30 昔語り
シュレンが案内されたのは屋敷の奥まったところにあるセンの私室であった。
促された先に座り、改めて酒とつまみが出された。
「…この度はご息女を我が家にたまわれたこと誠に嬉しく思います」
「こちらこそ不束な娘ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
父親同士、互いに礼をする。
「不躾ながら、少々昔語りをしてよいでしょうか?」
「はい」
センが話したのはコウが生まれたときのことだった。
「23年前、あの子が生まれる少し前、私たちはあの子の姉を亡くしまして、まだ3歳になる前でした。子どもによくある容体の急変でした。その前の前の年にはあの子の兄を。3歳を少し過ぎたころだったでしょうか…あの頃はよくあったものです。不正やワイロが横行し、弱いもの、幼いものから命を落としてしまう」
シュレンとシュカはコウの昔語りを黙って聞くことにした。
これから語られるのは、きっと市井に生きるものがみたシュレンの治世のことだからだ。
「コウが生まれる前に私たち夫婦は不思議な夢を見ました。内容はよく覚えてないのですが、美味い飯を食べたのだけは覚えています。夫婦で『これは吉兆かね』と話したその日にコウが生まれました。そして、同じ日、今上帝が立たれたのです」
シュレンはごくりと喉を鳴らした。
センの目は穏やかで、敵意も悪意も感じない。
だがしかし、と緊張が走る。
それは、隣にいる息子のシュカも同様だった。
娘の祝いの席で家の奥に誘い込まれた、警戒するべきであったと二人は表情にださないまま後悔する。
「コウが生まれてから、と言うよりは今上帝が立たれてから、我が家の商売は上手く行くようになりました。わいろをあからさまに求める役人が減ったからかもしれません。それに、子どもを見てくれる医者が近くにできまして、夜中でも見てくれる、幼い子を失った私たちにはそれだけでなんと心強かったか」
シュレンの治世、初期のころの政策だ。
とにかく不正とワイロの排除、市井に子どもたちや女性を見てくれる医者の配置を進めたのだ。
「コウが3歳のころですな、我が家が宮廷の御用達になったのは。あの日のことは忘れもしません。たくさんの役人がやってきて、問屋だけでなく、帳簿も取引先との関係も職人たちとの関係も全て確認されて行かれたのですから。こんなにも御用達になるのは大変なことなのかと思ったものです。我が家が宮廷の御用達になって今年で20年です。その年にアンズさんと言う市井の吉祥を賜ることができました。まことにありがたいことでございます」
「いえ…この年月、長いようであっという間ではなかったでしょうか?」
センの言葉にシュレンはシュカとアンズの成長を思い出しながら言葉を紡ぐ。
「はい。とても。商売も子育ても手探りの20年でした」
そういってセンは静かに酒を口に運ぶ。
「20年も御用達をしていれば、世にも珍しいものを目にすることもございます。10年連続で御用達でいられるのは非常にまれなこと。皇帝陛下から直々にお言葉を賜ることができるのです」
皇帝の話が出てきてシュレンの心臓がドキリと鳴る。
20年前の紙問屋の監査にはシュレン自身も参加した。
それは新しく御用達になる取引先すべてに対してもだ。
皇帝が下級役人のふりをして、監査に現れて、皇帝自らの目で全てを見られているなど誰も考えもしないものだ。
10年前に直接会って言葉を交わしていたこともシュレンは承知の上だ。
「今年で20年目。年明けにはまた皇帝陛下との謁見が可能となります。その時には息子を向かわせる予定です。自分が手にした吉祥の本当の意味をちゃんと理解してもらうために、よろしいでしょうか?陛下」
そう言ってセンは静かに笑った。
「…そう…か…いつから、気づいていた?」
正体がバレていることがわかれば、シュレンの口調は自然と皇帝のものになった。
「何度目かに定食屋に行ったとき、片隅でアンズさんとお話をしている声を聞き、お姿を見たときに『まさか』とは思いました。見合いの打診の時の話し合い、見合いの時、どちらも役人の制服でいらっしゃるから、あえて知らぬふりをさせてもらいました」
「そうか…長年御用達をする店の主人の目は確かなようだ」
「いえいえ、身代を傾けるほどの放蕩をした結果、人を見る目だけは確かとなりました。紙問屋の希代の放蕩息子、元は私につけられた二つ名でございます」
センの笑みに、政治とは異なる荒波を生きてきた凄みをシュレンもシュカも感じたのであった。
「宮廷より今回の慶事へのお祝い、誠にありがとうございます。金銭よりもこれから数年にわたる取引ができること商売をしていく身にはこれほどありがたいことはございません」
「いや、20年に渡りこの国を見れば、紙の重要性はよく理解できた。人の学び、政策の告知、記録、計算、そして物語の流布。今後も国の内外に向けた活動にはどうしても必要な道具だ。今後のさらなる貢献を期待している」
「なんともありがたいお言葉にございましょう。我が家は影に日向に陛下の治世に貢献することをお約束します」
「よろしく頼む」
なるほど、確かに男同士の内緒話だ。
この話、どこかに漏れるようであれば、皇帝の娘を娶った紙問屋への融通とシュレンの治世を根幹からひっくり返す出来事になるかもしれない。
記録を残す紙を作り、世に流通させる担い手だからこそ、残さないことの重要性を知る紙問屋の主人。
その精神を受け継がせるために、次の御用達の謁見にはコウを送ると言ったのだろう。
コウが来るか、コウとアンズが来るかはわからないが、その時はこの国を統べる皇帝として姿を見せようとシュレンも覚悟をした。
「謁見の時、アンズさんの体調が良ければ一緒に向かわせても?」
「アンズの体調と言うと?」
「大きなお腹では謁見の緊張に耐えられないコウの付き添いは大変かもしれないでしょう」
そう言ってセンは自分の腹をポンと叩いた。
真面目なのに気弱で臆病な紙問屋の若旦那、それを支える肝の太いアンズを想像してシュレンもさすがにクスリと笑ったのであった。




