準々決勝、日本対アルゼンチン(6)
「素晴らしい同点弾だった! 流石は我らが代表だ!」
ハーフタイムに入るやそう叫び、選手一人一人を抱擁する老齢の男性。禿頭であり無数の皺が顔に刻まれているが、異様な若々しさがある。
ミカエルたちを率いるアルゼンチン代表監督、キリ・アグエロ。年齢は69歳という高齢だが、声のはりや挙動から一回りぐらい年齢が間違っていないかと、時々ミカエルは思う。
選手たちを抱き攻めた後、彼もスタッフと共に皆に給水ボトルやタオルを配る。そして皆が水分補給など一息ついたところで、指揮官の顔になり、言う。
「延長戦はシンプルだ。今までの様に攻める。それだけだ」
「本当にシンプルだなオイ。まぁ反対しないけどよ」
思わず突っ込むのはディエゴだ。他のベテランメンバーも頷いている。
もっとも誰も監督の策に反対していない。ミカエルもだ。皆、わかっているのだ。90分を戦い抜き疲弊した状態ながらも土壇場で同点に追いついた。ならばその勢いを最後まで貫き、自分たち以上に消耗している日本に止めを刺すべきだと。
「今の日本は半死人のようなもの。前掛りになることはほぼあり得ない。少なくとも前半は守勢に回るでしょう」
「その間に決着をつければいいわけか。やってやろうじゃないか」
「早々にゴールすればそれで試合は確定しますからね」
体を休めながら皆、冷静に話し合う。それを見てミカエルは無理をしたかいがあったと心中で呟く。
そして仲間と監督らの話し合いが終わった後、最後に監督は言う。
「ただ、忘れてはいけない。日本は延長のどこかで必ず前に出てくる。攻撃に集中するのは当然だが、それを頭の隅に置いておくように。
──さ、皆、行ってきなさい!」
『おおっ!!』
試合開始前のような覇気のある声を発し、皆と共にミカエルはピッチに入る。
少し遅れて、のろのろとした足取りでピッチに入る日本代表。ミカエルは彼らを見渡し、最後に鷲介に目を止める。
他の日本代表と同じく疲れている彼。しかしこちらを睨む眼差しは刃のような鋭さだ。
それを見てミカエルは改めて、心身を引き締めるのだった。
◆
「延長戦の前半は守りを固めてこと。当然攻め込まれることは多くなるがボールは無理して繋がずクリアーを優先するんだ。カウンターもよほどの状態でなければやらなくていい」
皆が戻り体を休める中、監督はいつになく厳しい表情で言う。
「今の君たちに攻めに転じる体力はない。15分間、亀のように固まるように」
「監督、それでは攻められっぱなしになります。ただ守るだけではあのアルゼンチンの攻撃を凌げるとは思えません」
「しかしそれしか手はない。今言った通り今の君たちで真っ向からアルゼンチンとぶつかれば、ものの数分で失点する。
前半は全員が自陣に戻り、守りに徹するんだ。ボールを取っても無理して攻めず、回すだけでいい。
そして後半、攻めに転じる」
攻撃宣言のあと、詳細なことを話す監督。
後半の策を聞いた後、皆が乾いた笑いを出す。
「これまた博打性のある作戦ですね。俺たちが1点も取られないことが前提ですか」
「だがやるしかねぇな。業腹だが監督の言う通り、今の俺たちじゃ同点に追いつきハイになっているアルゼンチンを真っ向から相手にできない」
だが誰も反対しない。ここまで導いてくれた監督の力量と、己たちの力を信じているからだ。
「そうだね。皆の力あれば何とかやれるさ」
聞き覚えのある、疲労のこもった声に振り向くと、そこには英彦の姿があった。
「英彦さん、大丈夫ですか」
「何とかね」
先程までピッチに体を横たえメディカルスタッフから全力でマッサージなどを受けていた彼。
チームドクター曰く駄目ならこのまま単価に乗せて医務室へ運ぶと言っていたが、こうして皆のところに来たということは、走れるぐらいには回復したのだろう。
