だが、お前たちは病的なまでに、嫌われることを恐れている。そうさせてしまったのは、私の責任でもある」
万屋は一瞬、苦い顔をした。
「なぜ臨起や任務のことを秘密にするかと言ったな。それが答えだ。お前は何でも自分のせいにしてしまう。任務の結果、起こること全て、自分のせいにしてしまうと思った。だから言わない方が良いと判断した」
「で、でも……」
「雪の行動の責任は私にもある。だからお前は気にするな。これまで通り学校生活を送っていればいい」
――――――嫌われたくない。
万屋に指摘され、雪の笑顔が思い起こされた。それは、偽ることのできない一つの感情を表していた。
「……好きなのかな」
――――――雪に一目ぼれした。それは、臨起のせいではなく、心の底から思ったことだと信じたい。
だから、臨起の力のことを聞いた時、正直複雑な気持ちになった。
一目ぼれしたのは力のせいだった。よって、思いに蓋をした。雪にされた酷いことを盾にして、一線を引くのも悪くないのかもしれない。
でも、雪の願いを聞き入れて前川を殺した後、背中に感じたぬくもりは本物だった。
「最初、なんてかわいい子なんだろうって思った……可愛くて、みんなから好かれて、声も、動きも、すべてが遠い気がして……でも、涙を流した。辛い思いをしていた。おれと同じだった。だから、助けになりたいって思った」
昂大は一呼吸置き、自らを嘲笑する。
「でもやっぱ、臨起のせいだったんですかね」
万屋は昂大の苦笑を見て、手に持っていたティーカップを乱雑に皿に叩きつけた。
乾いた音が、部屋に響き渡る。
「……わかった」
その声は、ほんの僅かだが、うわずっているように聞こえた。
万屋は改めて昂大を見据える。
「昂大。お前のやるべきことはなんだ?」
「おれは、新田川高校に通って、それで……」
「新田川高校で非常に重要な任務があるのは、承知しているな」
「……はい」
「臨起や任務の内容は最重要事項であるため、今は伝えん。これまで通り高校生活を送るんだ。そして、お前の日常を脅かす者が現れれば、必ず殺せ。いいな」
「……脅かす者って」
「すぐにわかる。だからこれだけは意識しろ。必ず殺せ。いいな」
万屋はそう念押しすると、オフィスを出て行ってしまう。
昂大は雪の時と同じく、その背中を黙って見続けることしかできなかった。
――――――万屋の、指示。
「おれの、すべきこと……殺すこと……」
万屋の指示に従って、人を殺すことが、自分のやるべきことだ。今も昔も、これから先も。
昂大は脱力し、椅子に深く腰掛けた。
万屋は普段、感情を表に出さない。しかし、長年共に過ごしているとほんの少しの表情や声の変化がよくわかる。
万屋は怒っていた。紛れもなく、昂大に対して怒っていた。
なぜ怒っていたのかはわからない。何がいけなかったのかわからない。どこかへ行ってしまったので、理由を聞くこともできない――――――。
(やっぱおれ、最低だな)
昂大は睡魔によって意識を奪われるまでずっと、天井を見続けていた。




