24 飯食いに行きませんか
春の芽吹きのころと言えど、まだまだ寒さの残る時期、アンズとコウの婚礼まで10日を切ったある日のこと。
夕方すぎに定食屋に行くために歩いていたコウの前に一人の男が通りに放り出されたのであった。
突然のことにコウは固まった。
そこは同じ問屋業を営む家で、一緒に放蕩した2つ3つ年上の男がいる家だ。
「放蕩っていうのはほどほどのところでうまく遊ぶから芸になり花があるんだ。お前がやっているのはなんだ?ヤクザまがいじゃないか!」
そう言って店先に仁王立ちになっているのはコウの父親と同世代のこの店の主人だ。
「仁に外れたことをやるなんて放蕩者が聞いてあきれる。お前に美学はないのかい?」
「うるせえな、くそおやじ!こんな家、こっちから縁を切ってやるよ!!」
「そうかい、なら、お前みたいなのはな、息子とは思わない。二度とこの店の敷居をまたぐんじゃないよ」
何がきっかけの大喧嘩かわからないが、行き交う人々は取り巻いて様子をうかがっている。
放蕩者は誰に殴られたかわからないが、顔を腫らし、服も乱れている。
「おい!見世物じゃねえ!」
威勢よく見物人にも啖呵を切っているが、放蕩者はコウを見て固まった。
一緒に放蕩をし、うまいこと足を洗った弟分。
さっきの大喧嘩も親父の「紙問屋の若旦那は上手に足を洗ってもうすぐちゃんとした嫁を貰うというのに」という嘆きに切れた結果だ。
「コウ…」
「トカ兄さん」
「見てんじゃねえ」
昔のように互いを呼び合えば、放蕩者トカはひどくみじめな気分になった。
コウは可愛い弟分で、一人っ子のコウはよくトカに懐いていた。
懐いていたからこそ、一緒に放蕩をすることになったのだが、いつ頃からかコウは貼り付けた笑みをトカや放蕩仲間に見せるようになった。
そして、ある日急に酒を飲むこともなくなり、家業に打ち込み始めた。
その理由が「美味い飯を食った」という冗談のような話で、すぐに彼らの元に戻ってくると思っていた。
突然放蕩を辞めて1年も家業に真面目に打ち込めば、当然親たちはコウと比較し、勝手に嘆いた。
コウと親しくしていた放蕩仲間はコウと比べられたことに放蕩を辞める機会を見失ったのだった。
とある事情でやくざ者に殴られて、コウと比べられて、むしゃくしゃする今、コウに出会ってしまえば気持ちのやり場はない。
トカはくるりとコウに背を向けて、放蕩者のやることでないとわかってはいるが、肩をいからせながら歩いた。
「兄さん!トカ兄さん!」
気づいたらコウはトカの腕をつかんでいた。
「離せ、殴られてぇのか?」
コウはトカの腕を離さない。
細い腕だ、肉がない…いや、力のある肉がない腕だ。
振り払おうとしてもコウを振り払えないだろうし、だから、父親にも投げ飛ばされてしまうのだ。
「兄さん、おごるので、飯食いに行きませんか?」
「はぁ?」
トカはコウからの思いがけない提案に精いっぱいの虚勢を張った。
「いらっしゃい!コウさん!」
あと数日で夫になるコウの訪れにアンズの声が弾んだ。
そして珍しいことにコウの後ろにもう一人、同世代、少し年上の男がついてきている。
「…お友達ですか?」
「友達と言うか…昔馴染みです。兄みたいなものです」
コウが自分との関係を「昔馴染み」「兄みたい」と説明したことにトカはめまいがするかと思った。
トカの気持ちを無視して、コウは昔と同じようにトカを「兄みたい」な存在だと考えているのか。
コウに比べて自分が小さく感じられて、たまらない気分になる。
おごると言われてついてきたのが、このぼろい古い定食屋なだけで、背を向けて帰りたいぐらいだが、うまそうな匂いに腹が締め付けられた。
「そうですか。いらっしゃいませ。空いているお席にお座りください」
コウについてトカは席に着いた。
コウは随分な常連らしく、他の常連と挨拶をしているし、穏やかに笑いながら会話している。
あんな風に笑うコウをトカは見たことがなかった。
「兄みたいなものって、兄じゃないのか?」
「自分は一人っ子なので…近所に住んでいる彼を兄と慕っていたんですよ」
「へえ、そうかい」
「久しぶりに会ったので、飯に誘ったんです」
「そりゃあ、いい」
「うまいぞ、ここは」
「量も多いしな」
常連たちが次々にトカに声をかけてくる。
どう応対したらいいかわからず、トカは「ええ…」「まあ…」「はい」と短く小さく答えるだけだった。