「監督、僕は最後までピッチにいるつもりですが、もし駄目だと思った時は替えてください」
「もちろんだ。それまで藤中君と共に守備は任せるよ。──藤中君も、大丈夫だね」
「はい」
頷くテツ。少しでも体力を回復させるためか、先程からほとんど言葉を発していなかった。
鷲介は改めて仲間たちを見回す。自分を含め皆、疲弊しているが、特にDF陣にその割合が多い。
とはいえ彼らの疲れ切った顔にはそれ以上に強い覇気と勝利への執念がある。それを見た頼もしさを感じ、鷲介は気合を入れ直す。
「延長戦は皆につらい時間となる。だがそれでも勝利するために全力で走ってくれ。──さぁ、行ってきなさい!」
『おう!!』
先程アルゼンチン代表が上げた声に劣るとも勝らない、力強い仲間たちの声が響く。
仲間たちが後ろで散っていくのを感じながら鷲介は前を見て、気付く。
ミカエルを始めとするアルゼンチン代表、その中にいる因縁のある面々から異様な眼差しを向けられていることに。
(屈服させる)
(ねじ伏せる)
(叩き潰す)
レネ、ペドロ、ディエゴ、アルフレッド、ホアキン。そして、ミカエル。
目で語る彼らに対し、鷲介もまた小さく息をつくと、睨み返す。
(勝つのは俺たちだ)
そう決意し、鷲介は相対するアルゼンチン代表全員に目を向ける。
そして主審の笛がピッチに響き、延長前半が開始されるのだった。
◆
主審の笛の音がピッチに響いた直後、予想通りアルゼンチンイレブンが日本陣内に雪崩れ込む。
それに反して後ろに戻されたボールはゆっくりだ。そしてボールが最後尾に残ったレネに渡る。
そして鷲介は総毛立つ。ボールを足元に収めたレネの視線がまるでスナイパーのような眼差しをしていたからだ。
「テツ! 気をつけろ!」
長く飛び敵陣深くにいる味方に届く正確なロングパス。レネの長所の一つを思い出し鷲介は叫ぶ。
そして直後、鷲介の頭上を蹴り上げられたボールが越える。ボールは最後尾にいるテツを超えた更に後方へ飛び、
(アルフレッド……!)
そのボールへただ一人、アルフレッドが反応していた。
テツが注意していたにもかかわらずその彼の後ろへ飛び出したアルフレッド。すぐさまテツが体を寄せるがアルフレッドは後ろからのボールをぴたりと止めて前に転がし、右足を振り抜く。
テツが前を塞ぐより一瞬早く、ペナルティアーク手前から放たれたロングシュートは、日本ゴールに突き刺さった。
「あ……」
あまりにも呆気ない失点に、鷲介は声もない。仲間たちも固まっている。
そして勝ち越しを決めたアルゼンチンイレブンとサポーターは爆発したかのような喜びの声を発する。
──しかし、それを切り裂くかのような鋭い笛の音。主審と線審がともにオフサイドを示している。
騒然としブーイングが鳴り響くスタジアム。それを黙らせるかのように電光掲示板にオフサイドのシーンが映し出される。アルフレッドの裏への抜き出しがわずかに速かったようだ。
首の皮一枚ギリギリ。命拾いをしたと鷲介は思い、すぐに考え直す。
ゴールを認められなかったにもかかわらず、ミカエルたちが放つ覇気が、ますます強くなったからだ。
日本の関節FKにて再開される試合。作戦通り日本はまず失点しないよう心掛けるがアルゼンチンは全力でボールを奪いに来る。
「ティト、挟め!」
「詰めろホアキン!」
延長戦に入って疲れているはずなのにディエゴやペドロのコーチング通りに動くアルゼンチンイレブン。
その正確さとしつこさ、激しさにボールはあっさりと兵藤のところまで戻り、その兵藤にも交代で入った元気なラモンがボールを奪いに来る。
たまらず前へ蹴りだす兵藤。近くに飛んできたボールを鷲介は拾おうとするが、ラモンと同じく交代選手のニコラスがぶつかるように体を寄せて奪う。
(この野郎……!)
