エピローグ3
通された謁見の間は思った以上に小さくガランとしていた。
寒い時期にもかかわらず謁見の間が暖かいことにアンズは安心し、そっと腹を撫でた。
2人の目の前には、高い位置に作られた皇帝の座る椅子が一つあるだけだ。
コウとアンズ二人を案内した宮女がにこやかに言った。
「こちらにてお待ちください。陛下の姿が見えたら頭を下げ、手を顔の前で組み、お声がかかるまで頭をあげないように」
本来であれば、膝をつき、額を床につけておくべきだが、「仰々しい礼法は不要だ」と言ったのは皇帝だった。
「宮廷、ひいては国に貢献するものたちに礼を払うべきは皇帝である私の方だろう」
そうは言って謁見時の仰々しい礼法を廃止しようとした。
しかし、略式でも礼を取らせないことには「不敬では?」と謁見に来る側が落ち着かなくなるだろうとの声があり、配慮して今の形に落ち着いた。
宮女が脇によけたのを見計らうように、高い位置に人の姿が見えた。
コウとアンズは宮女に言われたように頭を下げた。
衣擦れの音にだけ耳を澄ます。
椅子に座ったのがわかり、皇帝からの言葉を待った。
「面をあげよ。紙問屋の若夫婦と見受ける」
20年の御用達の紙問屋の若旦那が皇帝に声をかけられて皇帝の姿を見たその時、彼は手に入れた市井の吉祥である彼の妻の隠された価値を理解し固まった。
一方その妻は、玉座に座った厳格な父の姿に一瞬驚いたものの、父が背負い続けている重荷を思い、フワリと笑みを浮かべた。
対照的な娘夫婦の姿を見て、シュレンは柔らかく微笑んだ。
「よく来てくれた。紙問屋の主人からは事前に結婚したばかりの息子夫婦を謁見に向かわせるとの報告をもらったが、主人は息災か?」
声をかけられて、コウは固まって、何を答えるべきかと口をパクパクさせる。
真っ青になってしまったコウを見て、シュレンはアンズに視線を移した。
ここでは定食屋での父と娘の会話であってはならない。
「お心遣いいただき感謝いたします。夫が緊張のあまり言葉が出ませんので、代わりにお答えいたします。義父である紙問屋の主人は年末少々腰を痛めましたが、今では変わらず息災にしております。義母も使用人も職人も」
「家族も使用人も職人も息災とは良いことだな」
「はい」
アンズは答えながら、「先日も会ったから知っているでしょう」と言いたいのをグッと堪えた。
アンズの受け答えに頭の冷えたコウが何かを言いたげにアタフタしているのが見えた。
「なかなか良い縁組みだな、紙問屋の」
「あ…は…はい…自分いえ私には勿体無いくらいのよくできた妻で…」
慌てる紙問屋の若旦那にクスリと笑みを作り、皇帝は若旦那の妻に視線を送る。
その妻は嬉しそうに目を細めて、柔らかな笑みを浮かべている。
若旦那は妻とパチリと目が合い、落ち着くように胸を抑え、軽い深呼吸を2回。
そして照れたように妻へとほほ笑みかけた。
その様子に女官や側仕えもフワリと柔らかい雰囲気になった。
これは世間ではおしどり夫婦と呼ばれるわけだ、と。
皇帝として色々声をかけたかったが、これだけ見せつけられれば、義理の息子に対しては幾重もの意味を込めてこれで十分だろう。
「これからもよろしく頼む」
声をかけられて、紙問屋の若旦那は皇帝へ言葉もなく深く頭を下げた。
父が言うようにお言葉をもらったあと、年賀のお菓子をもらった。
一緒に来ていた使用人が言葉もなく固まっているコウを見て、アンズに視線を送るとアンズはいつもと何も変わらない。
使用人たちは若旦那が粗相をしたわけではないとわかって、安心して年賀のお菓子を受け取ったのであった。
コウは宮廷の表門から出るときに改めてアンズの顔を見た。
アンズはもちろん、そして、コウの両親も、番頭も世話役もきっと皇帝の正体を知っている。
父が「腰が痛い」と大げさに騒ぎ、母、番頭、世話役が涙を流すという下手な演技を打ってまでコウを謁見に向かわせた理由を深く考えた。
コウは宮廷を、宮廷の門から見える景色を見て、大きく深呼吸をした。
そして、市井の吉祥を妻に与えてくれた皇帝の治世を支えるための決意を新たにしたのだった。
その日の夕飯時、平民街の定食屋では役人に扮した皇帝が市井の妻に向かって「美味しいね、シイちゃん」いったその時、問屋街の紙問屋でも、若旦那が妻に向かい「アンズさん、美味しいですね」と言っていた。
定食屋でも紙問屋でもその「美味しい」を聞いた妻が嬉しそうにほほ笑んだ。
夕飯後、宮廷から特別なお菓子が紙問屋では使用人含めて全員で食べ、定食屋でも嫁に行った娘から差し入れされたお菓子を夫婦で分けて食べたのであった。




