31 トマトは野菜か果物か
初夜の翌朝、重くだるく、そして痛みを伴う体をゴロンと転がせば、アンズは隣に眠るコウと額同士をぶつけた。
「痛…」
「…うぅ…」
2人の声とうめき声が重なり、開けた目が互いを捕えた。
「…コウさん、おはよう」
「アンズさん、おはよう…体大丈夫ですか?」
「…あ…うん…その…ちょっと…」
アンズがもじもじと繰り返せばコウは優しく目を細める。
昨夜の初夜、この人は定食屋に通い続けたように、初夜の手順を淡々と踏んでいた。
自分の感覚にも体の熱さにも戸惑い困惑するアンズをよそに。
そっと手で触れて、震えるアンズに優しく声をかけてくれた。
声をかけて続けてくれたおかげで、アンズはコウに身を任せ、自分の感情や気持ち、自分の体の感覚に集中することができた。
その時に交わした会話は何一つ覚えていない。
コウが慣れているから安心とか心が通っているから気持ちいいとかそんなことを考える暇はなかった。アンズは。
そして今、混乱するアンズをよそに平気な顔をしている。
「今日明日くらいはゆっくりしましょう。両親も使用人たちもそのつもりでしょうし」
「はい…」
ニコリと笑みを作って答えたものの、アンズの頭の中は混乱継続中だ。
ゆっくりってどこでどうゆっくりするの?
このまま、掛布の下、何も身にまとわない2人で向かい合って?
え?それでゆっくりできる??
昨夜、2人きりの部屋でコウと向かい合った時以上にアンズの心臓が大きく音を立てる。
「落ち着いてからでいいので、一つお願いがあるんですが」
「はい、なんでしょう」
混乱しているとはいえ、ついつい定食屋にいるときの気分で「お願い」に対して答えてしまう。
「…両親とも話していたんですが、まず、厨房の管理をアンズさんにお願いしたいのです。献立、食料や燃料の調達、管理。もちろん、専門の使用人がいますから全てアンズさんにお願いするわけではありません。でも、1日3食、時には慶事で豪華な肴も出さないといけないし、おやつや夜食、酒の肴など厨房は休まず動いています」
「はい」
そんな忙しいところ自分が管理できるかしら、と思いながらアンズは頷く。
「毎食1品でいいので、アンズさんの小鉢を使用人含めたこの家のものに食べさせてくれませんか?」
コウの言葉にアンズは目を丸くする。
「紙漉きの工房が少し離れたところにあって、定期的に昼食とおやつを持って行っているんです。それもお願いしたいです」
「…料理していいですか?」
「もちろんですよ。毎食、数が多くて大変ですが、厨房の管理をお願いしてもいいですか?」
「はい!皆さん、何が好きですかね?」
目をキラキラさせるアンズにコウはニコリとほほ笑む。
「うちの使用人や職人は地方の出も多いです。それこそ、10になるかならないかで出てくるものもいます」
「そんなに若いうちから…」
「山岳のもの、乾いた荒野の出、海辺の出、暑いところ、寒いところ…好みも色々なんですけど、みんなアンズさんの料理を好きなんです。握り飯取り合うくらいに」
「山岳…荒野…海辺…暑い、寒い??」
コウの言った使用人の出身地をアンズは繰り返した。
「すごい、皆さんの故郷の料理を教えてもらってもいいですか?」
「ええ、もちろん」
「小鉢にして出せるかな…味をちゃんと確認しないといけないし…コウさん、味見してくれますか?」
「はい、もちろん」
アンズの料理の味見なんて、コウにとったら役得だ。
寝台の上でゴロゴロと「楽しみ!」と呟くアンズを見つめるコウの目はどこまでも優しかった。
ああ、昨夜も今朝も普通の顔をできていただろうか?とコウは考える。
思い返せば手を握り合ったのすら、アンズが馬車から降りる時が初めてであった。
バクバクとなる心臓の音がうるさくて、なんとか鎮めたくてアンズに色々と問いかけた。
初夜にうざったいくらい問いかけた頼りない夫に幻滅されるかと内心ヒヤヒヤしていたが、杞憂だったようだ。
様々な地域出身の使用人たちの故郷の味。
アンズの手によって食卓が華やぐ日が楽しみである。
とはいえ、「今日明日くらいはゆっくりしましょう」と自分から言い出したもののどうゆっくりしたらいいのか?
誰か気を利かせて、声をかけにきてくれないものだろうか?
そんなことを新しい味の出会いを楽しみにするアンズを微笑ましく見つめながらコウは考えた。
もちろん、気を利かせた家族や使用人たちが声をかけにくることはない。
家族も使用人たちも離れの様子を気にはするが、わざわざ初夜の翌朝に野暮なことをするつもりはないが、時間が経つにつれて落ち着かなくなる。
「…若奥様…坊ちゃんに精魂吸い取られてないかしら…?」
「いや?むしろ、坊ちゃんがちゃんとできたかの方が心配じゃない?」
そんな声を皮切りに使用人たちは顔を見合わせた。
「でも、坊ちゃんは放蕩もしていたわけだし…!」
「いやぁ…そうは言ってもなぁ…」
「…坊ちゃん、どういう女が好みか一切教えてくれなかったし…」
「まさか、坊ちゃんって…」
使用人たちは一斉に口をつぐむ。
これ以上は踏み込んではいけないし、関与したところで彼らにできることは何もない。
「坊ちゃんのことは若奥様にお任せしよう」
「そうね!」
「そうだな」
「仕事に戻ろう!」
そう言って使用人たちは離れを一瞥して、心配と期待が入り混じった面持ちで持ち場に戻っていった。
結局、誰も離れに来ないまま昼も近くになってアンズとコウは同時に呟く。
「…お腹空きましたね」
「さっきから腹の虫が…」
顔を見合わせて2人はぷっと吹き出した。
2人で揃って布団の中で取り留めもない話をしたり、うつらうつらしたり、そんなゆったりとした時間が流れていったのだ。
一番盛り上がって、それでも結論が出なかったのは「トマトは野菜か果物か」だった。
2人揃ってどうゆっくりするのかと悩んでいたにもかかわらず、結局2人でゆっくりしてしまった。
「みんなに声をかけて、ご飯の用意をしてもらいます。湯あみの準備もしてもらいましょう」
寝巻きを軽く羽織ったコウがようやく離れから顔を覗かせたのに気づいて、家族も使用人たちもホッとした。
婚礼をした2人は名実ともに若旦那様と若奥様になったのだから。
そして、2人にとっても家族や使用人にとっても若夫婦結婚後の日常が始まるのであった。