ホアキンのような反則にならない、しかし激しい当たりを受けてバランスを崩す鷲介。
ボールを奪ったニコ明日はすぐにボールを前へ蹴りだす。それを収めたミカエルの前を久司が塞ぐが、ミカエルは前を向くと同時、左にいたペドロとのワンツーであっさり前へ行き、右サイドに広がっているティトにボールを渡す。
すぐさま直康がティトの前を塞ぐが、ティトは小刻みなフェイントでそれをずらし日本のペナルティらエリアへクロスを供給。
それを受けようとするアルフレッドと、影のように張り付いているテツ。また一番近くにいる井口も迫っておりシュートコースはない。
奪えると鷲介は確信する。だがアルフレッドは来たボールを胸トラップして左に流す。
その流れた、ピッチを一回跳ねたボールに斜め左からラモンが突撃し、ダイビングヘッドを放つ。
ゴール左下へ飛ぶボール。しかし兵藤が伸ばした右手がそれを弾き、ボールはゴール外のラインを割ってアルゼンチンのCKとなる。
(まだ五分も経っていないのに、決定機を二回も作られたのか……!)
電光掲示板に表示される時間を見て鷲介は顔をしかめる。
予想されていたことではあったが、その後は一方的に日本はアルゼンチンに攻められる。CKはクリアーするもこぼれ球に駆け寄ったディエゴがダイレクトシュートを放ち、ゴールバー上部にボールを当てる。
延長前半7分を過ぎた直後、英彦の乱れたパスをペドロがカット。アルフレッドのポストプレーでボールは右に流れ、それをいつの間にか右サイドにいたラモンが日本陣内に深く切れ込むと見せかけての切り返しで直康をかわしてグラウンダーのクロスを日本ゴール前に放つ。
走りこんできたディエゴがシュートを放つと見せかけてスルーし、最後はラモンのように逆サイドにいたティトがダイレクトシュート。兵藤も届かないゴール右上にボールは向かうが、唯一反応していた井口がヘッドでボールがネットを揺らすのを阻む。
アルゼンチンのスローインと同時に延長前半10分を迎えたとき、元のポジションに戻ったラモンはペドロ、ニコラスとトライアングルを形成して左サイドを突き進む。
そしてペドロが出したボールを中央で受けたミカエルが中央から日本ゴールに接近。英彦を強引にかわしアルフレッドへラストパスを来るが、アルフレッドが放ったシュートは間一髪テツが弾き、ボールを兵藤が押さえ、危機を脱する。
未だ4-4。しかし状況は圧倒的に日本が不利だ。凄まじいアルゼンチンの猛攻の前に日本はいつ失点してもおかしくない。テツや英彦たちはもちろん、最前線にいる鷲介も守備に奔走してこれなのだ。
延長戦だというのに、これまでのどの攻めよりも苛烈だ。開始直後のアルフレッドの幻のゴールが仲間たちをさらに焚き付けたのか、それとも声を枯らすかのような応援と熱狂を放つサポーターのおかげか。
(このまま本当に、耐え凌ぐだけでいいのか……!?)
ボールがラインを割ったとき、鷲介は思わず監督を見る。いつもはベンチに座っているヨアヒムは立ち上がっており、表情もいつになく厳しい。
しかし鷲介たちに向けている眼には断固たる決意と自分たちへの信頼が感じられる。それを見て鷲介は大きく息を吐くと同時に迷いを打ち消す。
延長前半14分、またしてもアルゼンチンに決定機。ディエゴの速く正確無比なスルーパスに抜け出したティトがダイレクトで折り返し、アルフレッドの空けた穴に転がったボールへミカエルが走りこむ。
ペナルティエリア中央のミカエルは迷うことなく左足でボールをミート。シュートはゴール上部に向かい兵藤が何とか弾く。
空いていた左ではなく正面にシュートを放つ。ミカエルらしくないミス、助かったと同時に鷲介は思うも、アルゼンチンのCKとなったのですぐに気合を入れ直す。
キッカーはいつものディエゴではなくペドロだ。放たれたボールに真っ先に触れたラモンのヘディングが日本ゴールに向かうが田仲が胸元で防ぎ、それをクリアーする。
しかしそれをレネが拾うと、彼は左にパス。戻ってきたペドロがそれを収めクロスを上げた。
速く鋭い弧を描くボール。それにアルフレッドがテツを引きはがして飛びつくが、間一髪前に出ていた兵藤のパンチングがボールを弾く。
宙に浮いたボールを鷲介が見たとき、その目を大きく見開く。それに向かって跳躍している、アルゼンチンの10番の姿を見たからだ。
「おおおおおっ!」
轟くような叫びと共にディエゴがボールに向かって左足を振るう。わずかに遅れてテツもクリアーすべくジャンプするが、一瞬ディエゴの動きの方が早かった。
テツの頭をかすめるように降り降ろされたオーバーヘッドシュート。ボールはピッチに叩きつけられペナルティエリアに群がる人々の隙間を縫って、日本ゴールに突き刺さった。
(やられた……! 今度こそ)
そう思う鷲介だったがその時、またしても主審の笛がピッチに響く。
見れば主審はゴール判定ではなくファウルのジェスチャーをしていた。どうやらディエゴのオーバーヘッドが危険なプレーとして取られたようだ。
鷲介から見ればあれはノーファウルだ。ディエゴの動きはテツより早かったのだから。とはいえ日本代表としてみれば命拾いとしか言いようがない。
アルゼンチンサポーターの激しいブーイングがスタジアムに響き、ディエゴらが審判に猛抗議をするが判定は覆らない。VARチェックが入るも主審は改めてアルゼンチンのファウルとする。
試合が再開され、アルゼンチンイレブンは怒りに突き動かされるように前に来る。だがほどなくして延長前半終了を知らせる笛の音がピッチに響く。
「皆、よく耐えた! さぁ少しでも体力を回復させるんだ!」
戻ってきた鷲介たちにスタッフはもちろんベンチメンバー、監督も給水ボトルやタオルを選手に手渡すために動く。
給水ボトルの半分を残し、頭にかけた後鷲介は仲間たちを見渡す。皆疲弊しているが、士気は十分だ。
また一番心配だった英彦は給水ボトルを呑みながら近くにいる仲間たちと言葉を交わしている。あの様子なら延長後半までなら問題なさそうだ。
「何ボーっとしてやがる鷲介! さっさと」
「わかってる」
久司の声にかぶさるように言い、鷲介も彼や小清水ら近くにいる選手らと後半について言葉を交わす。
一分が過ぎるか過ぎないかと言う時間が終わり、両チームの選手たちは前半とは逆の陣地へ入る。そして日本ボールで延長後半が開始される。
後ろにボールを返し前を向くと、やはりというべきか、アルゼンチンイレブンは前半同様、大勢が日本陣内に侵入してくる。二度ゴールを取り消された鬱憤が溜まっているのか、何が何でもゴールするという気迫に満ちている。
そんなアルゼンチンに対し日本は前半同様守勢に回る。中央に人数を集めシュートを打たせないようにする。
だがそうすればサイドが手薄になり、必然的にティトとラモン、アルゼンチンの両翼へボールが渡り、そこから中央へボールが飛ぶ。
アルフレッドのヘディングと、弾かれたボールを回収したペドロのミドルシュートが日本ゴール内に飛ぶが、何とかテツたちが何とか防ぐ。
前半よりもさらに前へ前へ来ているアルゼンチン。それを見てそろそろかと思った時、日本ゴール前で笛が鳴る。
ペナルティアークよりやや前でアルゼンチンのファウルとなる。──それを見て鷲介は準備が整ったと心中で呟く。
ピッチに倒れた英彦はゆっくり起き上がる。そして次の瞬間鋭い出足でボールを蹴る。
グラウンダーシュートのようなそれは真っ直ぐセンターサークル付近にいる鷲介に届く。そして鷲介は鋭い動きで前を振り向き、走り出す。
「やはり動いたか……!」
そこへ姿を見せるニコラス。見抜いていたというような勝ち誇った表情。
そんな彼を前にして鷲介は迷うことなく右へパス。それを走ってきた久司が受け、すぐに左サイドへボールを放つ。
誰もいない左サイドへのボール。パスミスでラインを割ろうかと言うそれを、延長後半と同時に投入された中山が追う。
猛スピードでボールに追いついた中山を見ながら鷲介はもちろん、皆も前へ走り出す。
延長後半5分を回ろうかと言う時間、日本は乾坤一擲の反撃に出るのだった。
リーグ戦 24試合 18ゴール10アシスト
カップ戦 3試合 3ゴール4アシスト
CL 10試合 18ゴール4アシスト
代表戦(三年目)2試合 3ゴール1アシスト
W杯 4試合 7ゴール5アシスト




